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私と、真夜中の来訪について。

 ああ、これは夢だな。

 明晰夢、というのだそうだ。

 私には割とよくある。

 悪夢の中でこれは夢だと自覚し、早く目が醒めるように願う。そして目が覚めるのだが、それもまた夢の中。終わりの見えない悪夢。

 殿下が、私に向かって「好きだ」と言った。

 普通の女の子が泣いて喜ぶようなシチュエーションだ。夢の中くらい、普通の女の子の感性を持てれば良いのに、私は表情が嫌悪に傾かないように必死だった。

 当たり障りのない言葉を口にしようとして、考えがまとまらず、思うように口が動かない。

 焦れた殿下が、私の手を掴む。

 私は吐き気をやり過ごせず、御前でとんでもない不始末をした。

 メイドが慌てて駆け寄って来て、殿下の侍従が指示を飛ばす。

 妙にリアル。

 当たり前だ。これは前にあった出来事。

「そんなに……」

 わぁわぁとうるさい周りの声にかき消されることなく、信じられないと言わんばかりの声が耳に届く。

 やがてその声は憤りを滲ませて。

「吐くほど、触れられるのは耐えられないか。そんなに嫌か」

 嘲りのようなものが含まれる。

 違うと、口中の不快感に耐えながら口を開く。

 あなたが嫌いなんじゃない。

 これは違う。

 ――だけど、何が違う?

 私は普通の愛情を持つことは無理だ。

 そして、この有様では、最も重要な責務である、後継者だって――

 そこを考えて想像してしまって、再びせり上がってくる。

 惨めだった。

 なんのために努力して来たのだろう。

 私の存在意義ってなんなのだろうか。

 いつも。



「……最悪」

 悪夢を見ていたようだが、内容は忘れた。無意識に思い出そうとする思考を自覚し慌てて遮る。

 寝汗がひどい。

 室温は快適なはずなのに、肌着がべったり張り付いている。

 これは思い出さない方が絶対にいい感じの悪夢だ。思い出すな。

 外はまだ暗い。

 この感じだと、夜明けまでまだまだのはずだ。

 窓……は、ダメだ。また心配した護衛その2がバルコニーまで来てしまう。

 けど、この類の悪夢見た後って、密室にいると息苦しくなってくるんだよね……

「あ」

 ……そうだ。護衛その2はもういないんだった。

 住み込みだったけど、今はもう学内の職員用の部屋にいるんだろう。

 なら良いか。

 ほんの少し窓を開ける。


「はー……気持ちいー……」

 多分人によっては肌寒いくらいの風。

 夜が怖いという子供が多い中で、私は昔から夜目が効くせいか、むしろ夜は好きだった。シンとした空気が。

 ただ、この体になってからは、本当に夜目が効かなくてその都度驚く。

 たとえ新月の日でも、星明かりがあれば本だって読めたし、雨の日でも照明なしで動き回るのに困ったことはなかったのに、今は月明かりが届かない場所が暗すぎて驚く。

 昔は、よく散歩に出かけたりしていた。

 家から閉め出されて、散歩でもするか、と。

 それを考えたら、あの国はやっぱり平和だった。

 家族は言ってしまえば異常者だったけれど、小さな子供が夜中フラフラ歩いていても、一晩無事に過ごせる程度には。

「……里心でもついた?」

 思わず自嘲する。

 現実逃避というか、未来から逃げたい。

 あの国なら、ただの一般人だ。死んだって逃げたって、なんの問題もないような。

 ……私はどうしたい?

 私はどうすれば良い?

 いつも中途半端だ。

 たとえば。

 いっそ悪役としての道を邁進するなら、ヒロインに対する感情だってもうちょっとマシなはずだ。

 私はヒロインには強くかっこよく、多少いい意味でトチ狂った部分はあっても、本質的な所は正しくあっていただきたい。

 なのに、私が中途半端なせいで、ヒロインの方が悪事をでっち上げた悪役になってしまう。なのでもやる。どうしようもなくもやもやする。

 逆に。

 たとえば、もう悪役なんて真っ平御免! と、積極的に正しく生きたのなら、やりきった感はあるはずなのだ。

 力及ばずとも、……そう、あの、一回目の人生で、小説を書き上げたときのように。

 ただ私は、私という人間を知ってる。

 やる気が続かないダメ人間で、そんな自分を受け入れられなくて、周りのせいにばっかりしてる。そのくせ理想は高くて、だからこそ自分がどんどん嫌いになる。それを育ちのせいにしてる。

 その私が今更、理想的な正しい人間を演じられるとは思わない。

 裏表のない人間が一番好かれる。でも私は、どれだけ演じたって結局、一皮剥けばこんな人間だ。

 どうせ報われないのに、演じ続けられるほど強くない。

 

 いつものようにぐるぐると渦巻く自己嫌悪を無理やりため息にして吐き出す。

 吸い込んだ夜の空気が頭を冷やした。





 夜中に起きた時は、若干寝ぼけてたみたいで記憶が曖昧だった、みたいで。

 メイドが来て、挨拶したら。

 パッと笑顔を見せてくれたメイドの目尻から涙が零れ落ちたものだから、ギョッとしてしまった。

 

 防音性の高い密室で、私を殺した2人と差し向かいという状況で呆気なく意識を保てなくなった私は、またちょっとばかり長時間眠り続けていたらしかった。

 正直なところあれはもう気力が保たなかったというか、保たせるのをやめたというか……だったので、健康なのに申し訳ないなと思った。

 お母様とお父様も目を覚ましたという一報を受けて部屋へ来てくれた。

 日本に住んでいた頃の私の両親だったら、暴力か暴言のどっちかが飛んでくるので、多少身構えたものの、やっぱり子供に優しいこのお二方はそんなことしなかった。

 でもだからこそ、泣きそうなお母様の表情を見るのは辛かった。

 お父様も、要約すると仕事サボっても良いよねみたいなこと言ってたけど、そこは仕事行ってくださいとなんとかお願いした。

 若干ちょっと言い合いになったけど。私がもう目も覚めましたし、私のことはお気遣いなく、と言ったら、娘を気遣わない父親がどこにいるんだいって、珍しくちょっと厳しめの声で言われたので、うっかり怯えてしまった。

 ちょっと優しくされて心が子供返りしてたらしくて自分でも驚いた。

 お母様がとりなしてくれなければ、お父様は宣言通り仕事をサボっただろうし、私は自分を取り戻せなくなるところだった。

 だってほら、この辺りうろ覚えだもん。

 我に返ったお父様が可哀想なくらい謝っていて、それがお母様に対してなのか私に対してなのかも正直よくわからなかった。

 義弟が来なくて本当に良かったと思う。

 ちなみに義弟は、私の普段の態度がアレなので、メイドの一存で呼ばないでくれた。



 さて。お父様はすごく心残りそうにしながら登城され、お母様はどうしても外せない社交のお仕事があるとかで外出され、私はお父様とお母様とメイドと護衛その1に、今日は何もせずのんびり過ごすようにと厳命され、何もしないと碌でもないこと考えちゃうんだよなぁと思っていたところ。

 執事長が珍しく顔を見せた。

「お嬢様のご学友と仰る方々がお越しですが、如何されますか?」

 ……気持ち的には今はどなたともお会いしたくないんですが、ちなみにどなたなのでしょうか。

 と考えていたところで、執事長が一礼した。

「殿下と侍従の方々、及び護衛として以前お嬢様の護衛を務めていたマルクス・ユニウス」

 あぁ、そうか、私が名前聞いても誰かわからないことは当然執事長もご存じだ。私の物覚えの悪さは多分使用人一同よくご存じなので。

「そしてアリス・キャロルと名乗っている平民の女生徒、及び付き添いとして、以前お嬢様の家庭教師をしていたアイザック・ランスロー先生です」

 流石に先生の名前くらい……って思ってたけど先生のフルネームは覚えてなかった。

 ……ランスローってまさかランスロットから来てる?

 成程、ヒロインとくっつきそうな名前――って殿下との相性最悪じゃないの……? 護衛その2と良い、裏切るっぽい名前揃ってるなーって感心しちゃうね……。

 閑話休題。

 全く知らない相手ならともかく、全員顔見知り兼、私が倒れたこと知ってる人だよね。多分ヒロインにはちゃんと先生が伝言してくれただろうし、ここは追い返すわけには……

「お通ししてください」

 意を決してそう伝えると、執事長は一礼してから、こういった。

「平民の女生徒はどのように扱いましょうか?」

「……は?」

 どのように? どうのようにって何が? 何を?

「旦那様からは、敷地を跨がせるなと仰せつかっております」

「は!?」

「奥様からは、お嬢様の意に沿うようにと」

「え? あの……どう……」

 困り果ててメイドを見ると、小声で「公爵家ともなると、平民を招くことは滅多にありませんから」

 ……あ、あぁ、そうか、スクール内にいると忘れるけど、この世界、そういえばガチガチの階級社会だった。

「アベル様は」

 あぁ、義弟は遠縁の子ってことだったけど、多分そこまで爵位高くないところのはずだから、義弟の言葉を参考にしよう。

「お嬢様が倒れた原因かもしれない人間が万一お嬢様に会おうとしたらその時点で警吏に突き出せと」

 参考にできるかあああああああ!!

「あの……私は……」

 頭が痛くなってきた。

「私は公爵家に仕える身ではありますが、旦那様は何事においても奥様が最優先です」

 うん。お父様のそういうところ、私大好き。

「そして奥様はお嬢様の過ごしやすさを最優先されております。ですので、旦那様・奥様ともにいらっしゃらない今、私共はお嬢様のご意志が全てです」

 優しく微笑んでくれるから、私は頭から手を離した。

「……私の友人として、扱っていただけると助かります」

「では、子爵令嬢としてのおもてなしを致しましょう」

 ……公爵家ともなると、階級によって応対の仕方もガチガチに分かれてるってことか。

 そりゃ、平民の置き所(?)がなくても当たり前か。

 王子妃教育でも散々言われたな、そういえば。でもどうせ私は卒業することなく死ぬからって、あまり真面目に聞いてなかった。

「……あの、私の……その、……公爵の、命令を破って、何か不利益があったりは……」

「旦那様がもし、この件でお嬢様をお叱りになるようなことがあれば、奥様が黙っていらっしゃいませんよ」

「いえ、あの、私は……その……」

 私のことはどうでも良いのだが、執事長たちは大丈夫なのかなって。

 うまく言葉が出なくて見つめていると、執事長はまた目を細めて笑った。

「このことで旦那様からお叱りを受けるとしても、口先だけのことです。何しろ私は旦那様がまだほんの小さな頃から知っている『爺や』ですからの。耄碌でもしない限り、私が職を追われることは。そして僭越ながら、旦那様の一存では公爵家の人間を自由には扱えません。私のサインが必要です」

 それを茶目っけたっぷりに言ってくれたので、私は安心して笑うことができた。



 着替えて応接間に向かうと、まず義弟が毎度の如く一目散に私の方へ向かってきて、それを護衛その1が前に出て止めてくれた。

「お姉様! 良かった、目が覚めて。でも無理しないでくださいね。会えなくて寂しかったです。大丈夫ですか? まだあんまり」

 わかったわかったわかったから黙れちょっとお前の後ろに殿下がいるんだよ私まだ挨拶してないから!

「お姉様がもし目を覚まさなかったらどうしようって、怖くて」

「まっ、泣く、私は大丈夫だから」

 泣くなバカ、と言いそうになったのを慌てて変えた。

「本当に?」

「うん。約束破ってごめん」

「約束」

「あぁ、ごめんね。勉強頑張ったら一緒にお茶をって約束、破ってしまって本当に悪かった。今度からちゃんと体調管理するから、お前もあまり……その、怠けすぎてはいけないが、そんなになるまで無理してもいけないよ」

「そんなの、別に」

「私が元気になっても、お前が倒れたら約束守れないだろう」

「……ごめんなさい」

「うん。今日は私も悪かったけど」

「お姉様は一個も悪くないよ」

 ……いや、嬉しいけど、今一個悪いことしてる最中なんだよなぁ……。殿下への挨拶っていう臣下の義務を全うできてない。

「ありがとう。でも、殿下への挨拶が先だ。次からは、私が殿下へ挨拶するまで、話しかけてはいけないよ。マナー講師に教わったろう?」

「……はい」

 青白い顔の中で擦った目元だけが赤い。

 あいにく私にはそれを止めてやることも、優しく拭ってやることもできやしない。

 なるべく優しく聞こえるような声で、嗜めるようなことしか言えない。

 こんな義姉で申し訳なかったが、義弟は大人しく脇に退いてくれた。

「殿下。ご挨拶が遅れまして、」

「良い」

「……後ほどしっかり言い聞かせますので、義弟へのお叱りは私に」

「しない」

「……ですが、今回は私のせいで」

「だから君も君の弟君へも怒ったりしない。……僕はそんなに狭量な男に見える?」

 見えるかどうかというより、経験の問題なんだよなぁ……。

 さっき執事長に聞かれた時は、言葉だけだったからか、私は完全に今までの前世全てと今世のこの人たちを切り分けて考えることができていた。

 殿下と先生には目の前で倒れて迷惑をかけたし、殿下はとんでもない濡れ衣を着せられている状態で、疑っている先生と二人(まぁもちろん、殿下のお付きの人と私のメイドはいたけれども)にしちゃったのは悪かったと思っている。

 先生はいつだって私に優しくしてくれているし、前もお見舞いに来てくれた。追い返すわけには行かない。私としても、あの後、どうなったか聞きたかった。

 護衛その2は、前と同じ。多分聞き取りにきたんだろうから、これももちろん、しっかり応対しなきゃならない。それと、この人が心配してきてくれたということも覚えている。先生と二人、花束まで用意してくれたんだ。

 ヒロインとは話す約束をしていたし、すっぽかしたわけだから、当然謝らなきゃと思っていた。


 それぞれ会う理由があった。

 だけど、こうやって一堂に介しているところを見ると――ここには、私を殺そうとした人間が、5人も揃っている。

 

 今の私が会いたいという気持ちは、過去の私の経験によって打ちのめされそうになっている。

 視覚にバグでもあるんかと思うほど、まとめて見た負担は大きかった。

 幸い義弟が先制パンチみたいに突撃してくれたおかげで、今現在は横というか斜め後ろにいるから、少しはましと言えなくもない?

 そうは言っても後4人。義弟を宥めながら後ろに見えた4人の姿に、正直血の気が引いた。

 殿下相手に頭を下げている状態は都合が良かった。なんとか表情を繕わないと。

「やっぱりついてきて良かった」

 ……場にそぐわないというか、軽やかな声はヒロインのものだろう、多分。殿下と公爵令嬢(私)の会話中、断りもなく口を挟む女性というのは、そしてそれが許されるのはヒロインの特権だ。

「マリー様の方が顔色悪そうですよ。早く座ったほうが良いです」

 内容はありがたいが、ちょっとこれ、あれだよね。

「……そうだな。また僕が悪者だと思われる前に、座ってくれないか」

 ――そうだった。ヒロインは殿下が私にDVを、って誤解なのか、そういうことで私を被害妄想癖のある人物としたいのかはわからないが、そう言ってたことは間違いない。

「……失礼しました」

 一礼してから顔を上げる。着席を許されたのでソファにかける。なるべく前を見ないように。

 義弟越しに一瞬見えたのは、着席している殿下の後ろに立ったままの護衛その2。当然、一番の上座。そして下座寄りに、ヒロインと、横に立ったままの先生がいた。

 良かった。断罪の時とは位置が違う。一緒だったら耐えられなかったかもしれない。

「マリー様ってアベル様とも仲が良いんですね」

 私が一方的に嫌っている状態を仲が良いというのは語弊があると思う。

 ……でも意外さを滲ませたその声から鑑みるに、やっぱりここは乙女ゲームの世界で、ヒロインは転生者で、本来の(?)私も義弟とは仲が良くなかったということだろう。やっぱり継子いじめみたいなことをしていたのだろうか。今の私はなるべくしないようにしているけれど、前の私はしていたし。 

「失礼ですが」

 なんかデジャビュな感じでセキュアさんの声がした。そういえば、彼もいたな。確か殿下の後ろ、護衛その2と並んでた。

「ここはスクール内ではありません。殿下に発言の許可を求めず、公爵令嬢にお声掛けされるのはあまりに礼儀がなっていません」

「すみません。つい、アベル様を見てたら、私もって」

 ……てへぺろみたいな感じで言ってるっぽいけど、顔を上げたら可愛い顔してるんだろうなぁ。見えないけど。

 でも火に油な言い方してる気がしないでもない。

 それだと、殿下は義弟を叱らなかった、だからヒロインも良いって解釈しちゃってる。

「ノートン、良いよ。同席を許したのは僕だ」

 ……あぁそうか、先にそういうやりとりがあったのか。

「君が許してくれるなら、ここはスクール内と同じで僕は構わない」

 それなら義弟の不敬もお咎めなしになる。ありがたい。

「それで良いか?」

 ……ノートンさん返事しないけど、頷いたのかな。

「おい」

 ……あれ、殿下が「おい」っていうの、私に対してだけのはず。

 顔を上げると、真っ直ぐこっちを見ていた。

「どこか痛むのか?」

「いいえ」

「キャロル嬢を同席させたのはまずかったか?」

「いいえ?」

 驚いてちょっと声がひっくり返った。なぜそんな話に? ――あ。

 さっきのは私に許可を求めてたのか!

 この部屋の中の序列に限っていうと殿下の次は私だった。

「すみません、少しぼんやりしておりました」

 もちろん構いません、と言い終わる前に、義弟が「やっぱりまだ体が思わしくないんです。休みましょうお姉様」と割り込んできた。

 さっきも言ったばかりなのにお前はこの……っ、

「ま、俺たちも無理させるのは本意じゃありませんし、出直しましょうか」

 護衛その2がそう言ってくれて、少しホッとする。

「とりあえず、一目見れて安心しましたよ。こんな大人数で押しかけて申し訳ない」

「いえ……」

 護衛その2がどうやら皆んなを帰らせる方向でまとめようとしてくれているのを察して、着座したばかりだが再度立ち上がる。

「マリー・アン嬢、こちらを」

 先生が名前を呼んで、花束を渡してくれた。

「ありがとうございます」

 受け取って、自然と口元が緩んだ。

 優しい色合いでまとめられたそれは、純粋に綺麗だと思った。前ももらった花束。あの時は護衛その2が手品みたいに出して渡してくれたけど、今回は先生から。

「できるだけ長く眠ってくださいね」

「え……?」

「睡眠が1番の良薬ですよ」

 小さく囁くように言われて、昔を思い出した。

 苦笑が漏れる。

「はい。……心配されない程度に」

「たまには周りのことを考えずに休んでも良いんですよ」

 そんなふうに言われて、私は驚いた。

 先生は優しく目を細めて、それから「またお手紙くださいね」と言ってから、屈んでくれていた背を伸ばした。

 私と先生の間で、手紙は本音という意味だ。

 今回倒れたことの内訳。

 先生がヒロインの方へ戻るのを何気なく目で追ってしまって、またヒロインが険しい顔(それでも可愛い)をしているのに気づいた。

 私と目が合うと、眉間を緩めてくれたけれど。

 ……やっぱり先生のことが好きなのかな?

「アリス・キャロル嬢。日を改めましょう」

「そうですね。でも、マリー様に聞いてから」

 だ、大丈夫かなこの子……?

 いくらヒロインとはいえ、目上の人たちが決めたことにこうも真っ向から意見して……。

 あぁ、でも、うん……それがヒロインだよね。

 周りの顔色ばっかり窺う私とは違う。いつも自分で考えて、それを表に出せる。

「マリー様、私も帰った方が良いですか?」

 ……どっちの意味だろう。

 転生者として話したいことがあるのなら、彼女だけ残ってもらった方が良い。

 でも高位貴族のお嬢様の宿命として、家で一人になることはほとんどない。

 私ならメイドと護衛が、おはようからおやすみまで付いている。

 どっちか一人が離れることはあっても、基本的に一人は必ず付いている。

 それで言えば、スクール内の方が、まだ一人になる確率は高い。

 本来スクールは貴族同士の付き合いだけだ。どちらかのメイドがお茶を淹れに行っても、もう片方のメイドが必ず残る。だから基本的に一人になることはない。

 たまにメイドに唐突にお使いを頼んだり、メイドを振り切る速度の全力疾走で一人になったりするようなのは私くらいだ。

 そしてヒロインにはメイドがいない。

 だから私は、話すならスクール内で、と思っていた。

「キャロル嬢。申し訳ないけど、君を一人でここに残すわけにはいかない」

 考え込んでいると、殿下がヒロインにそう言った。

 あぁ、私がヒロインをいじめるかもしれないしね?

「どうしてですか?」

 セキュアさんが露骨に顔を顰めたし、護衛その2が片眉を跳ね上げた。

 先生は少し苦笑した。

「本来、先触れも出さずに訪問するだけで失礼に当たります」

「出したじゃないですか、さっき」

「当日に出すのは非礼とされています。身分によって変わりますが、今回は殿下がいらっしゃったので特例ですよ」

 護衛その2が殿下の方を見てから私を見て苦笑して見せる。

 言いたいことはわかった。

 私も思わず笑ってしまう。

 殿下はしょっちゅう当日何の先触れも出さずに突撃してきましたけどね、とかそういうことだろう。

 だからここは殿下は強く出れないだろうな。

「殿下。発言の許可をいただけますか」

 義弟が急にそんなことを言ったから、私は驚いた。

 身のこなしというか、立ち居振る舞いというか、は、ちゃんとマナー通りに、いつの間にかできるようになっていた義弟。だけど、何せうちは公爵家なものだから、大抵の人間はうちより身分が低い。だから目上の外の人間に対する発言というのを、初めて聞いた。

「もちろん」

「ではお耳汚しを失礼します」

 いやそれはダメだろ!?

「アリス・キャロル」

 おい待てヒロインをしかも年上をいきなり呼び捨てとかお前は何を考えて――

「お姉様は体調が悪いんだ。誰だろうが関係ない。失せろ」

 ――私そこまで口悪かったっけ……

 耳の後ろで血の気が引く音がリアルにした。

 ヒロインはびっくりしたようで瞬きしてる。

「ノートン以外、その女に籠絡でもされた?」

 吐き捨てるように言う義弟。

「……申し訳ありません」

 立ち上がっていて良かった。頭を下げるのに立ち上がる動作を省ける。

「お姉様!」

 お前が一応私のために言ってくれてるのはわかってる。

 だけど、いやだから、私が頭を下げるしかないだろうが。

 だけど義弟は姉の心義弟知らずというのか、あろうことか舌打ちしやがった。

 ああもうほんと、私昔から年下には舐められるから嫌なんだよな……

「ルディとエディはお姉様を早くお部屋に」

「は」

「かしこまりました」

 ……いや、うん、仕方ない。ずっと寝ていて、起き抜けに頭を上げたり下げたりしたものだから、立ち眩みだ。

 倒れないように咄嗟にテーブルに手をついたけど、まずかったかもしれない。

「他は――……こちらの方々を丁重にお見送りして」

 言い直せて偉い。後で口の悪さを叱って、それから言い直せたことは褒めてやらないと。

 メイドが「お嬢様、触ります。ごめんなさい」って小声で言ってから、私の手を引いた。

 申し訳ないけど、平衡感覚がちょっとかなり狂ってるから、全力で手を掴ませてもらった。驚いたメイドが、「ルディっ」って緊迫した声で護衛その1を呼ぶ。

 どうすれば真っ直ぐ立てるかわからない。

 ドアが開く音がして、誰かが入ってきた。

 ――入ってきた?

 しかも多分複数人。

 視界の端に数人分の、護衛の服が映る。

 公爵邸だからか、護衛は私に付いている護衛その1以外にも大勢いる。

「……公爵令息、度重なる非礼はお詫びいたします。ですが、殿下に」

 そこまで聞こえて、あとはドアの開閉音に掻き消された。

 セキュアさんは何を言おうとしたんだろう。非礼はこっちにあるから、そこは後で義弟にも言い聞かせないと。



 大人しく部屋に連れて行かれ、殿下もいるからということで着替えた服を、寝巻きに変えてベッドにも入って目を閉じる。

 流石にここに来て、おかしいと思い始めた。


 元来私の体は丈夫にできている。

 日本で生きていた頃だって、かなりの無茶をして精神を病んだことはあったが、体の方は至って頑健だった。風邪を引くことは滅多になかったし、罹っても3日で治った。持病と言えば花粉症くらいで、お腹は弱かったが、そもそも倒れたり気を失ったりしたことは一度もなかった。

 酷い貧血で目眩を起こしたことはままあったが、それでも前後不覚に倒れることはなかったのだ。意識はあったから。


 そして繰り返しているこの世界でも、別に私は病弱なんかじゃなかった。

 仮病は何回か使ったが(お披露目会が嫌だった)、むしろアレルギー症状すらないこの世界ではより健康だったと言えるくらいだ。


 つまりこれは、やっぱりあれだよね。キャパオーバー。豆腐メンタルがもう限界っていうこと。

 

 知らず顔を顰めていた私は、メイドの声に目を開けた。

「私たちはお嬢様の味方です」

 そこは疑ってない。だってこの人たちは、最後まで私の味方だった。本当に、いつも、最後まで。

「お嬢様に早くお休みいただくために、アベル様の発言が都合よかったから乗っただけです。アベル様の命令に従ったわけじゃありません」

 ……さすが、私のメイドは、私の性格の悪さを知り尽くしている。

 今はちっとも考えてなかったのだけれど、私は大切な人に、私以外の誰かを最優先されるとそりゃあもう腹が立ってしょうがないっていう、根暗性悪メンヘラ気質だ。

 私が退室する意思を示していなかったわけだから、そこをフォローしなきゃ! って考えるのは妥当。すごく。

「何があっても、お嬢様の味方です」

 ……うん。ほんっとうにそうだった。最後の日まで、そうだった。

 私みたいな、なんの取り柄もなくて、性格も悪く面倒な人間の世話をずっとしてくれて、最後までそばにいようとしてくれた。

 この人がいなかったら、私は何もできないしどこへも行けない。

「ありがとう」

 優しく、どこか嬉しそうに微笑む。

 私は孤立無援で頑張れるほど強くない。だから、この人たちがいる今くらいは、頑張りたい。


 とりあえず、睡眠優先で。

 先生にも言われたし、日本で生きていた頃の私は、ずっと「これが終わったらゆっくり眠りたい」くらいしか願いがなかったからなー……後は人生の終わり。


 殿下へのお詫び文は、後で良いや。

 それと先生に本音を、あと義弟は叱ってから褒めて、それからヒロインにもお詫びを――



 夜半。昼間寝過ぎたせいで、流石に寝付けない(二度目)。

 私は疲れ切っていると食欲が消え失せるので、食事もそこそこに睡眠を優先した弊害でもある。

 多分元気なヒロインだったら、お腹が空いて眠れないとかあるのかもしれないが、悲しいかな、そんな経験今までしたことないんだよねぇ……

 体の疲労が半端なさすぎて、食事っていう負荷に耐えられなかったのかな。

 月明かりの感じから深夜だ。流石にメイドも自室に引き取っている。

 いつもの癖で外の空気を吸おうと窓へ寄ると、夜目にも輝く銀髪が目に映ってうっかり息を止めそうになった。

「……せ、」

 昔の私ならこれだけ月が明るければ、視力の悪さを差し引いても輪郭くらいはわかるんだが、今の私の黒瞳じゃ見えないらしい。

 恐る恐る近づくと、うっすら、先生らしき人影が微笑んでるのと、その隣。薄ぼんやりと――護衛その2もいた。

 黒髪黒目は忍びに最適とか言うけど、黒かろうが何だろうが月明かりがあれば見えるわアホか、と思っていた私は、やっぱり自分の夜目の効きっぷりを考慮してなかった。

 なるほど、確かに黒猫は不気味だわ。

 つまり、目しか見えないし、急に現れたように見えるんだろう。

 窓を開けてバルコニーに足を踏み出して、やっと護衛その2の輪郭がはっきりわかった。

 二人とも笑ってる。

「夜分にすみません」

 先生は微苦笑、護衛その2も同じだけど、なんていうか、より困ってる感が伺えた。

「……いえ、こんばんは」

「こんばんは。すみませんね、こんな時間に」

「いえ、……何か、ありました?」

「いやぁ、まぁ。にしてもマリー様、驚きませんね? どうやって来たかとか気になりません?」

 いや驚いてるし。来方はまぁ……知らんけども。

「懐かしいなぁと少し」

 言いながら笑ってしまった。

「え?」

 先生の疑問符に、私は首を振る。

 護衛その2は破顔して、人差し指を口の前に立ててウインクした。

 先生には言わない方が良いということだろう。もとより言うつもりもなかったので、軽く頷くと、先生も護衛その2を振り返った。その時には、もう彼はウインクも人差し指も解除していた。

「スクールと王宮の方へ、それぞれ公爵夫妻――旦那様と奥様から、申出というか通達というか、がありまして。あれってお嬢様の意見もちゃんと入ってるのかな、と思って、確認に来たわけです」

「……今?」

 なんで言い直したんだろう、と思ったけど、もしかしてこれはあれか、以前一度あった、私の護衛としてってやつかな。

 それにしても、わざわざこんな時間に、この場所で?

「ですよねぇ。俺もそう思ったんですが、こいつと話し合った結果、こうなりまして」

「お嬢様ご自身のお気持ちを、どうしてもお聞きしたかったんです。すみません」

 申し訳なさそうに謝られると、癖で「いえこちらこそすみません」と言ってしまう。

 ――ああそれで、とにかく眠るようにって言われたのか。

「私の、気持ち、というのは……申出と言うのは、どのような……?」

 二人はちょっと顔を見合わせて、先生は頷いて、護衛その2は肩を竦めて見せた。

「俺が言うよ。マリー様、申出は大きく2つあります。マリー様のスクールからの自主退学」

「は?」

「代わりに、坊ちゃんの編入。理由として、マリー様は次期女公爵として擁立。正式に公爵位を継ぐマリー様に王子妃はの立場は無理です。婚約は解消。代わりに王女殿下と坊ちゃんの婚約の提案」

「……公爵がご健在の今、スクールを退学される必要はないはずです。あくまで私見ですが、現状、お嬢様に王子妃のお立場は負担が……ですが、公爵としての公務も、その……」

 めちゃくちゃ言葉濁されてるけど、まぁ私に王子妃としての適性も公爵としての適性もないのはわかり切っている。人の顔も名前も覚えられない人間がなっていい立場じゃないしね。私自身もどっちもやりたくない。本音はそう。

「一応ね、こいつも立場的には引き留めなきゃならん側ですし、校長にも意見を求められればそう答えるしかない。まぁお嬢様がそうしたいってんなら、俺もこいつも立ち位置変えますけど、あんまり急な話です。お嬢様の体調的にも、落ち着いて考える時間があったとも考えにくい。スクール側としてはせめてまずは休学をって意見として出すわけです」

 引き留めるよね、学校はね。そうね。私も日本で、大学を辞めることになった時、学科の先生全員で取り囲まれて休学でって言われたわ。

「ただ公爵夫妻もそこは織り込み済みで。マリー様は建前上公爵になるんですけど、公爵夫妻の引退後も……実務はお二人が育てた人材が、公務は公爵が選んだ人をマリー様の婿にとって、やらせるそうです」

 なるほど。完全なる「お飾り」か。

「お二人とも、お嬢様の体調を一番に考えてらっしゃるが故のご決断だと思います。ただ、……今までお嬢様が努力されていたことを私は知っています」

 泣き笑いみたいな顔で言われた。

 それは別に構わない。私の努力はいつだって報われないし、元々私は、何に対してもやる気なんて欠片もない。責任を負わない立場でいられるなら確かに気が楽だ。

 ただ。

「あの……義弟は、それを承諾したのでしょうか」

 王女殿下はまだご入学されていないはずだから、まだ接点はないような……いや、私と違って方々のお茶会に参加している義弟は面識があるのかもしれないが、義弟が好きになるのはヒロインのはずだ。告白して振られるならまだしも、告白さえできない立場に私のせいで追いやられると言うのは、それはどうなんだ?

「坊ちゃん?」

 不思議そうに護衛その2が首を捻る。

「お父様は、その……少し、義弟に対してその……私の態度も問題なので、あまり言えた義理ではないのですが」

「いやいや、この屋敷内で一番坊ちゃんへの態度が柔らかいのはマリー様ですよ?」

 そんなわけあるか。流石に私への同情が過ぎる。

「坊ちゃんの誕生日を祝うようになったのもマリー様が言い出したからですし」

「……家族の誕生日を祝うのは、当然のことだと思っていたんです」

 義弟が来てから初めての私の誕生日で、私は社交的じゃないから、いつも通り家族と使用人だけだが盛大に祝ってもらっている時に、ふと義弟の誕生日を聞いたら、「先月です」と。

 先月にはもうこいつは義弟になっていたのに、私は何もしていなかったことに驚いた。

 私の初対面があんなだったから、私は呼ばれなかっただけで祝われたのだろうかと一応聞いてみたら、お父様はさも当然とばかりに「特に何も?」ときょとんとした顔で言い放った。

 グレるだろそれは。こっちの都合で引き取っておいて、なんで誕生日くらい祝わないのだろうか。本人がこの家を嫌っていて拒否するならともかく、当てつけのように義姉の誕生日をこんな派手に祝っているところを見せつけるとか、どんな嫌がらせ?

 と、そこまで考えた上で、多分準備が間に合わなかったんだろうと、思い至った。あの時はまだ、義弟が『捨てられる』と口にするような扱いをされているとは思っていなかったから。

 私は最初の人生で弟と大差をつけられてここまで捻くれたんだから、人ごとと思えなくて翌年は派手に祝ってもらった。

 私にはできないガーデンパーティーもやってもらった。私は苦手なので引きこもっていたが、歳の近い子供たちも多分呼ばれていたはずだ。どうなったか知らないが、義弟が望むなら、そして向こうも望むなら、義弟の実の両親も招いて欲しいと言った。親子間の問題はデリケートだから、本人の意思に沿うようにと強調してお願いしたから、多分大丈夫だったと思う。

 両親との時間も大切だから、私はその間自室で本を読んで過ごしていた。

 私は誰かの心が傷つくのは嫌でしょうがないから、結果がどうなったのかは怖くて聞けなかった。

 それからは毎年ちゃんとバースデーパーティーはやった。公式なのは私は不参加だけど、内輪のは仏頂面だが一応出ていた。


「そんなマリー様のお陰で、坊ちゃんはこの家で人権を与えられたわけですから、公爵から話があれば、当然承諾すると思いますよ」

 ……いや、私の態度が一番問題なわけであって、お父様の態度は私のせいだと思うんだよなぁ。お父様は優しいし、雇い主のお父様が優しいから働いてるみんなも余裕があってこんな私にまで優しくしてくれる。

 だけど義弟はその私のせいで微妙な居心地なのかもしれない。その上で、また勝手に将来を変えられるとか、あんまりじゃないかな。

「あの……承諾したとしても、それは、義弟の本意なのでしょうか」

 あの子は捨てられると思ってるくらいだから、嫌な命令でも承諾するしかないだろう。でもそうやって脅されて自分の意思を曲げるのはすごく辛い。尊厳を踏み躙るような真似をされるのは私は一番がまんがならない。

「お嬢様は優しいですね」

「――っえ」

 先生、らしくない、ちょっと硬質な声と、それに合わない内容に引き攣ったような声が出た。

 護衛その2がやたらでかいため息をついたので、そっちに視線が逸れる。

「マリー様、ちょっと確認させてください。マリー様は坊ちゃんのこと好きなんです?」

「いいえ」

 昔ほどの嫌悪感は減ったが、それでも悪いが好きとは言えない。

 意外そうな顔をされて逆に驚いた。

「……その割に、坊ちゃんのこと気にしますね?」

「……いえ、ただ……私のせいで親元を離れることになったのに、ここにきてまた私のせいで将来を勝手に決められるのは、あまりに申し訳ない、と思って。もちろん、義弟が王女殿下と親しい間柄だとか、好意を持っているのであれば、私の気がかりにはなりません」

「あぁ、そういう――」

 護衛その2が先生に目配せ(なのかアイコンタクトなのか)すると、先生はちょっと苦笑して、それから私の方を見た。

「お嬢様はあまりお話しされないのですか?」

 私と義弟のお茶の会話は、互いに当日あったことの報告会だ。ただ、私が名前を覚えられないことを義弟には話してあるから、誰それと話したとか仲良くなったみたいな話は、義弟からは聞かない。私としても義弟に関心がないせいでわざわざ尋ねることもない。

「……あまりそういった会話はしたこととがないんです」

「それでもお嬢様のお気持ちは十分伝わっていると思いますよ」

 私が嫌っていることはできれば伝わらないで欲しいんだけども。

「お嬢様がそうやって心配されるように、私たちもお嬢様の本意を知りたいんです。今回のこと、どう思われますか?」

 私の本意? 私の本意なんてそんなの、……ただ楽に生きたいと言うのが本音だ。できるだけ誰も苦しまず、私の周りの人たちが無理もしないで笑って過ごせるような、大好きだったライトノベルの言葉を借りるなら、絵空事みたいな幸せな世界。

 でもそんな大それた願いを抱いて良いのはきっとヒロインだけだろう。だからこれは言えない。

 私に言えるのは、

「退学は……約束があって」

「約束?」

「来年の入学式が終わってからでも良いでしょうか?」

「マリー様。俺たち一応マリー様の退学を阻止する側なんですよ今のところ。だから退学前提に考えなくて良いんですって。で、その前提の上で聞きますけど、今の言い方だとやっぱり積極的に退学したいって考えてるわけではないんですね?」

「……退学できるなんて考えてもなかったです」

「そりゃそうか」

「確かに、前例がほぼありませんね」

「まぁ変だと思ったんだよな。マリー様、不真面目なのは嫌いって言ってたし」

「今のマリー様のお身体を考えれば、退学はともかく休学されても不真面目とは言いませんよ」

「……あの、私、その……倒れておいて信憑性ないかもしれないですが、そんなに体調不良と言うわけでは」

「お嬢様、今日のお食事は?」

「……はい?」

「今日、何食お召し上がりに?」

「……」

 ええと……夕食は食べずに寝てたから、朝は起きてなかったし、昼は食べたっけ、どうだったっけ……

「嘘だろおい、マジで全然食ってなかったのかマリー様」

 敬語抜けてますよどうしました? っていうかうん、……食べてなかったかも。もちろん食事を優先するメイドが、ちゃんと用意してくれてたんだけども、食べようとしてスプーンを持って、そのまま動けずにいたら、なんだか無理に笑ったような表情で……

「俺がいた時はちゃんと食ってましたよね? いつからですか?」

「えっと、いえでも、……最近……食欲にちょっとムラがあって、ずっと食べてないとかいうわけでは……」

「まさかダイエットじゃないですよね?」

「……太ってましたか?」

「世の女性に殺されますよ」

「……痩せてましたか?」

「……明日休みだし乗馬服着てくれませんか?」

「あ、乗馬最近してませんでした。筋肉が落ちたのかも」

 それで腹減らなかったのかも。

「午後からにしてくださいね。ゆっくり休んでからですよ」

「とりま、退学がマリー様の意思じゃないってのも聞けたし、残りは明日聞きますよ。明日はあのキ――」

「キャロル嬢です」

「キャロル嬢と殿下は連れてきませんから、安心してください。そこらへんもちょっと聞きたかったんですが、まぁあんまり居座るのも、お嬢様に風邪引かせるわけにゃいきませんし」

「慌ただしくてすみません。また明日参ります」

「え、あ、はい」

「おやすみなさい」

「……お気をつけて。おやすみなさい」

 大学は退学したけど、あれだって私の意志ではなかった。決めたのは私だけど、お金がどう頑張っても足りなかった。高等教育と縁がないんだろう。まぁ学者になれるほどの閃きも探究心も私にはないから。

 なんて思いながら、テラスへの窓を閉めようとした時、護衛その2がふと思い出したとばかりに「あぁそうだ」と呟いた。

「一応元護衛から差し出がましいですが。知らない人間が夜中テラスにいたら、ちゃんと使用人を呼んでくださいよ。そのためのベルです」

 枕元の小ぶりなハンドベルみたいなのを指差して言われた。

 ――そういえば、私の……日本で生きていた頃の私の悪夢の定番は、声が出なくなることだった。なんだかよくわからない影のようなものに追いかけられていて、必死で逃げ回る。助けを求めても誰も来ない。それは当然で、だって叫んでも声が出ないから。

 実際、叫ぶ必要があるシーンなんて現実ではそうそうない。でも確かに、あれがもし現実になったとしても、あのベルがあれば安心だ。

 いつもちゃんとメイドが来てくれる。

 とはいえ、私は結構夜も起きてるけど、ここに人が立ったことなんて、今日で二度目だ。どっちも知り合い。

 うっかり返事を忘れてつらつら考えていると、護衛その2は笑って手を振り、閉めようと思っていたテラスへの窓を閉めてくれた。

 先生も軽く頭を下げる。辞去の挨拶にしては長いから、私がベッドへ戻るのを待っているのだろう。多分、どうやってここへ来たかは知られたくない?

 私も礼をとって、それからテラスへ背を向けた。



 明けて翌朝。

 本当に来るのだろうか、と思いながら、いつも通りの休日の朝を過ごしていると、本当に来訪の知らせが届いた。

 と言っても、二人はほぼ身内のようなものなので、そんなに堅苦しいものではなかったようだ。

 私は確かに線引きしすぎていたのかもしれない。

 乗馬服をお願いすると、メイドが目に見えて慌て出した。

「……あの?」

「今のお嬢様に合わせて仕立て直していないのです。ご用意が」

「前に作ってもらった乗馬服が良いです」

「ですが少しお時間を……修繕しますので」

「どこか傷めましたか?」

「いいえ。……サイズが」

 いやそれで良いんだ。痩せたかどうかの確認なわけだし。

 理由を話して(勿論夜分の来訪は隠して)お願いすると、ものすごく渋々といった感じで出してくれた。……あれかな、プロフェッショナルとしての矜持を傷つけることになるのだろうか。

「あの、……ちょっと着てみたいだけなんです。一度自分で着てみて、あまり見苦しいようなら、まだお二人がいらっしゃらないければ、修繕をお願いしても良いですか?」

 それでメイドは機嫌を直してくれた。

 良かった。


 手渡された乗馬服を身につけていく。

 乗馬服は割と一人で着やすい方だけれども、それにしても……

「……生地が伸びた、わけではないですよね」

「お嬢様お召しになる布地は全て一級品です」

「……私、……その、……」

 メイドが息を呑んだ。

 顔を上げると、またあの表情だ。泣きそうなのを我慢して無理に微笑んでる。

 押さえていないと落ちてしまう服を、メイドが断ってから、代わりに押さえてくれた。その時見たメイドの手と、私の手。

 1回目の人生の私の手は、指が短くて太くて、関節が目立って、掌は厚くて手の甲はガサガサで。

 今世の私の手は、白魚のような手、というのはこのことだろうと人ごとのように思ったものだったが、今はメイドに比べて骨張っていて、……あぁ、私、また、気づかないうちにやばいところまで来てたんだな、と思った。

「……その、急で申し訳ないですが、修繕、お願いします。きっと乗馬の後はお腹が空くと思うんです。だから、ええと、クリームティーを」

「アフタヌーンティーセットをご用意します」

「……」

「食べやすいものを多めに。紅茶はミルクをたっぷりでご用意します」

「ありがとう」

 きっとキューカンバーサンドイッチが1皿を、チョコ菓子が1皿を独占しているだろうアフタヌーンティーセットを想像して、私は笑いながらお礼を言った。

 祖父が生きていた頃、私はかなりの偏食だった。野菜はどれもこれも味が強くて好きではなかったけれど、唯一嫌わずに食べられた野菜がきゅうりだった。思い出のせいなのか、今でも私にとってきゅうりは食べやすい。

 ファーストドリンクは紅茶じゃなくてカリン湯かもしれない。


 公爵家の人間はみんな優秀だ。瞬く間に体に合わせてくれた乗馬服は、以前の私が着ていたものと大差なく見える。

 これを着ていけば、そこまで心配されることもないはずだ。

 多少痩せたかな、くらいならそんなに気遣わせることもないだろう。

 


 結果的に、私の目論見は見事に外れた。

 護衛その2は、朗らかな人で、屋敷の人にもすぐに受け入れられていた。私の護衛ではあったけれど、いろんな人と話しているのを見たことがある。

 だから、なのかもしれないが。

 二人の前に姿を見せた直後、使用人たちと話していて笑顔だった護衛その2が、こっちを見て顔を強張らせた。

 それが怖くて、私は一歩引いた。

 断罪の場で、この人は嘲笑ってたはず。だから違う、大丈夫。

 震えそうなのをそう言い聞かせる。

「ルディ! お前っ――」

「やめなさい。女性に対して――それにお嬢様の前ですよ」

 護衛その2の前に腕を上げて、言葉でも動作でも彼を止めた先生は、腕を下げると固まっている私に向かって、宥めるような笑顔を向ける。

「……なるほど、あの制服は目眩しか」

 護衛その2の顔も、まだ固いけど苦笑いに変わった。

「マリー様。今日はこいつと乗ってくれます?」

「え?」

 指差す先にいるのは先生。

「そこまで細くなってたら、相応に力も落ちてますよ。一人で手綱なんてまず無理ですね。下手したら落馬します。万一落馬しそうになった時、支えられてマリー様の負担が一番少ないのはこいつでしょ」

 ……まぁ、確かに私、前に一度先生の膝で寝落ちしたからね。

 声を荒立てたメイドに向かって、護衛その2が掌を向けた。

「俺たちがスクールで役立たずだってのはまぁ認めますけど、マリー様がこんなになるまで、そちらが手を拱いてたのも事実でしょう? ここは任せてもらえませんか」

 ……何かもう、言いたいことがありすぎて何から言えば良いのか。

「お嬢様、お腹は空いていませんか?」

「え、あ、はい。全然」

「体調はいかがですか?」

「大丈夫です」

「乗馬は……」

「したいです」

 私は確かに引きこもりだし、昔の願いは一日中寝ていたいだったけれども、体を動かすことが大嫌いというわけでもない。

「先生はその格好で乗馬されるんですか?」

 ……ちなみにこれ言ったのは私じゃなくてメイドね。なんかメイドが言ったとは思えないくらい刺々しいというか、若干小馬鹿にしたニュアンスの口調だったんだけど、内容は確かに。

 先生は今も丈の長い、あんまり男性が着ないような服を着てる。

 ……だからって、断罪された時の服で来られると多分私またメンタルダウンしそうだし……

 もしそうなら、申し訳ないけど護衛その1と乗馬にさせてもらおう。

 それか仮病使って乗馬自体やめて……いや我ながらクズだけども。

「心配ご無用ですよ。こいつその気になりゃ貴婦人の嗜みの横乗りもできま――いっ」

 ……護衛その2が爪先抱えて跳ねた。

 先生何かしたんだよね? 前に女扱い怒るって言ってたもんなぁ……でもこれ結構ガチで嫌がってる気がする。

 ……私余計なこと言ったかな……

「あの、……大丈夫ですか?」

 とりあえず屈んで声をかける。

「痛てて……まーこれくらいはいつものことなんで……つっても痛いけど……マリー様の方は? 多分頼めば横乗りしてくれますけど、大丈夫そうですか?」

「……あの服って、馬に跨れる感じですか?」

「あぁ、一応アレ、丈は長いし生地薄いですけど、分類的にはコートなんですよ。後ろに切れ目入ってるでしょ?」

「……あ、ですね」

 横目で見て確認した。先生はメイドと何か内緒話的なのをしてる。

「にしても、マリー様って本当に興味ないんですね」

「……すみません、昔から、目には入っても認識しないと記憶に残らなくて……自分が昨日

何を着ていたのかも正直曖昧です」

「――……なるほど」

 ちょっと間が空いた。

 流石にそこまでじゃないと思って呆れた感じ?

「まぁ今日は気楽に楽しんでください。あいつああ見えて乗馬も得意ですから」

「はい。……なんだか、懐かしいです」

 公爵邸の広い庭。メイドと護衛その1とその2。話し声と、風が揺らす葉擦れの音。庭師とお母様が丹精込めている花々の香り。明るい陽射し。

 このメンバーで昔は良く、この庭を散歩した。

 そして先生がいる時には、この庭でお茶をすることもあった。すぐになくなってしまったけれど、その2つの時間が、私は結構好きだったんだな……

 郷愁に近い思いに駆られる。

 きっと優しい家庭で育った人が、大人になって、久しぶりに里帰りした時は、こんな気持ちなんじゃないだろうか。



 先生にアシストしてもらって、久しぶりに馬上の人になれた。

 本当に筋肉が落ちてるみたいで、馬に乗るのも一苦労だった。

 ……やばい、これは確実に運動不足だ。

 例えるなら、大人になってから初めて一輪車に乗るみたいな不安定さが怖い。思わず鬣を握り締めそうになって、痛いだろうなと思って慌てて力を緩めた。

 そうこうしているうちに、先生が後ろに乗った。

 護衛その1は今日は一人で馬に乗ってる。護衛その2は、馬には乗らずに私たちが乗っている馬の前にいる。

「じゃあまずは軽く一周で。俺を追い越さない程度にゆっくりでお願いしますよ、先生」

「わかっています」


 ぽかぽかの陽気で居心地は良い。久しぶりの乗馬は手綱の操作も何にもしなくていいとはいえ、バランスを取るだけで腹筋にくるものがある。

 鬣を掴んだら馬が痛いだろうなと思ってオロオロしていた手の置き場は、先生が「失礼しますね」と言ってお腹に腕を回してくれたのでそこに着地した。

「……昨日のお話の続きをしても良いですか?」

「はい」

 私も大切なことを言っていなかった。

 私は昔から、家族というものに憧れていたせいか、真っ先に頭に浮かんだのは義弟のことだったが、他にも気にしなければいけないことがあった。

「先生、お願いしたいことが」

「なんでしょう?」

 後ろからの声は優しい。顔を見ていなくても、安心して話せる。この方が、表情を取り繕わなくても済むから楽だ。

「……私の言い方は誤解を生みやすいみたいで……その、……もし、お願いできるなら、……お母様に、私の体調不良は殿下のせいではないと、……お母様を一緒に説得していただけないでしょうか」

 声が若干震えたが、なんとか言い切った。

 ――けど、しばらく待ってみても返事がなかった。

「……あの」

 やっぱりだめだろうか。先生は昔うちの家庭教師で、今もスクールの先生で、私が倒れた時の状況を知っている。スクールでの一度目の過呼吸はともかく、多分今こうなっている原因の倒れたことに関しては、殿下は何もしていなかった。その時の説明役として、先生はもっとも適任だと思う。

 それに、よく考えたら先生は賢者殿としてなら、公爵夫妻と直談判することも可能な立場だ。貴族階級としては下から数えた方が早くても、王家と筆頭公爵家と象牙の塔のトップは、同じテーブルにつくことも可能。

 だからお披露目会にも先生は招待されていた。

 ……と、ここまでは我ながら嫌な言い方だけど、先生の利用価値の話。

 でも、先生が私のお願いを聞くことで得られるメリットは、正直ない。

 だからこれは完全に私の甘えだ。

 断られても仕方ない。

 前にお見舞いに来てくれた時に言われたことを、また額面通りに受け取って、度を越した。

 いつもの私のダメダメパターンだ。

「それは……難しいですね」

 や、やっぱり。

「すみません、忘れ」

「ああいえ、そうではなく。お嬢様のお願いなら叶えたいです」

 やっぱり公爵夫妻相手となると難しいよね、先生の性格的にも、あんまり面と向かって話してるとこ見たことないし……。

「ただ、私は原因が殿下にないとは思えないのです」

 思わず振り向こうとして、バランスを崩しかけた。先生の腕に力が入って、慌てて前を向く。

「……すみません」

「いいえ。……もちろん、信じていますよ。殿下はお嬢様に暴力を振るってはいない。ですが、殿下のお振舞いやそのご婚約者というお立場が、お嬢様のご負担になっているのは否めないと私は思います」

 それはまぁ、なんせ何回も殺されてるし、それを差し引いても、私は王子妃向きじゃない。社交能力0だし、向かない理由ならいくらでも挙げられる。

「以前、気が重いと仰っていたでしょう?」

 ……あぁ、うん、懐かしい。一目で私がこの婚約を望んでいないことに気づいた先生は、こんな声音で、子供が秘密を共有しやすいように。そうやって、悪戯っぽく笑って、聞いてくれたんだ。

 それから、「よく、頑張りましたね」と言ってくれた。本音も教えてくださいね、とも。

 私は昔から、言葉を遮られたり強く否定されると、面倒になって相手の主張を受け入れてしまう。

 後は相手の言葉を全肯定して、早くその話を終わらせようとしてきた。

 内に溜め込んだ本音とは真逆の言葉を笑顔で並べる。辛かったけれど、そのほうが楽だったから。本音を言おうとすると涙が出てしまう。泣くとより怒られるし、次に来るのは暴力。

 それを頭の中で想定してしまうから、もう何もかも面倒になって楽な方に逃げる。

 だから、何度も本音を聞こうとしてくれる、話を遮らない、笑顔で受け入れてくれる先生が、本当に救いだった。

「……今も気が重いです。私は……でも、でも、殿下のせいでは」

「お嬢様が気がかりなのは、婚約の解消ですか? それとも、殿下の有責となることですか?」

「私は、……」

「ゆっくりで良いので、本音を聞かせてくださいね」

 本音。本音は、……

「婚約は、結婚は、したくないです。……私は、したくなくて、でも……殿下が、悪いわけじゃないのに、私のせいで――」

 お母様に訊かれたのだ。私はその時、うまく答えられなかった。


「ねぇ、マリー」

「はい」

「殿下のこと、どう思ってる?」

 ……まともな人だと。

 きっと綺麗な人だと思う。外面も内面も。

 だけどそれは私にとってじゃない。

 別に厨二病じゃなくても、世界に受け入れられない人間ってのはいる。

 多分、決定的に人とうまくやっていけない人間ってのはどうしてもいる。

 厨二病だったら、逆にそれを選ばれた人間だと思ってどこかかっこよく感じるのかもしれない。

 そうだったら良かったのに。

 世界を恨んで。自分は正しくて、世界が悪いんだと思って。

 だけどあいにく、私は自分が正しいなんて思えない。自分のどこかが決定的に間違ってる。

 だから、まともで、綺麗な人が、私にだけああいう感じになる。

 そうやって物思いに耽った私に、お母様は「そう」とだけ言った。

 それで顔を上げた私に、お母様は微笑んだ。お母様は吊り目がちの美人だけれど、そうやって微笑むとやっぱりとても綺麗だ。

「お母様に任せて。今な何も考えずに、ゆっくりお休みなさい」


 あの時だ。多分、あの時、お母様が何をするつもりだったか、ちゃんと聞いておけば。

 

「……お嬢様は、まだご家族や使用人の皆様から、今回のことについて、何も?」

「え――あ、はい。先生たちが夜に教えてくださったこと以外は、何も聞いてないです」

「……それは……何も答えていただけなかった、ということですか?」

「あ……すみません。私、その……ずっと眠っていて、……気が付いたら、もうお父様もお母様も……」

「では」

「あの……義弟は、私……あまり話したくてなくて、……聞かなかったんです。まだいるのかどうか」

「そう、ですか」

「……すみません、先生たちが来てくださるなら、そこで詳しい話も聞けると思って……でも、そうですよね、すみません。お願いをする前に、自分でできることを先にするべきでした」

「あぁ、いいえ、そういうことではなくて」

 先生の声に焦ったような響きが混ざる。

「……まだお聞きしたいことがあるんです」

 約束について聞かれたから、義弟との約束を話した。義弟の入学式に、在学生として迎えるのを楽しみにしていると言った。義弟が嬉しそうに頷いたのを覚えている。

 子供に我慢をさせるのは本来は難しいんだ。それを私は嫌というほど知っている。

 我慢をさせた上での引き換えを、無かったことにするのはどうしても嫌だ。散々されて、その都度落胆してきた。どうして自分だけ、とずっとそう思って生きてきた。だから。

 

 その後も聞かれたことにポツポツ答えていると、珍しくお腹が鳴った。

 ……ちなみに私は、滅多にお腹が鳴らない。

 お腹に手を回されているから、多分振動で伝わったよね……

「そろそろここまでにしますか。マリー様まだ病み上がりだし」

 いつもタイミングの良い護衛その2にそう言われて、ほっと息を吐いた。

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