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57/64

* 王子様は悪役になりたくない 5

「なるほど」

「なるほど?」


 オペラを観に行くのに都合の良い日を教えてもらおうとしたところへ、平民ながら特待生として入学したアリス・キャロル嬢が通りがかった。

 あの一件以降、彼女と鉢合わせるのは初めてだ。

 大人気ない大人二人(後にノートンの合わせて3人)に散々言い聞かせられたので、僕は二人きりになるような真似はしていない。

 だけど、やっぱり内心穏やかじゃなかった。

 オペラというものが平民には馴染みがないというのは知っている。それに興味を引かれたんだろう。

 けれど、彼女と話しているのに割って入られて、僕は少し不機嫌だった。

 なのに彼女は何に納得したのか「なるほど」と一つ頷き、席を立った。

「おい?」

「彼女をお誘いするのに私はお邪魔でしょう」

「は?」

「彼女の立ち居振る舞いでは彼女が恥をかきます。マナーの総浚いを。この年齢で場に浮くのは可哀想です。可能なら小さな劇場で、人気の演目は避けた方がベターです。日程は……何か事情があるのなら別ですが、マナーが完璧になってからの方がよろしいかと。あとは場数を踏んでください」


 ――何?


 いつも口数が少なく、話すとしてもワンセンテンス、多くても二文。ゆっくり話しながらまっすぐこちらを見るのに。

 何かを諳んじているかのように、誰もいない一点を見つめて早口に言い切った後、僕ではなくキャロル嬢に向かって、婉然と微笑んだ。

「制服でも問題ありませんよ。準礼装ですから。殿下からの一着が欲しいのであれば」

 彼女はいつも髪を下ろしている。下を向いた時に顔にかからないように、上半分だけ結っている。ハーフアップ、と言うらしい。

 その留め具に、僕の送った髪飾りを付けていてくれた。

 それを彼女は、すっと抜いた。

「なっ」

 すとん、と、真っ直ぐな髪が流れ背中に落ちる。

「これを売って購入費の足しにしてください」

 

 頭に血が上る。

「殿下!」

 ノートンの声で我に返った時には、髪飾りを持った彼女の腕を掴んでいた。

 はっとして、手を離せば、彼女の顔は真っ白と言うかまた真っ青になっていた。

 体も震えているし、呼吸音もおかし――いや待てこれ過呼吸――

「お嬢様!」

 緊迫した声を上げたのはメイドじゃなかった。ユニウスだ。

 彼女の元護衛。

 前も、ユニウスはうまく彼女を落ち着かせてくれた。だからこれで大丈夫だと、少しだけ安堵しかけたのに、彼女はユニウスの顔を見て後ずさった。

 ――何?

 メイドの方へ移動しようとして、足が縺れたのか、倒れそうになる。支えようと咄嗟に手を伸ばしたところへ、息を切るような悲鳴が上がる。

 わけがわからなくなって、固まる。

 メイドが助け起こそうと近づき、まるで溺れているみたいに手を伸ばす。

「お嬢様、落ち着いてください。大丈夫です」

 泣きそうな声で繰り返す。

「マリー様、深呼吸してください。殿下はもう少し離れて」

 ユニウスに言われて慌てて下がる。

 呆気にとられていたキャロル嬢が、我に返ったみたいに叫んだ。

「紙袋!」

「は!?」

「紙袋ないの!?」

「紙袋って、何言って」

「ご用意します」

 ノートンが指示を出した。

「ないなら保健室へ運んだ方が」

「やめてください! お嬢様に触らないで!」

 メイドの悲痛な声に、ユニウスが舌打ちして独特な言い回しで吐き捨てる。

「ああくそ、なんで俺の性別男なんだよ!」

 騎士団が使う暗号のようなものだ。多分、事情を知らないアリス嬢がいるからだろうけれど、言わずにいられなかったんだろう。


 突然強い風が吹いて、目を覆う。

 

 目を開いた時、飛び込んできたのはユニウスのホッとしたような笑顔だった。

「事情は後で伺いますが、先に失礼を承知でお願いします」

 陽光に輝く白金の髪を風に靡かせて、賢者殿が立っていた。

「マリー・アン嬢付きのメイドを残し、他の方々はマリー・アン嬢の視界から消えてください」

 ――うん、かなり失礼だよね?

「お早くお願いします。退去にかかる時間がそのまま苦しみを長引かせる時間です。5つ数えます。その後は強制排除します」

 ――賢者殿の言う強制排除って……

 ユニウスの方を見れば、賢者殿に一つ頷いて見せて、その後「殿下。失礼しますよ」と言うが早いか、僕の背中襟首を掴んだ。

 ってほんとに失礼だね!?

 しかもあろうことか、ユニウスは女性の――アリス嬢も同じようにして小脇に抱えた。

「ノートンさん! あんたは自力で動いてください! 校舎の中へ!」

 ノートンはユニウスが言い終わる前に駆け出していた。

 不測の事態の経験の有無がものをいうのだろうか。

 ノートン以外の、僕の付き人(内実は護衛)も既に駆け出していた。

 彼女の守りが手薄になっちゃうけど、大丈夫なのかなと不安がよぎる。けれどいまの彼女が大丈夫じゃないんだから――

「ちょっと、一人にして良いの!?」

「あの先生はそこらの医者より医学知識豊富ですから安心して良いですよ」

「そうじゃなくて!」

 ――そうじゃなくて?

 もどかしそうに唇を噛む。

「殿下、後で説明するんで、目を瞑っててください」

 また余人にはわからないように言うユニウスの言葉に、僕は従った。

「何?」

 聞き返したキャロル嬢の声に、ユニウスは答えない。

 代わりに、足を止めた。

 体に当たる陽射しの感じや、空気の流れから、校舎に入ったとわかる。

「殿下、もう良いですよ」

 目を開けると、地面に下される僕と、抱えられたままの——

「……ねぇ」

「騒がれると面倒なんでちょっと寝てもらいました」

 悪役のセリフにしか聞こえないんだけど、冗談だよね?

 目を閉じたままピクリとも動かないキャロル嬢に、背中を嫌な汗が伝う。

「大丈夫なの?」

「このお嬢ちゃんが体調不良で気を失ってたってことにしときますよ。変な夢でも見たんでしょう、魘されてましたよ。殿下? 賢者殿? 俺が見つけた時にはお一人で倒れてましたよ? ってね」

「……僕はそれを黙って見てろと」

「このお嬢ちゃんは殿下に懸想してますけど、俺が初めて見たときは賢者殿に秋波を送ってました。どちらにしろ、マリー様のことはあんまり好きじゃないでしょう」

 ちょっと待ってその言い方ってやっぱり賢者殿は彼女が好きってこと!?

 って違う、今はそれはおいておいて。

「……でもさっきは、彼女のことを本気で心配してたように見えたよ」

 最初の紙袋はよくわからなかったけど、保健室へと言っていた。

「そこは俺も思いましたが……だからって、マリー様のことをあんまり触れ回られても困りますよ」

 歩きながら話していたが、人目の多い廊下の手前で僕は立ち止まった。

 ユニウスは褒めるような笑顔になった。

「俺はこのお嬢ちゃんを保健室へ送ってきます。殿下はさっきの四阿へ。様子を伺いながら行ってくださいよ。もしまだマリー様が落ち着いてなさそうだったら、近づいちゃダメです。距離を取って待っててください。俺もすぐ行きますから」



「落ち着いたようですね」

「はい。……ありがとうございました」

 幾分顔色がマシになった彼女が、いつもの大人びた笑顔を浮かべる。

「紅茶を淹れましょうか。私が」

「え?」

「今のお嬢様を一人にするのは心許ないでしょう。ですが、何か温まるものを口にした方が良いですよ」

「……私が淹れます」

「良いんですか?」

「他人の淹れた紅茶をお嬢様にお出ししたくないだけです。――お嬢様、少しだけお側を離れてもよろしいですか?」

「いらないです」

「え」

「あ。違、違う、んです。その、紅茶は、今は要らないです。あの、今はここにいてください。……あなたの淹れてくれる紅茶はとても好きです。だけど今は、……その。先生の言ってることも正しいってわかってます。何か口に入れた方が、でも今は」


 ――全然落ち着いてない。

 というよりもむしろ呼吸は正常でも精神的にかなり落ち着いてない。

 隠れていた方が良いって言われてたのもわかってるけど、だけどあんなの放っておけない。

 声をかけよう。

 なるべく驚かせないようにと、考えていたのに、やっぱり僕の口から出たのは音量を間違えた「おい」という平民もびっくりな声だった。


 流石にまずいと思ってとっさに言葉が出なくなった。

 すると、また彼女の顔が真っ青になる。

 その手から、僕がプレゼントした髪飾りが、落ちた。


 さっきは売ってお金の足しにしろなんて言ってたのに。

 

 泣きそうな顔で、すごい速さでしゃがんで拾うから、彼女がわからなくなってしまった。顔が緩む。それに、いつも優雅な仕草ばかりなのに、そんなに素早く動けたの。

 雨が降っていたわけでもないし、特に汚れてもなさそうだったけれど、彼女は手で何度もそれを拭った。

 見兼ねたメイドがハンカチを渡す。

 

 ――って、違う。よく見れば、彼女の指先が――


「ばかか!」


 頭に血が上って、口から出たのは暴言なのにまた気づかなかった。


「どうせいらないんだろう、そんなもの落としたままにしておけば良い」


 鴉にでもくれてやれ、と何故か僕の口は勝手に言葉を紡ごうとした。だけど。


「違います!」


 ……そんな大声出せたんだ。


「要らなくないです。……要らないわけじゃないんです。なんでいつも」

 キリ、と唇を噛む。

「……お嬢様、唇が切れてしまいますよ」

 思案気な表情で彼女に手を伸ばすのを見て、僕は目を剥く。

 さっき触れた僕が言えたことじゃないけど、幾ら何でも顔に触れるとか許されない。

「賢者殿!」

「――失礼」

 賢者殿はこっちを見て謝った。彼女にとってはなんでもないことだとでも言うように。

 ……ひやりとした微笑み。

「ありがとうございます」

「え?」

 彼女がこちらに向かって頭を下げた。

 なんでお礼?

「……これは、……私のです」

 は?

 ふふ、と賢者殿が笑う。見やれば苦笑のような。

「取り上げようとしたわけではありませんよ」

 彼女が目を大きくして賢者殿をみる。首肯する賢者殿を見て、ほっと息をつく。

「……要らないんじゃ、なかったのか。……趣味に合わないんだろう、どうせ」

 にやけてしまう口元をなんとかしたくて、手で覆って横を向いた。

 賢者殿に逆らったのが、僕の――

「……似合わない、ですか」

「え?」

「……お母様になら、きっと」

 待って、なんで、公爵夫人が出てくるの?

「……すみません、勘違いをしていました。どうせいつだって……」

 待って待って何かまず――

「お嬢様」

「あ、えっ」

「私は、お嬢様のことだけを考えて贈り物をしていますよ」

 彼女は一度目を瞬き、そして見る見る真っ赤になった。色の白い彼女の変化は劇的で、目の毒なくらいだった。

 それでいて、泣きそうな顔をして笑った。

「――僕が!」

 気付いた時にはまた怒鳴っていた。

「違うとでも? 確かにあなたと違って一緒にいた時間は少ない。でも彼女があなたと過ごした時間は、僕と生きるためのものだ」

 ――賢者殿の顔色は変わらなかったけれど、異常なほど周りの密度が上がる。

 どうやら逆鱗に触れた、らしい。

 うん、やっぱりこの人、僕の婚約者のこと好きだよね!?

 全力で逃げを打とうとする本能にも割り込む思いに、でも絶対僕の方が好きだから! と心の中で叫ぶ。

 彼女の顔色は元に戻っていた。落とさないように、でも壊さないように大切そうに両手で髪飾りを持っている。

 けど、どこか傷ついたような顔をしていた。

 ……どこに傷つく要素が?

 この人と一緒になれないから?

「――僕だって考えてる。どうせ伝わってないんだろうが」

「……私、この髪だけは、気に入ってて、だから、これをもらった時、ちゃんと……見ててくれたんだと、嬉しかったんです」

 ブワッと、顔が熱くなった。

 しかしそこで、今度は本能が生命の危機を知らせに割り込んでくる。

 ちらりと賢者殿の方を見やれば冷ややかながら微笑んだまま。

 けれど上がった血が下がるのには十分だった。

「おい、この、バカ!」

 僕じゃないよ!?

「反逆罪でとっ捕まりたくなかったら散らせ! 殿下は見えるんだぞ!? 耳鳴りで俺も死ぬ!」

 怒鳴りながら、というか喚きながら走ってきたユニウスは、賢者殿の側までくると、軽く頭を叩いた。

 ちょっと!?

 賢者殿の頭脳は国家財産なんだけど忘れてないよね!?

 賢者殿は少し眉を顰めると、軽く手を振った。

「……お前なぁ、途中まで大人だったのになんでいきなりガキになる? 自分で仕向けたんだから最後まで大人でいろよ」

 ――仕向けた?

「……何も叩かなくてもいいでしょう」

「お前立場わかってんのか?」

「……お嬢様の前で」

 すごく小声で何か言った賢者殿に、ユニウスははっとした様子で顔を覆った。

「……悪かった。そこは悪かった。ただほら、……報告書上げる俺の身にもなってくれ……」

 今まで見たことがないような表情で憮然とする賢者殿。

 初めて人間らしいところを見た気がする。賢者殿は友人と言っていたけれど、きっと親友なのだろう。

「……彼女は」

「え?」

 ぽつりと漏らした彼女に、僕は振り向く。

「あの、彼女はどちらに?」

「彼女?」

「ヒロインの」

「ヒロイン?」

 絶望的に意思の疎通ができない。困り切ってノートンを振り向くと、首を傾げていた。ノートンにもわからないの?!

「あ、いえ、あの……私が取り乱したとき、いましたよね? あの、平民の」

「アリス・キャロル嬢?」

「そうです。アリス様は」

「キャロル嬢」

 僕でさえまだされたことのないファーストネーム呼びにイラっとして思わず語気が荒くなる。

「……キャロル様は」

 ……なんで? 僕の贈り物のことを話していて、ユニウスが来て、賢者殿を叱って(?)、それでなんで急にその名前が出てくるの?

「なぜ」

 僕が嫉妬してひどいことを言って、賢者殿が怒って、どう考えたって君のことばかり考えていた人間に向かって、なんでいきなりその話?

 本当は賢者殿ともう両思いで、僕に悟られないように話を変えたの?

「……いいえ」

 彼女はまた、下を向いて髪飾りを見つめる。彼女から話しかけてくれることは滅多にない。だからオペラに行くことは、僕の中で優先順位がかなり上。だけど彼女は、キャロル嬢に譲るつもりだったのだろう。その髪飾りとともに。

「……忘れてください」

 彼女は賢者殿から誕生日プレゼントをもらっているようだし、オペラだって多分頼めば連れて行ってもらえる。

「賢者殿と行くつもりだったのか」

「……は?」

「僕への誘いを蹴って、賢者殿に頼むつもりだったのか」

「……すみません、あの……何の」

「でーんーか? ここは声がよく通るって前に言いましたよね?」

 ユニウスのからかい混じりの声で、僕はそっちを向いた。

 苦笑しているユニウス。

「……ごめん」

「俺の親友にあらぬ噂立てんでくださいよ」

「私は構いませんよ」

「マリー様に下世話な噂立たせて平気か? 下手したら変な男が寄ってくるぞ」

「……私なら課外授業で」

 僕がカッとして暴言を吐きそうになる直前、彼女はハッとしたような顔になって、それから泣きそうな顔で微笑んだ。

 これは、と吐息だけで言って、それからもう一度はっきりと言った。

「これは私のわがままなんです。……今からひどいことを言いますね。オペラに、それほど興味はないんです。だけど事情があって見にいきたい。でも興味がないから、一人ではどうしても先へ先へと延ばしてしまうんです。だからだれかにお願いしたかった。でもこんな理由です。お願いしておいて興味もないなんて失礼でしょう。だから、断れる――最低限、私のお願いが強制力を持たない人にしたかった。殿下は嫌なことははっきりそう仰ってくださる方だから、だから殿下にお願いしたんです」


 僕が何も言えずにいると、彼女は綺麗に微笑んだ。


「先生はもう私の家庭教師ではなく、スクールの先生です。課外授業は、本当に先生しか頼れない人が――あの人が必要とするかもしれません。それに先生がついていれば、多少の不作法も噂にはならないでしょう。先生の方にみんな目が行くでしょうから」

「マリー様――ってやっぱちょっとズレてますね」

「え」

「確かにこいつは人目を引きますよ。でもね、その色男の真横にいる女も当然注目を浴びますよ。それがちんちくりんだったら悪い意味で興味を引かれます。徹底的に探られます」

「あ」

「貴族の女性の嫉妬という名のブリザードを正面から食らわせるってのは、まぁ身の程を知らせるにはちょうどいいでしょうけどね。殿下にコナカかけてきたから気に食わないのはわかりますが、俺の親友を使われるのはちょっと」

「ごめんなさい、違うんです、あの……考えが足りず……先生という立場の方なら、あの人は平民だから、課外授業だと誰もが思うと、……」

「建前はね。……それにしても、殿下やこいつがあのお嬢ちゃんと一緒に出かけて、本当にマリー様はなんとも思わないんです?」


 彼女が口を開こうとした時、午後の始業予告の鐘が鳴った。

「……授業が始まりますので、失礼します。お話はまた」

「少しくらい遅れても、マリー様を叱れる教師っていないと思いますけど」

 その時、彼女がひやりとするほど冷たい笑みを浮かべた。

「私は、不真面目な行動を自分でするのは嫌いなんです」

 そう言って、深く頭を下げて、足早に去って行った。

 変な言い方だな、と思った。

「さて、殿下。殿下を叱れる教師はそれこそいないわけですが、追わなくて良いんですか? マリー様は不真面目な人間は嫌いみたいですけど」

 ハッとして慌てて駆け出す。

 ユニウスは、変だと思わなかったのだろうか。

 あの言い方だと、人が不真面目な行動をすることに関しては、なんとも思っていない、みたいに感じるけど。

 って、僕が不真面目だと思われてる?!

 僕は公務をサボったことはないよ!?

 授業だってサボってないよ、居眠りだって……授業ではしてないし!

 たまに他のこと考えてることはあるけどね!

「もちろん追いかけるよ。ありがとうユニウス!」


 駆け出した僕への短い返事の後、抑揚を変えたユニウスの声がした。

「マリー様、一応お前が美形だって認識あったんだな。あんまり無反応だからそこもズレてんのかと思ってた」

「美醜の認識はあると思いますよ。そこに情動が伴わないだけで」

「ふぅん? あー、そういや、ルディをかっこいいって言ってたな」

「あなたにわかりやすく言うなら、名画を見ても何も思わないでしょう」

「さすが先生。わかりやすい」

「名手の歌を聞きながら寝ていたあなたですからね」

「いつの話だよ。——けど」

 聞こえたのはそこまで。

 そういえば、ユニウスは芸術方面はからきしだってよく言っていた。

 けど、……彼女は本当に、謎が多い。

 賢者殿を見てぼーっとする女性は多い。比較すると、確かに彼女は——女性と思っていたからか、そう言った反応はなかったように思う。

 ……反応があったら、僕何したかわからないから、本当によかった。

 って言うか、ルディって誰。かっこいいって……彼女の周りにそんな名前の男いただろうか。

 ——婚約者の僕にも言ったことないのに、なんなの。

「殿下」

 確かに僕はあんまり褒められた人間じゃないけど、婚約者がいるのに他の男にかっこいいとか言ったらダメでしょ。前も手を

「殿下!」

「はい!」

 大声で呼ばれてびっくりして振り向けば、ノートンが思いっきり顔を顰めていた。

「……そのお顔で入室されるおつもりですか」

「顔?」

 ノートンはため息をつくと、自身の眉間を指差した。

「殿下が険しいお顔で遅刻間際に入室されたら、何事かと思われます。国の一大事ではないのですから」

「……ごめんなさい」

「……ルディ様は、婚約者様の女性の護衛です」

「……かっこいい、って」

「殿下がエスコートを放棄なさった入学式で、男装されたでしょう」

「あ」

 思い出した。そうだ、あの護衛の女性を、確か彼女のメイドがルディと呼んでいた。

「……放棄したわけじゃないよ」

「存じております」

「……そんなに顔に出てた?」

「心配なさらずとも、殿下も十分美形の範疇ですよ。種類が違うだけです」

「そんなに顔に出てた?」

「婚約者様が賢者殿を美形と思っていらっしゃったとしても、それは客観的な事実であって、婚約者様の特別な思いがあると言う訳ではないようですから、ご安心ください」

「ねぇ、そんなに顔に出てた?」

「婚約者様はあまり口数が多くありませんから、異性の外見への形容はインパクトが強いと言うのはわからないでもありませんが」

「そんなに顔に出てたの!?」

「殿下のお顔から判断できたのはここまでですが、ほかにもありましたら後ほど伺います。まずはいつものお顔でいってらっしゃいませ」

 ノートンの笑顔という名の叱咤を受けて、僕はドアの前で深呼吸をひとつ。

 磨りガラスで良かったのか悪かったのか。

 ひとつ苦笑して、僕は授業を受けるべくドアを開けた。

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