ド・フランスじゃねーよ!(1772年)
本日も拙作をお読み戴きまして、ありがとうございます。
ようやく再開いたしました。
舞踏会の準備は朝から始まる。
寝室を出て――たいていあたしの目が覚める頃には、もうルイくんは大起床の儀を終えて、朝の狩りに出てしまっている――やれ洗顔だ入浴だと一通り済ませ、化粧台の前で化粧をしてもらっていると、ダーム・ダトゥールが衣裳の見本帳を持ってくる。
化粧室で下着の上に薄くて軽い化粧着一枚なぞという、ゆるゆるというにもしだらない格好でいる時間が長いのは、この衣裳決めのせいもあると思う。
ダーム・ダトゥールというのは、平たく言うとあたしの衣裳のすべてを取り仕切る権限を持つ女官のことだ。
女官といっても、ヴェルサイユに入ってから、去年の9月に向こうがお亡くなりになるまでずっとつきあってたのは、ヴィヤール公爵夫人という超高位の貴族女性だったりする。
最初にあたしにつけられた人たち同様、ルイくんのおばあさま、つまりルイ15世妃マリー・レクザンスカさまにもお仕えしたことがあるとか聞いたことがあるだけあって、まあ、がっちがちのフランス貴族の化石みたいなおばあちゃんでした。
その後任になったコッセ公爵夫人も似たようなもので、あたしが実家で似合うと言われた色合いを選ぶと、どこの田舎から出てきた芋娘だろうというような目つきで上から下までじろじろ眺め回し、挙げ句の果てにまったく違うものを持ってこられるというね。
そりゃ、こんなお仕えを日常茶飯事行住坐臥全般にわたって受けていれば、マリー・レクザンスカさまだっていろいろ心折れますがな。
晩餐会で平民のモーツァルトに食事を取り分けてやったり、ポンパドゥール夫人やらデュ・バリー夫人やらをあっさり受け入れたり。唯々諾々とドアマット扱いに従ってたのは、マリー・レクザンスカさまの度量が大きいからというよりも、その心を虚無が食い荒らしてしまっていたからじゃなかろうか。
しょうがないから、おとなしく着なさいといわれたものを着ながら、あたしはこっそり彼女たちを観察していた。
そして理解した。無駄に専門家としてのプライドが高い彼女たちは、頼られることに案外弱い。「どういうものがよいかしら?」と、その日の予定を確認しながら訊けば、それなりにちゃんとしたアドバイスはくれるのよ。
ただし、一世代は昔の流行にのっとった感じの。
格式だけは間違っちゃいないから、逆に始末に負えないというね。
片っ端から拒否するのも、自分の意見を出さずに全部受け入れるのも利口なやり方じゃない。
だから、あたしはこっそりおばあちゃんたちに反抗したりもした。
三婆さまたちが親切ごかしに、コルセットなんてつけなくてもいいじゃないのーと言ってきたことをそのまま伝えてみたり。
この時代のコルセットって、イメージ的には前世のブラぐらいの存在感がある。つまりつけないのって、ノーブラでうろうろしてるようなもんなんですよ。
なのに三婆さまたちはコルセットもつけず、タフタのスカーフで身を覆ってればわかりゃしないわよ、というわけだ。
いくらプランセスのお言葉とはいえ、全面的に賛同するわけにもいかず。かといって反対するのもさわりがある。フランス宮廷人としてどう反応していいやらと、いつもは王太子妃のあたしにさえ権高な物言いをするおばあちゃんたちのうろたえっぷりには、こっそりと溜飲を下げたもんである。
ちなみに、この三婆さまたちのコルセット取っちゃいなよ発言って、嫁いできた最初の頃から言われてることだったりする。
メルシー伯にまるっと話をした上で、衣装係の女官たちに伝えたからこそ、大ごとにならずにすんだというべきか。
おそらく三婆さまたちは、あたしがうかうか口車に乗せられて、公式行事にコルセットを着けずに出ていったら、みっともない格好をしていると騒ぎ立てて噂を盛り、悪評を流すつもりだったのだろう。そそのかしたことなんてありませんでしたー、って顔でしらばっくれて。
だけどその手にゃのりません。グラン・コールとかいう、一番格式の高いコルセットは夏だと苦しいだけじゃなくって、蒸れて汗疹もできたりする。けれどあたしはちゃんと身につけ続けた。
ただ、場合によっちゃあ肋骨折っちゃうこともあるほど身体に負担なのも確かなのですよ、コルセットって。
なので、日常的には着けるにしても、できるだけ柔らかくて小さなもの、それも短時間にできないかと、あたしはダーム・ダトゥールだけでなく、生活全般を取り仕切るノアイユ伯爵夫人とも条件闘争を繰り広げたりもしている。
彼女たちの反応を見ていると、お腹を冷やさないようにとへそまで隠れるデカパンを進められているのに、タンガやCストリングがいいのと主張しているような気分になるけど。
……さーって、今日も三回は着替えないといけないのか。ああやれやれ。
ギロチンの原因といえば貴族の贅沢、その最大のものが衣裳だと思われてそうだが、ぶっちゃけあたしは公式行事でもない限り、わりとカジュアルな格好をすることが多い。
そういや、前世の平安時代でも、主の女御とか中宮がルームウェア的な小袿姿とかでくつろいでても、出仕してる女官は十二単――お雛様の恰好ですよ、ばりばりの正装だ――で仕事してたらしいしなあ。
あたしもたとえ一年も前に作ったものであろうが、あんまり上質じゃなかろうが、柄がかわいいとかで、気に入ってるものを着てることが多い。絣っぽいシネ織りとかね。その一方で、回りはけっこうかっちり最上級の身なりだったりする。この温度差よ。
下手したら、あたしがふだん着ている服より、お金かかってんじゃないかしらん。
午後をまるまる使ってあたしは正装に着替えた。
今夜はバル・パレと呼ばれる、宮中の中でも最上級の格式の舞踏会だ。
なにが最上級かというと、宮廷でのエチケットがもっとも厳格に試されること、堅苦しさと楽しくなさがだと思うけど。
エスコートしてくれるのはもちろんルイくんで、踊る相手もそうだ。ちょっと格が下がっても、オルレアン公みたく何代か前の王弟の末裔、つまりは傍系の王族ぐらいしか許されない。
もっとも、さらにカジュアルな舞踏会でも、仮面舞踏会みたく身分を隠せる場でもない限り、あたしが踊れるのは、王弟の大公殿下や公爵閣下、下級貴族のふりをしてフランスに遊びに来ている外国の国王夫妻とか――たまにあるんですよそういうこと。知ってるけど誰も知らないふりをするというね――ぐらいなもんですよ。
ええ、異世界ファンタジーみたく、平民上がりの男爵令嬢あたりと王太子が踊るってことはないんですよ。公式寵姫ですら侯爵や伯爵夫人ぐらいの箔は必要ですから。
ばかでかいパニエとがちがちのコルセットでぎっちり固めた上に、最高級のグランダビを身につけるのだが、これがまたずっしりと重い。絹の重さって独特だ。
おまけに刺繍をみっちり施した靴は、細く先が尖っている上に、ヒールが高くて不安定。
髪型はというと、結髪師のラルズニュールが結い上げてくれた上に、もとの金髪の色がわからなくなるほど、たっぷりの髪粉をふりかけるというね。
って、この髪粉って小麦粉ですからー!
けっこう昔から銀髪が宮廷で好まれるようになったとかで、たいていのかつらも銀髪だというが、ヅラで間に合わせるのが暗黙の了解になりつつあるという男性がつくづく羨ましいと思うのは、こんな時だ。
仮面舞踏会でつけるマスクよりでかい覆いを顔に当てておいて、化粧着で髪粉専用の小部屋に入り、上から振るってもらってると、息は詰まるわ、咳は出てくるわ。挙げ句の果てに、自分からフライにでもなる準備をしてるような気までしてくるというね。注文が多すぎやせんですか料理店。
しんどい身支度を終えて、あたしは女官たちと移動した。
ようやくルイくんと今朝ぶりというか、寝台の上以来の顔合わせである。
ルイくんはしばらく表情の出ない目であたしをじーっと見ていたが、「美しい」とようやくぼそりと一言言った。
でもその一言が出てくるようになったのって、かなりの進歩だと思う。
「殿下もお召し物がつきづきしくていらっしゃいます」
だからあたしはにこりと返す。
実際、長身に恵まれたルイくんが、長い足を強調するようなキュロット――断じてかぼちゃぱんつではない!――の上に、全面に素晴らしい刺繍を施した上着とジレを重ね着し、斜めに煌びやかな綬をつけた姿はなかなかに見応えがあった。
ちなみに衣服の刺繍は男性物にしかしないものなので、あたしが着ているドレスの柄はほとんどが染めだったりする。
王太子とその妃として、あたしたちは作法にかなった挨拶の所作を優雅に行うと、軽やかに――もたつくルイくんを手助けしながら――踊り始めた。
そりゃもうたっぷり練習しましたとも。ハプスブルク皇帝家での練習以上に根を詰めたのは初めてかもしんない。
実家では踊るというと舞踏会でのダンスより、バレエに力を入れていたものだった。
だけど、その時もあたしが身につけていたのは、上半身こそぴっちりだけど下半身は足先すら自分でも見えないほどの釣り鐘型というか、半球体にしか見えないようなドレスだったりする。チュチュなんてもんは存在しない。
一緒に踊ったフェルディナント兄さまや、弟のマクシミリアンの衣裳は、足の形がぴっちりわかる、下半身だけは前世の男性バレエダンサーのそれに近いものだったんだけど。
ええ、この時代、美脚という言葉は男性にあるものであって、女性のものではないんです。
貴顕の羞恥心は、彼らの良心とか善良な魂と同じくらい、薄くて小さい。
だけど、ないわけじゃない。
デコルテがどばーんと開いて乳首まで見えそうなものになったのは、美乳を陛下に愛でられたという、かのポンパドゥール夫人が流行らせたからだというが。
あたしの前世感覚では痴女そのもののようなドレスをまとい、浴室へ男性の訪問客を通して会話したり、着替えを手伝わせたりするような現世の女性にだって、ここだけは絶対隠す、見せちゃいかんという部分があるのですよ。
それが、足だ。胸や股間じゃないんです。
女性の足を連想させるというので、ピアノの足にカバーがつけられたこともあったくらいに、女性の足は徹底的に隠される。女性が意図的に足を見せるのは、恋人ぐらいのものなのだ。
夫には見せること……あるのかなあ?
てゆーか、あれですよ。あの最っ低な初夜で着せられた、穴の開いた夜衣。
あれだって用のある部位だけ露出して、恥部である足を出さないでコトを行うために必要なものと考えると、まあ、機能的なのかもしれないですよね?
何が言いたいかというと、こういった舞踏会で足が見えるようなことというのは、あっちゃならないのだ。
転倒なんて言語道断、靴もまったく見えないのが最善。らしい。
だったらなぜ刺繍したと思うけど。そのせいで地厚になった靴の履き心地は最低だ。
だけど隠せば隠すほど、見たい嗅ぎたい(?)触りたいになるというのが、どうにも困った人間の性癖であるらしい。
靴先がほのかに見えるか見えないかがエロい、と言われてもねえ。そんなもんで興奮するなと思うし、仮にも王太子妃の面前で熱く語るなよと思うけど。
靴でそれなのだから、ましてや靴下なんてものは、まず他人には【見せられないよ!】なものなんですよ。
この時代ゴムなんてないから、靴下はずり落ちてこないようにリボンで止められている。これなんざ深い仲になった相手にしか見せられないおしゃれというわけだったんだろう。
そこから転じて、リボンは恋人への贈り物にもなった。今は舞踏会の格式が格式だから目立ちはしないが、恋の勲章としてリボンまみれの服を着てご満悦な男性は、宮廷の中でもけっこう見かけるらしい。
前世イメージに翻訳するなら、それって扇情的なランジェリーの一部を切り取ったモノを貼り付けまくった服を着ているようなものだという気がするんだけど。
もしくは、恋人のランジェリーを服の上から着こんで王宮内を闊歩しているようなものというか。
ま、王太子妃である以上、色恋沙汰には縁のないあたしにゃまーったく関係がありませんが。へんたいさんがいるー、とか。うわついとらんで仕事しろ!とか思うくらいで。
あたしは踊るのは好きだが、ぶっちゃけルイくんの踊りは下手だ。本人もそれを自覚してるのだが、価値が認められないから気が入らないせいもあると思う。寝台のなかで愚痴られたもの、くだらないって。
……まあ、ギーク気質のルイくんからすればそうでしょうね。
もともと彼がこういった場が人付き合いの次くらいに嫌いなのは、このダンスというやつが上達しても役に立つものではないと考えていることもあるのだろう。
でも、残念ながらルイくんは王太子で、あたしはその妃だ。
もちろん、フランス随一の踊り手といわれるほどになるまで、時間や労力をダンスの練習にぶっこむ必要はない。
だけど、ドへたくそではいられない。好感度稼ぎのためには、人並み以下じゃいかんのよ。好感度を自発的に稼いでいかないといけないという意味も、ルイくん的にはよくわかってないのかもしれないけど。
やらざるをえないことだけど、時間の無駄だというのなら、いずれもっと合理的なやり方をルイくんが考え出せばいいだけのこと。
婉曲的な言い回しでそう言ってあげたら、ルイくんは驚いたような目であたしを見た。彼が固まらないで、素の表情を出したのは、あれが初めてだったのかもしれない。
そんなルイくんをフォローしながらというのは正直大変だ。
義務として最低限を踊り終え、ほっとしたのは確かだ。周囲から見られるのも前世より慣れちゃいるが、こう、好意的なものがほとんどない感じを楽しめるほど、マゾでもそれを好意に塗り替えられるほど自信家でもないんだよねあたし。
公務としての社交に励むあいだも、ルイくんとの会話はほとんどなかった。
いや、仲が悪いんじゃないんだけどね。
ルイくんてば、気の利いた会話ができないたちだし、そして本人もそれを気にしてるからさらに口が重くなるという悪循環なのよ。
だったら相槌だけでもタイミングよく打てばいいのだが、それもできないというね。
そうとわかって、あたしは公的な場以外、特に寝室ではルイくんを無理に喋らせようとはしなくなった。
他の貴婦人のように、褒め言葉を陰に陽に強奪しようとしたり、レースがどうだの香水がなんちゃらとかそんなことを言わないだけなんですが。
だけど、それでルイくんは、少しずつ心を開いてくれてきたのかもしれない。
相変わらずの夜中の雑魚寝も、手を触れたりするくらいにはなったしね。
とはいえ。
正式な『初夜』というやつを、あたしはまだ経験してない。
いやでもさー。ルイくん、王太子なんですよ?
よくある異世界ものとかだと、王侯貴族の閨教育ってやつがあるんじゃね?と思っちゃうんですよ。実地含む。
それともそこだけは篤信的な、がっちがちの貞節保持ってやつですかね?不能かどうかってのは真っ先に確認すべきことだと思うんだけど。
乱倫としか見えないフランス宮廷の人間関係を見ていると、このへんが未だによくわからんとこだなーと思ってしまう。
それとも、不妊を女性側の問題にしてくれようって魂胆なのかしらん。
……あるかもな。
やりそうなのは、あたしがお嫌いな三婆さまがたあたりか。
オーストリアでは、お母さまが大の売春婦嫌いで、捕まえたら頭を丸坊主にした上に、国外追放ぐらい平気で行われていたらしい。
それが、嫁いでみればいきなり公式寵姫がいる上に、婚姻相手と恋愛しないで恋人連れ歩くのが常識なお国柄なんですもの。
そりゃあ、本物のマリー・アントワネットなら、デュ・バリー夫人のことは盛大に嫌って、三婆さまたちのいいように操られて振り回されてたでしょうね。マリー・アントワネットのマリオネットってか。
お前を操り人形にしてやろうかって言われても、だが断る一択ですがね。あたしは。
社交に励んでいると、きなくさい話が聞こえてきた。
戦火の絶えないポーランドは、今や列強の牙に食い裂かれつつあるとか。
だけど、それを聞いてもあたしにはどうしようもない。
いや、フランス国外のことも知らないではすまされない。メルシー伯もせっせと情報をくれるので、ある程度の事情は知ってる。
ポーランドがフランスの同盟国だってことも、だけどこのまま他国に食い散らかされるくらいなら、いっそその前に少しでも利権を手に入れとこうと、ヨーゼフお兄さまが画策してるってことも。同盟国を喰い荒らした一味として、フランスがハプスブルク皇帝家に敵意を抱くことをおそれ、お母さまがそれに反対の立場を取ってるらしいってことも。
とはいえ、今のあたしはフランス国内の調整に手一杯で、国外のことなど何ができるという状態だ。
それがわかっているからこそ、相変わらずお手紙をたくさんくださるお母さまも、何も書いてはこられないのだろう。
ナポリ王に嫁いだカロリーナ姉さまが、子をお産みになったことはお知らせくださっても、お兄さまとの意見が対立してるなんてことは、特に。
シャンパンタワーに使われるグラス――いわゆるシャンパングラスは、ポンパドゥール夫人の胸大好きだったルイ15世のために、夫人のお胸をかたどって作られたという俗説があったりなかったり。




