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* 五里霧中 9

「やぁ。久しぶりだね」


 来賓の警護を頼むと言われて応接室にきてみれば。

 顔面に「逃げ出したいです助けてください」と書いてある大貴族が苦手な同僚と、大貴族中の大貴族である筆頭公爵がいた。

 応接に当たっていた理事長も、俺を救世主でも見るような目で見てくる。居心地悪いったらありゃしない。


「お久しぶりです。公爵」

「うん。マリーの様子を見たくてね。今日は視察が近くであったから寄ってみたんだ」


 頭を垂れながら(あの息子にしてこの親ありか……!)と胸の内で叫ぶ。坊ちゃんがマリー様に会いたい半分でここに突撃してきたのはついこのあいだのことだった。

 氏より育ちとは言うが、傍迷惑な親子め……!


「ありがとう。あとの案内は彼にさせるから構わないよ」


 ギリギリ不敬にならない範囲で同僚が部屋から逃げ出した。

 理事長が露骨にホっとした顔をする。

 あんたもうちょっと腹芸使えないと立場的にまずいでしょうが。


 まぁ、口調は変わらないまでも表情が……アレだしな。

 久しぶりに見た。

 お嬢様について回るようになって、どちらかと言えばあたたかい表情ばかりしている公爵に見慣れていたが、殿下についていた頃に見かけた公爵は、氷の公爵と噂されるそのまんまの人柄に見えた。


 退室してすぐ、耳鳴りがした。

 マリー様の教室に向かうのかと思ったが、公爵が指定したのは別の場所だった。

 ……擬似的な静寂。


「面白い話を聞いてね」

「……はい」

「何から話そうか」


 公爵がよく宮中で歩きながら矢継ぎ早に指示を飛ばすのを見ていた俺としては、まぁ移動しながら話すのも覚悟はしていた。


「私が前から思っていたことと、違う噂が耳に入ってね」


 ゾワっと背筋に嫌なものが走る。これはあれだ。逃げるが勝ちってやつだ。第六感。どんな鈍い人間でも悟れる。これを正面からくらっていたのなら、同僚はともかく、理事長まであんな顔になっていたのも納得。

 ……これは、あれだな。うん。多分、耳に入ったのはあれだ。アイザックに殺されそうになったあの噂だ。多分。


「君はアイザック君のことが好きなんだと、私は思っていたよ」

「――」

 お嬢様が話した? まさか、お嬢様が……あのなんでも大げさに考えるお嬢様が? 短慮なところはあるが、根はまっすぐな人だし、墓場まで持っていくと言った約束を違えるとは思えない。俺がバルコニーに夜中忍び込んでも誰にも言わなかったのに? そもそも、お嬢様はあまり積極的に喋るような子供じゃない。家族が顔を合わせる食事の場でも、話を振るのは公爵夫妻、名指しされてようやく振られた話題に応じるのがお嬢様だ。

 だとすれば。


「……それで、私をお嬢様の護衛に?」

「察しの良い人間は好きだよ。その通り。マリーは私の娘だから、マリーの望むように、一生男と触れ合わずに過ごさせてあげることもできた。私はそうしたかったけれど、あの子が怒ってね。マリーはあの子の子供でもあるから」


 ……一人娘に甘いとは聞いていたが、ちょっと度を超えてる。


「アイザック君はあの子の願いを叶えてくれた。感謝してるよ。仲良くしすぎれば君が邪魔をしてくれる。君の嫉妬がマリーに向かないか。それだけ心配だったけど、ルディとレティがいるからね」

「……仮にそれが真実であったとしても、年端もいかないお嬢様に八つ当たりするようなみっともない真似をするくらいなら、死んだほうがマシです」

「うん。君がそういう人間だということは知ってる。派手に遊んでいるように見えて、意外と義理堅いこともね」

 ……怖。


「だからまぁ……一応、確認をね」

「確認、ですか」

「そう。マリーがもし君を愛していたら、君はそれに応えられる?」


 ……そっちかよ。つか、……耳鳴りがうるさい。この人の強さは指揮官としての統率力だと思ってたが……


「即答しないところは評価するよ。どのくらいで答えが出そう?」

「……私の立場上、難しいと思いますが、その辺りは公爵が?」

「身分差ならなんとでもなるよ。私自身その例外だしね」

 思わず公爵の前ということも忘れて、素の表情が出そうになった。

 ブルーローズ事件は有名だ。当時婚約者が既にいた陛下が、現公爵夫人である当時公爵令嬢に惚れて一波乱。いや、本来なら大波乱になるところだったが、現公爵夫人は公爵と結婚したかったからそこも利用した。

 醜聞になる前に力技で消したのだ。

 もみ消したとかではなく、まぁ……男の大半は陛下に同情したかな。

 夫人は、当時の婚約者、いまの妃殿下に会いに行き、簡潔に伝えたのだ。「あんたの婚約者が私に惚れたみたいだけど、どうする?」

 普通なら侮辱と受け取られるところだったが、そうはならなかった。何故ならその時には、夫人は公爵にベタ惚れだと誰もが知っていたからだ。当然妃殿下も知っていて、あとはまぁ……

 そうだ。

 結局のところ、氷の公爵と言われちゃいるが、この人は――


「正直に申し上げます。私はお嬢様のお眼鏡には敵わないそうですよ」

 マリー様によく似た黒い瞳が瞬く。

「これほど年が離れているのは対象外だそうです」

「……そうなの?」

「噂は事実無根です。ご安心ください。お嬢様は敬愛すべき主人ではありますが、失礼を承知で申し上げれば、私もお嬢様の年齢は対象外です」

「マリーもそう言ったのなら、その無礼は許そう。感謝するよ、マルクス君。マリーには年頃の友達がいない。私たちはマリーの性格と体質を思えば、その手の話はできなかった」


 娘の一面が知れてよほど嬉しかったのか、しつこい耳鳴りがやっと消えた。


「……でしたら、少し軽口を叩いても?」

「許可しよう」

「お嬢様はファザコンのような気がします」

「……胡麻擂りの間違いかな?」

「いいえ。軽口です。私くらい年が離れていると、お嬢様は異性とは見れないようですが、その上で……多少、心を許せるようになると、子供っぽくなるように思いました」

「子供……?」

「女としてではなく、甘え方が子供に近いように思います。一番わかりやすく子供らしい甘え方と言えば、親でも友達でも、別れ際にぐずることでしょう。事実無根の噂ですが、仮に何かしら心当たりがあるとすれば、そのくらいです」

「……君は思った以上に頭が切れるね」

「ご冗談を。子供に懐かれやすいとは自負しております」

「それもあるね」

「お嬢様は何かにつけて練習を大切になさる方です。私は公爵への練習台でしょう。あくまで私見ですが、お嬢様はああ見えて、甘えたがりかもしれません」


 公爵は虚を突かれたような顔をしたが、すぐに苦笑した。


「知ってるよ。これでも父親だからね」


 その苦笑は何故かマリー様によく似ていた。色合いは公爵譲りだが、パーツも配置も夫人譲りのはずなのに。


 その後公爵は公爵邸で見るいつもの様子に戻ったが、俺の顔以外の全身は嫌な汗でびっしょりだった。


「あい……アイザックを家庭教師にしたのは、公爵が前から思っていたこと、が関係ありますか?」

 俺があいつを好きだから護衛として認められたのではなく、あいつを雇えば自動的に俺がついてくると思って、あいつを雇ったのか?

 公爵はそれにはただ微笑んで何も言わなかったが、つくづくおっかねー人だなと思った。

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