表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

ド・フランスじゃねーよ!(1770年 その1)

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 天蓋を見上げながら、あたしは内心怒りに震えていた。

 ……いやそりゃあ、顔しかよく知らない――それも、ペンダントのメダイヨンに描かれた、ちっさい肖像画ぐらいしか見たことがない――、どんな人かもよくわかんない相手と、ハイ結婚しました、それでは初夜ですって具合に、すぐさま下半身方向で、積極的なお付き合いを始めるのはどうかたあ思いましたよ?

 そのへんは、できればこっちの踏ん切りがつくまで、だましだまし伸ばせたらいいのにって考えてましたとも。元喪女として。

 

 だけど、これは、ないんじゃないかね?

 

 ギロチン回避を決意した一夜を過ごした後も、馬車での旅は続いた。

 あたしのかわいいおしりが二つに割れるどころかミジンコになりそうな悪路を二十日以上も越え、あたしたちはライン川のほとりに出た。

 エピ島とかいう中州の館で、室内のタペストリーなぞもよく見る間もなく、引き渡しという儀式を受け――そうなの、物みたいでしょ!たぶん彼らにとって、神聖ローマ帝国皇女ってモノでしかないんでしょうけどね、あたしは!――対岸のフランス領土に入って、さらに一日。

 やってきましたコンピエーニュの森。


 コンピエーニュは、季節ごとに巡回するフランス王室の宮廷が鎮座する宮殿の一つがある場所でもある。たぶん、フランス側にとっては、最大級に乗り気であるってことを示しながらも、王太子妃を迎える側の権威が保てる場だったのだろう。

 そこであたしはフランス国王ルイ十五世と、自分の結婚相手であるルイくんと初めて対面することになった。

 というか、フランスを嗅ぐことになったのだった。


 そう、かれらはまずもって臭かった。

 フランス王族との対面は、森の中のシャトーですることになってたはずなんだけど、馬車が止まったのはそのはるか手前、ベルヌとかいう橋のたもとだった。

 どうしたのかと、顔を出しかけて気がついた。

 ……なんだろう、風呂に半月入ってないところに、香水をバケツで頭からかぶっちゃいました的な、この匂い。

 

 フランスと言えば香水の国ってイメージがあったけど、忘れてたわ。

 日本の平安時代でも香道について盛んになったのは、ほとんど入浴しないせいで、体臭というより身体から発生する悪臭をカバーするために発達したんだってことを。

 それが屋外とはいえ、初夏の気温の中、人々がひしめきあっているせいで、とんでもないことになっていたのだ。

 眼がしぱしぱしてくるほどだったけど、国王自らがお出迎えとあれば、あたしも馬車から出ないわけにはいけない。


 森の中とは思えない、濃い匂いの中しとやかに降り立てば――そこには、色鮮やかなお仕着せに身を固めた兵士たちが壁のように並び、その向こうには群集が、森の木々すら見えないほどみっちりと詰まっていた、らしいのだが、涙目になってたせいで、あたしにはぼやけた色の染みにしか見えなかった――頭痛すらしてきそうだった。

 だけど、こんなところでギロチン回避のための第一歩をしくじってなどいられない。あたしは満面に笑みを湛えて、小走りに近づいた。

 涙?匂いが目に染みてるからじゃありません!初対面の感激ですよ!文句あっか!


「初めまして、おじいさま!」


 フランス語での挨拶とお辞儀は寝る寸前だけとはいえ、ちゃんと練習してきたんですよ。

 引き渡し儀式の後つけられたフランスの女官たちにも、「今後オーストリア語は聞きたくありません、フランス語のみでお願いします」なーんて具合にこっそり媚びを売っておいた効果か、今のところ間違ったマナーを教えてわざと恥をかかせる、ということもないようだし。

 

「おお、わが孫娘よ」


 初々しいぎこちなさってのが義祖父王陛下にはひどく心にかなったようで、あたしは上から下まで視線でねっちりとなめ回されてぞわっとした。祖父の目じゃないよねこれ。

 いや、たしかに五十過ぎにしちゃあ若いし、かつては美王というあだ名をヨーロッパに轟かせたというだけあって、もとはかなり整った顔だちだったんだろうけど。

きつい体臭に香水をしこたまふったような悪臭をふりまいている、自分の祖父世代の人間が色目を使ってくるとか。控えめに言ってもかなりの拷問だと思うの。


 だから、あたしは国王陛下の抱擁から解放され、結婚相手にひきあわせられてずいぶんとほっとしたのだ。

 王太子(ドーファン)、ルイ・オーギュスト・ドゥ・ベリー(ベリー公)――ルイくんは、肖像画でイメージしていたよりも大きな人だった。

 横もそこそこあるけど背が高い。身長何㎝くらいあるんだろ。バスケット選手ぐらいあるんじゃね?

 体臭はそれなりにするけど、我慢できないほどじゃないし。なにより香水の匂いが弱いってだけで、この悪臭地獄の中では好ましく思えたってのもある。

 だけど、儀礼的な微笑みを浮かべた顔の中で、その青い瞳はなんというか無機質にすら見えた。

 このあたしが、十四才の美少女が、にこっと笑いかけても、抱きしめられても、その薄い微笑みは仮面のように貼りついたままだったのだ。

 

「さあ、コンピエーニュ城へ!」


 国王の命令一下、兵士も侍女も動き出した。

 あたしも彼らの馬車に乗り合わせるよう促されたのだが、孫のフィアンセがよほど気に入ったようで、大のご機嫌な国王と、ともかく反応のない王太子という取り合わせというのは、地獄にはまた別の地獄もあるんだなあ、という趣があったけどね。

 

 おまけに、コンピエーニュ城では王家の人々が勢揃いだったんだけど、これまた気の滅入るようなメンツばっかというね。

 とりわけルイくんの弟たち、プロヴァンス伯ルイ・スタニスラス・グザヴィエ殿下と、アルトワ伯シャルル・フィリップ殿下ときたら、もう、国王の血縁だってのが紹介されなくてもまるわかり。

 美しいとかなんとかおべんちゃらを言ってきても、目がちっとも笑ってないの。

 それよりなにより、じーちゃんと同じ目つきで、じろじろ眺め回されたのは、ほんと、気持ち悪いとしかいいようがなかった。


 気持ち悪いと言えば。

 随従というのだっけ?義祖父陛下にぞろぞろと貼りついている取り巻きは、フランスの宮廷ではそれなりに名だたる貴顕であるのだろう。

 だけど、流行の最先端でめかしたてた伊達男を気取っているのか、褒めようとするなら奇抜という以外言葉が見つからないような扮装で、例の如く吐き気がするほど香水をかぶった連中が――ご丁寧に、こっぺこぺに塗ったり眉を描いたりした上に、月や星やハート型といったつけぼくろを顔のあちこちに貼り散らしていたりする!――たまたまあたしと目が会うたびに、こっそり思わせぶりに唇を突き出したり、片目をつむったり、舌をちろりとのぞかせたりしてくるのって、どういうわけ?

 ラテン民族は相手が女性であるなら口説くのが義務になっている、というのは前世に聞いたジョークだけど、本気で女性なら誰でも、それこそ十四才の王太子妃、つまり未来の王妃であっても粉をかけるのが彼らの常識なんだろうか。


 もうヤダ。おうち帰りたいよう。

 そんなホームシックも腹の底に押し込めたけど、歓迎の会食だの結婚式で使う指輪の確認だのが終わった時には、本当にほっとした。

 あ、法的にはもう結婚してるとはいえ、いきなり初夜というわけにはいかないというので、あたしはそのままシャトー(城館)で、ルイくんは近くにあるというサン・フロランタン国務卿の館に泊まることになった。

 結婚前の男女が同じ屋根の下に寝てはいけないという習慣があるからなんだけど、じゃあ他の男性王族があたしと同じ屋根の下に寝ているのはいいのかって感じよね。へんなの。


 翌朝は、はやばやとパリに向かって出発した。

 向かっただけで通過だったけど。

 いいけどね、別に。馬車の窓から眺めていたけど、前世のイメージよりなんだか小さい上に、人が大勢道に出てきていたせいで、城壁しか見えなかったし。


 その日の晩は、ブローニュの森のはずれにあるミュエット城で過ごすことになった。

 このブローニュの森もコンピエーニュ同様、王侯貴族の狩猟が盛んなんだそうで、しかも宮廷が巡回するようなことはないから、ちょっとくつろげる憩いの場、的なお城なんですよとか言われてもねー。


 ぜ ん っ ぜ ん く つ ろ げ ま せ ん て 。

 

 晩餐会が超絶豪華なのはまだしも、大量の香水の匂いが入り混じって、食欲なんて死滅するし。

 とんでもない美人は参加するし。

 ――ああ、美人度がとんでもないんじゃなくって、美人は美人なんだけど、存在自体がぶっ飛んでるというか。


 ざわめきで迎えられるとか、どういう人なんだろうとか思うでしょ?!

 普通なら、あたしの近くに座った女官たち――といっても伯爵夫人とか高位貴族の女性ばっかなんですけど――が、初めて会う人については、ちゃんとひきあわせてくれたり、どういう人かってのを耳打ちしたりしてくれるんだけど、誰もあたしに名前すら教えてくれないんだもん。

 だけど、上座を見てぎょっとした。

 義祖父陛下ってば、あたしに色目を使っていた時以上にでろっでろにとろけそうな顔で、彼女がテーブルの末席に座るのを見守ってたんだもん。


 現世では王女さましかやってないあたしにもわかったわ。

 あ。この女性、おさわり危険案件だって。

 それでも、最低限の情報ぐらいは集めておきたい。

 あたしは近くの席にいたノアイユ伯爵夫人に声を掛けた。引き渡しの儀式に出迎えにきてからこっち、ずっとあたしの付き添いを務めてくれている人だ。

 

「あの方は?」

「デュ・バリー夫人とおっしゃいます。国王陛下を喜ばせるためにいらっしゃる方でございます」

「そう」

 

 ええ、それですませますとも。地雷を積極的に踏み抜くような勇者じゃありませんからあたしは。


 戦略的撤退の判断を下したのは、まわりの貴婦人のみなさまも同じだったようで、露骨に話題を変えにかかったのには内心笑った。

あたしに対して根掘り葉掘りを始められると、そうも笑ってられなくなったけど。


 だって、ご趣味はって聞かれて、無難なところでバレエを少々って答えたら、まあ、伝統的(つまんねーやつ)ですのねって返ってくるんだもん!

 なにこのマウンティング。

 いやたしかに今の国王陛下は、あんまりバレエはお好みではない。というか、やるより見るの専門っぽいってのは、なんとなく聞いてたけどね。どうやら曾祖父にあたるルイ14世にそこは似てなかったらしい。


 あたしが黙って微笑みを作っていたら、そのまま話は王太子と国王の趣味にスライドした。ルイくんが好きなのは錠前造りなんだって。

 どうやってそんなものを作るのか、まったくイメージできないんですけど。

 だけど、イメージできない、イコールあたしじゃ理解の及ばないすごいことをやっているんだ、とあたしは感じたのだけど、どうやら彼らのとってのイメージできないものというのは、存在してもしなくてもどうでもいい、つまりは価値のないつまらないこと、のようだ。

 で、そんなことに熱中している王太子という人間もそういうものである、というね。

 そりゃ、少し、ないんじゃないのかなあ。


「では、おじいさま(義祖父陛下)と殿下の、ともにお好みになられることはあるのでしょうか?」


 無邪気を装って尋ねると、彼らは口を揃えて狩りだと答えた。

 ま、それこそなんてどノーマル。貴族の趣味としては、あまりに典型過ぎるでしょうに。


「ですが、お二方とも、好まれるものが違いますわね」

「狩猟場も異なるかと」

「殿下は猪であれ雄鹿であれ追われるそうですが、陛下はもっぱら鹿狩り専門でいらっしゃいますわね。それも若い牝鹿がお好みのようで」

「かの猟苑が閉まらねば、今もお通いであられたのでは」


 んふふと上品な含み笑いが、やけに耳に残った。


 翌朝、あたしはヴェルサイユに移動した。

 ……いやー、その大きさに内心口あんぐりしちゃった。

 実家の夏のおうち、シェーンブルン宮殿もけっこう広い庭園があったりしたので、あたしのイメージできる大きい宮殿って、それくらいだったのよ。

 今、想像もできないようなサイズの物体が目の前にあります。

 

 なんだか宮殿というより超巨大な生物の口の中に入って行くような気分で、馬車を降りたあたしはそのままジェットコースターにつっこまれた。

 ……いや、比喩ですよ。もちろん。


 控えの間で着せられたウェディングドレスは、ドラ・ダルジャンという銀糸で織られた布で作られていた。きらっきらですよもう。

 形はグランダビという、格式高い伝統的なフランスの宮廷衣装のもの。

 コルセットとパニエできゅうきゅうもっこりシルエットにしたてる、いわゆるお姫さまドレスのことだ。

 ただでさえ銀色に輝くドレスなのに、さらに巨大なアクセサリでぎらぎらに着飾らされると、あたしは即座に国王の執務室へ案内された。そこで陛下とルイくんに挨拶をしたかと思うと、すぐさま金色の服を着たルイくんがあたしの手を取った。

 次の瞬間、あたしはルイくんのエスコートを受け、国王陛下の後から鏡の間を歩いていた。

 

 シェーンブルン宮殿(実家の夏のおうち)にある同名のお部屋と違い、このヴェルサイユ宮殿の鏡の間というのは、簡単に言えば廊下だ。

 ただし、馬車が三台は併走できるくらいの幅と、前世にあった学校のグラウンドを、二つ三つ縦につなげたくらいの長さと、三階建ての家がおさまりそうな高さがあるというね。

 しかも名前の通り、鏡がびっしりと窓の反対側の壁に貼ってあるせいで、差し込んできた陽の光がきらんきらん反射する。

 これだけでもまぶしいのに、そこを埋め尽くすのは数えきれぬほどの着飾ったお歴々。

 いいかげん利かなくなった鼻にも感じる香水の暴力と、ジュエリーに乱反射する光。勝手に滲んでくる涙のせいで、あたしはほとんど何も見えなかった。

 

 けれどそこで物を言ったのが王女教育ですよ。

 ルイくんの熱はないけど意外なほど丁寧なエスコートに歩みを任せ、満面の微笑みという、矛盾した王族の笑顔の最上級をキープしたまま入ったのは礼拝堂。

 また次の瞬間、あたしとルイくんは祭壇の前に(ひざまず)いていた。

 ランスの大聖堂から来たという大司教さまの祝福を受けると、もう、結婚指輪が()められていた。


 時間が延びたと思ったのは、国王陛下とルイくんの次に結婚証明書にサインをしたときだった。

 あれだけ指に合うのを選ぶのに時間を掛けたのに、ずるっと指輪がずれたのが、まるでスローモーションのようだった。

 ペンからインクがぽたりと落ち――、あっと思ったときには大きなしみが結婚証明書についていた。


 また突然時間が飛んだ。鏡の間にいた全員が来たんじゃないかと思うほどたくさんの廷臣から挨拶を受けていたり、いつの間にか大嵐が吹き荒れてたとかで、予定されてた花火は中止になったというけど、その記憶はあまりない。


 あたしが覚えているのは、宮殿内に完成したばかりだという真新しいオペラ劇場での舞踏会で、最初にルイくんとメヌエットを踊ったこと。

 そして舞台に上げられての晩餐会。

 あたしや国王一家、そしてごくごく高位の臣下といえど数十人からなる晩餐会を、それこそ鏡の間の人出なんてめじゃないくらいの、数千人はいそうな着飾った人々が、何も食べずに注視しているという、じつに奇妙な光景。

 そして、最低の初夜だった。

 

 寝室に移動するあたしとルイくんを、何十人もの人がぞろぞろと取り巻いてついてくるのには、ほんっとに驚いた。

 いや、婚姻を祝福する儀式ってことで、ランスの大司教さまが来るのはわかる。

 結婚の正統性を示すために、見届け人として最高位である国王陛下が寝室の中までついてくるってのも――かなり気色悪いけれども――納得できないわけじゃない。

 だけど、ぞろぞろついてきた見物人たちが見る前で、あたしもルイくんも着替える羽目になるのってどうよ?!

 ネグリジェに近い形の寝衣に着替えるんだもん、ドレスもなにもとっぱらわなきゃいけないから、いくら肌の露出が少ないとはいえ、下着にならなきゃいけないのよ?!人前で!しかも大勢の男性の!

 おまけにそれ見て批評とかされんのよ?なんなのよいったい!


 シャルトル公爵夫人から手渡された寝衣を急いで、でも優雅に見えるように着こみ、ふとルイくんを見てあたしはぎょっとした。


 寝 衣 に 開 い て る ん で す よ 。 穴 が 。

 

 よく見ればその穴の周囲には、美しい模様が縁取られ、しかもあたしの見間違いじゃなければ、「神がそのことを望まれる」とラテン語で縫い取ってあったのだ。

 さりげなく自分の寝衣の前を撫でてみると、同じように穴が開いてるじゃないですか。

 しかも手触り的には、縫い取りも同じように施されている。

 

 ここに入れよ(直訳)。

 

 ナニコレ?トイレの落書きの神聖化?

 いくらなんでも、あんまりだと思わない?


 裸でいるより恥ずかしい寝衣に、あたしはそそくさとベッドに入った。ルイくんも隣に入ってきた。

 そして、じろじろ見られながら、ベッドの天蓋から下がっているカーテンが閉められ、野次がなくなり、静かに戸が閉められ、あたしはようやく息を吐きだした。

 そして思い出した。この後何が待ち構えているかを。


 いや、絶対王政で国は国王のもの、未来の国王を産むのは王太子妃になったあたしの役目になるってことはわかってる。

 だけど、こんな、さっきまで人でみっちみちになっていた寝室で、まだ数度しか会話すらしたこともない相手と?

 ウィーンを出てから、まだ一ヶ月もたってないのに?

 緊張しながら、あたしは隣のルイくんに目を向けた。


 ……。


 …………。


 …………………………。


 と っ く に 爆 睡 し て や が る 。 初 夜 な の に 。


 あたしが怒りにぷるぷる震えるのも、当然だと思わない?

 グーで一発ぐらい殴ってもいいよね?

 実際、胸の前で握り拳構えたし。


 だけど、あたしの疲労も極限だったみたい。

 気がついたときには、次の朝になっていた。


 ルイくんは早朝の狩猟に出かけたとかで、話をすることも何もできなかったが、ウィーンからついてきてたメルシー伯――正確には、数十年前だかに、アルジャントー伯爵が、当主の戦死によって絶えてしまったメルシー伯爵位も継承したそうなので、正しい呼び方ではフロリモント・クロード・ド・メルシー=アルジャントー……メルシー伯でもありアルジャントー伯でもある――が、とんでもない情報を持ってきた。

 ミュエットの晩餐会であたしが言ったことが、妙な解釈をされているのだという。

 いや、あたしも狩りは好きって言っただけなんだけど。実家では家族揃って出かけてたこともあるし、嘘じゃない。

 

「『国王陛下が若い牝鹿をお好みだ』ということには、意味がございます」

 

 深々と伯は溜息をついた。


「ミュエットの晩餐会に陪席なさったという、デュ・バリー夫人は、陛下のご寵愛も深きただいまの公式寵姫でいらせられます。王妃殿下いまさぬこのフランス宮廷(いち)女人(にょにん)。そのデュ・バリー夫人の前に二十年近く同じ地位に就かれていたのがポンパドゥール夫人とおっしゃいます。かつては宰相並みとすらいわれた勢力をお持ちでした」

「そのポンパドゥール夫人と言う方は、どうなさったの?」

「蒲柳の質がために公妾を退かれました。もうお亡くなりになられましたが、今もポンパドゥール派と呼ばれる派閥は力を持っております。それというのも」

 

 メルシー伯は声を潜めた。

 

「ポンパドゥール夫人は「鹿の園」と呼ばれる館をつくり、多くの若い女性を揃え国王をお迎えしておられたのです。何人かは陛下の庶子を生んだ者もいるとか」


 あたしは絶句した。

 つまり、国王好みの『若い牝鹿』って、寵姫が遣り手婆になって個人所有型娼館に集めてた、おねーさんたちの比喩ですかー!

 知らないよ、結婚相手当人のならまだしも、その父親どころか、祖父の下半身事情なんて!


 てか、あのおばはんたちは笑いながらセクハラをあたしにむかってかましてくれてたっちゅうわけか。

 それににこにこつきあってたあたしがバカだったわ。

 

「お教えする者がおりませなんだとはなんとも不運でございました」


 さらにメルシー伯は混乱しているあたしに追い打ちをかけた。


「王太子妃殿下におかせられては、そのような裏を含む意図なく、ハプスブルグでの家族団欒をお話しだったのでしょう。ですがそれをあえて比喩のままに解釈した者が、おもしろおかしく噂を広げようとしております」


 ……うわぁ。

  

「なので、卒爾(そつじ)ながらわたくしの方で噂に操作を加えさせていただきたく」

「どのように?」


 すがる思いで目を向ければ、メルシー伯はぶっとんだことを言い出した。

 

「狩りの話はなさらなかったことに。かわりに、デュ・バリー夫人についてどのようなお話しをなさったか。彼の方についてアントワネットさまが、無邪気に国王陛下を楽しませるライバルとおっしゃったことにいたします」

 

 ずいぶんとこれでも表現を和らげたほうなんですよと胸を張られ、あたしはまたも怒りに震えた。

 なにそれ。それじゃあ、あたしの体面はどうなるのよ?

 

陛下(マリア・テレジア)の、ハプスブルグ家の体面すべてに泥を塗られるよりは、ようございます」


 うやうやしくも冷ややかに、伯はあたしを見つめた。


「殿下。どうか、御英断を」

フランス側へ引き渡しをされたライン川の中州の館には、王女メディアを題材にしたタペストリーが飾られてたってのは有名らしいですね。

自分の弟を惨殺、バラバラ死体にして追っ手を防いでまで守った男性に愛を拒まれた魔女。

それにマリー・アントワネットを擬していたのに気づいたゲーテが憤激したらしいです。

だけどゲーテ、なんで儀式の前にそんな場所に立ち入ってるんだろう……。

要人が滞在する、婚姻阻止目的の謀略とか仕掛けられそうな場所、部外者を入れちゃいかんと思うんですが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ