レーヌでいきます!(1782年)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
ルイ=ジョセフ、待望の王太子にフランスが、特にパリが歓喜した。
音楽時計や新生児用品一式が、パリ市からあたしとルイくんに贈られたのには驚きもしたし、嬉しくもあった。わけのわからぬ不安すらすべて消え去ったように感じたくらいだ。
けれどもそれは、一瞬の出来事にすぎなかった。
パリ市民の生活は困窮していた。
そこへ去年のネッケルの『財政報告書』のせいで、あたしには浪費王妃という、無駄に韻を踏んだ印象が押しつけられていた。そりゃ憎まれようってもんですよ。『赤字夫人』呼ばわりされるあたしをルイくんが庇えば庇うほど、『不出来な王妃とおやさしい国王』という扱いになるくらいには。
だけど、戦犯はあたしじゃない。
じつは、1770年代の半ばから、とっくにこの国は斜めになってきていたのだ。
農商工どこを向いてもまんべんなく不振なのは、社会システム自体がたぶんもう末期に近いところまで来ているからなのだろう。なんせ農作物の価格低迷で収入が減少した農民の購買力が低下し、経済不況からの深刻な財政危機の発達とか。ドミノ倒しにもほどがあるでしょが。
おまけに、冷夏の続く農村部では、領主と農民の間に、入会地を巡って紛争が絶えない。
軍隊は軍隊で、昇進を巡り新旧貴族が官職を争う。頭脳か身体能力か幸運か、どれかが人より抜きん出ていさえいれば成り上がりルートになると信じて入隊した人間ほど、貴族身分の閉鎖性に心折られるわけだ。
聖職者ルートも同様。
当然、失意は怒りに変わる。神も仏もあるものかってやつだろう。
なによりネッケルは『財政報告書』ではわざと書き飛ばしていたが、重税の多くはアメリカ独立戦争支援のためのものだ。そのせいで景気は後退し、失業も増えるという悪循環。
だって戦争ってお金かかるのよ。
イギリスに一泡吹かせたい、国際政治で幅をきかせたいという貴族たちの熱意、合衆国建国理念である共和主義への憧れに押され、ルイくんが首を突っ込んだこの戦争は、まだ終わりが見えない。
結果、赤字続きの国家財政はさらに悪化してますとも。
国民の不満と国家財政の悪化は、支配者たる貴族、そして王族の権威を弱める。
それはわかってるけどさあ。
あんだけお祭り騒ぎで喜んだ、待望の王太子に、不倫の子ではないか疑惑を立てるのはどうなのよ。
さすがにこれは名誉毀損というか、不敬罪相当ではないかと思うんだけど。
けれど相談をもちかけたルイくんのお答えはというと、相変わらず「放っておきなさい」のままだった。
ひょっとしたら、ルイくんは民主的な王であるならば、いかなる他人の排斥的な意見も尊重しなくてはならない、少なくとも発言の自由は保護しなければならないと考えているのだろうか。誹謗中傷にも。
それ心病むやつやん。
王太子として、ひたすら公爵に観念的な理想を教え込まれていたころから変わっていない王子サマ。
ルイくんの理想は高すぎて、その目はきっと地上のド汚いものを見てはいない。頭でっかちの理想主義者。
きっと、とっても純粋な人なんだとは思うよ。かわいそうなほどに。
憤懣をこぼしたら、じゃあ、悪口を言われないように励むべきでしょうとか、宮中女官長にしたランバル公爵夫人には言われるしね。
励むって、なんにかって?
子作りですってよ。奥様。奥様って誰だ。
いや、子ども一人でもあれだけ喜ばれるのなら、二人も三人もって発想はわかるけどさあ。
それにルイくんが寵姫を置かないのも、あたしの国母って価値を上げるためとわかってるけどさあ。
でも、だからって、さあヤれと言われるのって、すんげーしらけるんですけど。
もやもやするあたしの気持ちは置き去りに、周囲はせっせこと状況を整える。それがムード演出とかいい雰囲気になるまでほっといてくれるんじゃなくて、おっぱい上げてると妊娠しないんですって迷信のせいで、ルイ=ジョセフのお世話は乳母と侍女たちに持ってかれるとかなあたりがなんとも。
あたしはあたしで産後の肥立ちに問題なしと見極めがついたところで、早速ルイくんと強制共寝開始というね。
……なんかこう、人間というより乳牛扱いされてる気分になってきたぞ。牛乳って出産した牛しか出さないものだからね。しょっちゅう妊娠させられてるって知ったのは、プチ・トリアノンの家畜小屋のおかげですよ。
1月の下旬に、王太子誕生記念仮面舞踏会にルイくんといっしょに出席したが、その後あたしは基本プチ・トリアノンにひきこもることにした。三婆さまのお一人、ソフィーさまの容態悪化からの逝去なんかも言い訳にして。
だってさー、ルイくんの弟一号の目がやばいんですもの。
以前から冷淡というか、うすーく軽侮の色すらあったのが、はっきり敵意に変わってる。
もともとルイくんは兄弟とあまり関係がよくない。早くに亡くなったブルゴーニュ公との関係もそうだったみたいだけど、弟一号と弟二号との関係もそうなのだ。
これは、ルイくんが沈思黙考熟慮タイプの人間ってこともあるのだろう。
沈黙は金って言葉はこの宮廷じゃ通用しないのよ。当意即妙な機知に富んだやりとりこそが賞賛される。
相対的に口の重いルイくんの評価は低下し、ルイくんも自分を軽んじる人間ときちんと話をする気も薄れるという悪循環があったんじゃないかと思うが、さだかではない。
あたしが知っているのは、ルイくんがあまりご両親に愛されてはいなかったんだろうなということ、そして今も弟一号と弟二号が――特に、弟一号の方が、まるで自分の方が兄でもあるような上から目線で接してきていたということ。
弟たちは、今もルイくんをはっきり見下げている。 ベルヴュ城で暮らしてた三婆さまのうち、ソフィーさまが亡くなり、長老の権威とでもいうべきものが減ってからは、なおのこと顕著になっている。
アルトワ伯があたしに気安いのも、そのせいだと思う。彼にとってあたしは『この国の王妃』ではなく、『不出来な兄弟の不出来な妻』なのだと思えば、あの態度の軽さがよくわかりますとも。
だが、アルトワ伯はまだいい。
プロヴァンス伯の敵意は、自分が次期国王のつもりでいたからなのだ。
あたしとルイくんが清い仲の雑魚寝を続けていたとき、下馬評で次の国王に名前が挙がってたのは、当然ながらルイくんと血の近いプロヴァンス伯とアルトワ伯だった。
特にプロヴァンス伯は自分がアルトワ伯より年上ということもあり、順当にいけば反逆などしなくても玉座は自分の手に転がり込んでくると思っていたのだろう。
あたしがルイくんの子、マリー・テレーズを産むまで7年かかったこともあり、ひょっとしたら彼はもう自分が王太子なのだと錯覚しかけていたのかもしれない。
けれども、あたしは王太子となるルイ=ジョセフを産んだ。それにより、プロヴァンス伯とアルトワ伯の王位継承順位は下がったわけだ。
手に入って当然と思っていた王冠が滑り落ちていくと考えれば、それはあたしを、そしてあたしの息子を憎む理由になるのだろう。めっちゃ理不尽ですが。
そもそも、プロヴァンス伯は今もってできてないのよ。子ども。
三兄弟はひょっとしてオール種なしなんじゃ疑惑を打ち消したのはアルトワ伯。ついで遅まきながらルイくんということになる。
これが何を意味するかというと、たとえあたしとルイくんの子ができず、プロヴァンス伯が王位についてたとしても、それはあくまでアルトワ伯か、アルトワ伯の子への中継ぎにしかならないということだ。
それでもプロヴァンス伯は自分が王になれるなら、すべてがどうでもよかったのかもしれない。
でもさー、回りのことはなーんにも考えていないで、その当てが外れたからって逆恨みしてくるのはどうかと思うのよ。
あたしにできるのは、プロヴァンス伯たちの息がかかったような人間を近づけないように警戒することだけだった。
弟が政敵というより、もう潜在的に敵と見た方がいいかもしんないというのは、ルイくんの不幸だろう。
といって、下手にとばっちりでもくらって、暗殺でもされちゃかなわない。だからこその引きこもりですよ。
だけど、閉じこもってばかりでは味方は作れないのも確かなのよね。
一応、パリにはあたし個人の資産を使って救恤はした。しかし平民に気を配れば、そのぶん貴族がへそを曲げる。
どっちに手を尽くしても不平不満が押し寄せるとかなにこれ。
だけどあたしは『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』などとは絶っっ対言わない。むしろ『鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス』『押してダメなら引いてみろ』ですよ。
浪費が憎まれる?じゃあ浪費じゃないお金の使い方だったらいいんでしょうね?
あたしは、普段着を変えることにした。
なんのこっちゃと思うかもしれないが、イメージ戦略ですよ。
ネッケルのせいで浪費のイメージが強いあたしだが、服をより質素にすれば、こう、清貧なイメージに書き換えられるんじゃないかな?という思惑だ。
ルベタンに相談して手に入れたのは、モスリンである。
正直あたしは四六時中そんなにゴージャスにしなきゃいけないとも思わないし、蒔絵を手に入れてからどんどん和風好みになってきたので質素上等!てなもんですよ。
あれだ、バターや牛脂でぎっとぎとの食事が続けばお茶漬けほしくなるでしょ?
問題は、モスリンって上品な白さが売りなんだけれども、うまく使わないとその白さが際立たないというね。
この時代、太陽光以外はすべて炎の光。シャンデリアだってあれ、巨大釣り提げ燭台だからね。剥き出しの蝋燭の光をいっしょに吊した水晶の飾りで乱反射させて辺りを明るくさせるのだけど、風が吹いたら炎は当然なびく。火事の危険は大いにある。
なので、たしか、あたしのウィーンでやった結婚式の晩餐会の時なんか、数百人は消防士を待機させていたんじゃなかったっけ。
話はそれたが、もともとオフホワイトというか少し黄緑がかったような生成り色の布は、炎のように黄色みの強い灯りの下では、さらに黄色く見えてしまう。
黄ばんで見えてしまうと、どうしても清潔感とか、清楚な感じってのが出ないんですよ。
ところがオランダで加工をしたものというのは、超真っ白だったのだ。
コットンや、護衛犬のル・シアン・ドゥ・モンターニュ・デ・ピレネー――早い話がピレニアン・マウンテン・ドッグのことだ――の白を通り越して、雪とか、前世の化繊に近い色合いにすら見える。
なんでかなーとプチ・トリアノンの明るい部屋で布を広げてしげしげ見れば、うっすら……ほんとうに淡くだけれども、青く染めてあるということがわかった。
それに加えて、もともとの素材の色も生成りは生成りなんだけど、ほんとに淡いものに仕上げてあるらしい。
なんでも、物干し用の芝生に広げて水を撒き、青空の下で乾燥させるんだそうな。
最初聞いたときには意味がわからなかったけれども、そういやむこうの世界でもあったもんね。布を晒して白くする技法。あれは雪の上でやるんだったか。
黄ばませたり漂白したり、太陽の光ってのは不思議なものだ。
あまりの白さに感動したので、オランダの雪とか、なんかそんな名前をその白さにつけたいなと思ったら、世にも残念そうな目で見られたのは納得がいかない。
だってさー、ルベタンって、ちょっと個性のある染めとか見つけてくるのがうまいんだけど、その色の表現が酷いのよ。
いわく、蚤色。
いわく、蚤の腹色。
いわく、王太子の糞色。
……オランダの雪の方がよっぽどネーミングセンスあると思わない?!




