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私と、執着について。

 ポケットに突っ込んだままだった髪飾りを取り出す。

 気に入ってたわけじゃない。気に入ってるのはこの真っ直ぐな黒髪で、それを飾るものをくれたのは純粋に嬉しかった。

 けど、それだけだ。だって物を気に入ったっていいことなんて何もない。壊れたら悲しいし、無くしても悲しいし、汚されたり壊されたら、相手を恨んでしまう。だからお気に入りなんて作らない方がいい。そう決めて、何度も失敗して、でもいつしかそのせいで心は動かなくなった。

 成功したんだ、好きにならないようになった。子供だった私が、何度も何度も苦しい思いをして、願って、やっと手に入れた、「好きにならない」という特技。

 壊されても奪われても、なんとも思わないように。

 でも多分、こうなりたかったわけじゃない。子供だった私が望んでたのは、悲しい思いをしたくないというだけで、……何かをもらっても心が動かない、本で見たような言葉を並べて、嬉しそうな表情を取り繕ってお礼を言って、……物をもらっても、持て余すだけの、そんな人間になりたかったわけじゃない。

 それに、……それに、私は執着心が強い。気に入ってなくても、誰かに取られるのはやっぱり嫌だった。何にも成功してないじゃないか。


 だけどまぁ、やっぱり私、人に嫌われるのは得意だよね。あんな嫌味がスラスラ出るんだから、性根が真っ直ぐすぎて皮肉が皮肉になってない、読んできた悪役令嬢とはまるで違う……泣きそう……

 

 ――っていうか、うん、まぁ、泣いたけどね。泣いたらスッキリしたよね。スッキリしすぎて、なんであんな途方もない決意したんだろうってものっっそい反省もしたね。

 ダメじゃん、あれじゃ完璧に悪役で、私に優しくしてくれた人たちを悲しませないっていう今回の人生の目的が永久に達成できなくなるところだった。


 まだ挽回できるのか不安で仕方ないけれども、とりあえず、わがままは言ってもいいけど、多分方向性が違うんだよね。言い分はあるけどね、通じないよね。

 私も性根がひん曲がってるけど、私の母もそりゃあもうとんでもない有様に捻くれてたから、僻み根性の強い貧乏人の気持ちは良くわかる。

 だから、王族のお金の使い方に物申したい、とは私は思わないけれど、よく思わない平民がいたって不思議じゃない。


 ともあれ、頑張ろう。

 


 泣きすぎて頭の重い翌朝、幸い今日はスクールは休みだ。

 義弟の相手をして過ごせば、なんとか1日が終わる。

 できれば義弟の相手も遠慮したいところだが、と思ったところで、来客を告げられた。


 訪れたのは先生と護衛その2。何故だろう、一瞬で血の気が引いた。二人が揃うのなんて見慣れたはずだった。

 ――いや、そうでもない。護衛その2は住み込みでうちにいた。先生は通いだ。二人が合流して並ぶことはあっても、揃って入ってくることは、あの日、護衛その2と今世で初めて会った時。

「――お嬢様?」

 先生の気遣わしげな顔に、錯覚ではなく、きっと本当に血の気が引いたんだと悟る。

 若干視野が狭くなったことにも気づく。いつも見ている視界の上下より幅がない。左右も。

 護衛その2が近づくんじゃなくて、一歩引いた。

 とん、と背中が何かにぶつかって、ギョッとして振り向く。

 メイドが驚いた顔で私を支えていた。

 私が下がったんだ。だからぶつかった。

 落ち着け、まだ。まだ、大丈夫。あの日までまだ猶予はある。違う。まだ何も言われてない。落ち着け。

 護衛その1が、前に立った。庇うみたいに。

「――」

 ああダメだ、何か言ってくれてるけど、耳がもう聞こえない。

 普段、聞きたくもない声を際限なく拾いまくって疎ましかった耳も、いつ頃からか、時々聞こえなくなった。耳鳴りも頻繁、でもそのころの私はもう、体の不調をいちいち気に留めるようなことはなくなっていた。

 だって病院に行くお金も時間もないのだ。気にしたってどうにもならない。

 だけど、ストレスによる突発性難聴だったんだと、本で読んで知った。

 多分小さい頃頻繁にお腹が痛くなったのも、病院に行く度に原因不明だったのも、心因性だったんだろう。

 なんかもう、いろいろ、頑張ってたんだと思う。

 いつも、こんな、なんの役にも立たない私を守ってくれて申し訳ない。

 でも、それなりに頑張って生きてたんだろうなぁ……いろんな不具合が体にでるくらいには。

「お嬢様、よろしいですか?」

 あ、聞こえた。

 護衛その1の声、久しぶりに聞いた。

「……あの、すみません。その、声が、聞き取れなくて。今聞き取れるようになったので、もう一回お願いできますか?」

 沈黙が落ちる。

 メイドがお医者様を、と青い顔で言っている。しまった間違えた。

「違います、あの、耳鳴りが、耳鳴りが長くしてて、あの……体調に問題とかはないので」

「……スクールがお辛いのでは」

 護衛その1がぽつりと言った。……ああ、そうか、護衛その1だけ、スクールの中に入れないから、心配してくれてるのかもしれない。

 別に辛くはない。何回も繰り返してるおかげもあって、授業についていけないとかもないし、社会人と違って締め切りに終われることもないし、辛いのはこの頭の中だけだ。一時停止の押せない、無限ループみたいに嫌なことばかり繰り返すこの私の異常な頭のせいで辛いのであって。

「あの二人が役に立たないせいで」

 ――はい?

 いや違う。ていうかあの二人ってどの二人? 先生と護衛その2? その二人は私のために何かする義務ないよ? 先生は今は家庭教師じゃなくてスクールの先生で、護衛その2はスクールの騎士だから。

 ――なのに。

「いえ、……本当に困ったときは、いつもいてくれます。……もう関係ないのに、ご迷惑ばかりかけて」

 もう私の先生じゃないし、私の護衛でもない。

 なのに目をかけてくれている。二人とも優しいから。

 ありがたいと同時に、自分が情けなかった。

 

 ――カシャン、と金属音がして、顔を上げると、護衛その1が、二人の方を向いて、剣の鯉口を切っていた。


 は!?

「……あ、あの」

 なんだか出会いたての頃に戻ったような口調で、先生が声をあげる。

 護衛その2、いや元護衛の苦笑も目についた。

「マリー様」

 窘めるような元護衛の声に、慌てて返事をすれば、困ったような笑顔を浮かべていた。

「関係ないはちょっとあんまりですよ」

「関係ないお二人はお引き取りを」

「ほら、ルディがこんなこと言い出すじゃないですか。俺、前にも言いましたよね? マリー様が卒業したら、俺はまたマリー様の護衛に戻ります。それとも俺、そんなに嫌われてました?」

「まさか!」

 私はいつも嫌われる側だ。嫌う側にはほとんどならない。

「そりゃ良かった。ほら、お前も言ってやれよ。ショックだったのはわかるけど、マリー様がどう思って言ったか、お前の方がわかるだろ」

 言いながら、先生の肩を腕で押す。

「あの……お嬢様、私は……私は確かに、この男のように、もう一度お嬢様の家庭教師になることはできません。ですが、お嬢様が私のただ一人の可愛い教え子であったという事実は、決してなくなりません。親にとって子供がいつまでも、どれほど成長しても、可愛い小さな子供であるように、私にとってお嬢様は、いくつになっても、未来永劫、私のたった一人の可愛い教え子です」

 先生は簡単に私を泣かす。

 私がまた涙腺と戦っていると、護衛その2が、何かやらかしたとでも言うように、顔を覆っていた。

 いや違う、私が泣きそうなのは、嬉しかったからで。

 あなたも半分くらい責任ありますよ?

 先生は私が間違えた時によくする笑顔で、少しだけ体を屈めて、私と目の高さを合わせた。

「お嬢様は少し……役職で人を区別しすぎるところがありますね」

 私はそれにギクリとした。差別しているつもりはなかったから、というわけではない。見透かされた気がしたのだ。

「私とお嬢様は教師と生徒です。でも、教師と生徒でなくなったからと言って、そこで関係が切れるわけではありません。今までの――昔のように、辛いことがあったら手紙をくださって良いんですよ」

 目から鱗というか、涙がぼろっと落ちた。

「そういうことか」

 と、護衛その2が言った。

「マリー様、こいつのこと嫌いじゃないですよね?」

「は?」

 ありえなさすぎて変な答えかたをしてしまった。

 それに護衛その2は、納得したとばかりに頷いた。

「今日の俺の訪問は確かに、この前の事情聴取――マリー様がああなった直前に何があったのか、聴きに来たんですけどね。でも見舞いの気持ちもちゃんとあるんですよ?」

 ――そうだ、あの時、前にヒロインと言い争った(?)時にも、事情を聞かれたし、今回は殿下とだったけど、聞かれるのは当然だった。私の体調を気遣って、日を改めてくれたんだろう。

「ほら、花束もちゃんと。マリー様、花の名前覚えてます?」

 手品みたいに目の前に現れた花束を見て、私は驚いて笑ってしまった。この人に何度も教わった花。

 なんだかもう遠い昔のように思えるそれを、必死に手繰り寄せて一つひとつ答えて行く。

 残念ながら全問正解とはいかなかったが、あの頃に戻ったようで、嬉しかった。

「花言葉は」

 しまったそれは全滅だ。一つも記憶に引っかからない。

「――明るい未来、前進、大切なあなた、崇高美」

 なぜ崇高美? と思ったところで、護衛その2も若干苦笑していた。彩りやデザインを考えたら混ざっちゃったとかだろうか。花束やブーケって難しいもんね。

 一つひとつの花を指差しながら、教えてくれる護衛その2は、覚えの悪い生徒の私がきっと覚えていないと悟っていたのだろう。

「そしてこれはアイザックから。花言葉は『優しい思い出』です」

 ……お見舞いの花の花言葉らしくない。

 けれど。

 ――何故だろう。

 悪役令嬢として生きると決めてから、何故かずっと張り詰めていたことが、いまわかった。糸がプツンと切れるなんて言うけど、そうじゃなくて。

 まるで糸で雁字搦めにされていた箱の、糸が解けて、蓋が開いたような。

 ――私、……なにやってたんだ。

 笑えてきた。

 本当に、何やってたんだろう。

 死ぬことばっかり考えて、ループを終わらせることばっかり考えていた。

 だけど、私、確か――私に優しくしてくれた人を、不幸にしないと言うスローガンをもとに生きていたはずでは? と言うのは朝思い出したが、それだけでなく。

 私、普通に頑張って生きていたし、昔は傷つけられるばかりで大嫌いだった凶器のような言葉ではなく、きらきら光る宝石のような嬉しい言葉をたくさんもらってきた。

 お願い事をするたびにこちらまで嬉しくなるような笑顔を浮かべて張り切っちゃうお母様に、私を抱きしめるのを我慢するためにドアノブ握ると言う奇行に走るお父様、こんな付き合いにくい私を頑張ってお世話してくれるメイド、護衛、先生、講師たち、使用人とか、みんな。

 私を何故かいつも庇おうとしてくれる義弟。

 ミスしてもカバーすると言ってくれた殿下。

 私、……そうだ。まだ、この世に未練がある。

 お別れがダメなのは、未練がたっぷりあるからで、それは、関係がすぐに切れると思っていたからだ。

 こんなに優しい人たちが私を殺すのを何度も目にしたから、仕方のないことかもしれない。

 でも、私は本来、馬鹿みたいにすぐに人を好きになって信じる人間だった。

 愛情に飢えていたからに違いない。

 それだけ、私にとって「甘える」と言うのは特別なことで、「甘えていい」と言うのはインパクトの大きい言葉だった。

 早めに気付けて良かった。

「……やさしい、思い出」

 この世界でたくさんもらった。それだけじゃない。少しだけ、思い出したじゃないか。思い出せたのだ。真っ黒なメージのあの世界でも、セピア色のようなあたたかな思い出があったことを。

 そして、少しだけ、認められたのだ。「私」はそれなりに頑張っていた。頑張って頑張って、報われずに心が折れちゃって、頑張れなくなっていた。

 それをズボラだとかやる気がないとか、どうせ私はなんて言って自分を傷つけ続けた。

 両親に愛されなくても、人には優しくあろうとしたし、猫可愛がりされてる弟の面倒だってちゃんと見ていた。誰も認めてくれなくても、私は知ってる。忘れてたけど、思い出した。

 だから私は、私らしく生きようと決めたんだった。

 もう良いかな、と思って。毎回毎回、違う自分、だれかの真似をしていたけれども、もう良いかなと思ったんだ。だって、あの両親と今の両親は全然違うし、弟と義弟も全く違う人間だ。

 いつもうまくいかなかったけれど、そのいつもって何回? 過度の一般化と言う奴をしているのでは?

 ——私は今のこの世界に未練がある。

 まだ、この世界にいたい。

 完璧主義の私はすぐやり直したいと言うけれど、やり直した先で同じような関係になれるかはわからない。

「こいつは純粋に大事なお嬢様が心配で、今日付いてきたんですよ」

 先生が咳払いしている。

 ほんのり淡く染まった頬を見る限り、きっとそれは本当なのだろう。

「……ごめんなさい」

 私はまた視界が滲むのを感じながら。

「もう関係ないって、思わないと、私は強欲なので……」

 私の根底にあるのは、弟よりも優先してほしい、と言う終ぞ叶わなかったわがままだ。

 それが至る所で出る。

 自分に言い聞かせておかないと、先生や護衛その2が、私よりもヒロインを優先した時、きっとものすごく怒る。

 心を許した相手ほど、きっと私はわがままになるから。

 それを伝えようとしたのに。

「ごうよく——って、欲深いで意味あってるよな?」

「ええ。同音異義語は私の知る限りありませんが……」

「お前が知らなきゃどこにもないだろ。マリー様が言葉間違えて覚えてる可能性は?」

「お嬢様の言語センスは並ではありませんよ。固有名詞はほんの少し覚えづらいようですが、ほかの品詞を誤解していることなどまずあり得ません。……が」

「マリー様が強欲ねぇ……じゃあ俺は欲の塊か?」

「茶化すのはやめなさい」

「失敬。でも、強欲と関係ないとどう繋がるんです?」

 敬語になったと言うことは、私への質問だろう。念のため顔をあげて確認すると、面白そうな顔というよりは、心底不思議そうな顔があった。

「……お別れするのが嫌なんです」

 はた、と気づいたとばかりの顔をして、その後、声を立てて笑い出した。

 え、なん——

「お嬢様、それ、強欲じゃないですよ」

 あれ、珍しい、お嬢様だ。

「で——ああ、いや、他の子だって同じですよ。別れるのは寂しいもんです。一緒に帰れないのは俺も寂しいですよ」

 嬉しいのか恥ずかしいのかわからないけど、顔が赤くなったのが自分でわかった。

「そういや、今日は髪飾りしてないんですね。お休みの日はなし?」

 ……いや、前はいつ殿下の襲撃——もとい来訪があるかわからなかったから、基本的にいつもつけていた。

 単純に——黒歴史だからだ。

 子供の頃から私はよくもらったプレゼントを弟に壊されたり取られることが多かった。泣いて暴れる弟を見兼ねて親に取り上げられることも多かったから、今でもあんなに物に執着するとは思わなかった。

 優しい先生を前に、ずっと言いたかった本音が出たんだろう。恥ずかしくて死にたい。

「……その、……思い出して恥ずかしくなるので」

「恥ずかしくなるような何があったんです?」

 からかい混じりの声なのに、温度が下がった。

 事情聴取だ。

 ……前の時と違う。まだ大丈夫。でも、人の心は徐々に離れていく。きっと今までよりずっと傷つく。だから優しくされるほど死にたくなった。

 でも、まだ生きたい。最後まで優しい家族と使用人のみんながまだいる。私は一人じゃない。日前とは違うんだ。だから、まだ諦めない。


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