レーヌで行きます!(1784年)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
いつのまにか、フェルセン侯子は再度宮廷に足場を固めていた。それもがっちりと。
どのくらいがちがちかというと、あの人見知り気質のルイくんに親友と呼ばれるくらいですよ。
いやほんと、いつなにがどうしてそうなったと叫びたい。
リアルに叫ぶなら人に見られないよう、ルイくんが朝の一狩りに出かけた後の寝台で、枕に顔を埋めてという準備が必要になるけれど。
……いやね、誰が王宮で人気者になろうがどうしようが、いいんですよ。別に。
あたしに焦がれるまなざしを向けない限り。
誤解とデマのせいで、宮廷ではとっくの昔にフェルセン侯子はあたしの愛人ってことにされてる。
だけど、あたしとフェルセン侯子の間には、ミンネジンガーの語る話やロマンス詩のような、騎士と貴婦人の恋愛というのはありえない。あっちゃいけない。
なんでそこまで恋愛に価値を認めないのかとか、いつの間にか女官の末席からじわじわと昇進してきてた、ポリニャック伯爵夫人というスミレ色の瞳の美人さんにも訊かれたときがあるけどさあ。
宮廷の恋愛て身体の関係ありきだもん、王妃なあたしができるわけがない、って、ちゃんとわかってんのかね?
そもそも素敵ですわと女官たちがもてはやすミンネジンガーの恋愛歌だって、けっこうバッドエンドですからね。どん底からのデウスエクスマキナによる予定調和な救済があったりするけど、それはさておき。
そもそも、のんべんだらりんと恋愛ごっこにうつつなんざ抜かしてらんないんですよ。
年をまたいで噴火し続けるラキ火山から発生する噴出物は、今年もさらにひどくなりつつある。
そのせいなのかどうなのか、戸外にある銅像、青銅を使った建物の飾り金具、プレートのたぐいまで緑青を盛大に発生させ、周囲の大理石すら青から緑の無限グラデーションに染まった。
四月には不順な気候のせいか、王太子のルイ=ジョゼフが高熱を出した。
が、そんなのはまだましな方だ。
農作物は壊滅状態が続いている。ただでさえ冷夏が続いて食糧不足傾向だったところにもってきて、アメリカ独立戦争が終結したせいで、いっそう財政も悪化している。
どうしろというのか。
ルイくんはカロンヌと組んで財政改革に励んでいる。
確かに、ことここに至っては、根本的な改革が必要だろう。そうでもしなければ、国家は破産してしまうという状態まで追い詰められているのだ。
だのに周囲の見えていない恋愛脳ときたら!
プチ・トリアノンで一息ついてたところに、ポリニャック伯爵夫人の手引きを受けて忍んできたフェルセン侯子の顔を見た時には、もうもう頭痛がしましたとも。
「イタリアはいかがでしたの?」
それでもちゃんと王妃としてがんばるあたしって、えらいと思う。
誰も褒めてくれないから、自画自賛するしかないけど。
フェルセン侯子は確かにアメリカ独立戦争でもイギリスと戦った。だけどそれは惚れてるあたしがフランスの王妃だから、フランスに味方したとかいう単純な話じゃないのだよ。
そもそも彼はスウェーデン国王グスタフ3世の手駒でもある。つい先日までイタリアに行ってたのだって、グスタフ3世に呼ばれて旅行に同伴してたわけだしね!
グスタフ3世がなんでイタリアにいたのかというと、対ロシア政策の根回しのためだ。
もともとグスタフ3世は他の北欧諸国への侵攻欲の強い王だ。スウェーデン寄りの姿勢が一部見られていたノルウェーの併合も計画していたらしいが、それには王妃の母国であるデンマークが邪魔になる。
だけどデンマークはロシアの軍事力に守られているようなものだし、さすがに大国ロシアとは正面から喧嘩はできない。それでもフィンランドへのロシアのちょっかいも通すわけにはいかない。
というわけで、自国の軍備を強化するだけでなく、外国との関係にもじわじわ根回しをしているというわけ。
グスタフ3世はフランスにも6月にやってきていた。他国の王族がやってくる通例として、ハガ伯爵という偽名を名乗ってだ。
偽名であろうと王は王。ちゃんとトリアノンで公式の饗宴をしましたともあたしは。王妃として。
400人規模というのは、さて、正客の地位に比べて大きいかったのか、それとも小さかったのか。
ヒメジのフライしか食べたがらないハガ伯爵のせいで、けっこう大膳部はてんてこまいだったらしいけど。
なんせ魚は基本精進料理と同義ですから。歓迎の宴だから、基本的に出さないんだけどね!
まったく面倒なゲストだこと。
直接お会いしてみれば、グスタフ3世は相当に足の軽い御仁であった。晩餐会に舞踏会と、あれやこれやの歓迎レセプションでも精力的に飛び回って挨拶をしていたのは、低位貴族の偽名もあってのことなんだろうけど。
ヨーロッパの国々との同盟関係に加え、アメリカともいろいろ条約を締結したりして、結びつきを強化するのに国王自ら動くってあたり、国際的な視野と行動力はきっちりあるんだろうなあ。
ちょっとその爪の垢、ルイくんに……というか、その取り巻きで国際政治より自分の利権確保が大事な連中に飲ませてあげたくなっちゃうわ。
それはさておき。
そんなスウェーデンの国際的な政治工作の動きも、ちゃんと知ってるんですけどあたし。
そうそう宮廷恋愛の範疇で見てないからね?という、先制攻撃だったんだけどなあ……。
意味不明な手柄顔のポリニャック伯爵夫人が、無駄に気を利かせて席を外すと、やおらフェルセン侯子はあたしの前に跪いた。
「お慕いしております。王妃殿下」
どストレートに言われたのには、溜息しか出ませんでしたとも。
主成分は呆れと失望ってやつですが。
なんか、こう、かぐや姫の気持ちがわかるような気分になることがあるなんて、前世でも思ってもみなかったよ。
あたしのどこに、どう惚れてるというのか。そして恋愛に至上の価値があるとどう思い込めるのか。
成長してやや間延びしたあたしの顔は、はっきり言ってこの宮廷内では美女とは言えない。
ハプスブルク皇帝家の遺伝的特徴と言われる、いわゆる受け口しゃくれ顎。
毎日きゅうきゅうに髪を引っ張られ、結い上げ、盛られるせいで広くなったおでこ。
幼女の愛くるしさ補正はもうない。
鏡でとっくり眺めたら、ちゃんとした絵師でもない平賀源内が余技で描いた西洋画の女性に似てるな、と思ったりもした。全体的に瓜実だから、こんなに彫りが深くなければ浮世絵的とすら言えたかもしれない。
だのに、アラサーのあたしに、妙齢かつ絶世の美女でもあるかのような褒め称えかたをされてもねえ?
はいはいお世辞おべっかご機嫌取りお疲れ様、としか思えないじゃん。
仕草や立ち振る舞いが綺麗?そりゃマナーでバカにされたくないからがんばって身につけただけですよ。
そもそもあたしは今世で恋愛する気はない。全方位四六時中気を張っているというのに、それでも批判罵詈讒謗の嵐につきとばしにくる口実としか思えないんですよ。恋愛って。
「一晩でしぼむ花というのは、また次の夜には別の枝で咲くそうですわね」
愛は一夜に咲き、一夜にしぼむ花――というのは戯れ歌だったか。
愛してるとか言われても、受け入れませんから他の人へどうぞ、という意味だ。
「わたくしの好みではないようですわ」
かなりどストレートに振ってるんだけどなあ。
「わたくしの心はあなただけのものです!」
瞬間あたしはイラッとした。
「わたくしの心はわたくしのものですわ」
人に憎まれるのもうんざりするが、無駄に愛を告げられても面倒だ。
こちらの好意、恋愛感情に答えてくれて当然、という思い込みがちら見えるからなおさらだ。
ぶっちゃけ、フェルセン侯子が好きだ愛していると言って回っている『マリー=アントワネット』とは、愛を捧げれば、いつかは侯子の思い通りに目を潤ませてすり寄ったり、同じように愛を返してくれたりする、彼にとって都合のいい人形にしか思えない。
だけど少なくとも、それはあたしじゃない。フェルセン侯子はリアルなあたしをイメージ素材にして作り上げた全肯定の愛人がお好みなのかもしれないが。
ああ、だけど、そう、下手に突き放すのも悪手だろうか。
相変わらずあたしゃ不人気王妃ですから。我が儘に浪費で国庫を食い潰す赤字夫人呼ばわりはそうそう消えない。
自分から味方になってくれそうな人間を切り捨てるってのは、ないわね。
大公、公爵、王族ならばルイくんも国王としてある程度は押さえ込めてる。
あたしも伯爵ぐらいまでなら、夫人のつながりを通して少しは話を通すことができる。
けれどそれ以下、男爵などの下級貴族、官吏、その辺りへの目配りというのは届かないのよね……。
そういう人たちと市民こそが、今一番取り込んでおくべき層なんだけれども。
あたしは方向修正することにした。
「そもそも真実の愛とはどのようなものでしょう。一夜に姿を崩す儚いものではなく、きっと天上に咲く花のようなものなのでしょうね」
神の愛というやつだ。これを否定することはさすがにできまい。
「そのような愛がすでにおありだと?」
かすかにひび割れた声に、あたしはただ微笑みを向けた。鉄壁のロイヤルスマイルってやつだ。
「誰です。お相手は。――まさか」
侯子は絶望的なまなざしをあたしに向けた。
だいぶ膨らみの目立つようになったお腹に。
「それほどに。それほどまでに陛下を愛しておられると?」
微笑みの裏で、あたしは固まった。
上手く誤解してくれたのはいいが、あたしがルイくんを見返りなく愛しているかって?
ウィかノンかといえば、ノン。百歩譲って家族愛というやつしかありませんよ。
そもそも、結婚に愛は必要条件じゃない。
もとのマリー・アントワネットは国から国へ結婚という形で送られた、契約締結の証でしかなかった。14歳の少女がだ。
ヴェルサイユ宮殿の礼拝堂で行われた結婚式を思い出す。
跪くあたしだけでない、祈りは金貨にも捧げられた。婚資というよりあたしの代金だったのだ。あの数枚の金貨は。
それでも、あたしはルイくんの子を産んだ。そして今後も産むだろう。
男性はどんなに好みではない相手でも、よほどの拒絶意識がない限りは抱けるという。それこそ顔が好みでなければ顔を隠せばいいレベルで。
同じ事が女性にも言える。受動態になるだけならこちらの方が楽ということになるのかもしれないが、いたすだけならいたせるのだ。
だけどそんなもんだろう。
自分の意思に強制が入ったかどうかまではわからない。けれども社会的地位がそれで保全されるというのなら、十分意味があるというだけで、人はできてしまう。それが結婚というものだ。
「哀れな方だ。――それほどまでに、陛下はあなたを愛されておられるとは。その」
「ずいぶんとフランスに馴染まれたようですわね」
「ええ」
フェルセン侯子がプチ・トリアノンを退出していくと、あたしはあまりの疲労感にぐってりと寝椅子に身を投げ出した。
哀れまれた腹いせに、フランス宮廷人並に恋愛脳になったのね、と皮肉ったつもりだったが、どうやらその意図は通じなかったようだ。
会話のできない人の相手は、つくづくしんどい。
その後しばらくして、フェルセン侯子がスウェーデンに帰国したというニュースが宮廷を飛び交い、やがて消えていった。
意味ありげな目を向けてくる人もいたが、あたしはそしらぬ顔をした。大きくなりつつあるおなかでぶしつけな視線を跳ね返して。




