レーヌの首は(その4 1788年)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
昨年の十二月の末に、ルイーズ・マリーさまが亡くなられた。
ルイーズ・マリーさまというのは三婆さまたち――とうにソフィーさまがお亡くなりになって、二婆さまになってるけど――の妹のお一人で、あたしとルイくんが結婚した直後に修道院に駆け込まれた方だ。
つまり、ルイくんのおばさまのお一人。
そのドロップアウト……というか、ログアウトのようなフェイドアウトっぷりたるや、あまりにも急激だったもんで、あたし同様前世の記憶持ち逆行転生者がフランス革命に巻き込まれるのを回避しようとしてるんじゃないかと疑ったりもした。
結局最後まで直接お会いすることはなかったけれども。
まあ、あのころはあたし自身自分がマリー・アントワネットだったと理解した直後で、混乱もしてたし。
やたらとスケジュールはガチガチに決められていた上、ヴェルサイユ以外へのお出かけなんて、宮廷と一緒の移動でもパリでのオペラ鑑賞でも、大抵がルイくんやその弟一号か二号のエスコートつきだったし。
そもそも接点皆無の世捨て人に、いくら甥っ子の嫁とはいえ、異国から嫁いできたばっかの、人間が積極的に接触したがるとか。警戒を強められるだけに終わってたろうし。
ましてフランス王国と神聖ローマ帝国はかつて敵対関係にあったわけだし。ということは、いくらあたしとルイくんの婚姻が両国の関係強化の政略であってもだ。あたし自身が工作員的な何かとして警戒される素地はあったんだと思うのよ。現世のお母さまやメルシー伯のやらかしだけでなく。
だからこそ、あの仰々しい引き渡しの儀で、あたし一人、何もフランスに持ち込まずに送り込まれるというパフォーマンスが繰り広げられたんだろうけれども。
いや、これはみんな言い訳にすぎないのだろう。
ルイーズ・マリーさまは、サン=ドニ大聖堂の義祖父陛下らご両親の棺の隣に埋葬されたそうだ。
伝聞なのは、あたしが葬儀にも参列しなかったからだ。長男のルイ=ジョセフの病状が一向に改まる気配を見せず、それどころか一月に入ってからは熱で体力を消耗したこともあってか、急速に進行しだしたせいだ。
内々ではあったけれども、もはや殿下のお命は尽きかけております、と王太子付きの侍医にはっきり言われた時には、足元の床が崩れ去っていくような気がした。だけど嘆いてばかりもいられない。今一番つらいのは、懸命に生き続けようとしている我が子なのだから。
あたしは侍医だけでなく、王太子付きの者すべてに、ルイ=ジョセフのために手を尽くすよう命じた。
ただでさえ昨年の次女ソフィーの死で、ルイくんはかなりまいっている。ルイーズ・マリーさまの逝去も重なっているのだ。ルイくんが立ち直りきれずとも、せめて新たな重荷に耐えられるようになるだけの時間を稼がなくては。
インドのマイソール王国のスルタンから派遣されたという使節団の対応、などといった公務の量は減らなかったけれども、それ以外での外出はほとんどなくなった。けれど夜更かしのくせは残ったままだった。
夜にいろいろ考えてしまうと、どうしても考えることは暗くなってしまうのだけど。
今年も天候は不順で、全面的に凶作であるらしい。穀物の価格はじわじわと高騰を続けている。もはや髪粉の量とかでごまかせる状態じゃない。
おまけに、貴族たちのルイくんに対する感情はかなり悪化している。
これは、義祖父陛下がやらかした負の遺産が抑えきれなくなってきたせいもあるのだろう。
とりわけパリの高等法院を根城とする貴族たちと国王とは、歴史的にもいろいろ政治的に対立していたのだが、罷免されたカロンヌの次に財務総監になったブリエンヌってば、その対立に輪を掛けた。高等法院をトロワに追放したりとかしてくれたのよ。5月にはラモワニヨンも、高等法院の権限縮小剥奪を行ったのだ。
で、その収奪した権限はどこへ行くかというと、新設した司法機関――ルイくんが任命する大貴族とルイくん側に従順な司法官、高位聖職者、元帥らの手に委ねられるというわけだ。
これに反発しなきゃうそでしょ。
さらに、ルイくんがたびたび財政改革を断行してきたことも問題だ。
たびたびなのは、ルイくんてば反対されるたびに中断してるからなのだ。なにせブリエンヌの新税と追放まで撤回しちゃってるし。
いやさあ、この赤字な国家財政をなんとかしたいってルイくんの考えはわかるのよ?
そのためには大規模緊縮財政に踏み切るべきだというのも、間違っちゃいない。
が、その方法として、これまで非課税だった貴族や教会へも税を要求したりするのだったら、もっとやり方を考えるべきなのよ。
昨年の2月だったかに開催された名士会でも、ルイくんてばいきなり第一身分や第二身分からも同率の税を取るとかいう案をぶっぱなしたらしいんだけど。根回しもなく既得権益を一方的に損なわれたら、反発するでしょ。誰だって。
そう、ルイくんてば、理性的な判断には誰もが従うと考えているのか、とっても説明不足な上に、猛反対が起きたとみるや、断行中のはずな財政改革をやめちゃうという悪癖があるのだ。
いや、やりきるだけの力がなかったとか。いろいろ理由はあると思うよ?今回だって既得特権を守ろうってんで、全国規模で貴族中心に大抗議運動が盛り上がっちゃったくらいだから。
だけど理解を求め――耳を貸さない人間がスルーするなら、それ以外の人間にしっかり考えを浸透させた上で――斬れ味の悪い刃物で何度も何度も切りつけるより、一撃すぱっとやりきれば、ダメージは比較的少なくてすむはずなのに。
しかも、その都度わずか二ヶ月とか三ヶ月で財政担当を解任。不満のある貴族たちの生贄にするがごとく放り出すとかさあ。テュルゴやカロンヌがあれから政治の表舞台に絡もうとしないわけですよ。ネッケルは恥知らずにも財務長官の座に再び滑り込んだみたいだけど。
掌返しされた側としちゃあ、そりゃ頭にくるわ。前任者がはしごを外された末路を見れば、説明責任を果たすという理由で言い訳広めて、攻撃をそらしたり庇護してくれそうな先を求めにかかるのもわからなくはない。『赤字夫人』なんてあだ名の原因を作りやがってくれたネッケルは許さんが。
いずれにせよ、何度もやってれば、そのうち引き受ける人間ってまともなのがいなくなると思うんだ。
ただ、あたしは税負担をかけんな、と言ってるわけじゃない。
あたしがつっこみたいのは、起きるであろう反発も予想した上で、それに対する対策も考えるべきだ、ということなのだ。
なお、うっすらあたしが考えてたのは、やわやわ名誉とバーターで取り上げてくという策である。
江戸時代の名字帯刀かよとセルフツッコミしたが、宮廷において名誉って権利と表裏一体だったりするんだよねー……。
んで、いろいろ調べてみたんだが、あたしの思いつくようなものはとっくに義祖父陛下のさらにその前、ルイ14世あたりの決めた典礼でびっしり埋め尽くされてたりする。
むしろあたしとルイくんで、そのあたりの制度も配慮なくぶっ壊してたというね……。
そこは反省する。するけど後悔はあんまりしていない。
だって、煩雑な儀式と手順と礼儀作法、不合理でぜんぜん機能的じゃないんだもん!
8月にはとうとうルイくんも三部会の開催を約す布告をした。というか、もともと4年後に開催しますよって約束していたのを、来年の5月に繰り上げざるをえなかったというべきか。
これはあたしやルイくんに対するわかりやすい敵対者以外に、市民感情の悪化をけしかけている黒幕がいるんじゃないかという疑いをさらに濃くするものだった。
それも貴族ではなく王族に。
フランス王家は、案外近親者同士で権力闘争を繰り返していた歴史がある。
8歳で即位した王様が、成長してからも摂政として、国だけでなく自分も支配し続けようとした母親と争い、最終的に追放したりとか。
その時母親方について自分の兄弟を失脚させようとしたのが、当時のオルレアン公だったりとか。
絶対王政が確立する前からしてそうなのだから、玉座に狂う者が多いのも無理はないのかもしれない。
ルイくんの弟一号もなあ……最近単純な憎悪だけじゃなくて、なんていうか愉悦みたいな色が目にちらちらしてたりするんだよねぇ……。
なんか企んでるでしょ絶対。
二婆さまもだ。ルイーズ・マリーさまの喪に服することもなく、シンパというかお取り巻きな貴族相手に、あたしの悪口で隠遁してるベルヴュ城でもりあがっているのは知ってる。
彼らがルイくんを退位させ、自分たちで玉座を得ようとしてのことなら、その動機はわからなくもない。
が、貴族だけでなく市民をも煽るこのやり方は、彼らではないだろうとあたしは考えている。
なぜなら王族は、市民の力を軽視しているからだ。
彼らにとって民衆は地面のようなものだ。踏んでいることが悪い、踏み方をせめてよくしろと言ったら、驚くどころかこいつは何を言っているんだ?と、こっちの正気を疑うレベルですよ。
彼ら王家直系の血を引く者が民衆を知らないのであれば。
もっと深く市民の感情を、怒りを知っていてさらにそこに火を加え、王家の権威を貶めているものがいるとするならば。
王威のおこぼれにむらがる貴族ではない、力ある者とは。
それはおそらく王家の血を引くが、すでに傍系とされた者だろう。
それも、特にパリ市民を煽り立てているやりかたからして、パリ市中に拠点を構えている者。さらにいうならその拠点に多くの人間、特に市民が出入りしていても、見とがめられることもないような者。
そこまでは推測ができた。
が、困ったことにイヤってほどいるんですよ。該当者が。
たとえばコンデ公を筆頭とする親王たち。
もともとコンデ公は精強な武装勢力を膝下に抱えているため、たしかパリ市中にも軍事拠点としか思えない城館も持ってたはずだし。
たとえばオルレアン公を筆頭とする公爵たち。
今のオルレアン公はルイ・フィリップ2世ジョゼフという。他にもモンパンシエ公、シャルトル公といった高位の爵位と広大な領地を持っている、富も権力も兼ね備えた大貴族なのだが、酒好きで女好きなことで有名な放蕩者だ。放蕩でふしだらという、一般市民が描きやすいダメ貴族の見本のような存在ですよ。
似たような名前でややこしいが、義祖父陛下をいいように甘やかしたという、かつてのオルレアン公フィリップ2世よりタチが悪いんじゃなかろうか。
あたしのように身を削って救恤にいそしむわけではない、口だけで動く道楽者だが、彼なら、宮廷を官職を得るためにとうそぶき泳ぎ回ることも、女性にうつつを抜かすと見せかけて女官たちと仲良くすることもできるだろう。
これらブルボン家の分家や傍系は、意外なほど王家の血を色濃く受け継いでいる。各家が互いの婚姻によって結びついているだけじゃない。貴賤結婚という形で歴代国王の庶子と当時の当主の子を結びつけ、その血を取り入れてきたからだ。
それを考えると、傍系の大貴族が王位簒奪を狙ってパリ市民を焚きつけている、というのはありそうなことだったりする。
だけどねー、こんな多方向ゴンズイ玉みたいな相手に情報戦の乱取りをやらかそうというのは、かなりの無理がある。下手したらこっちが使おうとしている者が、すでにむこうの手の中ということだってあるでしょうよ。
……いっそのこと、彼らの思惑通り、ルイくんが譲位してしまえばいいのかもしんない。
あたしもルイーズ・マリーさまみたく、修道院に駆け込んでしまえばいいのだろうか。
いや、ほら、俗世を離れて清楚に過ごすって、けっこう強いと思うの。
だけども、さすがに王妃のあたしが修道院に駆け込むわけにもいかない。必死に死神と戦っているルイ=ジョセフを、妹の死を悼んでいるマリー・テレーズを、いとけないルイ・シャルルを置いて、自分一人逃げ出すことなんてできない。
たとえ子どもたちを連れていくことができたとしても、そんなことしたら神聖ローマ帝国と国交断絶の危機ですよ。
あたしとルイくんは政略結婚。そりゃお母さまが亡くなってフランツ兄さまに代替わりはされているけれども。肉親の情もあってとはいえ、それより君主として国の利益のため、相手の不履行を言い立てるってのはよくある話だ。
八方塞がりにもほどがある。そのことだけは、よくわかっていた。
秋になって、フェルセン侯子がまたもやヴェルサイユに姿を現した。
自国とロシアとの戦争が始まったからって、フランス王立スウェーデン連隊長として、フィンランド行ってたんじゃなかったの?!とか。
まーた侯子がちょいちょい宮廷に入り浸ってたら、愛人疑惑が再燃して迷惑なんですけど!とか。
いろいろ思う事はあったけれども、侯子はたしかにずっとこれまであたしに肯定的な態度をとり続けていてくれている。
そのせいだろうか。ほっとしてしまったのは。
自分でも驚いたくらいだもの。そこまで追い詰められていたのかと。




