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私と、『悪役令嬢』について。

 殿下からの失言——というか本当のことなので私の中では失言には当たらないのだけれど——の程度と回数が側から見てかなり酷くなったある日。

 お詫びから始まったそれに、私は苦笑しきりだった。

 私の地雷を踏み抜いた殿下に対し、私は睨むという暴挙に及んだ。

 本当のことを言われて怒ったのである。

 思い出すのも恥ずかしい。

 殿下に対して困ることと言えば、怒鳴り声が怖いということと、そのうち私を殺す側に回ることで、普段の失言なんて可愛いものである。日前の両親と弟の暴言に比べれば、春のそよ風レベルだ。

 そう言えば、私の数多ある地雷の一つを、踏み抜かれたのはあれが初めてだった。

 幾度となく踏み抜いている義弟に比べれば、驚異的な少なさ。

 やはり殿下は人としての出来が違う。

 別に義弟の出来が悪いわけではなく、殿下が群を抜いているのと、義弟は弟というポジションが既に私の地雷なので、致し方ない。

 そして謝罪するべきは私である。

 言われた内容が如何に地雷だろうと、殿下を睨むなど言語道断。世が世ならそれだけで殺されてもおかしくないのだ。

 そこを考えると、私はある意味、殿下に慣れてきたのかもしれない。あの場で殿下を睨んでも、両親や、その場にいたメイド、そして義弟を、殿下は悪いようにはしないと思っていたということだ。

 殿下はとてもまともな、いい人だ。義弟の無知故の暴言も笑って許してくれた。許可なくお茶会から私を連れ出した使用人を咎めなかった。

 だからって、睨んでいいわけじゃないのに。

 私は本当に性格が悪すぎる。この一事だけでも、殿下に相応しくない。

 

 そうして苦笑しきりで話を聞いているうちに。


 甘えてほしい、と言われた。

 私は自分の顔が歪むのに気づき、扇で顔を覆った。

 それは言う相手を選ぶ言葉であり、もっと言うなら、相手をよく観察してから言った方が良い言葉だ。

 仮に私が子供であったり、あるいは恋人であったりしても、『私』と言う人間に向けるのはあまりに危険だ。

 私は子供時代ろくに甘えられなかったせいで、程々の甘え方というのを知らない。

 それだけでなく、ぬるま湯のような生活の中、周囲を漂う靄のようだったそれが、徐々に実体を持っていくのをぼんやりと見るともなしに見ていた。だから今はわかる。

 私の『甘え』は限度を知らない。

 私の根底にあるのは、幼い頃から、はっきり言えば物心つく前から弟と比較され、杜撰に扱われていたという嫉妬だ。自分で頑張ればどうにかなるものであったなら、多分ここまで捻くれなかった。

 両親が求めるのは男の子という性別であり、愛すべきバカという性格だった。努力して報われる内容ではなかった。

 ……それを知らなかった子供の私は、男の子のような振る舞いを覚え、バカのフリをした。

 知らないことを知っているフリをするのはボロが出やすいだろうが、逆も難しい。


 専門知識を知らないフリをするのは簡単だったが、問題は私と家族では圧倒的に語彙力が違うということだった。私は日常使いする単語が、両親にとっては高尚なものだった。成長とともに平易な言い回しに翻訳して喋るようになったが、それでもその翻訳の段階がもう一歩か二歩及ばなかったのだろう。

 常用漢字は日常使いできると思っていた私は、小学校で出される課題の両親への手紙で、「この字が読めないとでも思ったのか。バカにしやがって」と父親に罵られた。

 その時初めて、私と両親の間では常用する漢字もおそらく単語も、かなりの隔たりがあると知った。そして、バカにする意図など微塵もなくとも、知らないことを目下の人間が当然のように使い熟しているのを見た人間は、バカにされたように感じるのだということも学んだ。

 成長してメールというものを利用するようになってからは、そのせいで何度も諍いを起こした。

 読めても書けないという漢字が多いのならば、メールは楽だったはずだった。けれど両親が読めない漢字のレベルは、私の予想を遥かに超えて低かったのだ。

 私は両親がLINEに切り替えたのを気に、LINEはやらないからと連絡を切り捨てた。

 つまり、私の努力は一向に報われぬまま、頑是ない子供の嫉妬はグロテスクな化け物に肥大し、遂に私ごと死んだ。

 それを持って生まれ変わった私の嫉妬心は、そこらへんのメンヘラ女子なんか目じゃないほど化け物じみている。

 おそらく私にとっての『甘える』は、誰かを蹴落とすことと同義なのだ。そうして初めて手に入る。

 幼い頃の自分がどうあっても手に入れられなかった『甘える』という当然の権利を、私はどうしても手に入れたかった。


 ――嗚呼。


 ……そう、私は。誰よりもきっと、悪役令嬢たちの気持ちが理解できる。

 そして、私は悪役令嬢に相応しい。


 ようやく理解できた。

 だから私は繰り返しているんだ。

 ちゃんと悪役令嬢としてストーリーを完結させるべきだったのだ。

 私は多分、愛されるのが目的だったわけではない。

 きっと、目的と手段が入れ替わった。

 おそらく本来は愛されたかったが目的だったのだろうけれど、報われなさすぎてそれはもうどうでも良くなっていたんだろう。

 ならば誰かに選ばれることだろうか? 嫉妬心が報われれば満足するのか? 愛はいらないから、形式だけでも選ばれればいいのだろうか? 愛妾を持ってもらって、正妃となれば? もっと簡単に、「彼女とはなんでもない、君を愛してる」と棒読みでも言ってもらえれば?

 いいや、おそらくそれも違う。

 私が求めていたのは、『嫉妬に狂った行動』そのものだ。

 私はひたすら、愛されないのは自分が悪いと思っていた。だから自分の行動を必死で変えた。バカのふりもするし男の子の真似もした。効果がなくとも続けていたし、それでも足りないからと必死で愛されようと媚を売った。甘いものが好きな親のためにお菓子づくりを趣味にして、母が昔習えなかったと悔やんでいたピアノに興味を持ったフリをして習い、誰それにバカにされたと言って喚くから勉強を頑張って、言われるまま学費の安い国立大学に入った。その後はバイトに明け暮れ、たくさんのプレゼントを送り、家族の生活費を払った。この家族には弟も含まれていた。

 私は、嫉妬してもそれで誰かを害するような行動を一度もとったことがなかった。

 私の嫉妬は、愛してくれない本人にも、愛されている誰かにも向かわなかった。

 ひたすら自己否定に向かい続けた。

 最後の最後で、世界を呪った。

 つまり私は、悪役令嬢の『嫉妬に狂った行動』そのものを、やってみたかった?

 多分そうだろう。

 私は努力が報われないことを知っている。正しい努力になんの意味もないことを。

 無駄な努力だと言われる行動をする彼女たちを、……

 親にさえまともに愛されることのなかった私が誰かに愛されるはずがない、と人を好きになることすらできなくなってしまった私は、そんな行動を取るほど好きな人のいる彼女たちが、心の底から眩しかった。

 良心の呵責もなく、楽しそうにさえ見える表情で優雅に微笑んで見せる彼女たちが、眩しかった。

 ……してみたかったのだろう。

 人を傷つける行動を。

 知りたかったのかもしれない。

 私を散々傷つけてきた人間たちが、何を考えていたのか。

 同じ行動をしたらわかるだろうか、と。

 嗚呼、少しは思っていたのかもしれない。昔も。

 少しも考えることをやめない頭で、嫌がらせめいた計画を考えもした記憶が、ほんのわずかに引っかかっている。

 実践したことはなかったけれど。

 想像の中でスッとした気分になっても、そんな自分をすぐに恥じた。こんな悪い子だから嫌われるんだと、あとはいつものパターンだ。

 

 正反対の行動をするといい、と自己啓発系の本で読んだ。


 決してできなかったこと。


 だからこそ。

 演技力には自信がある。なぜなら、汚い私は大凡どんなものであれ、あらゆる感情を経験したから。行動に移さなかっただけだ。

 殺意だって抱いたし、想像の中でとはいえ、人を酷い目に合わせてスッとする、なんていうまさに悪役そのものの感情を抱いたことだってある。

 行動は本を手本にすればいい。実体験も利用できる。何しろ、ありとあらゆる嫌がらせは体験済みだ。する方ではなくされる方だが。


 土台私に主役は無理なのだ。

 ここは正々堂々、悪役として勝負して、高笑いとともに死刑宣告されてみようじゃないか。

 脇役には脇役の役目がある。

 それを全うしてみせましょう。


 

 気づかせてくれたことに感謝を示すため、私は扇をそっと外し、鏡の前でなんども練習した笑顔の中で、もっとも悪役令嬢に相応しい表情をチョイスし、うつむけていた顔を優雅に上げた。

  


 さて、問題は誰に甘えるか、ということだ。

 甘えてほしい、という言葉は伝える人間を選ぶべきだが、甘える人間を選ぶのもとても大切だ。

 職務上私に逆らえない人間は除外。

 となると、甘えるハードルが低めなメイド、護衛、先生は却下。

 この時点で私に残された選択肢は、家族と殿下に絞られる。

 義弟に関しては、年下というのもあるが、家を追い出されるという恐怖心から無理をして私のわがままに従ってしまう恐れがあるから却下。

 お父様とお母様に甘えよう、と決意した矢先、私の甘えるは「私を優先してもらう」だったと思い出す。この場合、お父様にはお母様より私を、お母様にはお父様より私を優先してもらうのが目的になるわけだが、私は日前の両親が不仲だったから、両親には仲良くして欲しい。他人の惚気を嫌味ではなく嬉しく聞ける私にとって、現両親が夫婦円満なのはとても嬉しい。だからここはそっとしておきたい。

 残るは殿下。殿下は私よりあらゆる点で立場が上だから、私は強制力を持たない。これなら私の良心も咎めないし、確か殿下は「少しも妬かないんだな」と零したことがある。それなら嫉妬に狂った真似も、ある程度までは許容できるんだろう、多分。

 というわけで、私は殿下に対して甘えるという決意を新たにした。

 


 自己啓発系の本の中でもスピリチュアル寄りな本では、自分の進むべき方向と間違った道を歩いていると、あらゆる困難が降り注ぐと言う。事故・病気・怪我・肉親の不幸などなど。

 そして進むべき道を歩み始めると、全ての困難は取り払われ、物事はスムーズに流れ出すと。

 まるでそれはゲームの強制力のようだ、といまにして思う。

 何故いまかと言えば、悪役令嬢として生きようと覚悟を決めた途端、もっと砕けて言えば、嫉妬に狂った行動をしようとした途端、御誂え向きなきっかけが飛び込んできたのだった。



 細かいことは割愛するが、ざっくり言えば、義弟が平民の子供に酷いことをした、というのを、知るところになってしまった。


 別に暴力を振るったとか、わかりやすく嫌がらせをしたりした、というわけでは無い。

 義弟にあったのは善意か、善意とすら意識してないような当たり前の行動だったのかもしれない。


 ただそれが時として人を傷つけるというだけだ。


 本来知る由も無いことを知ってしまうのは不幸だと思う。

 子供だった私は、周りの子供から優しい家族の実態を知るたびにどんどん不幸になっていったから。何が不幸って、自分の頑張りではどうにもならない分野で、他人を羨んでしまうからだ。


 比較対象がいなかった昔、私は親というのは絶対正しく、厳しい存在だと思っていた。小学校に上がって、クラスメイトが休みの日は昼過ぎまで寝ていると聞いて、そんなことを許す親がいるのかとひどく驚いたのを今も覚えている。

 私の休みの日は、学校に行くのと同じ時間に起きて、平日学校に行っている時間で家事をまとめてこなし、放課後に当たる時間はいつも通りの宿題を含む勉強とピアノの練習と、夕食の支度・後片付け諸々で終わる。

 午前中いっぱい寝ていたら、とても終わらない。それを許す親というのは、つまり、子供が家の手伝いをしなくても許す親ということだ。

 そして、それが許される子供というのは、少なくないということを、年齢が上がるにつれ知っていった。

 修学旅行の日、家事一切から解放されるというのは、こんなにも楽なことなのかと驚いた。そしてその解放感を味わっている子供は少ないということも、なんとなくわかった。

 それは、布団の中に潜り込んでやっと、なんとか1日が終わったと、ぐったりする必要のない毎日を過ごしているからだという事も、その頃にはわかっていたし、どうしてうちは違うのだろうと、その頃には自分の不幸を嘆いていた。

 

 例えば、物凄く苦労することになるだろうが、日本で貧乏人がお金持ちになることは、本人の努力次第と言えなくも無い。

 けれど、自分に優しい親が欲しいと思ったら、もう諦めるしか無いのだ。

 自分が優しい親になるよう努力することはできるかもしれない。

 けれどそんなのは綺麗事だ。

 被虐待児が毒親になる可能性は高く、そして私が欲しいのは親からの優しさであって、子供へ優しく接することではない。自分がすることで自分を癒すことができると本で読んでも、私は親に対して散々それをやってきて、報われなかったのに、まだしろと言うのかと、反感と嘆きが湧く。

 だからこそ親ガチャなんて言葉も生まれたのだろうけれど。


 さしあたって今私が生きているこの国では、身分というのは本人の努力だけではどうにもならない分野の一つだ。

 階級によって行ける場所というのが異なる。

 残念ながら平民はオペラを見に行くことはできない。

 吟遊詩人の歌を聴くのが精々だ。

 なのによりによって、平民の子供にオペラが楽しかったと話して聞かせたというのだから、結果は推して知るべし。

 親により自分は決してそれを見に行くことは叶わないと知らされた子供は泣き叫んだ。

 

 さて、ここで私が取れる行動は限られている。

 正統派の、ざまぁを成功させるタイプの悪役令嬢だったり、ヒロインだったりしたら、その子供を貴族の子供に変装させて連れて行くとか、あるいはいっそオペラそのものを敷地内のホールで上演させるとか、あるいは殿下に掛け合って、平民の子供でも見れるオペラを上演する、平民のために劇場を解放する、ということだって可能かもしれない。


 だけど私はネガティブ思考全開の元貧乏人だ。


 変装させて連れて行くのは却下だ。服装はどうにでもなるが、肌艶も髪質も目付きにも、階級の違いというのは現れる。貴族子弟と平民の子供では話し言葉も立ち居振る舞いも決定的に違う。正直言って、それを身につけるのに一朝一夕で済むわけがない。

 貴族の幼少教育舐めんな。

 

 オペラを自宅で上演というのもなしだ。

 その金はどこから出る? 公爵家からだ。公爵家の稼ぎは何か? 領民からの納税だ。

 領民とは大半が平民。多くの平民の子供が叶わない夢を、たった一握りの公爵家の平民の子供にだけ叶えさせるために、領民から巻き上げた金を使う?

 私だったら許せない。


 劇場を解放するのはやめたほうがいい。

 劇場とはホールだけでは無い。

 様々な美術品が飾られ、廊下もホールもシートも壁紙も、高級品をふんだんに使っている。そこに、日夜労働に勤しむ人たちを招くのは、金持ちの傲慢だ。

 うっかり壊したり汚したりした場合、当然のように弁償するお金などない。ならそのお金はどこがもつ? 国? 収容人数のうち何人が粗相をすると思う? そしてその粗相のうち、10割が故意ではないと言えるだろうか?

 普段見るべくもない高級品に囲まれるのは、圧倒的な劣等感を埋め込まれるのと同じだ。これでは、義弟のしたことと何も違わない。

 そして、お高いシートを汚さないための清潔な服を、用意させるのか。場にふさわしい服装が、いくらするのか。そしてどれだけ奮発して用意しても、勘のいい人間なら、劇場に相応しくないと、恥ずかしい思いをしてしまう。


 私が考えうる中での妥協点は、私自身がなんとかするということだった。

 頑是ない子供が分別のある大人に育つまで、私がしてあげればいい。子供は同じ物語を何度も読んでくれとせがむ。外注したら何かと大掛かりになってしまうが、私がするのでああれば、私の予定ならどうにでもなる。子供は飽きるのも早いから。


 義弟にも責任を取らせようとやらせて見たが、典型的な棒読みだった。

 その上セリフが曖昧過ぎて意味がなかった。

 どうしてこの説明で子供が泣き叫ぶほど興味を持ったのか理解に苦しむ。

 けれどそれなら、私が責任を取るべきだ。

 日前で親の、弟の不始末を必死にカバーしてきたのだ。面白くないと思いながら、こんなことやっても無駄だと思いながら、それでももしかしたら感謝されるかもしれないと、叶うわけのない願いを胸に抱きながら。

 それに比べたら、義弟の尻拭いなんてなんでもない。

 少なくとも、義弟は私のために行動してくれた過去があるのだから。



 

 というわけで、私は今度こそ変わるんだという強い意気込みを持って、殿下に殴り込み(意気込みとしては)をかけたのだった。

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