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* 五里霧中 10

「で、お前は? 次のコマ担当ないよな?」

「ええ」

 殿下を二人で見送り、確認を取ってから「じゃあ付き合え」と人差し指を曲げる。

 親友は頷くこともなく、黙ってついてきた。

「気配は?」

「今のところいない。が、念の為頼むわ」

 部屋の外から物音はしない。ただ聞かれたくない会話だ。

「で、なんなんだよさっきのアレは」

「先に話しておいた通りですよ」

「……俺が聞きたいのは、被害者カッコ仮と加害者カッコ仮を同席させて事情聴取した理由だよ。被害者と加害者を同じ部屋に入れるなんて騎士団でも御法度だぞ」

「知っています」

「お前が知ってるのは知ってるよ。あのお嬢ちゃんもそれで騒いで大変だったんだぞ」

「私もキャロル嬢がまさかドアの前にいるとは思いませんでした」

 しれっと皮肉られて、俺は両手を上げて降参して見せたが、あまりにらしくない行動の真意は聞きたかった。

「さっきお嬢ちゃんが教室に向かった時から他の奴についてもらってる。大貴族が苦手っていう欠点はあるが、実力のある奴に」

 平民のお嬢ちゃんが殿下にあらぬ疑いをかけた。きちんと話を聞くと約束してとりあえず黙らせたが、聞いている間に変な噂を立てないように見張っていて欲しい、というのが、この親友とのやり取りの要約だった。

 まさかこいつが誰よりも可愛がっているお嬢様と殿下をいっぺんに同じ部屋に入れて話を聞くとは思わなかった。

 俺は殿下が暴力を振るったなんてこれっぽっちも思っちゃいないが、そういう訴えがあったのなら、被害者と思われる人間を加害者と思われる人間の前に連れ出すなんてまずしない。怯えるのが常だからだ。

 特にマリー様の男嫌いは筋金入りだし、実際に殿下の前で体調を崩した経緯が二度ある。二度あることは三度あるって言うからには、マリー様の迎えを手配した方が良い。そう思って目を離した隙に、あのお嬢ちゃんは件の部屋に押し入ろうとして、そこを俺が捕獲(穏便に)したってわけだ。

 俺の返事に安心したようで頷きを一つ返すと、アイザックは口を開いた。

「反応を見る必要がありました。露見した時には咄嗟に何かしら反応してしまうものです」

「……マリー様が倒れたから殿下は黒か?」

「いいえ。私が見たかったのは、殿下の反応ですよ。少なくとも殿下は、自覚できるような暴力は振るっていない」

「殿下の?」

「ええ。日常的に近しい者に暴力を振るう者は、第三者の介入があった時にある程度決まった反応を見せます」

「まぁ大抵認めねーわな」

「私が見たかったのは言葉を出す前の動き――目の動きや表情ですね」

 騎士団の人間が勘と言っているものと同じだろう。

「帝王学にはある程度それを制する術もあるはずですが、それを加味しても」

 頭を振る。

「お嬢様が否定の言葉を上げるまで、殿下の視線は第三者――私ですね、から外れませんでした。表情も純粋に驚き、驚愕の方が近いですね。何がしか後ろ暗いところがあれば、被害者の方を見遣ってしまうものです。口止めや苛立ち、口実、なんであれ」

 その辺の後ろ暗いところがある連中の顔はいくらでも思い出せる。確かにどいつもこいつも、醜悪な表情を一瞬見せる。取り繕うのが上手くても、不意を打たれると弱いもんだ。逆にうま過ぎるやつは表情が全く動かず、それが不自然さとして仇になる。

 殿下にその不自然さはなかったから、こいつの目から見ても白、ということか。

「……お嬢様が倒れる可能性も」

 項垂れて膝の上で拳を握る。

「いくらお前が天才でも、特にお前の大事なお嬢様のことだ。焦ったってしゃーない」

 俺は逆に、こいつがお嬢様に肩入れしすぎて、殿下の言葉をハナから退ける可能性すらあると思ってた。

 宥める意味と詫びの意味を込めて、白く震える拳に手を重ねた。

 二度ほど撫でる程度に叩けば、項垂れたまま緩く唇が弧を描く。

「あなたの人を見る目は信じています。キャロル嬢の言葉を鵜呑みにはしませんよ」

「お前たまに俺の頭ん中読んでるみたいな返しするよな」

「ただ、お嬢様が……」

 いいかけて唇を噛む。昔から、こうまでこいつがマリー様に肩入れするのは何かあると思っていたが、同時に簡単に他人には言えないことだとも思っていた。それがたとえ親友であったとしても。

「まぁ疑いの芽は早めに摘んどいた方が良いさ。問題はあのお嬢ちゃんだな。殿下の態度はまぁ問題……失礼ながら大有りだが、それにしても一気に飛躍し過ぎだろ。それにマリー様と共通点? 今までお前と殿下に秋波送っといていきなり宗旨替えってのもな」

 唇を噛み切りそうで見てられなくて、話を変えつつ緩く頬を抓る。吹っ切れて物理的な対抗手段を取るようになる前、こいつは何度か自傷めいた行動をしてる。せっかく綺麗に生まれたのに。

 頬を抓る手を苦笑しながら払いのけて、アイザックは口を開いた。

「私は、……お嬢様が今のお立場を重荷に感じているのなら、今回の件は利用できると考えました。……失望しましたか?」

「いいや。お前ならそのくらいやりそうだと思ってた」

「あなたはお嬢様をどう思いますか?」

 意味を取り損ねて間が空いてしまった。

「お嬢様の為人について」

「ああ、そっちか。――根っからの善人、ってわけじゃないだろう。つっても、生来のお人好しではある、と見てる。あれほど頭が良くなくて、読書家でなけりゃ、根っからの善人でいられただろうが」

「あなたらしい見立てですね。私もおおよそ同意見です。付け加えるなら共感、または感受性の高さ」

「悪人の考え方を知ってる。実際護衛として付いたことがある今は思わんが、お前から話を聞いてただけだった頃は、それなりにませたクソガキの類だと思ってたよ」

「言葉が汚い」

「悪い悪い。俺も殿下の婚約者ってのはマリー様に向かないと思っちゃいるよ。深読みするなら、今回の件は確かに打って付けだ」

「お嬢様はご家族思いの優しい方です」

「百パー殿下有責で婚約を解消できる」

 家名に傷がつくこともない。そして王室と筆頭公爵家が婚姻関係を結ぶことにより、王家に力が偏り過ぎるっていう未来も防げる。

 公爵家はその気なら王家にも喧嘩を売れる。だがあの公爵と夫人の掌中の珠が王家の下にあるとしたら?

「共通点というのは――」

「今じゃなく今後できるってことかもな。件の話が広まったとして、それが事実無根だと知るのは3人に絞られる」

「安心できる」

「殿下の反応は俺は見ちゃいないが、殿下も自分の態度が問題だとは思ってるはずだ。今回の件については、それがネックになって大っぴらに反論できない可能性はある。マリー様とお嬢ちゃんの間には共犯関係が出来上がる」

 そうなったら、マリー様の目の届く範囲に、お嬢ちゃんがいる方が確かに安心できるだろう。

「……確かに、筋は通る」

「ええ。お嬢様は今のお立場から解放される代わりに、平民の後ろ盾を」

「もともと今あのお嬢ちゃんは孤立してる。目立った嫌がらせなんかは受けちゃいないが、遠巻きにされてる現状だ。王子様に濡れ衣着せる見返りに、筆頭公爵家の後ろ盾を得られるならまぁ……」

「公爵家には令息もいらっしゃいますしね」

「坊ちゃんか。義弟を差し出す。まぁ目付け役には良いかもな。生涯籠の中。あのお嬢ちゃんがどんな贅沢を望んだところで、公爵家にとっちゃ痛くも痒くもない」

「ですが」

「マリー様がそこまで考え付くかどうかって話だよな」

「能力的には可能ですが」

「性格的に不可能だな」

「……あなたもそう思いますか」

 お披露目会の殿下とのお茶会を、こいつは見てなかった。あの時、殿下の発言にマリー様は目をまん丸にしていた。思いもよらない、考えつかないことを言われたって顔だった。

 こうしてみると、殿下とあのお嬢ちゃんは頭ん中が似ているのかもしれない。

「他人を陥れるのはマリー様の性格上、かなりの難題だと思うぞ。護衛を庇っ」

「は?」

 ……仔細を話すとこいつの逆鱗に触れそうだから黙ってたのを忘れてた。

「いや、お嬢様ってさ、誰かが困ってると無意識に助けようとする癖がある。護衛してて気づいた」

 納得したように一つ頷き、親友はまた難しい顔で口を開く。

「あなたの言うとおり、筋は通ります。ですが、そうであるなら、あの反応はおかしい」

「殿下の無実を訴え続けた?」

「……あれではまるで、ご自分のことのようでした」

「あ?」

「無実の罪で訴えられた人のような必死さです。胸が痛くなるような」

「必死に殿下の無実を訴えたって意味か?」

「ええ。お嬢様が加担していたとは私は考えません。ただ……キャロル嬢は恐ろしいですね」

「あんなお嬢ちゃんのどこをお前が恐る必要がある?」

「お嬢様は私を信用していないと、キャロル嬢が言ったでしょう?」

「お前を信用してなかったらマリー様は人間不信になるだろが」

 こいつだって苦笑してた。

 だというのに、今アイザックは随分苦く笑った。

「お嬢様は、私がお嬢様よりキャロル嬢を信じると思っているようでした」

 ――は?

 俺は余程間抜け面になったのか、アイザックが、ふっと笑った。

 それを見てようやく俺も何を言うべきか思い出す。

「今まで黙ってたが、今のお前は俺の話よりマリー様の話を信じるんじゃないかってくらいマリー様寄りの人間だが?」

 アイザックは虚を衝かれたと言わんばかりの表情で、少し首を傾げた。

「心外ですね。以前一度マリー様が言いそうにないことばかりあなたが言ったときも、頭から否定したりはしなかったはずですが?」

「……いや疑って着いてきただろお前」

「ともかく、お嬢様とあなたの意見が食い違うことはそうそうないでしょう。お嬢様は我を通そうとされる方ではありませんし」

「言い方悪くすりゃ八方美人だな」

「……えぇ」

 てっきり怒るものだとばかり思っていたから、表情に出たのだろう。アイザックは苦笑した。

「お嬢様は、意見を言うのは不得意なようです。特に感想の類は」

「感想? あんだけ本読んでて意外だな」

「何かを調べて要約する、メリット・デメリットを述べる、これらは問題なくこなされますが、感想を述べることやディベート――対面で相手の意見を否定するようなことを口にすると言うのは、特段苦手とされているようです」

「……確かに」

 思い返してみても、マリー様が強く誰かを否定するのは、坊ちゃんに限られる。それも躾と言える範囲だ。最近は躾の甲斐あって問題を起こさないせいか軟化しているとも聞く。

「そのお嬢様があれだけ強く否定するのは、殿下を庇っているからに相違ありません。ですが――」

「なぁる。お嬢様の為人を知らない人間からすれば」

「お嬢様は『私は言ってない』と」

「殿下に暴力振るわれたってか? なんだってまたマリー様はそう誤解を招く言い回しをするんだか」

 思わずため息が出た。頭をがしがしかきむしる。

「そこなんです。問題は、」

「殿下を嵌めようとして失敗したから言い逃れしようとしてる」

「そう聞こえる、というよりも」

「そうとしか聞こえねーよ。……先を読みすぎるのも考えもんだろ」

「お嬢様の性格を知らなければ、語るにおちた、と思うでしょう」

 誰が言ったかなんて話題にすら上っていない状態で、自分は言ってないだなんて、悪手にも程がある。

 前に公爵邸まで事情を聞きに行った時もそうだった。マリー様自身のことは呆れるほど露悪的に話す癖に、他人のこととなるとあからさまにぼかして話す。

「お嬢様は、キャロル嬢と二人で話す機会を作ると言っていましたが」

「あの女狐と二人は流石にまずいだろ」

 俺たち相手なら(良かぁないが)問題もない。マリー様の性格を知っている。だが、そうでないなら、マリー様のあの話し方はまずい。

 昔照れ隠しに忠告したことはあった。王宮に上がれば、公爵家のように礼儀を弁えた使用人ばかりじゃない。あまり下手に出た態度ばかりでは舐められることもあると。

 平民の女の子に対して貴族の男が抱く理想像なんて、下町を警護していれば早々に砕かれる。貴婦人たちの華美で豪奢で高慢な態度に嫌気がさして抱くような、儚さやあどけなさなんて、持っている人間もいるっちゃいるが、それは貴族の中の比率とさして変わらない。凡そ下町の女たちはしなやかで強かだ。

「わかった。いつ話し合うのか知らんが、学内なら俺が近くで張っとくよ」

「お願いします。……あまり長引かせたくありません」

 言いながら、緩く持ち上げた手を見つめて、キュッと握った。

 なぜか妙にその仕草が引っかかった。

「何を長引かせたくないって?」

「……お嬢様の今の状態です。……体が」

「さっき殿下が気にしてたことか」

「ええ。……おそらくほとんど食事を」

「は、いやそんな見た目変わってないぞ?」

「骨格や筋肉は生まれつき個体差が大きいでしょう?」

「……」

 栄養云々の前に、元々の生来生まれ持った素質ってのがある。どれだけ食っても体が大きくなりにくいやつがいる一方で、縦にも横にも呆れるほどすくすく伸びるやつもいる。

 ろくに栄養をとれなくとも、骨が太いやつは、服を着てればそう痩せて見えない。

 骨が太くて筋肉がつきやすい人間てのも中にはいる。

 マリー様は一度、俺がバルコニーから飛び移った時、明らかに心得のある人間がする飛び退き方をしていた。

 あの時は自殺されるかどうかと気が気じゃなかったから、さして気にも留めなかったが、体勢を低くして膝を曲げ、踵を付けずに右手で床を押さえるようにしてこちらを見上げた。

 左手の位置と良い、飛び退ったその一歩の大きさと良い、普段の俺なら口笛でも吹いてたところだ。敬意を表して。

 あの動き方は、骨格が太く筋肉もつきやすい人間のそれだ。つまり体が重く敏捷性にはいささか劣る。

 だから一歩で距離を稼ぐ必要がある。踏み込みの深さも踵を上げているのもそれを補う為。

 あれが偶然の産物ではなく、自分の体を把握していたからだとしたら?

「お嬢様は普段からあまり……お体の線が出るような服は好まれませんでした」

「――今となっちゃ、公爵の横槍にちっとばかり物申したい気分だぜ」

 マリー様が好まないデザインしかなかった制服を横槍入れて複数ラインナップからの選択制にしたのは公爵夫人、となっちゃいるが、多分公爵だろう。

 いっちゃなんだが、マリー様が普段好んで着ているあの制服は妙に野暮ったい。夫人が許すとは思えない。

 マリー様は体の線が出る服の方が似合う。現に屋敷にいた頃はそういった服をメイドも選んでいたし文句言わずに着ていたはずが、好んでなかったのか?

 体型が隠れる分、空元気も見破られにくい。

「……そろそろ、化粧で隠せる限度を超えそうですね」

「顔色も悪いってことか」

 俺の返事に一瞬驚いたような顔をした後、深く頷いた。

「公爵家令嬢付きメイドの腕は並ではないということですね。あなたの目も誤魔化せる」

「……いやお前見てわかったのか? っていうか俺が見たマリー様は気絶してたんだよハンデよこせ」

「何を争ってるんです?」

 確かに。

「お嬢様の肌はもっと透明感がありますよ」

「トウメイカン……」

 こいつが女性の肌について何か話すとは思ってなかった俺は思わず片言になっちまった。



 去り際、もう防音も解除したから例え聞かれても誰のことわからないようにと考えてか、以前叱られた汚い物言いでこう言われた。

「あなたの言う通りの女狐であるなら、そしてお嬢様が八方美人であるなら、女狐にお嬢様が操られる可能性もあります」

 なるほどね。

 マリー様にはずっと昔から違和感があった。追い詰められたように机に齧り付いてる、妙に老成した子供。

 自分の名前に対しての反応の鈍さ。

 固有名詞と人の顔の覚えの悪さ。

 その割に、馬に乗せたら乗りこなすのも早かった。

 そしてあの咄嗟の動き。

 役者のような演技力。


 反論を飲み込んでしまう、他者を否定できない、のなら。

 操られる、操られている、と言うよりは、全て知った上で傀儡になっている、の方だろう。

 それに納得もするのに、どうも頷けない自分がいる。

 

 それは、マリー様がああ見えて意外と頑固なのをこの目で見てきたからだろう。

 大抵のことは否定しないマリー様だが、一定のことには頑として譲らないところも見てきた。

 公文書偽造してまで、何処かから見繕ってきた子供を公爵家令嬢に仕立て上げたにしては、あの家全員がマリー様に甘過ぎるのもその一つ。

 必死で良い子になろうとしている子供。


 公爵が拾ってきた子供だとしたら、殿下の婚約者の立場は捨てられないだろう。そのために拾われたのだろうから。

 それならあの必死さも、終わりばかり望んでいたのも説明が付く。

 あいつが言っていたことよりもむしろ、辻褄は合う。

 共通点なら、まさにそれじゃないのか。

 本来この学園にいるはずがない人間。

 

 とはいえ、やっぱりこれも無理筋なんだよなぁ。

 どう見たって公爵夫妻の子供だろ。あの顔立ちと、あの色合い。

 それに表情。

 普段の気弱な表情はまるで似ちゃいないが、坊ちゃんを叱責した時のあの顔つきは公爵と瓜二つだった。

 そして、困ったように微笑む表情も、よく似ていた。

 

 マリー様は下手につつくと、追い詰められてどうなるかわからない。

 そうなった場合俺の命も冗談じゃなく終わりだろう。

 公爵・殿下・アイザックを敵に回したら流石の俺でも生き残れない。


 だとすると、探るならやっぱりあのお嬢ちゃんの方だな。

 

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