* 身形の訳
「……あの、えっと、すみません。お嬢様のことなんですが……」
「何か?」
「い、いえ、あの、……私が立ち入って良いものかどうかはわからないのですが、……この1週間で、何かありませんでしたか?」
「なぜです?」
「いえ、……なんていうか……何処と無く……元気がない、というか」
お嬢様は基本的に、人の目を見る子だ。臆面もなく。授業中はその目がノートと参考書、私の顔を行き来するけれど、回答を間違えた時以外は、基本的にキラキラした目をしている。
……のだが、目が合わない。
それに、表情が沈んでいる。声にもハリがない。お嬢様は喋らずとも表情豊かだが、声にも感情が露骨に表れる。たとえ私が目を閉じていたとしても、お嬢様の感情はだいたい把握できるだろうくらいには。
もし、他の人の前でもそうなら、体調が悪いのに言い出せないとか、何か悩みがあるのかもしれない。お嬢様は素直だけど優しいから、家族や使用人だと却って言い出せないこともあるかもしれない。だとしたら、多少踏み込んでも、聞き出すべきだ。
もし、お嬢様の態度が、他の人の前ではいつもと変わらないのだとしたら、原因は私にあるということで、もしかして……
「……嫌われ……?」
手先がすうっと冷えるのが自分でもわかった。
家政婦長が、咳払いをしたので我にかえる。
「嫌われるようなお心当たりでもおありですか」
「いえっ、そんなことは、決して触ってません、変なことも口にしてません、お嬢様の嫌がるようなことは決して!」
「当然です」
ギロリと睨まれたので、コクコクと頷く。
「……お嬢様に、縁談がきています」
「えんだ……婚約ですか? でも、お嬢様はまだ……」
「ええ。やっと先生が男性だと気づいたようですが、それにショックを受けるとなると先が思いやられます」
「そうですね……ってえええええ!? わ、私のこと女性だと思ってました!? ずっと?!」
「おそらく」
「……ええええ? なるべく男らしさを排除しようとは努力しましたが、流石に女性と思われるほどでは……第一名前が」
「お嬢様はあまり記憶力がよろしくありません」
「は?」
「自己紹介は一度きりですし、普段の会話も『先生』で事足ります。それに自己紹介の時にはお嬢様は緊張されておりましたから、先生のお名前が耳に入っていたかどうか」
「なるほど……」
確かに、初対面ではすごく緊張していたように思える。てっきりあの緊張は、男性全般に対するものだと思っていたが、そうなると人見知りということだろうか。
今も、全く緊張されていないといえば嘘になるし、……そもそも積極的に話しかけられたことがない。あれは男性に対する緊張からだと思っていたし、それを取り除くのが役目と思っていたのに、まさかの性別:男性すら認識されていなかったとなると、あの、えーと、私の存在意義って……?
「あの……私……クビでしょうか……?」
「男性の人事権は私にはございません」
それはそうだ。
けれど家政婦長は、ほんの少し笑ったように見えた。
「あの、お嬢様」
「は、い」
「すみません。騙していたわけではなくて、ですね」
「……は」
「……お嬢様? あの、えっと、顔色が」
「……先生は、騙してなんかいません、私が」
「いえ! 私が、少しでも、その」
慣れてもらおうと思って。嫌われたくなかったから、毎日髪を丁寧に梳かすのも、着慣れない服を着るのも、苦ではなかった。いつしかそれに慣れてしまい、気づけば肩より少し長い程度だった私の髪はもう腰まで伸びていた。自分が雇われた趣旨を鑑みれば、少しずつ、服装も本来のものに近づけていくべきだったのだ。
今更それに気づいても遅いが、……いや、もしかしたら、心の何処かで、そうしたら嫌われてしまうかもしれないと、それが怖かったのかもしれない。
「……嫌われたくなくて」
恥ずかしさのあまり火を噴きそうな顔を俯けて白状すれば、昔よりは少し近づいたかもしれない距離の先、目に触れた小さなお嬢様の手が、ぎゅっと握られて、震えていた。
怒っているのだろうか。
謝らなければと視線を上げていけば、お嬢様は泣きそうな顔で笑っていた。
「お嬢様……?」
「……私は、先生を、嫌ったりしません」
私はそれにすっかり浮かれてしまい、お嬢様がどうしていまにも泣き出しそうな顔で「私は」とそう言ったのか、何かを押さえつけるようにぎゅっと服が皺になるのも構わずに痛いほど手を握っていたのかも、思いやることができなかった。
「……先生が私を嫌った後も」
小さく小さく口の中でだけ呟かれたそれも、聞き取ることができなかった。