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私の休日について(夕刻)。

 そういえば、朝にチラッとアフタヌーンティーについて考えた。

 ティールーム、と言うのだろうか。

 カフェのような気軽さはなく、かと言ってレストラン程の格調高さでもなく。

 そんな感じのまたしても個室に通された。まぁ個室なら話もしやすいよね。

 てっきり王宮に連行されるのかと思った私は、少しだけ肩透かしを食らったような感じもしたが、個室というものの良い感じに大きめの窓があり、まだ陽が高いお陰で明かりも差し込んで開放感もある。

 窓に面しているのは中庭で、通りからの視線も遮られている。

 落ち着いて話すのにも最適。

 目の前に運び込まれるティースタンドを眺めながら、そんなことをつらつらと考えていた。

「初めてのオペラはどうだった?」

 ……殿下はまるで、私が立ち上がって詰め寄ってしまった後みたいな、とりなすような微笑みを浮かべてそう言った。

 私の顔には多分、逃げたいと書いてあったのだろうから、まずは話のとっかかりとして、ということだろうか。

 本当に、今世の殿下はよくわからない。

 今までの殿下は、ずっと黙っていたから、何を考えているのかまるで読めないまま、最後には私を殺す。

 おそらく嫌われていたのだろうなと、多分私が筆頭公爵家の人間だから、色々な柵で婚約から逃げ出せず、最終的にヒロインに救われて筆頭公爵家諸共破滅させるという強硬手段に出るしかなくなったのだろうと、そう思っていた。

 ただ今の殿下は、とってもよく喋る。それに、……気遣いも見せてくれる。だからよくわからない。

 いつでも人の言いなりに、その人が何を求めているかを考えて日本で生きてきた私にとって、その人が何を求めているかわからないと、結構やりにくい。

 ――本当に、嘘ばっかりだったからなぁ……私。

「忌憚のない意見を」

 付け足すみたいに殿下は微笑む。

 私も微笑む。

 まずは訊かれていることに答えよう。



「それにしても」

 またいつものように、楽しかった部分をほぼ一方的に語り聞かせてしまっている最中に、殿下に「紅茶はどう?」と促され、ハッとして冷めかかった紅茶に口をつけたところで。

「このオペラは本にはなってなかったと思うんだが……もしかして、どこかで読んだことあった?」

「いいえ。あの物語には初めて触れました。本になっていたら、是非読みたいです」

「もう覚えちゃってるのに?」 

 殿下が面白そうに問いかける。

「覚えている本でも、もう一度読みたいと思うことがあるんです。それを初めて読んだ時の感情を追体験したいのだと思います」

「なら、気に入ってくれた、と思って良い?」

「はい! もちろんですわ。……あの、私ばかり話して、退屈ではありませんでしたか」

「全然。家族と見にきたこともあるんだけれど、着眼点が違うから聞いていて楽しい」

「……あの、私、おかしいですか」

「違う! そういう意味じゃない!」

 ……やってしまった。感受性がおかしいのはわかってる。だから全肯定してくれる、この世界での家族と使用人とだけ見たいと、そう思っていた。

 思っていたんだ、殿下から、観劇に行かないかと手紙をもらった時に。

 でも、義弟の尻拭いをしなくちゃならないからと、オペラに誘ったのは私で、今日に至っては少しも考えなかった。

 殿下は人の感性を否定するような人じゃないと、……まともな人だから。それに、私のオタク語りをニコニコ聞いてくれる人だから。

 そういうふうに、殿下に対する私の考えはいつの間にかかなり変わっていた。

 私は相変わらず、ちょっとでも優しくされるとすぐコロっといってしまう。

 それで調子に乗って失敗する。いつものパターンだ。

「本当に違うんだ。僕は……君もわかってると思うけど、……心が狭いから」

 ……何を言ってるんだこの人は?

 私の義弟のやらかしをかなり大目に見てくれたのは誰? 私の使用人が話に割って入っても許してくれるのは?

 私のこの厄介な体質を、怒るんじゃなくて配慮すると言ってくれたのは?

 殿下の心が狭かったら、私の日前の両親なんて、狭過ぎてないけど? まぁ確かにあいつらに心があるとは信じられなかったから、心無い行いも散々してきたのでまさにその通りではあるんだけど、でもだからって逆は真じゃない。

「君が、……役者を少しでも褒めたら、嫌だなと、思って」

 ……役者。

 役者は私にとって、演じ手でしかないというか。演じ手を、褒めるというのは……

「あの、それは……歌や演技が上手かどうか、ということでしょうか?」

「あぁ、いや……うん、それも……あるんだけど」

「巧拙については私は……あまり口にしたくないんです。どうしても役者さんに対して失礼な気がしてしまって……その役者さんが演技に込められた意図を、受け取れていない可能性もありますし……」

「そっか……うん……その心掛けは、すごく立派だと思う」

 殿下がまた顔を覆って下を向いてしまった。

 だからなんで。

「あの、……他に何か、ありましたでしょうか」

「……消えたい」

「えっ」

 どういう意味? 情緒不安定すぎない? なんで?!

「ど、どうして、ですか? 私何か間違えました? 私が消えればご満足いただけますか?」

「なんでそうなる!?」

「だ、だって私はいつも……」

 邪魔者だから。

 そう口にしようとして、思いとどまる。護衛その2の押し殺し損ねた笑声が耳に入ったので。

「はー、笑った。殿下、悪いけど口挟ませてもらいますよ」

「良いよやだけど」

 ……なんか既視感あるな。

「ノートン、僕の前から茶器どけて。あと食べ物も」

 そうだ、王宮でのお茶の時。

 殿下が護衛その2に紅茶をかけようとして、私が間に飛び込もうとして、あわや大惨事だった。

 ……殿下は間違いを繰り返さない。まともなだけじゃなくて立派な人だ。

 私は何度も繰り返す。どうやったら殿下みたいになれるんだろう。

「失礼します」

 ノートンさんが、殿下の前のティーカップをソーサーごと下げて、メイドがサーブカートにティースタンドを回収する。

 ……そういえば、殿下が連れてきたっぽいこのメイドの人は、前のお茶会の時にもいた人だったりする?

「どうぞ」

「マリー様、殿下が言いたいのはですね、マリー様が役者に惚れないか心配だったってことですよ」

「――役者に惚れる?」

 思わず、鸚鵡返ししてしまった。

 殿下が更に下にめり込むように沈んだ。

 護衛その2がまた笑い出した。

「……ええと、あの、……それはこう……憧れる、という意味合いでよろしいでしょうか?」

「失礼致します。――僭越ながら、公爵令嬢におかれましては、『憧れる』という定義を、ご自分がなりたいものとされているかと存じますが」

 口を挟んだのはセキュアさん。ほぼいつも殿下と一緒にいるから、私の性格もよくご存知だ。

「……はい。なりたくてもなれないもの、だからこそ惹かれる。そんな意味合いで使っております」

 もう護衛その2に笑いを堪えるという気概は無くなったらしい。殿下はもう、テーブルを通り越して膝に顔を埋める勢いになっている。

 護衛その2はしばらくヒーヒー言った後、やっと笑いを収めてくれた。

「もうちょっと恋愛的な意味ですね」

「……ですがあの、役柄と役者さんご本人の性格は違いますよね?」

 ここへ来て、護衛その2の笑いの種類が苦笑に変わった。……バカにされたとまでは思わないものの、頑是ない子供に言い聞かせる大人のような。

「そこまで高尚な話じゃなくてですね。もうちょっと下世話な考え方できます?」

「公爵令嬢に向ける言葉ではないでしょう」

「いやだって、殿下があんまりにも可哀想でしょうよ。これ」

 そう言って護衛その2は、セキュアさんに見えるように殿下を指差した。

 殿下は手で顔を押さえたまま、膝にめり込んでいる。体柔らかくて良いなとか、場違いな感想が浮かぶ。そしてそのまま何やらぶつぶつ呟いている。異様な状態なのだが、小声過ぎて聞き取れないからなんと言っていいかわからない。

 一言で表すならカオス。

 セキュアさんは横に首を振った。

 なんかつける薬はない、みたいな感じで。

「まぁ性格はそりゃそうかもしれませんが、見た目がタイプとか声が好きとかあるでしょ?」

 ……なるほど。アイドルや俳優の、誰それがかっこいい、みたいな話は、日本でも散々聞いたし、なんだったかな。ガチ恋? とかいう言葉も聞いた。

「でしたら、私は以前も申し上げました通り、愛も恋もわかりませんので、ご心配は無用です」

「こういう顔が好み、的なのもないんですか?」

「……そうですね」

 女性の顔立ちなら、強めの顔立ちの美人が好きかもしれない。お母様もそうだし、私の好きな女性キャラは大抵そうだ。何より好きなラノベの主人公も、顔のパーツは可愛いよりだけど、表情は強気だから。

 ただ男性の顔立ちに関して言うと、整ってるな、と言う印象しか浮かばない。

 流石に学んだ。きっと聞かれてるのは男性の顔立ちについてのはず。

「私はいわゆる綺麗な顔を見慣れていますので、どなたを見ても失礼ながら特に何も感じないかと」

 この世界では生まれた時から美男美女しか周りにいなかったし。

「あぁ……まぁあいつを見てりゃ」

 苦笑しながら笑うあなたも美形ですけどね。

「っと、やべ」

 すごく小さく言った護衛その2は、殿下をチラッと見た。釣られて見ると、殿下の顔が上がりかけていたけど、なんか不穏な気配が。

「ちなみに殿下は?」

「え?」

「殿下も美形ですよね?」

「はい。もちろん」

 乙女ゲームの攻略対象はタイプは違えど美形しかいないと相場が決まっている。

「ですって。よかったですね、殿下」

「――言わせた感ありすぎなんだけど」

「またまた。嬉しいくせに」

「――っ嬉しいけどっ、なんか嫌だ」

「……言わされた形にはなったかもしれませんが、元からそう思っておりました、よ」

 殿下がガバッと顔を上げた。よかった、不穏な感じはない。

「本当に!?」

「え、……はぁ、勿論」

 なんか食いつきが良すぎて生返事みたいになってしまった。

「あの、……美形の方々に前からお尋ねしたかったことがあるのですが……」

 ついでと言ってはなんだけど。

「ご自分を鏡でご覧になって、美形だと判断できないものなのでしょうか?」

 殿下がきょとんとした。

 それがおかしかった。何回も……何周もしてるけど、初めて見た顔かもしれない。

「それともやはり、謙遜されているのであって、美形だとは思っている、のでしょうか」

「そいつは難しい質問ですね」

 答えてくれたのは護衛その2だった。

「自分の顔ってのはまぁ、見る時に結構主観が混じりますからね。それこそ、自分の好きな顔のタイプってのは自分の顔とは違うことが多いもんで。それに殿下が気になってるのは、マリー様から見てどう思うかですよ。マリー様の見方ってのは絵画を見る時に近いんじゃないかってあいつが言ってましたけど、こう言う顔立ちが好み、的なのは本当にないんですか? 例えば殿下と旦那様だと、どっちもかっこいいけどこっちの方が好き、とか」

 絵画的。なるほど。そう言われてみればそうかもしれない。どの画家のタッチが好きか、みたいな話だとすれば。

 いやでも、絵画にもあんまり興味のない私は、好きな絵のタッチ自体そもそもない。漫画に関してもストーリーが面白ければどんな絵柄でも読んだしな……

 そうだ、昔何かの競技の芸術性についての本に書いてあった、あの例えが近くてわかりやすいかもしれない。

「……あの、稚拙な例えで申し訳ないのですが」

「構いませんよ。純粋に興味あるんで話してもらっても?」

「はい。あの、例えば、果物とか……桃や梨やオレンジ、いろいろな果物がありますよね」

 護衛その2が頷く。大丈夫、伝わってますよ、と言ってくれてるみたいで安心する。

「その、桃の中で、この桃はあの桃よりも甘い、と言うのはあると思うんです。でも、桃と梨とオレンジと、どちらがより美味しいか、と言われると、私はちょっと難しいです。糖度で考えれば桃と梨は比較的高いと思いますが、かと言って、オレンジの美味しさは酸味とセットだからこそ感じられるものだと思いますし、品種によっては純粋に桃より糖度が高いものもあると思うんです。それを一列に並べて、どちらが一番か、と言われても、判断に困ります」

「……だから、僕と賢者殿を比べてどっちが好きかと言われても判断に困る?」

 ……殿下とお父様を比べての話だったはずでは?

 と思ってチラッと護衛その2を見ると、額を抑えて上を向いていた。

 助け舟は望めなさそう。

 人の顔貌を覚えにくく見分けるのも苦手な私に、そんな難題を突きつけられても困る。

 多分私が整ってるな、と思う顔は左右対称とか黄金比率とかだと思う。

 だから、その基準に沿っている顔ほど、私は見分けがつかなくなる。アイドル雑誌の顔がみんな同じに見えるというのはそういうことだと思う。

 だから基本的に美男美女揃いのこの世界では、私の見分け能力も一段と落ちる。

「……はい。比べようがないと言いますか……でもそれぞれ、とてもお綺麗だと思っていますし、どちらも本心です」

 美男美女だらけのこの世界でも、先生は確かに際立って綺麗だと思った。でも容色について語る場合、綺麗という選択肢だけではなく、かっこいいとか、可愛いとかも含まれるはずだろうし、それでいうなら殿下の顔立ちもそうだと思う。

 前に護衛その2が、殿下のことを愛くるしいと評していたが、その言葉通り、殿下はなんというか……いわゆる正統派アイドル顔、のような気がする。

 ただこれも、私はほとんどテレビを見ない生活をしていたから、整っていて可愛い寄りの顔立ちをなんとなくそう思っているのであって、世間一般でいうのとはまた違うかもしれないが、それでも美形であることに違いはない。


 殿下は苦笑した。眉を下げて笑う、困ったと言いたげな、だけど不機嫌ではなさそうな、そんな苦笑に見えた。

「わかった。今は……それで満足しておく」



 言葉通り殿下は気を持ち直してくれたようで、再びセッティングが行われ、お茶会は再開した。

「あの……では、その……妃殿下や王女殿下は、役者さんについてのご感想を?」

「そうなんだ。これは秘密なんだけど」

「はい」

 勿論他言しませんよ、と言外に含めて頷く。

「あの役者のどこそこが素敵だったとか、前の役者と比べてどうだったとか、そんな感想が多かったから。――勿論、公の場では口にしないけどね。その分、家族の前ではそういう話も多くて」

 殿下の話に、昔の……健全な家庭で育ったあの女の子を思い出す。家族をとても大切に思っているけれど、だからその分、時々こんなふうに愚痴も言って。でもそれすら愛情に溢れてる。

 聞いていて心が温かくなるからこう言う話は好きだ。

「僕がストーリーについて話すと、なんだかまだ子供だからみたいな顔で流されちゃって」

 わかる。すごくわかる。日前でアニメやドラマについて話している時(私は原作知識のみで語る)、誰が好き、みたいな話が多くて困った。ストーリーが好きで、と濁すと大抵同じ顔された。

「違う、君がそうと言ってるんじゃなくて!」

「大丈夫です。お気遣いなく」

「……気にしてない? 今のは純粋に僕のことだからね?」

「気にしておりませんわ」

 むしろもっとくれ。その家族の話。

「じゃあ……ほとんどのあらすじを知り尽くしてるっていうのもあるんだろうけど、そうなってくると、オペラなら歌手の、劇なら役者の話に終始してしまうんだ」

 家族のフォローが入った。そうか、まぁそういうこともあるか。あれかな、古典の漫画化や現代語訳は、結構訳者や漫画家によって表現が違うから、そういう部分を評価するってことかな。

「特に妃殿下にお気に入りの――勿論絶対公言はしないけどね、役者ができると、……僕には正直ついていけない話も多くなる」

 なるほど。特定の俳優やアイドルに入れ込んだ人の賛美が、ちょっとついていけないってことかな。

 あれはあれで、聞いてて私は楽しかったんだけど、殿下はそうでもないのか……。私は人が誰かを褒めてるのを聞くととても気分が良くなるので……これも共感力のなせる技だったのかもしれない。

 となると、私も一番好きなラノベについて話さなくて正解だったかもしれない。

 あの主人公に対しては多分、好きを通り越して尊敬よりも崇拝に近い念を抱いていた自覚がある。

「……だから、今日、純粋にオペラの感想を聞けて、嬉しかったんだ」

 はにかむような笑顔になった殿下に、私も微笑む。純粋に楽しかった。オペラも、その後も。

「私も嬉しいです。……本当に、願いを叶えていただき、ありがとうございました」

「――ぁ……、いや……婚約者らしいことが、初めてできて、……その……ありがとう」

 笑ってしまった。

「殿下が御礼を仰るのは変ですわ」

「んんっ、……そ、そうかな?」

「……不出来な私に合わせてくださって、感謝しております」

「いや、……急だったのに、ありがとう」

「いいえ。御礼を言うのはこちらの方です」

 私が……殿下の好きな顔をもつ公爵令嬢の中身が、私じゃなければ、話は簡単だった。

 きっと殿下にすぐ恋をして、……今日みたいな日々もたくさんたくさんあっただろう。

 王宮で何度もお茶をして。たまの休日にはこうやって観劇でもして。

 ……あぁ、でもだからこそきっと、それを奪われた悪役令嬢として、ヒロインを虐め抜いて非業の死を遂げる。

 私なんかにここまで合わせてくれる殿下はきっと、本当に理想の王子様だ。それを奪われたらきっと、心が折れてしまう。

 私みたいに初めからヒロインを好きになると分かりきっているならまだしも、きっと未来を信じて努力してきた小さな女の子は、こうして優しかった殿下との思い出をたくさんたくさん持っているのだろう女の子は、きっと私よりずっともっと苦しくて傷ついて、……未来にあるのは、死だけ。

 ちょっとわかる。頭でと言うよりも、心でもちょっとわかるようになってきた。

 優しさは時に凶器だ。奪われた時に人を傷つける。

 その優しさが取り戻せないと知った時、絶望して、人は死を選ぶ。

 公爵令嬢として生きてきた女の子に、自殺の機会なんてない。

 ペーパーナイフですら手にすることはできず、飛び降りようにも護衛がついていて、食事を絶つことも、きっと難しい。

 私よりもきっと責任感があって、優しい女の子だったら、メイドや料理長に申し訳ないだろうから、その手段は選べない。

 取れる手立ては断罪される道だけ。

 うつ病の罹患歴を持つ私にはわかる。

 何故かより最悪な道を、たった一つの方法だと信じ込んでしまう、あの視野の狭さ。

 そうやって追い詰められて、取り戻せないとわかっている殿下の優しさを、わかっているからこそ、どうか幸せになってねと断罪を選んだのかもしれない。

 この元々の女の子は、きっととても優しくて、愛情深くて、まっすぐ殿下を好きだった。


 人の愛情だけはどうにもならないんだ。好きになる人を選べなくて、好かれる人を選ぶこともできない。


 私は知ってる。知ってる上に物心ついた時から実体験として納得もしてる。

 その私ですら、愚痴りたくなる日々もあるんだから、二十歳にもみたない子供に、納得しろなんて無理があるよ。


 だからきっと、恋愛絡みで自殺する人も大勢いたんだ。

 他人事だったけれど、ちょっとわかるようになってきた。言葉や知識としてだけじゃなく。



 帰りの馬車の中でも、オペラの話をたくさんした。

 楽しかった。本当に。

 たまたま、馬車の刻む車輪の音のリズムと、私にとっては覚えたての新しい、殿下は何度も見て聞いて覚えてしまった馴染みの歌のリズムが同じな気がすると私が言って、二人してハミングのような小声で歌って、「ほんとだ」なんて笑い合った。

 気づいたら二人とも前のめりになっていて、驚いて姿勢を戻して、なんてことが何回かあって、怖かったはずのそれに、なんだか笑ってしまって。

 二人して顔を見合わせて声を立てて笑って。


「君は本当に――物語が好きなんだね」

「はい?」

 当たり前すぎて、笑いながら短く問い返したそれに、殿下はおかしそうに笑って。

「舞台を見るより、舞台に立つ方が好きなんじゃ?」

 え?

「――なんてね。さぁお手をどうぞ」

「あ、はい」

 あっという間についた公爵邸の前で、殿下が手を差し出す。

 馬車から出て殿下の手を取れば、……ぜ、全員集合してる。


 ふ、と気が遠くなりかけるのを、根性で手繰り寄せる。


 なんだか作り笑顔の3人が――人形みたいにそれぞれ整った顔だからこそなのか、より一層怖い。

 怖くて、いつぞや先生の服を握りしめたみたいに、殿下の手を握りしめてしまった。

 殿下が驚いて私を振り返る。

 

 ……義弟は、私を殺す。最悪な方法で。

 だから怖い。本当は嫌われないのが一番なのに、私の……宝物ばかり奪って壊してきた弟のせいで、義弟に対して酷い態度ばかり取ってしまう。

 だから嫌われる要素しかないんだ。

 誰も彼も。弟の方が可愛くて仕方なかった。

 ――殿下はものじゃないし、私のものではもっとない。ヒロインを好きになる人だ。

 でも私にとっては初めてできた、友達のような人なんだ。

 だからきっと弟は取り上げようとしてくる。

 ――いや、違う、あれは義弟だ。義弟は、そんなことはしない。

 だけど義弟は私から両親を奪った。メイドも。護衛その1も。何もかも奪ったのはあいつだ。

 ――違う、違う、違う。それは今じゃない。今世の義弟はそんなことしてない。

 私のために、……


「大丈夫だ。任せろ」


 ……殿下?


「公爵夫妻、大切なご令嬢をありがとうございました。今日はこれでお返しします」

「マリー、お帰り。外は怖かったろう? もう大丈夫だよ」

「そうよ、寒かったでしょう? 早く中へ」

 ――完全なる無視って。

 呆気に取られて固まってしまう。

「お姉様、お帰りなさい。疲れたでしょう? 明日、お話たくさん聞かせてくださいね」

 ――まて。お前まで無視するか?


 ――嫌だ。帰りたくない。

 家に帰るといつも、人前ではまともな人間を装っている最低最悪な家族は、他人の目がなくなる家の中では豹変する。都合が悪くなれば暴力。機嫌が悪ければ暴力。

 中でも、私が外で褒められたり、優しくされたりして、良い気分で帰ってきた日ほど、その兆候は強くなった。

 家に帰るのは檻の中に戻るようなものだった。外にいる大人の方が多少は優しい。殴らない。蹴らない。とりあえず暴力はないし、怒鳴られることも滅多にないから。


 違う、違う、何を考えてるんだ私は。ここは、日本じゃない。ここは、この世界の家族は私に優しい。

 さっきからなんで、記憶が、おかしい。

 混ざる。


 無意識に多分、手に力がどんどん入ってる。きっと殿下は手が痛いはずだ。


「……ごめ、なさ……手が、力、抜けなく……」

 小さく口にした。殿下が振り返って、「謝らなくて良い」と同じくらい小さく言った。その後に、「ちょっとフリだけするけど、それでも無理なようならそのまま中までエスコートする」

 なんのふり? 前振り?

 殿下が跪く。

 ――は?

「今日はありがとう」

 微笑んでそう言って、まるで騎士がするかのように、力の抜けない私の手を軽く持ち上げて、唇を近づける。

「――っ、ひっ」

 ばっと、手を振り払った。と同時に、殿下が苦笑する。

「ぁ」

 ふりって、そう言うことか!

 立ち上がった殿下が、「気にしないで」と微笑む。

「ユニウス」

「は」

「今日は彼女についててあげて。明日、報告を」

「承知しました」

 小声の会話。

 護衛その2が私に向かって片目を瞑る。

 ありがたい。護衛その2は、私の家族に気兼ねしなくて良い立場だ。

 昔はそれで腹が立ったこともあったけど、今はそれがありがたい。

「殿下、あの……色々、ありがとうございます」

「うん。僕たちはもっと……会話が、必要だと思う」

「――はい」

「それと、今日は本当に――楽しかった」

「はい。私も、心から、楽しかったです」



 ふっと、笑い声のようなものが耳に届く。

 それで家族の方を振り向くと、お母様がいつもの、優しい笑顔に戻っていた。

「殿下。今日はマリーのためにありがとうございました」

 お母様が殿下とのお茶会の時のような温かい声でそう言ってくれて、私は安堵した。

「ほら、あなたも」

 お母様に促されたお父様は「マリーが倒れなかった幸運に感謝するんだな」と言った。

 ——あの、お父様、普段と口調違うんですが。

 怖い。帰りたい。いや家はここなんだけど。

「肝に銘じます」

 殿下は腹を立てるでもなく、そう答えてくれたけど、お、王族相手に敬語使わなくていいの? 筆頭公爵ってそんなに偉いの?

「もう良いでしょう、お姉様。馬車に酔ったんだから早く休まないと。王家の御者って大したことないんですね」

 ――お前はもう殿下の前で口を開くな!

 そう言いたかったが、流石に殿下の前で怒鳴りつけるわけにもいかないので、唇を噛んで止めた。

 それにお父様があの物言いで、義弟だけを一方的に叱りつけるわけにもいかない。

 弟は許されるのに私だけが怒られる。そんな日常で傷ついた自分を忘れたりできるもんか。

 あれ、そういえば、なんで馬車酔いのことを——?

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