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* 五里霧中 11

リアクションありがとうございます。おかげさまで生まれて初めてランクインしました。私には無縁のことだと思っていたので、めちゃくちゃ驚きました。嬉しいです。

 まだついこの間のことだ。

 平民の女生徒が公爵令嬢であるマリー様に悪評を立てようとした。

 それから半年も経たないうちに、マリー様は退学一歩手前まで行った。

 悪評に追い詰められて、とはまた違う。


 殿下の婚約者でもあるマリー様は、殿下に一目惚れされるのも納得の、将来美人になることが約束された美少女だ。

 外見上難点があるとすれば少し顔立ちがキツめってところ。

 その難点のせいで誤解されやすい。


 平民の分際で殿下に懸想した女は、自分の清純そうな見た目とマリー様のキツめの見た目を利用してマリー様を悪役に仕立てようとした。

 計算高さに敬意を表して女狐という内輪内呼称を進呈したところ、被害者であるマリー様に「やめてあげてほしい」と頼まれちまった。

 見た目に反してマリー様の中身は大層おとなしい。

 物静かなという意味のおとなしいと、至って穏やかという意味のおとなしいだ。

 マリー様がスクールに上がる前、俺は彼女の護衛としてしばらくついていたが、癇癪を起こしたこともなく、立場と年齢から想像されるような我儘とも無縁だった。


 そんなマリー様の反応と、教え子でもあるマリー様を(一歩間違えば犯罪なくらい)可愛がっているアイザックのフォローと、見回り中に突然聞こえた女生徒の怒鳴り声に慌てて急行した俺のおかげで、その企ては不発に終わった。


 入学直後に出回った傍迷惑な噂も、時が経つにつれだいぶ風化した。

 特に直に接する機会のあるクラスメイトは、マリー様の異様な腰の低さに面食らい、殿下から相対的にキツく当たられるのを見ては同情し、マリー様の耳に入る範囲でまで吹聴していた悪評を、自分たちで火消しするのにそう時間は掛からなかった。

 スクールに上がるまで同年代で会話したことがあるのは殿下だけという、自他ともに認める引きこもりのマリー様は、大抵会話時に眉尻が下がる。

 男はともかく女まで頬を染めて胸を押さえているあたり、勝気そうに見える美人の困り顔は、年頃の少年少女には少し刺激が強かったらしい。

 肉付きは良いのに小柄なせいか、マリー様はどうも庇護欲を唆る。

 その上、授業中の殿下はほぼ視線をマリー様に固定しているから(それもどうかと思うが)、殿下の恋心がマリー様に向いている点を疑う者はそんなにいなかった。


 そんな具合で、フォローも兼ねて俺の流した恋愛ネタの方が、信憑性も高くまことしやかに流れている。

 まぁ思春期の生徒しかいないとなれば、恋愛系の方が食い付き良いのは当然だ。それにほぼ事実だしな。

 

 ただ、下位クラスの方ではしつこくまだ少し燻っている。

 よく通る殿下の声に対してマリー様の小さな声は聞こえにくい。

 殿下の怒鳴り声だけ聞こえりゃ、直に接する機会のない下位クラスの生徒たちは、いかにも公爵令嬢然とした新入生挨拶のマリー様しか知らないんだから仕方がないとも言える。

 


 悪評云々は別として、この短い期間でマリー様は2回倒れてる。

 仏の顔も三度までなんて言うが、公爵に三度目はなかったようだ。

 

 マリー様の意思の確認も取らず、退学の手続きを勧められて、責任者はマリー様と付き合いの長い(上に公爵閣下が立ち寄った際に案内役に指名された)俺と、担任を務めるアイザックを頼った。

 まぁこのスクール始まって以来初めてとなる退学者を、自分の代で出したくないっていう保身もあったんだろうが。

 

 アイザックを頼るのは少し間違いな気がしないでもなかった。

 恋愛沙汰で迷惑ばかり被っていた親友は、担任としてあろうことか、無理して通う必要はないみたいなスタンスを取っていたからだ。

 狼の群れの中に子羊を放り込むようで気が気じゃなかったんだろう。


 俺は子供には――広い世界が必要だと思ってる。

 マリー様は見た目はともかく、心の内側はいっそ幼い。

 老成しているように見える面もあるっちゃあるが、子供が無理して背伸びしているように見える。

 頭の良さと心の幼さの釣り合いが取れないで苦労しているんじゃないか。

 アイザックがそうだったように。


 だから俺は、能天気な友人ができれば良いと思ってた。

 マリー様みたいに無理して型に嵌ろうとしなくても、スクールにいる間くらいは、多少ハメを外しても、人生詰んだりしないってことを、隣で実際やって見せてくれるような、いい意味でバカな友人の一人でもできれば良いと。


 だが、おそらく覚えがあるからこそアイザックは、マリー様が苦労しないで済むように閉じ込めておきたいんだろう。人と関わりゃ、多かれ少なかれ傷つく。だから傷つかずに済むように、箱庭に閉じ込めて。

 だから渡りに船とばかりに、理事長の敵に回るんじゃないかと思った。

 

 だがそれは杞憂に終わった。

 マリー様が殿下を庇ったと言う事実を見ないふりすることはできなかったらしい。

 とりあえずマリー様の本音を聞くことに決まった。


 殿下に対するアイザックの心象は微妙なところだと思ったが、あの時の殿下の謝罪が多少マシな方向に働いたんだろう。

 入学直後でマリー様の為人がわからず、見た目の雰囲気だけで噂が先行していた頃。

 マリー様に悪評が立つよう仕組まれた日の話だ。

 首謀者の平民のお嬢ちゃんを追い払って、怒鳴り声の経緯を聞き取り、なんやかんやあって殿下とアイザックと俺でマリー様を馬車停まで見送った後。

 殿下は公爵家の馬車へ手を振る笑顔のまま。

「ユニウス」

「はい」

「噂ってなんのこと?」

 あの場で話は終わったと思っていたが、そうはいかないらしい。

 すっとぼけるか、まともに答えるか。

 マリー様が俺に一目惚れしたなんて事実無根な噂を、マリー様にベタ惚れしてる殿下に話すのは気が引ける。

 どうすべきか思案しつつ、厄介な種を蒔いてくれた親友を恨みがましく見つめていれば。

「では、私はこれで失礼いたします」

 っておおおおおい。

「賢者殿」

「はい?」

「……誤解して、失礼な態度を取ってしまったことをお詫びします」

 アイザックが長い睫毛を震わせる。

 面食らってるんだろう、多分。

「昔から、彼女は賢者殿に……懐いていて、わかっていたはずなのに……妬いてしまいました」

 おそらく自覚があるのだろう真っ赤な顔を上げた片腕でちょっとだけ隠しつつ、視線を彷徨わせながら謝罪する殿下。

 昔から殿下は中身も見た目も愛くるしいと専らの評判だが、アイザックはおそらくそれを初めて目の当たりにした。

 殿下の愛くるしさはマリー様には発揮されない。どの程度マリー様がこいつに伝えているのかわからないが、そのあまりの違いように戸惑っているのが手に取るようにわかった。

 その上、こいつはかなり大人気ない真似をしていたし、どう出るのだろうか。

「僕はまだ未熟者です……できることなら、あまり……僕の婚約者と親しげにしないでいただけると助かります」

 一つ瞬きをしたアイザック。さてどう出るか。

「では私からのお願いもお許しいただけますか?」

「何でしょうか」

「お嬢様……いえ、マリー・アン嬢への高圧的な態度をおやめください。叶えていただけるのでしたら、私も努力いたします」

 殿下の顔が歪む。できるならとっくにやってるって顔だ。

 部屋中に肖像画を飾りたがるほど、殿下はマリー様に夢中で、マリー様さえいなければ、マリー様への褒め言葉を流れるように滔々と語り続ける、らしい。

 マリー様に関わらない殿下は、評判通りに愛くるしい。王族としては若干舐められやすいので欠点な気もするが。

 正直、俺から見れば、マリー様への態度だって、高圧的とは言えない。

 どちらかといえば、小型犬がきゃんきゃん吠えてるだけのような(失礼)もので、マリー様でなければ、優雅に笑っていなせそうなもの。

 それでもまぁ、マリー様にとっては負担だろうし、アイザックからすれば大人気ない真似を厭わないほど許せないものになる。

 悔しそうに唇を噛んでいる殿下を前に、アイザックはどう出るか。

 ここで「努力します」と返せるほど殿下は器用じゃない。精一杯努力した上であの有様なわけで。

 簡単に嘘をつけるようなら、「愛くるしい」なんて形容されない。

 年上のお姉様方なら揃って慰めに入るであろう殿下のそんな様子を見ても、アイザックは結局、殿下からの返事はないとだけ受け取ったようで。

「失礼します」

 と礼を取って、その場を後にしてしまった。



 マリー様の本音を聞いてから、やることは多かった。

 俺はあの引っ込み思案なマリー様に、公爵夫妻の説得は難しかろうと思っていた。当然手を貸すつもりだったが、アイザックに止められた。

 まぁ「お嬢様のお願いを、あのご両親が断るとは思えません」なんて尤もらしいことを言っちゃいたが、説得できなければそれで良いと思っていたのかもしれない。

 自分で言っていたように、この件を利用したいってのが本心だったのだろうし。



 マリー様本人が退学を望んでいないにしろ、いかに公爵夫妻がマリー様に大甘だろうと、次にマリー様が体調を崩したら終わりだ。

 乗馬服姿を見てヒヤリとした。元々終わりばかり望んでいた子供は、ストレスで簡単に食事を放棄する。

 アイザックが――そこらの医者より余程人体に詳しい賢者殿が、睡眠を優先しろと言ったから、メイドもあまり手出しできなかったのだろう。

 あのマリー様を抱き上げていたアイザックは、その軽さを恐ろしく思ったに違いない。

 いくら護衛時代に比べて見ている時間が減ったとはいえ、なんで気付かなかったのか。

 スクールの授業時間、きっちり座って姿勢を正しているだけで、あの体には相当負担だったはずだ。

 筋肉が落ちたとか本人は言っていたが、そんなレベルじゃない。無自覚なのが余計恐ろしかった。



 マリー様を物理的に殿下と女狐から離す。

 公爵夫妻の決定に文句はないが、マリー様にも頑固な面があるのを知ってる。

 約束を守りたいと言っていたのを尊重するべきだというのは俺とアイザックの共通見解だ。

 スクールには通わせる。ただし、二人とはクラスを分ける。


 殿下の態度も問題に違いないが、マリー様の体調が急速に悪化したのは、あの女狐が絡んでから。


 入学前の事前調査の報告書の確認と、俺の特性を使った調査。

 気になったのは、「ある日を境に別人のようになった」という部分。

 それも一人や二人じゃなかった。同じ言葉でもない。だが要約するとそうなる。

 食の好みが変わった、表情が変わった、なんとなく言い回しが変わったような気がする。

 頭でも打ったのだろうか。

 そんな笑い話。

 王家が見逃したのはおそらく、平民が加護を受ければ人も変わるだろうと判断されたのか。


 収穫の少なさに苛立ちながら引き上げれば、その間にアイザックは気になる真似をしていた。

 断っていた爵位を一つ。


 そこで思い出した。公爵夫妻のプラン。

 殿下との婚約の解消及び、公爵が選んだ人をマリー様の婿に据える。


 ――賢者殿が伯爵位を持てば公爵家の婿にもなれる。



 クラスを分けた理由をわかっているはずの殿下は、それでも話したいとマリー様に会いにきた。

 四阿に続く小径の手前で殿下を捕獲した俺は、あと一回マリー様が倒れたらアウトだと告げた。

 自身の態度に問題があることをちゃんとわかった上で、それでも懇願する殿下に絆された俺は、アドバイス代わりに仕入れたばかりの情報を与えた。

「賢者殿が伯爵位を拝領したそうですよ。このタイミングで。意味わかりますよね?」

 殿下の耳にはやっぱりまだ入っていなかったようだ。多分伝えられたのは、退学の意向と婚約の解消、そしてその撤回。

 驚きに息を呑んだあと、唇を噛んで頷いた。

 あいつの真意はまだ聞いちゃいないが、抑制力にはなるはずだ。

「元護衛の俺から見た感じ、マリー様は結構無理してるんですよ。今も。だから体調には触れない方がいい」

「……でもお見舞いの言葉くらい」

「マリー様は大丈夫かと聞けば大丈夫と答えるお人ですよ。それを無理させるって言うんです。マリー様を思うなら、別の話題を振ってやってください。あんまり考え込まなくて済むような。あー……オペラの話はやめといた方が良いですね。あのお嬢ちゃんと関わりのない、気分転換になるような話で」

「……わかった」

「くれぐれもお願いしますよ。俺の親友は怒らせるとやばいって言ったでしょ?」

「……物理的にって言ってなかった?」

 苦笑いした殿下は俺を見上げてそういった。

 あんなに小さかったのに随分大きくなった。

「そうでしたっけ?」

「あの人、間接的にも十分怖いよ」

「まぁ賢者殿ですからねぇ」

「心理攻撃もすっごくしてくるし」

「大人気ない奴で申し訳ない」

「……でも多分、ユニウスが昔僕についててくれたから、手加減してくれてる」

 俺はちょっと瞬いた。

「だから、ありがとうユニウス。でも僕はやっぱり、彼女のことは諦められない」

 可哀想に。

 俺の周りはどうしてこう、見た目も身分も申し分ないのに、上手くいかないのばっかなんだか。

 泣きそうな顔で無理して笑って「行ってくるね」と背を向ける殿下に、応援するわけにもいかず「ええ」としか答えてやれないのがなんとも歯痒かった。



 出てきて良いぞ、と声を掛ければ、賢者殿こと大人気ない親友が姿を現す。

「よくまぁ代わりに妙齢のご令嬢を押し付けられなかったもんだな」

「あなたが流した噂でしょう。どうやら随分尾鰭がついたようですよ」

 図書館への小径にある四阿。視界に入って声も聞こえるが、あちらからは気付かれにくい植栽の裏手。

 マリー様と殿下は、今の所どうやら穏やかに歓談できているらしい。

 殿下にしちゃあ快挙だ(失礼)。

 アイザックの脅しが効いたのかね。


「あー……噂ってーと」

「王女殿下曰く、『お兄様の応援をしたい気持ちはもちろんあるけれど、お義姉様を悲しませたくないの』だそうです」

 事実上、アイザックの婚約者に立候補する奴は姫殿下が敵に回るってお触れだな……。

 そりゃ誰も名乗り出ねーわ。

「尾鰭すげーな。俺は別にマリー様がお前に惚れてるとは言ってねーぞ?」

 そう取られかねない言い方はしたが。まぁとりあえずは狙い通り。あの年頃のご令嬢は恋愛沙汰の噂が大好物だからな。

「それはあなたとの噂の方でしょう。陛下の……ご冗談でしょうが……私は、お嬢様との時間の妨げとなる、邪魔な婚約者を始末しかねないのだとか」

「……」

 いや想像の斜め上どころじゃ無いんだが。どんな尾鰭だよ。しかもなんか普通に想像できて笑えねーよ。

「それを知ったマリー様が悲しむ、という意味だそうです」

「いやそれ悲しむで済む話か? あのマリー様だぞ。勝手に自責の念に駆られて自殺とかしねぇ?」

「させませんよ。そもそも婚約者を殺そうとする思考回路の持ち主なら、その前にまず殿下を殺すでしょう?」

「――……お前、冗談でも口にするなよ」

「あなたが先に、お嬢様について考えたくもないことを口にするからです」

 ……こいつは本当に。

「悪かった、悪かったよ」

 元々こいつはこういう奴だ。お互い職についてから初めて会ったのが、お嬢様に初めて名前を聞かれたとかいうちょっとアレなお祝いで、その後も俺がちょっとでもマリー様に教育上よろしくない発言を仕掛けるだけで潰したり落としたり、挙句俺がマリー様に一目惚れされたとか言う根も葉もない噂が流れた時には、流石の俺も本気で死ぬかもしれない攻撃を仕掛けてきた。

 公爵令嬢を王子殿下よりも上に位置付ける。

 生まれた頃から叩き込まれた本能に近い階級意識のせいで、普通なら思いもしないし思おうとしてもできない。

 それをこいつは普通にやってきた。

 まぁそれでも殿下を殺さなかったのは、やっぱり殿下が殿下という立場だったからだろう。

 だが、ただの平民のお嬢ちゃんを、アイザックが見逃していた理由は?


 ——その女に、籠絡でもされた?


 坊ちゃんの苦々しげな声が脳裏を過ぎる。

「そんなことより」

 アイザックが目配せした方を見れば、遠目でもわかりやすいピンク色がいた。

「思ったより早かったな。ちゃんとけし掛けたんだろうな?」

 無言で足を踏まれそうになったのでとりあえず謝罪を口にする。

 マリー様と会話を交わした数少ない高位貴族のご令嬢方は、今回の退学騒ぎを知りはしないが、マリー様だけクラスを変わったことに動揺した。

 当然、新しい担任にも詰め寄ったが、口を割りはしない。

 アイザックはその回る頭で、あの厄介な女狐を足止めできそうな、それでいて浅い情報だけ与えたはず。

 今のいままで、多分ご令嬢方があれに詰め寄っていたはずだが、平民の癖に切り抜けるのが妙に早い。

「面倒だからお前色仕掛けでもして足止め出来ねぇ?」

 殿下と女狐をセットでマリー様に近づけさせない。単体ならともかく、セットは多分一発アウト。

 それを防ぐためにここにいた。

 ため息混じりの俺の声に、親友は汚物を見るような目で俺を見た。

「私を散々アレ呼ばわりしておいて」

 いやまぁマリー様に対する態度がアレすぎてロリコン呼ばわりしてきたのは確かに俺だが。

「あの女狐がお前に秋波送ってたのは確かなんだよ。それに」

「いい加減にしなさい。来ますよ」

「へいへい」



「アイザック先生、と――騎士様。こんにちは」

 挨拶はできるんだよな、この平民。

 の割に、初対面でマリー様を睨みつけたのが気になる。

 アイザックが挨拶を返し、俺は手を振る。

「この前ぶりですね。マリー様に用事ですか?」

「はい」

 やっぱりか。

「でも、ちょうどよかった。お二人にも聞きたいことがあったんです」

 そいつは好都合。

「では、場所を変えましょう。こちらへどうぞ」

 


 基本的に貴族の女性というのは社交が主な仕事だ。

 だからこそ、授業の合間の休憩時間は長く、サロンの練習ができるような場所も多く用意されている。

 マリー様は専ら、図書館への小径にある四阿を利用しているが、他の令嬢たちは可愛めの花々が植えられたテラスや温室、屋内のティールームを利用したりする。

 

 今日は幸い、温室が空いていた。

「綺麗!」

 此処を選んだのは、誰もいないのが前提条件として、平民なだけあってでかい声が外に漏れないようにする狙いもあった。

「温室は初めてですか?」

「はい! 綺麗なお花がこんなにたくさん!」

 ……やっぱりマリー様の反応がちょっと特殊で普通はこうだよな。

 マリー様は庭園を見れば顔を綻ばせるが、あまり口には出さなかった。

 触れたら壊れてしまうとばかりに、手を伸ばすこともせず、ただ見つめていた。

 まるで硝子細工にでもするような。

 花びらに触れてにっこり笑っている平民を半ば感心するように眺めていると、アイザックがマリー様に対するものよりだいぶ温度の低い声を出した。

「聞きたいこととは、なんでしょうか?」

「あ、はい。……マリー様って、昔からああでした?」

 俺はアイザックを見やる。アイザックもそうだ。

「どういう意味です?」

「えっと……マリー様って子供の頃から、今みたいな性格でした?」

 こいつ――やっぱり何かある。

 それは俺が唯一持ってこれた収穫だ。マリー様が、ではなく、目の前のこいつが。

「子供の頃と言うのは……」

 アイザックが素知らぬ顔で聞き返す。

「ちっちゃい頃です。五つや六つとか、そのくらい。お二人が初めて会った頃のマリー様って、あんな感じでした?」

「よくご存知ですね」

「え?」

「私たちが、マリー・アン嬢の幼少期を知っていると」

 アイザックがそう言った瞬間、まるで秘密の暴露を指摘された犯人のような表情を浮かべた。

 だがそれも一瞬で、強気な笑みに変わる。

「平民だからって馬鹿にしてます?」

 なかなかうまい返しだ。表面上、階級制度に重きを置かず、平等に扱うと触れ回っているスクールの関係者である俺たちは否定するしかない。

「いいえ。ただ純粋に疑問なだけですよ」

「平民だって噂くらい耳にします」

 本当にそうか?

 平民でありながら最高位クラスに入った女生徒を、高位貴族のご令嬢方は遠巻きにしていた。

 彼女たちは、下位貴族をお茶会に誘わないよう、相手の家を窮乏させないようにと理由も含めて小さい頃から躾けられる。

 だからほとんど直に接する機会はない。そうやってある意味隔離されて育ち、スクールで初めて下位貴族と接する機会を持つ。

 スクールにいる間だけは、階級に差があっても共にティータイムをとることができる。ここで人脈を築けば、お茶会には行けずとも私的な文通を続けることも可能。

 だが、平民とくれば別世界の人間と言っても過言ではない。

 何気ない一言の齎す重さを自覚している彼女たちは、自分からは話しかけない。

 そんな中で、平民が話しかけたのは殿下。

 相談があると言われれば、殿下もこの孤立ぶりをなんとかしなければと思ったんだろう。

 元々、殿下は知的好奇心旺盛な子供で、下町も見たがった。だから俺が殿下に付けられたと言うのもあるし、平民との接点も彼女たちより多かったと言える。

「ねぇ、それより。マリー様のこと。聞かせてください」

 愛らしく笑う。秋波とは違う。だが媚びて見せて情報を聞き出そうとする、そんな目。

 平民の中では際立ったろうその容姿を思えば、スクールに上がるまでは有効だったに違いない。

 だが所詮は子供のやることだ。しかも相手は生まれてこのかた『可愛い』と思ったのはマリー様だけというアイザック。相手が悪かったな。

「キャロル嬢はマリー・アン嬢と共通点があると言っていましたね。私たちに聞く必要はあるのでしょうか」

「嫌だな、なんか警戒してます? 私はマリー様とお友達になりたいだけですよ?」

 近い近いと思っちゃいたが、アイザックの手に自分の手を重ねようとした。

 学内にいる騎士は一応槍を持っている。と言っても、万一にでも生徒を傷つけないように、穂先の刃は落とされている。だからまぁ、実際は棍棒に近いんだが、それを二人の間に差し出す。

「失礼、お嬢さん。悪いがこちらの先生も貴族の端くれですよ。勝手に触れるとマナー違反です」

 一瞬その愛らしい表情が消える。

 やっぱこいつ表情作ってんな。

「私からも付け加えますが、学内にいる騎士は貴族階級ばかりです」

「ごめんなさい」

 くるくる変わる表情は、マリー様は素で、こいつは作為的だ。

 眉を下げて笑って、謝って伸ばした手を引っ込める。

「わかってくれりゃ良いんですよ。俺も仕事なんで、恨まないでくださいね?」

「まさかそんなこと。そうだ、騎士様にお借りしたハンカチ。返そうと思って持ってたんです」

「あぁ。忘れてました。捨ててくれても良かったのに」

「ちゃんと洗いました。どうぞ」

 アイロンがけされたハンカチを受け取ると、妙に鼻につく匂いがした。後で捨てるか。

 気付かぬふりで礼を言って仕舞い込む。

「こちらこそ、ありがとうございました。泣いてる時に気遣ってもらえたのなんて初めて。嬉しかった」

 伏目がちに頬を染めて見せる。俺は苦笑いが口から出ないように堪える。アイザックに同情的な目を向けられたのは、そんなパッと見純粋そうな少女ではなく俺の方。

 気の多いガキだ。

「名前で呼んでも良いですか?」

 断られると思ってもいない顔。だがそれならそれで好都合だ。

「良いですよ。そういや自己紹介してませんでしたね。俺はユニウスです」

「ユニウス……さん?」

「ええ。そう呼んでもらって構いません」

 どこか不服そうな顔に笑いかけると、また不自然な笑顔になった。

「私のことも、アリスって呼んでください」

「ではアリス嬢。マリー様の性格が前と違うんじゃないかと思った理由はなんです?」

 可愛らしくにっこり笑ってアイザックの方を見上げる。

「先生たちも、あんまりマリー様に関わらない方が良いですよ」

「そりゃどういう意味です?」

「マリー様が可哀想」

「は?」

「マリー様は、先生たちより、私がそばにいた方が安心すると思います」

「何故でしょう」

 真剣に聞くふりをするアイザックを前に、俺は笑いを堪えるのに忙しかった。

 この前も思ったが、マリー様が倒れるきっかけになった奴が何を言ってるんだか。

 俺はともかく、その先生の前で、マリー様は寝落ちしてるぞ。俺が見た中で一番穏やかな顔で。

 普段のマリー様は少し、眉間に力が入ってる。だから無表情だとその顔立ちのキツさと相まって怖がられやすい。

 だが、愁眉を解いたマリー様は、ひどくあどけない。

 心の幼さがそっくりそのまま表に出たような。

 マリー様は天使の歌声を持っているが、寝顔も天使のようだった――なんて言えば、元相棒と親友に殺されるから、口に出しはしないが。

 マリー様は眠りが浅い。寝付きも悪い。そのマリー様が居眠りできるほど、アイザックは信頼されてる。それを安心と言わずしてなんと呼ぶのか。

 膝に抱き上げられて眠った小さな子供は、体と頭の成長に時間を取られ、心は今やっと五つか六つになったばかりだ。

 変わりようがない。


 ——だというのに、わけ知り顔で微笑んでるこの女は、何を知ってる?

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