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* 王子様は悪役になりたくない 6

 ――お願いがあります。


 彼女がそう言って、僕は彼女の方を振り返った。

 いつも以上に顔色が悪そうに見える。

 大丈夫か、と声をかけようとしたのに、賢者殿に手で制された。驚いてそちらを見れば、静かに、とでも言うように、唇の前に人差し指を立てている。

「彼女に、伝言を、お願いします」

 キャロル嬢?

「必ず、後日お話しする機会を作ります。だから今日のところは、非常に申し訳ないのですが」

「先に帰らせてください、とお伝えしておきます」

 そう言いながら、賢者殿は彼女に近寄った。彼女はキツく服を握ったまま、小さく頷いた。

 と同時に、ふつりと糸が切れたように、彼女の体が前に傾いだ。

 それを、賢者殿が支えた。

「お嬢様!」

 彼女のメイドが真っ青な顔で叫ぶ。

「大丈夫です」

「どこがですか!?」

「……すみません、その……少し無理をさせすぎました。あの……」

 急に、賢者殿がなんだか落ち着かない様子になった。いつも……どこか高圧的というか、うん、多分僕の態度のせいだろうけれど。

「……申し訳ありません」

「お嬢様がもし目覚めなくなったらどうするんですか!? 前にもありましたよね!?」

「いえ、今日は……」

「目覚めなくなったとは?」

 聞き捨てならないよね?

「病気療養中だったと聞いたことはあります。ずっと意識がなかったと言うことですか?」

「……っ」

「……とりあえず、お嬢様をこのままにしておくわけには」

 賢者殿の言葉に、メイドが気色ばむ。賢者殿は慌てたように言葉を足した。

「お嬢様は私がお連れします」

 賢者殿が彼女を抱き上げて、ドアに向かう。メイドは何か言いかけたが、結局唇を噛んでドアを開け放った。すると、倒れ込みそうになって慌てた声を上げた――キャロル嬢が。

「これはキャロル嬢。盗み聞きとは感心しませんね」

「アイザック先生、ユニウスさんにお願いしませんでした?」

 ユニウスはキャロル嬢の後ろで溜息を吐いている。

「何をです?」

「……マリー様に何をしたんですか?」

「お伺いしていただけですよ」

「だけ? ……気を失ってるように見えますけど?」

「まだ体調が思わしくなかったのでしょう」

「私が聞いたら大丈夫って」

「マリー・アン嬢は無理をされる方ですから。キャロル嬢、伝言です」

 賢者殿が伝言をそのまま伝えて、暗に教室へ戻るよう促すが、キャロル嬢は見送ると言って聞かなかった。

「私がいた方がマリー様も安心しますよきっと」

「……お二人がそれほど親しい間柄だとは知りませんでしたが」

 僕も。

 賢者殿の目配せに僕も彼女のメイドもノートンもユニウスも否定を返す。

「私とマリー様には共通点があるんです」

 ――筆頭公爵家令嬢と、平民の女の子に共通点?

「それは興味深いですね」

 賢者殿が、ギリギリ疑っているとは思われない声音でそう返した。

「公爵邸には連絡しました。すぐに馬車を向かわせるとのことでしたので、そろそろ着くのでは」

 いつの間に?

 僕が驚いてユニウスを見れば、ユニウスはさっきまでのちょっと不機嫌そうな表情を緩めて僕に向かってウインクした。

「あぁ、そういえば」

 賢者殿が口をひらく。

 ――言いつけられるのかなぁ……。

 僕の不甲斐なさを。

 そんな嫌な予感しかない。あの日、倒れ込みそうになった彼女を支えようとして、手を伸ばして、それに声にならない悲鳴を上げた彼女の表情は、恐怖に引き攣っていた。

 そんなに怖がられているとは思っていなかったから、僕は自分で思っていたよりもずっと打ちのめされていた。

 今日、目の前で彼女が倒れるのを見ても、指一本動かせなかった。あの時の彼女の表情が浮かんで、婚約者が別の――彼女にとっては姉のようなものだって言ってはいたけれど、人に抱き上げられて運ばれているのに、何も言えないし何もできない。

「マリー・アン嬢は、殿下を嫌ってはいないようですよ」

「え?」

 僕と、キャロル嬢の疑問が重なった。

「殿下の無実をずっと訴えていましたから。お倒れになる直前まで」

 ――それ、は。

 キャロル嬢の、笑みを含んだ吐息でハッとして、顔を上げた。

「マリー様って、アイザック先生のことも信じてないのかも?」

「これは手厳しいですね」

 賢者殿は苦笑して、キャロル嬢は読めない笑顔を浮かべている。

 ユニウスが腹芸を誉めていたが、本当にそうかもしれない。

 薄桃色の髪と瞳、健康的な肌色、どこか幼さを感じさせる顔立ちに、すらりとした身体は小柄な彼女よりも背が高い。

 所作にも落ち着きはなく、視察で見る平民とさして変わらないのはマナーもスクールで習い始めたばかりだから。

 ユニウスが以前見た目は清純と言っていた。僕も最初はそう思っていた。平民の中には貴族に対して必要以上に遜る者や、逆に嫌悪してくる者もいる中で、キャロル嬢は良くも悪くも物怖じしない。

 行儀作法も未習得ということもあり、孤立しないよう気をかける程度はするべきだと判断されて、僕も従ってきた。

 だけどあの日以降、僕の中のキャロル嬢の心証は正直なところ下がる一方で、自分への腹立たしさもあって、あまり関わらないようにしていた。



 彼女の護衛の女性は、いつも以上に張り詰めた表情だった。賢者殿が抱えている彼女を見て、さらに険しい表情を見せたけど、何も言わなかった。あとでメイドから話を聞くんだろう。

 キャロル嬢は、彼女が馬車に乗るまで見届けると、先に教室へ戻った。僕が彼女に暴力を振るっていると、何故言ったのかなんて、心当たりがあり過ぎて聞けなかった。

 僕は誰かに暴力を振るったことは一度もない。だけど、……彼女に対する態度が、疑念を抱かれても仕方ないのは、僕もわかっている。

「……賢者殿は、彼女が倒れた原因を」

「精神的な疲労でしょう」

「倒れるとわかっていたように見えましたが」

「お嬢様は、あまり伝言を好みません。些細なことでも、ご自分で直接伝えようとされる方です。そのお嬢様が伝言を頼んだ。キャロル嬢に会って話す余力がもうご自身にないと判断されたということです」

 自分で倒れるってわかってたってこと?

 精神的な疲労って、やっぱりキャロル嬢に無理に触られてたんじゃ?

 賢者殿も触ってたよね。前から思ってたけど、僕の婚約者に対してベタベタしすぎじゃないかな。


 ――いやだな。なんでいつも。

 こんなの八つ当たりだ。

 僕が知らないことをこの人は知ってる。

 僕がどうしてもちゃんと話ができないせいで。

 僕はいつも気付けないし、結局何もできない。配慮するなんて言っておきながら、いつも。


「お嬢様の体調が思わしくないのは顔色を見ればわかりました。その状態でなら本当のことが聞けるのではないかと……利用するようなことをしてしまったのは私の落ち度です。健康を第一に考えるべきでした」

 何、それ。

「あえて負荷をかけたということですか? なぜそんなことを」

 賢者殿は少し意外そうな表情を見せてから、多分微笑んだ。

「お嬢様はご自身の不利益になることは構わず話しますが、他人の不利益になりそうなことは口を閉ざす傾向があります」

 ……だから僕はまだこの立場でいられる。


 お心当たりがおありでしょう?

 

 そう言わんばかりに首を少し傾げる賢者殿に、僕は俯いて拳を握った。

「逼迫した状況であれば、僅かでも箍が外れるのではと思いましたが……申し訳ありません。殿下の婚約者に対しての非礼をお詫びいたします」

 意外な言葉に、顔をあげれば、見本のような完璧な礼を取った賢者殿がいた。

 驚いて、思わずユニウスを見れば、ユニウスは肩をすくめて苦笑してみせた。

「……彼女は大丈夫なのでしょうか」

「私から申し上げることができるのは、今のお立場はお嬢様にとって負担であるということだけです」

「それは」

 彼女がそう言ったのだろうか、と聞きそうになって、誰かの不利になることは言わない、という言葉が過った。

 彼女がそれを賢者殿に言っていたら、僕にとって不利だ。でも、……僕の気持ちはいつまで経っても彼女に伝わっていない気がする。

「……健康に影響が?」

「医師としての診断をお望みでしたら、私からは何もお伝えできません。殿下はお嬢様のご家族ではありませんから」

 守秘義務。……王族の前でも守るあたり、賢者殿は立派だ。除外されるのは陛下だけ。だけど、彼女が倒れるまで追い詰めるなんて、絶対間違ってる。

 彼女が過呼吸を起こした直接の原因を作った僕が言えた立場じゃないのはわかってるけど、まだ体調が悪そうだったのに、無理してスクールに来た彼女が、また倒れるような真似して。

 姉のように慕ってると言っていたのに、可哀想だ。

 

 僕は彼女相手に、いつも何故かひどい態度になってしまう。陰では暴力を振るっているのでは、と疑われても仕方ない態度。

 僕に会うのは彼女にとって苦痛だろう。認めたくないけど、認めたくなかったけど。

 でも彼女は一度も嫌だとは言わなかった。

 きっと彼女が誰かにそう、漏らしていたら、ノートンの言ったように、きっと僕はもうこの立場ではいられないはずなんだ。

 だから彼女は一度も、弱音を誰にも吐いていない。

 なのに、その彼女が、「大丈夫か」と聞いたら「ダメかも」と言った。キャロル嬢には大丈夫だと答えていた。僕も一度目に聞いた時は「はい」と。

 でも二度目の問いには「ダメかも」と答えた。キャロル嬢が次の休み時間に話す約束を取り付けた直後、強引に僕と彼女の間に体を割り込ませた後。

 普段優雅な彼女らしくもない動きで体を仰け反らせていたし、……ああ、一度、僕があげた髪飾りを落とした時と同じ。

 ってそうじゃなくて、きっと彼女は本当に人に触られるのがダメなんだろう。

 僕はほんの少し、僕が嫌いだから、言い訳にしているのかと思っていた。だって賢者殿が触れても逃げたりしないし、あんふうになったりしない。

 だけど、キャロル嬢相手にもああいう反応ということは言い訳じゃなかったんだ。

 面と向かって会話した最初がアレだったから、良い印象ではないとは思うけど、でもキャロル嬢を庇うような発言ばかりしていたし、彼女はいつもキャロル嬢を気にかけていた。

 倒れる寸前気にかけていたのも、キャロル嬢のこと。

 キャロル嬢は共通点があると言った。


 でも、弱音を吐かない彼女が「ダメかも」と言った。

 僕と会って話すよりも負担になる何かがある?

 一番考えられるのは――脅迫、だろうか。

 最近はなんだかもう、彼女の口から「先生」と出るだけで何故かものすごくイライラして思わず机を殴ってしまって(自分でもどうかと思う、それに僕は物に当たるなんて本当に彼女絡みじゃなきゃしたことないのに)、話を中断させてしまったけれど……

 賢者殿が来たことで、「それほど話も」しなかった、ということは、他人には聞かれたくない話なのかもしれない。

 元々彼女の態度がそもそも筆頭公爵家令嬢の平民に対するものとは思えなかった。ただ彼女はメイドに対してもユニウスに対しても敬語だから、そういうものかなとも思ったけど、ユニウスも公爵家のメイドも貴族出身であることは間違いない。

 平民にまであの態度なのは何かある……?

 それにキャロル嬢の態度は……こう言ってはなんだけど、少し彼女に対して馴れ馴れしすぎる。

 ノートンも露骨に怒っていたけど(っていうかノートンは僕のせいもあって彼女に対して同情的だよね、かなり)、とってつけたような敬語もそうだし、近づきすぎる。

 珍しい平民の入学生ということもあって、キャロル嬢についてはかなり綿密な調査が行われたはずだった。

 特に僕が注意しなければいけない点はないと報告を受けていた。当然、彼女と何か関わりがあれば、書面は勿論、書面に残せない内容だったとしても口頭で報告を受けるはずだ。


 ……だからキャロル嬢を頭から疑ってかかるというのは良くない。わかってるけど、婚約者の僕ですらまだしてないファーストネーム呼びとか、ちょっと許せないよね?

 彼女を「マリー様」と呼ぶのは今までユニウスだけだった。

 ユニウス曰く、彼女の耳はどうもユニウスの声、声質というのだろうか、と相性が悪いらしくて、「お嬢様」と呼ぶと聞こえにくいらしい。

 だから許可をもらってそう呼んでいると言っていた。

 使用人が名前を呼ぶのはそう珍しいことでもないし、だけど正直面白くないと思っていることが顔に出ていたのか、ユニウスが教えてくれた。


「殿下。午後の最後の授業が始まります」

「……早退して彼女のお見舞いに行くって言ったら?」

「殿下のお見舞いは返って婚約者様の体調を損ねるかと」

「……ノートンっていつでも容赦ないよね」

「そもそも殿下が常日頃からの私の諫言をお聞き入れくださっていれば、婚約者様があのようにお倒れになることもなかったはずです」

「ごめんなさい」

 本気で怒っているトーンだったから、僕も心の底から謝ったのだけど、ユニウスと賢者殿のいる方から笑っている気配がした。

 ……最悪。

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