表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マリーとよばれて  作者: 輪形月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/39

ドーファヌからレーヌへ(1774~1775年)

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 あたしたちは種痘を受けた。早い話が天然痘の予防接種である。

 かなり手遅れというか泥縄な感じもするが、まあやんないよりましだろう。天然痘は軽くすんでも痘痕(あばた)が残る。万が一にでも、ルイくんの妹、クロティルドちゃんやエリザベートちゃんが罹って、痘痕が残ったらと思うとねえ。

 その一方で、ルイくんはいろいろ動きを見せていた。

 戴冠式まで王権を派手に動かすのはと、薄笑いの貴族たちにやんわりやられたのがよほどこたえたのか。だったら王族として義祖父陛下から相続した財産だったら好き勝手してもいいよね、というのか。

 「花が好きな君のために、すてきな花束を贈ろう」と言われたので、朴念仁のルイくんにしてはおっしゃれーなことをしてくれる、と思ったら。

 届いたのはルイくん自作の錠前と鍵、ただしごってごてに装飾をしまくったものというね。

 いったいなにかと言えば、離宮の鍵だそうで。

 小トリアノン離宮――プチ・トリアノンのですよ。


 ええ、プチ・トリアノンは所有権が贈られたといっても、あたしが欲しいって言ったわけでもねだったわけでもないんです。

 そもそも、ルイくんも自分が作った離宮を、ほいとプレゼントしてくれたわけでもないしね。


 プチ・トリアノンが作られたのは、あたしがフランスに嫁いでくる前の話だ。エロじじいだった義祖父陛下が、ポンパドゥール夫人のために作らせ始めたのはいいが、完成前に夫人は寵姫(メトレス)を退いた。そしてポンパドゥール夫人亡き後は、デュ・バリー夫人が主となったというね。

 つまり、公式寵姫の巣なんですよ、プチ・トリアノンて。

 淫靡と退廃の空気が染みついててもおかしかないと思うの。


 そんなもんを、リサイクルで王妃のあたしに送るのもどうかと思うが。

 ルイくんだからなぁ。そのへんの機微がわからなくてもしかたがないか。あの人間関係壊滅的な朴念仁ぶりは……。

 溜息を押し殺して、あたしは丁重にお礼をした。もらえるものはありがたくいただきますとも。ええ。

 だって拒否する方がよっぽど問題になるんだもん!

 

 そんな曰く付きの離宮ではあったけれども、プチ・トリアノン自体は存外快適な空間だった。

 離宮と言うだけあって、ヴェルサイユ宮殿本体からはちょっと離れているんだけど、それがかえってありがたい。

 なにせ、比較的悪臭が酷くないんですもの。現世の実家レベルかもしれない。


 ヴェルサイユ宮殿にトイレが少ないってのは前世でも有名な話だが、じゃあどうするかというと、居室におまるを持ち込むか、庭園で立ちションですよ立ちション。下水道なにそれの世界。

ヴェルサイユ全体が、公衆トイレに香水をぶち撒けたような状態になるのもむべなるかな。

 そんな中でも、食事を平然とできるくらい慣れちゃったあたしも相当な末期ですが……。

 だけど、プチ・トリアノンは比較的人が少ない。それだけでも清潔な感じがする上に、あたしの好きな英国式庭園はちょっとだけ遠いので、宮殿の広間を使った舞踏会などでも立ちション被害に遭いづらいんである。

 

 なお、悪臭が『比較的マシ』、であって、『皆無』ではないのは、プチ・トリアノンではいろいろ動物を飼っていたからだ。

 なぜかというと、これまた病弱だったポンパドゥール夫人仕様ということらしい。

 滋養のある動物性タンパク質――なかでも、新鮮な乳製品をたっぷり提供できるようにということらしく、それはそれは立派な酪農小屋などもあったりする。

 これはあたしには嬉しいことだった。

 なに、現世の実家の夏のお(シェーンブルン)うち(宮殿)でも、動物園ぐらいはあったのだ。動物の臭いには多少慣れてる。臭いと思うことも、まあ、ないわけじゃないけど、人間のそれよりはるかにマシだ。

 前世でしか味わえなかった冷たい牛乳――煮沸消毒したものを、井戸に吊して冷やすという手間のかかった逸品だ――をごくごく飲めるなんて贅沢ができることを考えれば、まあまあしょうがないことでしょうよ。


 もちろん、あたしはプチ・トリアノンにべったり入り浸ってたわけでもない。

 現世の実家でもそうだったけど、この時代の宮廷って季節とともに移動するのよ。夏にはあのコンピエーニュ、秋にはフォンテーヌブローにそれぞれ六週間滞在するのだけど、宮廷機能どころか全省庁も宮廷に従って移動するというね。『大旅行』と呼ばれるだけのことはある。そのほかにもパリのラ・ミュエットなどにもちょくちょく移動したりしていたのだが、8月の末だったろうか、いくら戴冠式はまだとはいえ、そうそう舐められていてはいかんというわけか、ルイくんは人事権を大きく動かした。

 モールパ伯おじいちゃんと協議してのこととはいえ、自由主義者だというテュルゴという人物を財務総監に就任させたのだ。


 一応ルイくんの心情を思えば、ぬらりくらりと利権にしがみつく貴族に任せてたら、この国は赤字に沈むって認識もあったんだと思う。

 だっていろいろ調べてたら、義祖父陛下の在世だけでも、三回ぐらい戦争をやらかしてたせいか、五回くらいデフォルト(債務不履行)に陥ってたんですもの。

 この国が。

 ……ひょっとして、ポーランド分割に義祖父陛下が素知らぬ顔をしてたのって、戦費のあてがなかった、とかそういう理由もあったんじゃなかろうか。

 ま、いまさらの推測ですが。


 どうせ改革をするならば、早いほうがいいという判断も、間違いじゃないと思う。

 だけど、急ハンドルって事故のもとなんですよ。トラックやダンプ程度ですらそうなのだ。国の進路なんてものは、主権者全員が、それこそ今それをしなければ国そのものがなくなるレベルの切迫感を共有でもしてない限り、急旋回なんて難しいと思う。

 だけどその危機感を共有することなく、チュルゴは、というかルイくんは、大鉈を振るった。9月に穀物の国内流通完全自由化を命じる王令を発布したのだ。

 チュルゴが着任して二週間経つか立たないかという、超早業である。

 

 あたしは政治向きの話にはほとんど触れられない。だからチュルゴにも直接会ったことはないのだが、この動きからして、よほど自分の手腕に(たの)むところのある人なんだろうなと思った。

 彼にしてば、取り立ててくれたルイくんに、自分の能力を見せつけたいという思惑もあったんだろう。

 一方、啓蒙思想にも造詣が深いルイくんは、国家財政の健全化と経済活動の活性化のため、既得権益を抱え込むさまざまな組織と衝突することを、最初から覚悟していたんじゃないかと思う。

 ならばそのルイくんが、価格統制撤廃して自由取引にすれば適正価格は維持できる!と思って、チュルゴの政策を支持したんだろうな、という推測もできる。

 だけど6月ぐらい、刈り入れが始まった頃から、髪粉に使う小麦粉が値上がりしてきてるって、あたしのところにまで聞こえてくるくらいの大凶作だったのだよ。

 そして8月末に刈り入れが完全に終わっても、その悲報が覆ることはなかった。


 まったく、これだから机の上しか知らん連中は……!

 いや、じゃああたしが何を知ってるのか、と聞かれたら、知ってることしか知らない、何も知らないということしか知っていない、としか答えられませんけどさ!


 それでも、噂一つで買い占め騒ぎが起こるのは知ってる。買い占め騒ぎが発生したとたん、必需品のストックが底を突くってことは知ってる。たとえ供給量に変わりはなくても、一度品薄になったら、そこからもとの状態に戻るのに時間がかかることも、かろうじて手に入ったとしても、それがとんでもなくばかげた高値になるってことも知ってるんですよ。

 しかも穀物は代替可能なただの消耗品じゃない。必要不可欠な食糧である。

 投機筋が小麦を買いあさり、価格は高騰。国内は大混乱になった。

 

 しかし、それにもかかわらず、というべきか。ルイくんたちは矢継ぎ早に政策に手を出した。

 旧態然とし、いろいろ腐敗もしてたし不都合もあったとはいえ、これまで機能していた社会組織に片っ端から噛みついたといってもいい。

 あたしが知ってるだけでも親方制度や宣誓ギルド(同業組合)を廃止するとか。地方関税を廃止するとか。


 ……まあ、このあたりのことは、織田信長の楽市楽座に通じるものがあるのかもしれないよ。それは。

 だけどねえ、身分特権の廃止とか。そりゃその特権を享受してきた階級の人間が猛反発しないわけがないでしょうが。

 それを黙らせるにはよほどの強権か、あるいは蛮勇が必要だろう。

 少なくとも、反意を示したら何をされるかわからない、ぐらいの恐怖を相手に与え、あるいはいざというとき、その恐怖を現実のものとするだけの残酷さも持ち合わせていなければ、不満を言う口が閉じるわけもない。


 だけど、絶対王政下における君主というより、啓蒙君主、あるいは立憲国家を目指す君主として、それはルイくんには選べない方法だった。

 だってそれは国のすべてを掌握し、抑圧する専制君主として振る舞うことであり、啓蒙君主とは真逆の姿だからだ。

 立憲君主制というのは一般市民が主権者となるものだ。だからやがてそのようになるべき市民を――それまでの特権階級だけでなく、平民たちもまた既得権益を貪る者たちであると知りながらも、そこにはルイくんは手を触れることもできなかったのだ。


 あ、宮廷費削減には賛成しましたよあたしは。国家財政が破綻寸前なんですから、赤字をどうにか解消しなきゃなんないってのも理解できるし。

 プチ・トリアノンもらった人間がどの口で言うと言われそうだけど、最初から言ってるでしょ!あたしは離宮欲しいともくれとも作れとも言ってないって!


 そんなあたしを、さらに追い詰めるような慶事があった。

 12月にルイくんの弟二号、アルトワ伯の奥さん、マリー・テレーズちゃんが妊娠したと発表されたのだった。


 アルトワ伯とマリー・テレーズちゃんが結婚したのは去年の話だ。いやその2年前にルイくんの弟一号、プロヴァンス伯とマリー・テレーズちゃんのお姉さん、マリー・ジョゼフィーヌちゃんが結婚してて、そっちの方はまだ音沙汰がない。

 だけど、それを言ったら、フランス王国王子現在生存三兄弟のなかで結婚歴が一番長いのは、約5年近く前に結婚した、このあたしとルイくんということになる。


 喜びの声は翻ってあたしをそしるものとなった。

 その中には男遊びが激しすぎるから、あたしが不妊なのに違いない、なんてひどいものもあったのだ。

 あほかと言いたい。今もって清い仲のルイくんとあたしの間に、いったい何ができるっちゅーんじゃい。できたらホラーだっての。

 だけどそれはいくら事実でも、誰にも愚痴にすらできないことだった。


 年が明け、4月になると、とうとう穀物の備蓄が尽きた。

 ルイくんたちは懸命に押さえ込もうとしていたが、ヴェルサイユやパリだけでなく、トロワ、ディジョン、サンリスなど各地に食糧暴動が発生した。

 誰言うとなく小麦粉戦争と呼ばれるようになったが、それはつくづく正しいと思う。なにせ宮殿にまで群衆が押し寄せ、ルイくんがバルコニーに立ってとはいえ、群衆の前に直接身をさらして騒動を収めたりもしたのだ。

 あたしも髪粉は可能な限り少量に抑えさせ、朝食のパンは一つどころか半分しか食べないようになった。残りのパン、いや料理その他のおこぼれはすべてヴェルサイユ宮殿の侍女や女官、そして使用人たちのものになるからだ。

 間違っても、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」なんて、誰が言うか。

けれどそれも焼け石に水。


 ルイくんの先見の明も届かず、パルマンティエのジャガイモはまだ食糧としての実用化には至っていなかった。

 そこであたしはルイくんに、以前から打診していたとおり、プチ・トリアノンの庭園を一部パルマンティエに使わせる許可を貰った。

 たとえ欲しいとは思ってなかったほぼイヤゲモノだとしても、リソースとして使えるならば使わせてもらおうじゃないの、プチ・トリアノン。


 ルイくんはあっさり頷いた。あれは次から次へ噴出する政治問題でぐるぐるしすぎて頭が働いてなかったんじゃないかとも思うけど、それはまあいい。確かに、餓えが引き起こしたパニックというのは大急ぎで抑えなければならないことだ。


 その一方で、あたしはあたしのできることをすることにした。いろいろなことに手を尽くしたが、特に力を入れたのは情報収集だ。

 小麦が凶作。これはどうしようもない。だけど小麦以外の穀物ならどうにか手に入らないかと思ったわけだ。

 そしたらびっくりですよ。

 インドをがっつり経済的にも軍事的にも支配下に置いているイギリスには、最近になってクミンやターメリックなどのスパイスと米が輸入されてるんだとか。

 しかも、それを使った料理がインド風ということで、イギリス王室で大人気になってるとか。

 ……つまり、それって。


 カレーライスやないかーい!


 思わずちょっと分けて!と言いたくなってしまうところだが、なにせイギリスはフランスとめたくそ仲が悪いのだ。紅茶すらろくにフランス国内には入ってこないのに、ましてやスパイスや米なぞという希少品が入ってくるわけもない。

 分けてくれるどころか、売ってくれる可能性も、皆無に近いというべきだろう。


 よくある内政チートだったら、たぶん流通とか入手のコスト、苦労ってあたりはそんなに描かれないところなんだろう。どっちかというと主人公視点で、種を蒔いて育ててってところに重点が置かれやすいのは、お話の展開上わからなくもないんだけどさぁ。入手そのものがほぼ不可能というのはねー……。

 しょうがないのはわかってますとも。

 ああ、でも、食べたかった……。煮とけたジャガイモでしっかりとろみのついたどろどろカレー……。


 あたしが激しくがっくりし、国内の騒乱も落ち着かぬままの6月。

 あたしたちはランスへ移動した。大聖堂でルイくんの戴冠式が行われるためだ。

 なお、あたしは、王妃として戴冠式に参加……したわけじゃない。あくまでも戴冠式ってのは国王のものなんですよ。

 王妃も列席して冠をかぶせられるようなイメージがあったのは、どうも前世でナポレオン・ボナパルトの戴冠式の絵を見ていたせいのようだ。

 あくまでも国王の配偶者、ルイくんのおまけであるあたしは、二階の桟敷席から白貂の毛皮で裏打ちされた、豪奢な王のマントに身を包んで大司教の前に跪くルイくんの姿を、観客の一人として見守っていることしかできなかった。


 だけど、すでにその時、ルイくんは王冠の重みにうんざりしていたのだろう。

 ようやく公的にフランス国王として即位を宣言し、あたしの尊称も王太子妃(ドーファヌ)から王妃(レーヌ)に広く周知されるようになってまもなく、ルイくんは自分の名前を変えた。

 ルイくんは、『ルイ・オーギュスト』という自分の名前から『尊厳ある者(オーギュスト)』という言葉を抜き去り、ただのルイになってしまったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ