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マリーとよばれて  作者: 輪形月


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13/39

ド・フランスじゃねーよ!(1774年 その2)

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 パリで夜更かししたあたしの朝は遅い。といっても相変わらずあたしは清廉潔白ですよ。ノワイユ伯爵夫人あたりには溜息つかれるけど、ルイくんとの間柄ぐらい潔白ですから。

 なのに現世のお母さま(マリア・テレジア)ってば、誰から聞いたか知らないけれども、「私の娘は自分の破滅を早めずにはいられないのです」というお怒りの手紙を送ってくるのよ。

 あたしはその破滅から逃げるために、いろいろ頭を悩ませてるんですけど!


 ……まあ、オペラ座にしょっちゅう行くようになってから、あたしの噂がさらにひどいものになっていたのは知ってますとも。

 針小棒大レベルに、噂に尾ひれ背びれ胸びれつけて放流してるのは、どうやら三婆さまだけではないらしい。

 あたしの掴んだところでは、デュ・バリー夫人とプロヴァンス伯(ルイくんの弟1号)も怪しい。

 てゆーかさ。政敵ともいえるデュ・バリー夫人があたしを敵対視するのはわかる。それが嫌だから、あたしはとっとと声かけしたんだし。

 なのに、プロヴァンス伯まであたしをおとしめにかかるってどうよ。自分のお兄さんの評判まで下がると思わないわけ?


 一方、あたしの悪評に対するカウンター策は、なかなか功を奏さなかった。

 たしかに貴族階級ではない人との面識はできたけれども、彼らはなかなか利用しようと思っても難しい相手だった。

 享楽的な話題なら喜んで乗ってくるくせに、ちょっと真面目な話をしようとすると、ぬらりくらりと言質を取らせないように、必ず退却路を開けておくんだもん。宮廷とはまた違う伏魔殿ですよここは。


 ならばと、メディア掌握はいったん置いて、あたしの評判自体を上げようといろいろ考えてはみたのよ。

 異世界もので一番手っ取り早いのが、教会への献金とか、孤児院での奉仕活動だろう。

 だけど女官たちに奉仕活動の話を振ってみたら、血相変えて止められてしまった。

 まあ、そりゃ、女官たちにしてみれば、王太子妃が下々の者に奉仕するとか何考えてんの、だろうねえ。

 女官と言ってもあたしに仕えてくれてるのは、めっちゃ高貴な人ばかり。王女や公爵夫人がごろごろしてんですもん、伯爵夫人以上でなければ下っ端の侍女扱いじゃないかな。

 それが、あたしが孤児院視察したいとか言ったらついてくるをえない面々というね。

 やがるわ、それは。


 なお、慰問先としては孤児院だけではなく、病院というのも検討はした。

 だけど病気の原因は瘴気であるというのが、この時代の定説なのだ。臭いの届かない距離に離れりゃ事足れりとする衛生感覚で運営されてる病院とか、危険すぎるでしょうが。下手に入り込んで感染症になりにでもしたらと思うと、ちょっと二の足を踏む。

 ついでにいうなら、百年ほど前にいたとかいう侯爵夫人が、自分の作った毒の人体実験のために、パリで病院を慰問&患者を毒殺しまくってたって事件もあったので、そういう意味でもちょっとねーですよ。

 王太子妃が慰問に訪れた直後、死亡者が出た!毒殺魔の再来か!とか、例のないことないこと撒き散らすマイナスの宣伝官がなんと書き立ててくるかわかりゃしない。

 人が絶対に亡くならない病院なんてないんですもの。


 いちばん無難なのが教会への献金。しかし不公平があっちゃいけず、しかも王太子妃としての対面を保つくらいの金額をっていうと、教会の数、掛けるその金額となる。

 あたしの衣装代が消し飛んでもおつりがくるレベルとか。やってらんねーわ。


 おまけにルイくんはというと、「言わせておきなさい」だもんなあ。寛容にしてもほどがあるって思うんだけど。


 そう、悪評はあたしにだけ立っているのではない。

 ルイくんの方が面子をつぶされてるという意味では、ひどいかもしれない。

 なにせあたしとルイくんの結婚は、政略というより外交戦略である。(ねや)事情だってそれに含まれるので、やれあっちの大使が侍女を籠絡した、こっちの外交官が寝室係にシーツを確認させた、ということはしょっちゅうなのだ。

 結果、ルイくんが()()()()だという悪評は、パリ市民の()れ歌にすらなっている。


 ルイくんだってそれを気にしてないわけがない。ことはハプスブルグ皇帝家とフランス王室との関係にも及ぶのだから。

 なので、時々あたしに覆い被さってくることもあるのだが、途中でまたもそもそと戻っていくというね……。

 かわいそうだし、当人のプライドだっていたく傷ついていると思うんだけど、それでも「言わせておきなさい」と言えるというのは、自分の体面を気にしない大人物だと言えるかもしれない。


 鷹揚なルイくんに感謝しつつ、あたしのパリ通いは続いていたが、1月のいつごろだったろうか、ある仮面舞踏会で、ものすごいめんどくさいものに出くわしてしまった。

 やたらと積極的に寄ってきたのは、なかなかの美青年でしたよ。それは。

 情熱的に来られて悪い気はしません。でも、むこうも貴族らしいがこっちは王太子妃ですよ。火遊びなんかやってられるかばーか、ってんで、仮面がずれてしまったのを機にその場は逃げ出した。

 だけど、その後宮廷で出くわしちゃったのには、まいった。


 美青年さんは確かに貴族でしたとも。ただし、外国の。

 彼はハンス・アクセル・フォン・フェルセンという、スウェーデンの名門貴族、フェルセン侯爵のお子さんだった。

 お父さんのフェルセン侯も、かつてフランスの王立スウェーデン人連隊という、言ってみれば外国人部隊みたいなところに所属していたこともあるという、かなりフランスとの結びつきの強い人らしい。それもあってか、侯子もフランス語がとても堪能だ。


 グランド・ツアー中フランスに来たという彼は、あたしがオペラ座で出くわす前から、宮廷に出入りしていたらしい。あちこちの社交場に顔を出してたようだ。

 推測や伝聞なのは、王太子妃のあたしが出られるような場所って、めっちゃ限られてるからなんですよ。おかげで名前はなんとなく聞いてたけど、直接話をしたのは仮面舞踏会が初めてというね。


 正式に身分を明かした宮廷では、彼はなんというか、貴族や軍人というより騎士だった。それも、ロマンス小説か何かに出てくるような、中世の騎士道に生きる騎士。節度ある行動は好意的に受け入れられていた。

 それはいいんだけど、なにゆえ貴婦人への奉仕を、こともあろうにあたしに向けようとする。


 貴族は視線すら韜晦(とうかい)してみせて当然だ。だのに侯子はやたらと熱のこもった視線を向けてくるのだ。それもけっこうあからさまに。

 これが物理的な熱だったら、あたしはじわじわ遠赤外線で焼かれた魚みたいに、おなかの中まで丸焼きになってたかもしんない。

 それがさらっとゴシップ扱いされて、まだ清い仲のあたしとルイくんのことまで、ついでにけなされるとか、もうね。

 既婚者なんですけど!というのは断る理由にならないんだよね。もともと恋愛ってーのは既婚者がするものだから。

 なので、問題は一線を越えるか越えないか。

 あたし?もちろん越えませんとも。ずぇーったいに!

 確かに侯子はいかにもな美丈夫だけども!軍服とか、制服フェチにぶっ刺さるけれども!


 あたしの取り巻きに食い込んできて、距離を詰めようとするフェルセン侯子とあたしのひそかな攻防は数ヶ月続き、その日は突然やってきた。

 義祖父陛下がお倒れになったのだ。


 いっしょに小トリアノン宮で朝食を摂っていた義祖父陛下が不調だというので、一緒に狩りができなかったときには、たいしたことはないと思ったとルイくんは言った。

 だけど、その翌日に赤い斑点が陛下の顔に表れたことで、義祖父陛下が罹ったのが天然痘だと判明したとたん、ヴェルサイユは大騒ぎになった。


 天然痘はおそろしい病気だ。

 前日まで元気だったのに、病状が現れたら、もう遅い。

 おまけに、感染力もかなり高い。

 嫁入り先が順送りにされ、ほんとはカロリーナ姉さまが嫁ぐはずだったフランスへあたしが嫁ぐことになったのも、カロリーナ姉さまの上のヨーゼファ姉さまが天然痘に罹り、シェーンブルク宮殿(夏のおうち)で亡くなったことに遠因がある。


 ルイくんは隔離された。あたしもだ。万が一にもルイくんまで天然痘に罹り、国王と王太子の両方を一度に亡くす羽目にならないためだ。

 かわりにふんぞり返るような勢いで義祖父陛下の枕頭に侍ったのは、デュ・バリー夫人と三婆さまたちだった。

 彼女たちだって、感染すれば命の危険はある。

 だけどそれが許可されたのは、三婆さまたちが感染し、うっかりお亡くなりになっても、比較的政治的な問題にはなりにくい、ということなのだろう。

 そもそも、デュ・バリー夫人たちが持つ権力の源は、義祖父陛下が国王であることに由来している。ならば万が一にでも命を取り留めることを願い、権勢欲に裏打ちされた愛をふりかざし、大げさに献身的な看護をし、盛大に嘆き騒ぎ立てる方がパフォーマンスとしても有効なわけで。


 女官たちが噂話に聞き込んできたもんね。泣きわめく声が遠くまで聞こえますって。

 そんな状況で病人が安静にできたかは知らないが、それは陛下の自業自得かもしんない。

 なにせ、義祖父陛下による三婆さまたちの扱いって、けっこうひどかったから。

 三十過ぎた実の娘に ロック(ボロぞうきん)とか、コッシュ(雌豚)グラーユ(カラス)なんてあだ名をつけて呼ぶってあたり、どうかしてると思うの。

 ……ひょっとして、病人の気など欠片も休まりそうにない大騒ぎって、三婆さまの仕返し、だったりして……。


 典医による治療が手を尽くして行われたようだが、基本この時代における病気の治療法は瀉血(しゃけつ)メインなんである。それで良くなる方が珍しいというものだ。

 結果、義祖父陛下の病状はどんどん悪化した。

 あたしは直接嗅ぐことはなかったけど――この時代の病因って、何度も言うけど病原菌やウィルスじゃないからね。瘴気、つまり濁って臭い、悪い空気なので、そんなもんを吸い込んで匂いがわかるような距離にまで近づけるわけがない――かつて美王と呼ばれたその容貌は、膿疱に覆われ、膨れあがり黒ずみ、原型など跡形もなくなり、悪臭を放つようになったという。

 本人は自分の臭いに気づいたろうか。鼻すら溶け崩れてその形を失っていたというけれど。

 そして、デュ・バリー夫人は、ヴェルサイユを離れるように命じられた。


 あたしの実家もフランス王室も、同じ宗教、同じ宗派だ。そこでは、婚姻は神の祝福を得るための儀式でもある。

 だけど、これ、配偶者が死んでも守られなければならないもので、婚姻した相手以外と夜をともにすることは宗教上の罪となる。

 フランス宮廷の考え方としては鼻で笑い飛ばしそうな話だが、原理原則はそうなのだ。

 そのため、義祖父陛下に死の告解と聖体拝領を、デュ・バリー夫人――愛人という神の教えに背く存在を、近くに置いたまま行うことを、聖職者は拒んだ。


 死の間際に神の救いを求めた陛下は、あっさり屈した。

 マリー・レクザンスカ――平民楽師であるモーツァルトが陪席した晩餐会で、彼に料理を取り分けてやったりしたという、ルイくんのおばあさまだ――と結婚する前もした後も、そして妻が死んだ後も、女漁りを続けていた、その陛下がだ。

 止むことを知らぬ漁色のゆえに、自分は罪人であるという言い訳で、ロイヤルタッチを止めた陛下がだ。


 権威あるものがさらなる権威づけのために、他からも権威を借りてくるのはよくあることだが、絶対王政も宗教から権威を借りている。それが王権神授説だ。

 王もまた、神の代理人である教皇同様に、神から与えられた神聖不可侵な権限を持っているという考え方である。

 神聖な力を持つ国王ならば、病を癒やす奇跡を起こすことができる。それがロイヤルタッチといわれる儀式なのだが。

 神聖不可侵の権限すら放り捨ててまで、色欲のまま生きてきた義祖父陛下は、死の床でデュ・バリー夫人を切り捨てたのだった。


 義祖父陛下、ルイ15世につけられた二つ名は「最愛王」という。5歳で即位した少年王はそのかわいさで国内人気はうなぎ登り、長じてはその地位と美しい外見で艶聞は絶えることがなかったそうだ。

 けれど、義祖父陛下は自分の歳を忘れさせてくれると、あれだけ溺愛していたデュ・バリー夫人さえ、あっさりと捨てた。

 畢竟、彼女も歴代寵姫(メトレス)の一人に過ぎず、ルイ15世が最も愛していたのは自分自身だった、ということなのだろう。


 しかし、デュ・バリー夫人がヴェルサイユを去って一週間。

秘蹟の甲斐もなく、国王崩御の知らせが、あたしとルイくんのもとに届けられた。


 知らせを受けたあたしとルイくんは、互いにすがりついた。抱き合うなんてものじゃない。溺れる者が何かしがみつくものを求めるのと同じようなものだ。

 ルイくんは震えながら泣いていた。あたしもだ。

 

「神よ……!私たちをお守りください、私たちは国を統治するにはまだ若すぎます。まだ何一つ教わっていないのです……」


 ルイくんの祈りの言葉は、恐怖に満ち満ちていた。


四年だ。三婆さまたちには子どもができないと責められているが、あたしがフランスへ嫁いできて、まだ四年しか経っていない。

 ルイくんだって、まだ十九才なのだ。それも、頼れるべきお父さまも亡くして、まだ十年も経っていない。

 だのに――一つの国が、音を立ててまるごとあたしたちの上にのしかかってくる。国民の命もだ。

 ギロチンよりもまだ恐ろしいものがあるのだと、あたしが悟った瞬間だった。


 ああ、生涯王太子とその妃でいられた、ルイくんのお父さまとお母さまが羨ましい。

 彼らはずっと義祖父陛下に庇護され続け、数字ではない国民の姿、汗と埃と香水の匂いをふんぷんとさせた人間の姿で重責がせまってくるような、こんな怖さを感じることなく、その一生を終えることができたのだから。

 いっそのこと、あたしやルイくんにも天然痘が感染(うつ)ってくれないだろうかと、あたしはほとんど本気で願った。


 どうせ結末がすべてを失ってのギロチンしかないのなら、ここでマリー・アントワネットとしてこれ以上生きることを諦めたっていい。もともとあたしたちにはむいてないのだ、王族でいることが。

 それに天然痘のウィルスがこんなに近くにあるんだ、あたしやルイくんに感染したって不思議はないじゃないか。


 ――だから、どうか。

 ショタ神だろうが、いかにもな白髭おじいさんな神様でもいい。ぽんこつ駄女神だろうが、あたしの願いを十分叶えてくれさえするのならば、もうなんだってかまわない。

 どうせならこの瞬間、苦痛のないままさっくり殺してくれ。今ならまだ間に合う。誰も巻き込まずにすむ。

 神が拒否るなら悪魔だってかまやしない。


 あんなに真剣に祈ったことは、現世でも前世でも覚えがない。

 だけど、稲妻はあたしたちの上には降り注がず、大地が割れてあたしたちを飲み込むこともなかった。


 神は死んだ。いや、もともと、この世界には神も仏もいなかったのだろう。魔法もないのだから。

 ましてやロイヤルタッチを国王自らやめてしまうほど、神聖性を抛擲してしまった王家に、奇跡など起きるわけもない。

 悪魔は……彼らがこの地上に現れるには早すぎたのだろうか。二百十年ほど。

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