1789年(その2)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
夜の狂気も昼の陽光のもとでは薄れ、人は正気に返るという。
この世界の夜はひたすら暗い。パリでさえ暗い。だから下手に攻撃食らったり同士討ちしたりするのもまずいので、軍を動かし情報を集めるのもまた、次の日の朝からにしようということになった。
そして7月15日。
何があったのか、状況がようよう見えてきた。
それでも契機は――どこにあったのだろうか。
ルイくんが第三身分寄りがすぎるとネッケルを解任したせいで、全国三部会にパリ代表を選出した選挙人たちが市庁に常設委員会を設け、コミューン設立を宣言したことにあるのだろうか。
国民議会の時にもクーデターのようなものだと思ったが、結構な富裕層や貴族がその財力に物を言わせたとしても、民兵の編成なんてことまでやっていたとなれば、それはもう、革命というよりほぼフランス王国の中にパリという独立国家を作るようなもんじゃないかと思う。
だけどその動きをヴェルサイユでは、ただの政治的活動として看過してしまっていたわけだ。
いくら三部会でのすったもんだがあったからって、注意散漫にもほどがあると思うの。
その一方で、一週間ほど前から発生していた、国王軍のパリ進撃の噂――パリで市門の焼き討ちの原因になったやつね――が、パリの人々を疑心暗鬼にさせてたらしい。
武力には武力で対抗だ、武器を確保すればなんでもできるとばかり、パリの民衆は十四日の早朝からアンヴァリッドに押しかけた。
自衛のためという理由はもっともらしいが、これ、やってることは国の軍隊の財産強奪だと思うんだけど。
犯罪行為の自覚なく、民衆は意気揚々と3万2000丁の小銃と24門の大砲をぱくった。が、アンヴァリッドには弾薬類の備蓄はなかったらしい。
いくら武器があっても、弾がなければ撃てやしない。民衆は、バスティーユ監獄へと向かった。道中もぞわぞわと合流する人々を飲み込み、最終的には数万はいようかという軍勢に膨れ上がったというから驚きだ。
かつて政治犯の永年禁固場所とされていたバスティーユは、監獄と呼び名はついているが、実質的には要塞である。厚い城壁と広い堀を兼ね備え、城壁てっぺんに大砲設置という偉容は、たとえ完全包囲されても落ちることのない堅固さを誇っていたはず、なのだが。
……あー、どんな優れたハードを用意しても、運用する人間があかんかったらどうしょもないと思うのよね!
要塞司令官ローネーは、武器泥棒たちがさらなる武器弾薬を要求してきたのをきっぱり拒否した。市中を狙える大砲の撤去を求められた守備隊長ソンヴルイユは、ヴェルサイユの許可を求めると返事を引き延ばした。民衆が攻撃しない限り発砲しないと約束してだ。
なのに、午後になって二人の男が要塞内に侵入したという。
……いや、それ、ほんとにパリの民衆?
だって要塞だよ?おまけに監獄に利用されてるんだから、脱獄に対する目だって相当厳しくて当然だと思うの。
そこに侵入できるって何者よ。
仮に荷馬車の積荷に隠れて潜入しようとしたとしてもだ。どんなにたるんたるんにたるみきった兵でも、相手が市民とはいえ、完全包囲されていれば確認くらいはすると思うんだけど。
疑問の答えと詳細は不明のままだが、第一跳橋の鎖が断ち切られたこと、門が破壊されたことは事実だ。
群集が要塞内に雪崩れ込み、守備隊たちとの銃撃戦になったことも。
守備隊長は民衆の突入を受けて這々の体で逃げ出し、要塞司令官は夕方近くになって、ついに自ら降伏した。
第二跳橋は降ろされ、バスチーユは制圧された。
民衆もそこで政治犯を解放するくらいにしておけばいいものを、普通の犯罪者もまぜこぜに解放し、ついでとばかりに降伏した監獄司令官ローネーともども、パリ市長を惨殺したという。
……いやなんでそこでパリ市長まで殺す必要があるのよ?
しかも二人の首を掲げて市中を練り歩くとか。おまえらは忠臣蔵の赤穂浪士か。そしてパリ市長と監獄司令官は吉良上野介か。
たしかに、手っ取り早くてわかりやすい暴力の勝利を誇示する行為でしょうよそれは。インパクトも抜群。
だけど、それは、殺人だ。言い訳のしようもない、『凶悪な犯罪行為』でしかない。
それでも、パリの民衆にしてみれば、彼らが国を――それを支配してきた旧体制そのものを、討ち果たすべき不倶戴天の敵と見なした、という意思表明でもあったのかもしれないが。
驚くべきことにその翌日にはパリ選挙人会議が市政を掌握、ラファイエットが民兵隊の司令官のポストについたという。
民兵は国民衛兵と命名された。
なにやってんだ、ラファイエット!
王命無視でアメリカ独立戦争に参加するだけでは飽き足らず、今度はパリをフランスから独立でもさせる気か!
ああ、誰もが欲得ずくで血を流し、殺し合うさまを見れば、革命が英雄的行為のわけがないということがよくわかる。
それでも、ルイくんはパリとの和解を選んだ。
一時は宮廷ごと国境に近いフランス北東部の要塞に避難するという案も出たのに、パリから指呼の間にあるヴェルサイユに留まったまま。
国民議会を正式の機関として認めた上で、パリ周辺に集結していた軍隊まで撤退させるという念の入れよう。
いや、国王軍襲撃ってデマから、よし自衛の武器が必要だ、って流れになったのなら、下手に軍隊を近づけたらまたパニックを起こして国王軍VS民衆の本格的戦闘勃発になりかねない。だったら逆のことをすればいい、って発想なのはわかるけど!
あと、為政者として流血沙汰を避ける場面だって判断もわかるけれども!
わかったようなことを言っているが、前世の記憶に引きずられまくっているせいもあって、為政者の視点というやつをあたしはまだ、完全に獲得しているわけじゃない。
だけど、ルイくんが民衆を――自分の国の民として、時に対立することもある貴族たちよりもむしろ、なんの地位も持たない、だけど地に足を着けた生活をし、実用的な物を作るために実直に働いている職人たちには、むしろ同族への愛情といってもいいくらいの好感を抱いていることは知っている。
だからこそ、自分の民人が互いに血を流しあうような羽目になってしまったことを嘆き、拒否感を抱くことも理解できる。
ついでに言うなら、前世の価値観に引きずられまくってるあたしの方がむしろ、事を荒立てたくはないと思っている。
前世の記憶を振り返れば、血を流して築いた平和など、また血によってすぐさま押し流されてしまうものだという事例はいくらでも見つかるのだから。
その上でルイくんってば、自分がパリに行くと言い出したのだ。
さすがにあたしは止めた。たしかにフランス革命発生直後に、ルイくんの首が飛んだわけじゃなかった、とは思うが、前世の記憶は曖昧で頼りにならない。余計な危険は冒すべきじゃない。
しかし、ルイくんは、17日に単身パリに向かった。
あたしたち一家や二婆さまたちの保護を国民議会に求めたという名目で置いていったのは、まだいい。名目上の理由だけでなく、国民議会に対する人質の寄託ということで、信頼を買ったんだろうと思えるから。
どっちにしても、あたしたちの身の安全は確保できる。
だけど、ルイくんてば自分の身を守らせるべき軍隊すらヴェルサイユに集結させておいて、パリに連れて行くことはなかったのだ。いったいどういう了見よ?!
いや少しでも敵対的に見られそうな要素を削ったってことなんだろうけど!
正直生きた心地がしなかったせいで、無事ルイくんが帰ってきた時には思わず抱きついたりもした。
当のルイくんときたら、生首の後釜――新しく市長になったバイイからパリ市の鍵を手渡されたといってご機嫌だったのには呆れたけれども。
宮廷の外でのすったもんだにかまけているうちに、いつのまにか宮廷の人はさらに少なくなっていた。
あたしの女官――ちょっと珍しいスミレ色の瞳を持つ美人さんではあるが、恋愛脳天気なポリニャック夫人――とかはまだしもだ。
アルトワ伯までいつの間にやら姿が消えていたのには、一周回ってお見事といいたくなったもんですよ。あんだけ王侯貴族において税は徴収するものであってされるものじゃない、不満をいう民など殺してしまえ、ぐらいのことを言ってたのにね。
閑散としたヴェルサイユで、しかしルイくんはなんとか事態の沈静化を図ろうと奮闘を続けた。
第三身分寄りがすぎると自分でクビにしたネッケルを復職させることにしたというのは、これはもう完全に世論の風向きを変えるためのものだろう。貴族たちより第三身分のご機嫌取りに走ったと言い換えてもいい。
だが、パリで一度ついた炎は成功体験という興奮に煽られて、フランス全土に飛び火を始めた。パリ以外の都市にも、この暴力的な革命の動きが波及しただけではない。
折から盗賊襲来の風評が広まっていたこともあってか、農民たちも蜂起し始めたのだ。デマと猜疑心、あるいは相互不信ほど相性のいい物はない。
七月下旬になると、領主館襲撃事件が各地で多発するという状況になった。
領主が盗賊一味と結託して収穫物を略奪しようとしていると信じた農民たちが、どさくさに紛れて土地台帳や証文、古文書といった土地の管理に関するような書類を焼き払うとか、もうね……。
一応、この犯罪行為に情状酌量の余地はないわけじゃないのかもしれない。ここ三年ほど寒さやらなんやらで不作が続いてたわけだし。
だから国民議会も、農民たちを鎮圧するのではなく、その不安を鎮める方策を打ち出した。それが八月四日に決議した封建的諸特権廃止の決定だ。
平たく言うと領主が持つ農地に関する特権――特に領主裁判権、賦役権など人格的支配にかかわる特権は特に無条件無料廃棄にする、というものだ。狩猟権、賦役、教会十分の一税の無条件かつ無償廃止、官職売買の廃止に加え、州や都市などの地域特権を廃止することで地域差からくる不公平感を減らそうというもので、すぐさまそれに必要な法令が次々と制定された。
これで、三年ほど前にあのモーツァルトが『フィガロの結婚』で揶揄したような、領主による初夜権の行使――早い話が領主が結婚する直前の女性の純潔をだね、花婿より先に散らしてもよい、とするとんでもない権利のことで、拒否するなら金品を納入しなければならないというね。女性をなんだと考えてるんだ!――もなくなるわけだ。
貴族に対する痛烈な批判があることから、「『フィガロの結婚』の上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激おこだったルイくんも、そこはしぶしぶ飲んだらしい。
ま、完全破壊こそされなかったけど、陥落しちゃったもんね。バスティーユ。
なお肝心の領主地代や年貢など物的所有権に関する部分は農民が買い戻す必要ありってことにしたので、根本的な解決にはならず、中途半端に終わったというヲチまでついている。
一方、国民議会は相変わらず暴走を続けている。税制改革なんて話はもう出てきやしない。
ルイくんだってお気持ち表明、という形でちゃんと仕事しろって言ってんのにさー。
結局、国民議会はルイくんの意向を無視しまくって、8月26日には「人間および市民の権利宣言」とやらを採択した。いわゆるフランス人権宣言というやつなんだろう。
おれはやったぜ的に満足げな顔をしている、ラファイエットたち起草に関わった議員の様子に内心あたしは呆れた。それはこの採択批准を拒否したルイくんもかもしれない。
なんせ、「人間は生まれながらにして自由であり、権利において平等である」ってうたってるのが、もう嘘なんだもん。
法の下に平等とか言うけど、ブルジョア男性オンリーですよ。人種差別あり、女性や納税額の低い民衆はいっさいその存在を無視しておいて、よくまあぬけぬけと言えるものだ。
そこは4日の領主特権廃止の時点でもわかっちゃいたことだったけど。
それでも、ルイくんは、ただこの宣言の内容が酷いからって理由で拒否したわけじゃない。有力な交渉カードとして国民議会に使おうとしたのだ。
ルイくんは、はよ仕事をせえよと、三部会招集の基本議題である国家財政改革を進めさせたい。
国民議会は、自分たちの正当性を堅固なものにするために、ルイくんのお墨付きが欲しい。
事態は再び膠着した。
だけど水面下で国民議会はさらに無駄に活動していたらしい。
なんと、その名前を『立憲国民議会』に変えた上で、立憲君主政を樹立させるための法整備作業に着手した。
その議長に、パリ市長になった、あのバイイが就いたってあたりで……なにやってんだもうもうもう!
絶対王政から立憲君主制への移行。この緩やかなランディングはあたしも狙っていたところじゃある。
だ・け・ど、今じゃないんだってば、やるべきは!
土地によっては餓死者が道に点々と転がっている、という話が聞こえてくるくらいにはやべえってぇの!その骸の上に、理想を掲げてほんとに輝かせることができると思っているのか!
つくづく理想というやつはタチの悪い低劣な蒸留酒だ。いや、より高みを目指さずにはいられないという意味では時代を酔わせ、流血と死を撒き散らす麻薬と言えるのかもしれない。
そして10月5日。パリの民衆がヴェルサイユに押し寄せてきた。
なお現在の三色旗、赤と青はパリ市の紋章の色、白は王家の色であり、パリとフランス王家和解の象徴という意味合いもあるんだとか。




