1789年(その1)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
なお11月2日は、マリー・アントワネットの命日です。
1789年。あの年を振り返るたび、フランス革命というのはボールのようなものだったんじゃないかとあたしは思ってしまう。
それもラグビーボールのように、一度蹴ったらどこへ飛んでいくかわからないようなものを、いくつもの勢力が奪い合って旗頭にしていたように思われてならない。
五月五日。前世だったらゴールデンウィークとか子どもの日とかいいたいところだが、ルソーが発見したとはいえ、子どもはまだ未熟な大人に近い扱われ方をしていることもあり、子であるからという理由でめでたがることなんて現世ではまずありえないことだ。
もともとルソー自身、自分の子どもにはまったく自身の教育実践を行わなかったダメ親父らしいんだけども。
それはさておき。
国王であるルイくんに対立する姿勢を強めていたパリ高等法院――を中心とした既得権益おいしいですな貴族連中が開催を要求した全国三部会が、この日、175年ぶりに開催された。
その開会式のためにフランス全土からヴェルサイユの議場に集まったのは、聖職者身分の代表291名、貴族身分の代表者約285名、第三身分の代表者約578名。
計千二百近い大人数である。
が、この代表者の人数が決まるのにもさんざん揉めたんですよ。
従来通り、各身分で同数にすべきという意見と、各階層に所属する人間の実数に対応した代表人数差にすべきという意見が真っ向からぶつかり合うというね。
どいつもこいつもまっとうなことを言っているそぶりで、やってることはと言えば、数の暴力をより優位に展開するための素地作りだったというね。
なんであたしがそんなことを言うかって?
決まってる。この人数には女性が含まれていないからだ。ただの一人も。
平等という言葉が都合のいいように使われているって、はっきりわかるでしょうよ。
おまけにそれぞれの身分だって、当然一枚岩じゃない。
聖職者身分の代表の三分の二は第三身分出身の小教区の主任司祭だ。少数派の司教と利害が一致するわけもない。
貴族身分だって似たようなものだ。代表の大半はオルレアン公のような称号付きの大貴族――て。オルレアン公、ルイくんから追放くらってたくせに、なにしれっと参加してんの?いやパリ高等法院あたりが手を回したんだろうけど――だが、それだって身分特権を手放すことを拒否する保守主義者と、自由主義者との混合体ですよ。
前者にとって、この三部会は、財政難の解決という、自分たちがやらかしたことの後始末を他の身分に押しつけるための面倒な儀式にすぎない。
国が潰れようが知ったことかとばかりに、貴族や聖職者といった非課税特権保有者たちは、これまでもルイくんが何度も実践しようとした財政立て直し策をぶっ潰し続けた。破綻寸前信頼失墜しまくってる国に、銀行が金を貸してくれるよう取り計らってくれるのなら、彼らはマモンですら喜んで財務総監にするだろう。
一方、後者の代表格はラファイエット――義勇兵としてアメリカ独立戦争に参加したあたりから自由主義者の間で人望を集め、三部会を開くのにも盛大にかんでいた――だったりするわけだが、なに、彼らだって自らの権益拡大のために動いているんですよ。
一番まとまりよく見えたのが第三身分だろう。主に弁護士と官職保有者、保守的な貴族がどういう連中かよく知っている人が中心で、残りは商工業者と大地主――自分に都合のいいところだけは残して、君主政の抜本的な制度的改革を期待しているというね。
結局のところ、彼らにとっては誰かが口に運ぼうとするパンを、互いにひったくったり、たたき落としたりする場でしかないのだ。この三部会ってのは。
たぶん、一番ルイくんが心を寄せていたのは、第三身分に対してなんじゃないかとあたしは思う。
だけどあいにくなことに、ルイくんは絶対王政における最高権力者であり、それは彼らにとって圧政をもたらす旧態依然とした権力の象徴でしかないということになる。
ルイくんと特権階級の連中との争いは、市民にとってはフランスという巨獣の全身にたかってた寄生虫同士の戦いにしか見えなかったのかもしれない。
おまけに、市民の中にも大きな温度差があるというね。
市民と一口に語ってしまうから見えなくなるのだけれど、三部会にも参加できるようなブルジョワの知識人たちは、概念的な自由を求めた。
頭でっかちにも啓蒙思想を拳々服膺しすぎたせいで、知識さえあれば人間は正義――彼らの主張する自由主義を求めると盲信しているあたり、救いようがない人種だとあたしはこっそり思っている。
彼らはあらゆる自由を求めている。個人の精神的自由、経済的自由の獲得というのは、前世の法知識を持ってるあたしからすると当然のように思える。
が、現世においてそれは、伝統的な宗教的権威を束縛と断じ、領主による徴税を搾取とみる思考を広げた。職業組合による統制を打破し、畑を耕そうが耕すまいが、何を植えようが植えまいが勝手に決定するのが当然と主張するバックボーンにもなっている。
要は、機会の平等を確保するためなら、旧来の権威をぶち壊してもいい、好き勝手にやらせろ。そういうことだろう。
しかしそれは女性を、そしてより貧しい人たちの存在を消し去った上に打ち立てた砂上の楼閣。
ブルジョワ男性の、ブルジョワ男性による、ブルジョワ男性のための、じつに都合のいい理想論に過ぎない。
一方、ブルジョワでない、だけど彼らよりはるかの多くの農民や職人たち――三年前に締結した英仏通商条約のせいで、イギリスの安価な製品が大量流入し、都市に溢れていた失業者たちも含む――が求めていたのは、十分な食糧と結果の平等、つまり貧富の差の是正だった。
なんせ去年からの凶作の影響はひどいもので、穀物価格は跳ね上がったまま下がる気配を見せない。
あたしもこっそり自身の食卓にカブラやジャガイモを載せるようにと、何度も大膳部には伝えているのだが、大膳部だけでなく、毒味係を務める侍従頭――いるんですよ、そういうのが!――にも拒否られてしまった。
というか、そんな命令はなかったことにされた。
いや、たしかにこの時代のカブラもジャガイモも、人間の食べ物というよりいまだに家畜用の食糧扱いされている。そんなもんが毒味とはいえ食えるかいってお貴族様の気持ちもわからなくはないよ。それは。
だけど現実を見ていただきたい。ずっとずっと悪天候と不作は続いていたのだ。
食糧が高価になれば、困窮しているものから死んでいく。世情はますます不安になり、身ぐるみ剥がれた死体が転がっていることも珍しいことではなくなっていると聞いている。
不穏な気配は、三部会の開会式に参列したあたしにも降り注いだ。
それはそれはルイくんに対しては熱狂的に「国王万歳!」の歓呼の声が上がったが、あたしを迎えたのは冷たい沈黙だったのだ。
……わかっていたつもりだった。あたしが鼻つまみになっていることは。
貴族身分には、嫌われ者のオーストリア女。
聖職者身分にはロアン大司教をたぶらかした悪女扱い。
そしてネッケルの改竄報告書を信じ込んでる連中にしてみれば『赤字夫人』、ということになる。
だけど考えればわかることなんですよ。国の財政なんかあたしが使い込めるわけがねーっつの。批判したかったら、証拠を持ってこいや証拠を。
そもそも王室および特権貴族用出費は全歳出の6%程度にすぎない。国庫の底を抜いたのは戦争ですよ、戦争。
その後もあたしは三部会に列席はした。ただし早退したり、そもそも最初から出席しなかったりすることもしょっちゅうだった。
あたしも自分に都合の悪いことは無視する連中に取り囲まれて、わざわざ針のむしろになんか好き好んで座りたくはなかった。それは否定しない。
だけど、サボりじゃない。三部会が始まってから、ますますもって長男のルイ=ジョセフの容態が悪くなっていたからだ。
せめて少しでも環境の良いところで療養をという侍医の進言に従って、あたしとルイくんは、ルイ=ジョセフを、ヴェルサイユから少し離れたムードンという空気の良いところに転地療養させた。
それぐらいしか、もはや手の打ちようがなかったともいえる。
ルイ=ジョセフは七歳――前世じゃようやく黄色い帽子をかぶらなくなった小学生ぐらいの年だ。だのにその背骨は老人のように曲がりきり、熱で潤んだ目はつらそうに閉じられることが増えている。呼吸は荒く途絶えがちになった。
……こういうとき、中途半端な前世知識なんて、何にも役に立たない。
せめてもの感染予防に自分も顔を布で覆って枕元まで行けば、それは子どもが嫌いだからという理由だと陰口をたたかれる。
けれどもう他人の目になどかまっている暇はなかった。あたしはひたすらルイ=ジョセフのもとへ通った。
だが。
……療養の甲斐はなかった。
六月四日の深夜。あたしの長男は、王太子ルイ=ジョセフは、生まれながらにして王冠を継ぐ身として生まれながら、一度もその頭に王冠をかぶることなく、息を引き取った。
ルイ=ジョセフは7歳半にはなっていたから、次女のソフィーの時のように、喪に服すことも許されない、というわけではなかった。
だけど。
あたしには、そしてルイくんには、悲しみに沈んでいる暇はなかった。
開会式冒頭の演説で、ルイくんは国家財政の再建が議題だと明言した。
これは文句がない。喫緊の問題から解決しないでどうする。
が、討議は身分別とする、そういった途端に一斉に空気が失望に染まった。かなり期待していた第三身分が一番落胆したようだ。
彼らが求めたのは平等。
だが、それは彼らが求めるかたちの平等であって、誰かにとっての平等ではない。
六月十日、第三身分は特権階級へ合流を呼びかけた。財政対策に入る前に、採決方法を巡ってもめたせいだ。
聖職者と貴族たちは身分事に討議し、それぞれの意見を統一して各身分一票ずつにすべきだと主張した。前例に則ったやり方であり、各身分の票が同じ重さを持つのだから平等だろう?というわけだ。
が、それでは第三身分に勝ち目はない。
だけど人数比ならば勝ち目はある。第三身分は身分別の議員資格認定作業は身分事の議決に通じると主張して、それも個人別にすべきだと言い出したのだ。
おまけに十二日には第三身分による共同資格審査を開始するというね。
いや仕事しろよ。
根回しや切り崩しがどう作用したのかはわからない。だけど十七日には、一部の聖職者議員を加えた第三身分議員たちが、自分たちのみが国民代表だとして「国民議会」の設立を宣言した。
これって、前世でいうなら一つの政党が国民代表を名乗ってるようなものだ。やべえなんてもんじゃない。政変というよりクーデターに近いんじゃなかろうか。
が、うまくすれば貴族連中を押さえ込み、啓蒙主義、あるいは立憲君主政に移行することができそうな方向ではある。
そうあたしは考えたんだけど。
ルイくんは妙に冷静……違うな、なんか冷ややかだった。
だって国民議会に実権持ってかれても生活を変えないんだもん。人がいなくなったのに起床の儀も就寝の儀も行われ、政府はあるから政策は変わらず親臨会議で議論し、日課の狩猟もちゃんとやるって。ねえ。
そういうところだと思う。ルイくんの空気読めないところ。
一方、あたしもまた、喪服のまま、息を潜めて事態の趨勢を見守っていた。
そうするしかできなかったとも言える。
なにせ宮廷から姿を消した人間の中には、あたしの侍女たちも含まれている。
……つくづくこういうときの逃げ足の早さって、頭の善し悪しじゃないと思う。勘の鋭さとあとなんだろうな、周囲に対する情の薄さというか、見切りの良さに左右されると思う。
地位に対して恋々としている上位女官連中ほど逃げ遅れてますよ。まあそれはあたしもそうなんだろうね。はたから見れば。
らちがあかないというので、ルイくんは二十日には改修工事を口実に第三身分の会合場所を封鎖した。
そしたら、彼らは球戯場を占拠した。これは我々への抑圧であり、憲法制定までは解散しない、ですと。
えーかげんにせえよ。理念は大事だが、それより人を飢え死にさせない方が大事でしょうが。餓死寸前の人間に食事を与えようともせず、魚とりの方法を教えるところから始めてたら死んでしまうんですが!
ルイくんもこれでは迂遠すぎると思ったのだろう。だがそれで打った手は、財務総監のネッケルを罷免することだったというね。
いや、閣僚の首の一つや二つ、比喩表現で斬って飢え死にする人間が減るならいくらでもどうぞってもんですけど。
だけど、彼の主張が第三身分寄りすぎるから調整のため、という理由には呆れるしかなかった。
もっとも、あたしの『赤字夫人』呼ばわりの根源の一つとなったネッケルに同情なんて、欠片もありませんがね。
二十三日には、ルイくんが親臨会議で税負担の平等などを認めるが、王の承認なしの議決は無効と断言した。これは当然のことだと思う。王が王国の最高責任者であるのだから。
あーだこーだいうのは勝手だが、それは議論の段階の問題だ。国政にすったもんだの過程をライブで反映させる必要はないでしょうに。
加えて、あんまり収拾がつかないんで、ルイくんは三部会全議員を集め、伝統に従い各身分別々に討議すべきだとも言ったらしい。場合によっては解散もあるとほのめかしたとか。
だけどその圧力に猛反発したのは、下位聖職者と貴族の一部――例の自由主義者ですよ――だった。
彼らは議場に留まった。
というか、立てこもりだよね。これ。
いっそのこと機動隊、もとい軍隊を出して鎮圧するべきなのかなとあたしなぞは思ったけれども、そこで煮え切らないのがルイくんクオリティ。
朝令暮改もいいところだが、なんとその翌日には、ルイくんってば忠実なる聖職者と貴族たちに、ってんで第三身分に合流するよう命を下したのだ。
が、それで肝心の財政改革が進むかっていうと、そうじゃない。
七月七日――七夕の日には、憲法制定委員会を設置、議員たちってば憲法草案造りを始めたのよ。
その三日後には憲法制定国民議会とかに名前を変えた挙げ句、勝手に議長まで決める始末。
だからそうじゃない。殺す気か。国民を。
あたしの怒りをよそに、ルイくんがフランス全土から治安維持のために召集した軍隊が、そうこうする間にヴェルサイユとパリの近辺にようやく集結しようとしていた。
これがさらに市民の不安を煽ることになるというね……。
十二日の夜半には、パリで市門の焼き討ちが発生するという事態になった。どうやらネッケル罷免の次は、国王の軍隊がパリを制圧するのではないかというデマが発生したとかで、市民がパニックを起こしたらしい。
結果、デモ隊と治安部隊で小競り合いが発生し……ということらしい。
市門って、文字通りその都市の象徴みたいなものなんですよ。市長からその門の黄金の鍵を手渡されるというのは、最上位の敬意のあかしであるくらいだ。
それを市民が自身の手で焼いたことに、あたしも頭を抱えた。つまりそれってパリを市民の手で焼き捨ててでも抵抗しますってことでしょ。悪循環すぎるでしょうよ。暴徒を鎮圧できるよう戦力を集結させたら、そのせいで群衆が暴徒化したとか。
ルイくんはとりあえず戦力を増員することにしたらしい。
13日、ヴェルサイユに集結した軍隊は国民衛兵隊組織と名前を変え、パリに送られることになった。
しかし14日の夜。バスティーユ牢獄が襲撃されたという報せが早馬で届いた。
ルイくんはその報せをもたらした侍従に「暴動か」と問うたらしい。
だが侍従は、「いいえ、陛下。暴動ではございません。革命でございます」と答えたという。
――いよいよ、始まった。始まってしまったのだ。
終わりの始まりが。




