レーヌの首は(その1 1785年)
その年の三月も末、あたしはヴェルサイユ宮殿でお腹の子を産んだ。男の子だった。
ルイくんは次男にルイ=シャルルという名前をつけた。早速執り行われた(って、あたしは出産直後で動けなかったから出席できなかったけど)洗礼式では、ノルマンディー公爵位を与えた。
だけどあたしはどうにも手放しでは喜べなかった。種痘を受けてた上の子、ルイ=ジョゼフが、体調を崩していたからだ。
ぐずぐずと王太子の体調は崩れたままで、だけどあたしが有害無益な瀉血すら中止させることもできないまま、ただ気を揉み続けていた8月のことだ。
とんでもないことが起きた。
あたしを騙った詐欺が起きたのだった。
ことの起こりは、カンパン夫人から聞いた、よくわけのわからない申し立てだった。
あたしが買った覚えのないダイヤの首飾りの代金を支払うよう、宝石細工職人が求めてきたのだという。
よくよく話を聞けば、確かにその首飾りには記憶があった。
臨月になる前だったか、宝石商のベーマーが売り込みに来た、それはそれは豪華な、ダイヤをちりばめたものだったからだ。
まるで白炎でかたちづくられた、複雑に編んだ鎖のような首飾りは、確かに美しくはあった。
だけど買うか買わないかというのなら、即答で否一択ですよ。
その理由は主に三つ。
一つ目は、なんともかわいくないお値段である。
そりゃまあ本体もかわいいとかいう言葉とは無縁の、540粒ものダイヤと貴金属の塊という物体だそうですから。
宝石の価値には、色や透明度といった質、大きさ、傷のなさなどが関係するのだが、それに加えて歴史ってのも案外関わっていたりする。
なんと一番新しい石でも、三千年以上は昔のものですって!
嘘つけ。
ダイヤの価値が高まったのは、研磨技術が発達したからだっての。古代にダイヤが宝石として尊ばれたわけがない。
あーだこーだと荒唐無稽レベルまで、話を盛りに持って出てきたお値段は、なんと160万リーブル!
金塊数トンぐらいは楽勝で買える金額だっつーの。冗談じゃないわ。
たしかにあたしが宝飾品一つ購入したからといって国家財政が破滅するわけはないけどさ。
てかとっくに破綻してんのよ。国家財政自体。
その責任をおっかぶせられるのはごめんですわ。
二つ目は、その名称にある。
宝飾品や服のデザイン、はたまたリボンの色合いから髪の結い方まで。
いろんな様式を作りだし、他との違いを強調するために、やれなんちゃら風だのなんとか式だのって凝った名前を付けるのが、流行を作り出すには都合がいいんだろう。とは思う。
だけど、奴隷式ってなにさ奴隷式って。
たしかにこの首飾りは複雑に編み込まれた鎖、いや首枷にも似ていた。
なんであたしが知っているかって?
ヨーロッパが新大陸とアフリカ間の奴隷貿易の中継地になってたからだ。
奴隷という存在をあたしが直接見たことは、現世でも、まだ、ない。
だけどひょっとしたらヴェルサイユ宮殿の中にもいるのかもしれない。あたしたち王族の視界から注意深く遮断されてるだけって可能性だって、ゼロじゃないんだから。
そもそも身近に接することはなくたって、新聞の写生絵――写真の代用みたいなスケッチだ――ぐらいだったら、アフリカ方面の報道で姿をたまに見ることはあるのだ。
そう、ルイくんが自由と平等と……つまり啓蒙君主として夢見る理想的政治形態を実現したと思ってるらしいアメリカ独立戦争だって、その背景には無数の黒人奴隷の存在があるのだ。
その扱いに、人権なんてもんはない。
身動きできぬほどぎゅう詰めに彼らを載せた船の積荷表記が『黒色石炭』だったと知った時には!
吐き気すらしたしましたよあたし。怒りのせいで。
それは、恵まれてた前世の社会における人権感覚によるものだったのだろうか。
そして、前世の記憶があろうと、現世において何ら状況を変えることもできないほど、自分が無力だということへのやりきれなさのせいもあったのだろうか。
なのに、なのにだよ?
仮にも一国の王妃に勧めるのに、いくら豪華絢爛だからって、奴隷の首枷に似ていますよ、お似合いになるのは妃殿下しかいらっしゃいませんとか。
胸張って言うか、ベーマー?!
非人道的な金も含めて吸い上げた税金で浪費する『赤字夫人』にゃ、奴隷の首枷がお似合いだという、きつい皮肉か。それを賛辞と受け取るようなおめでた頭と舐め腐ってくれてんのかと、小一時間ギッチギチに問い詰めたくもなるでしょうが。
けれどベーマーたちは、いっそ無邪気なほどきょとんとして、あたしがなぜ王妃の微笑みをキープしたまんま激昂したのかわからないふうだった。
あー……、まあ、流行色の命名からして、どちゃクソに悪趣味だもんなー……。王太子の糞色とか。
それを考えたら、王族を奴隷に見立てるくらい、普通普通。
って、んなわけあるかい!
セルフつっこみはさておいて。
あたしが首飾りの購入を拒否った理由の三つ目は、その重量にある。
無理矢理ごり押しで試着させられたんだけど……、いやー、重いのなんのって。
装身具って、基本的に鉱物の塊、なのよ。略王冠的なティアラでも、頭の上にのっけておくのはけっこう首にくる。
なのに、首飾りの重量ってばそれ以上。
そんなもんが、ほんと奴隷の鎖よろしく肩にずっしりめり込んでくるのだ。
当然頭痛はひどくなるし、ひょっとしたら痣だってできるんじゃないかと恐ろしくなったくらいだ。
これ絶対身体に良くないと思うの。
コルセットと違って、一日中つけっぱなしじゃないんだから大丈夫だって?
んなこたない。数時間だろうとこんなもんつけてたら、肩どころか背骨だって軋んでくるわ!
おまけにさぁ。
この首飾り、ベーマーがなんであたしに売り込みに来たのかというと、先王の義祖父陛下、ルイ15世が、デュ・バリー夫人に贈るために作らせてたからって経緯があったりするのだ。
デュ・バリー夫人も結構なダイヤ狂いで有名だったからこそ、義祖父陛下もこんなごちゃごちゃにくっついたオブジェに近いような首飾りを作らせたんだろうけど。
その肝心の注文主がお亡くなりになってしまっては、作成目的が宙に浮いてしまったわけだ。
それでも途中でほっぽりだすわけにはいかないからと完成はしたけれど。お代を出してくれる人がいないんで、急遽王妃へ売り込みに来たというね。
でも、だからって。
な・ん・で、高価不良在庫を、しかも公式寵妃のお下がりを、王妃であるあたしが無関係者なのにもかかわらず、大枚払って買い取らにゃならんのだ!
プチ・トリアノンもだけど、義祖父陛下の負の遺産ってば、多すぎ!
だから、「いらない」「ほしくない」「二度と持ち込むな」ってきっちり伝えたのよ。女官長にも。
……そりゃさあ、前世で見てた素敵なアクセのたぐいが砂細工にしか見えなくなるくらい、ごろごろじゃらじゃらと爪より大きなダイヤでびっしり埋め尽くされてる首飾りとか。
壮観ではありますよ。それは。
だけど欲しいなんて欠片も思えない。てゆーか、今世じゃそんなもんは見慣れたもの、だったりするんですよ。
見慣れてるって何かって?
王妃って立場上、しょっちゅう着けてるからですよ。国宝級の装身具ってやつを。
ただし、ただの一つもあたしの所有物ではない。
赤字夫人呼ばわりが消えない理由の一つが、あたしが王妃として公式の場に出るときに飾り付けられる装身具にある。
フランス王妃が歴代受け継いできた、重代の宝ってやつも多いわけですよ。
ただし、それらはすべて王室のもの。
未だに食糧不足が酷い国内をなんとかするのに、こっそり一切合切売り飛ばして、国外から食糧を購入する費用に充てたいくらいなんだけど。
……ひょっとしたら、実際に相談してみたら、あまり装身具に興味のないルイくんは、一揃いあればそれ以外売り払ってもいいんじゃないと言ってくれるのかもしれないとは思う。
だけどルイくん以外にうっすらでも匂わせたら、血相変えた服装女官長たちが総出で諌止をしてくるやつですよ。
もちろん、あたし個人の所有である装飾品だってないわけじゃない。
だけどそれは現世のお母さまから贈られたものとか、ルイくん関係のものとかがほとんどだ。
さすがにそれを売り飛ばすわけにもねえ。
だのに状況をややこしくしやがったのは、詐欺師とそのカモ。
詐欺師どもはラ・モット=ヴァロワ伯爵夫人ことジャンヌ・ド・ヴァロワ=サン=レミ一味、カモられたのは、ルイ・ド・ロアン枢機卿。宮廷司祭長でもある。
宮廷司祭長ってのは、宮廷の聖職者――宮殿付き礼拝堂付きとか、わけのわからん肩書きでいるんですよ。それもわっさわさと――の元締めみたいな役職だ。
当然、王族であるあたしたちと対面することも、会話をすることも比較的多い。
だが、このルイ・ド・ロアン枢機卿って、あたしはめっちゃ嫌いな人間であったりする。
名前が無駄にルイくんとかぶるから、なんて安直な理由じゃ断じてない。
そもそもルイ・ド・ロアン枢機卿は、ストラスブールの権門の一族である。王族に準ずる扱いをされるくらいだから、家柄は相当なものなのだが。
当人の人柄は下劣の一言に尽きる。
あたしの嫁入り行列をストラスブールで待ち受けていた、当時80歳のロアン枢機卿の甥だとかいう司教補佐が、脇にくっついてたのがいたでしょうって、メルシー伯に言われてあたしも思い出した。
嫁入りの14歳の皇女をだね、聖職者姿に似合わず、じろじろ上から下まで好色な視線でなめ回すように見てきてた30代も後半にさしかかったおっさんがいたことを。
その後、ウィーン駐在大使になったとこまでよかったんだけどね。
なぜに外交官が、駐在している他国の首都で、不祥事をしでかすかね。
それも純潔を重んじる聖職者だってのに、下半身方向のも派手にやらかすって。何やっとんのかい。なにってナニをなんだろうけど。
いや、結婚を許されてないはずの聖職者の庶子とかが枢機卿になることは、わりとよくあることではあるのよ。
だけど不祥事のせいでか、他に理由もあってかどうかは知らないけれども、ロアン枢機卿は、マリア・テレジアの不興をこうむった。それも盛大に。
ぶっちゃけ、ハプスブルク皇帝家って、貞淑さではフランスなど足元にも及ばないほどガチガチの鉄壁な防御力を誇るのだ。政略結婚でも相手と恋愛するせいなのかもしれない。
お母さまの逆鱗に触れたこの下半身無節操性職者ってば、義祖父陛下崩御がちょうどいい機会だったのか、さっさとフランス国内へと引き揚げられたらしい。
これ以上トラブルを起こすでねえ、という一族の悲鳴が聞こえてくるようだ。
当人もしばらくは謹慎というか冷や飯食い生活だったらしい。
が、喉元過ぎれば熱さ忘れる。
おまけにコネと金が強いのはいずこの世界も同じというやつだろう。
ロアン枢機卿は、おじさんの持っていた枢機卿位を得た上に、いくつもの修道院の院長にも名を連ねた。らしい。
いやそれ名義貸しってやつですかね?
いかにも行い澄ました肩書きとは裏腹に、当人は本拠地のストラスブールではなくパリに腰を据え。また華やかに下半身無節操生活を送っていた。らしい。エネルギッシュにヴェルサイユを泳ぎ回りながら。
それも狙う獲物あってのことである。
ただし求める椅子は、あまりにも重た過ぎた。
宰相、悪くても財務総監になりたくての猟官活動って。
聞いたときは開いた口が塞がらなかったですよあたしゃ。
確かに国家財政改革に手こずってましたよ、ルイくんは。
テュルゴーもネッケルも解決することができず、カロンヌといえば泥沼でもがいているような状況。
だけど奔放な生活でお母さまに呆れられてたくらい、経済観念もなければ、最低限の外聞を整えようという気配りもできない人間が、一国の財政の舵取りなんざできると思うかね。
……まさか、ここまで失敗続きだから、自分が失敗したってまたかと思われるだけ、ならば在任期間中につかめるだけの金を集めてしまえとか思ってたりして。
いや無理でしょ。先行投資感覚だったのかもしれないが、あたしがいらんと断言している悪趣味な首飾りを賄賂に送りつけてきて、どうぞよしなにをやらかす気だったって段階で、相手を動かすための情報収集その他、宮廷人として必要な駆け引きスキルすら皆無だったとしか思えないんですけど!
その一方で、ロアン枢機卿はあたしの取り巻きになることも狙ってたらしい。
だけど、お母さまの勘気をこうむったのには、彼が外交官としてウィーン滞在中、フランス王太子妃――あたしのことだ――の、悪い噂をばらまいてたこともあったんですよ。
なんで、あたしの母国で、そんな頭の悪いことをしでかしたんだか。
そしてなんで悪口言いまくった相手に取り入ることができると思ったんだか。
そもそもあたしゃマリー・ルイーズ出産直後くらいから、コネ構築という狙いがぜんぜん実らなかったから、夜遊びもきっぱりやめて、ヴェルサイユでもプチ・トリアノンに半分引きこもり状態だったもんなー。
ヴェルサイユ宮殿で開かれるような集まりでも、必要なことに一極集中ですよ。用もなければ接点もない、ほぼ赤の他人との、ぐだぐだ実のないおしゃべりだの時間を取られるくらいなら、ようやっと首の据わってきたルイ=シャルルのおしめを替えてた方が、まだ有意義だと思うの。
だのに、あたしの御乱行な噂を真に受けて、あわよくばあたしの愛人の座も狙ってました、とか。
さぶいぼまみれになりましたわそれは!ふざくんなですわよ!
『奴隷式首飾り』という名称は、モーリス・ルブランの作品から引っ張ってきています。
少年アルセーヌ・ルパンが盗んだ最初の獲物が、この首飾りという設定です。
なので、マリー・アントワネットが生きてた当時、『奴隷式』という様式名があったかは不明。たぶんなかっただろう、と筆者は考え、ほぼフィクションな設定として扱っています。
ただこの当時、ほんと様式名が悪趣味なんですよ……。
モード大臣・ルベタンの広めた色の名前は言うまでもなく。
ギロチンでの死刑がしょっちゅう行われるようになった恐怖政治期、一人の女性活動家がばっさり短髪で行動してたらしいんですが、そのヘアスタイル名が「犠牲者風」というね……。
ギロチンにかけられる際、女性の髪の毛が切られたのは有名な話ですが、わざわざそれを模した髪型をするかなと……。




