私と殿下とヒロインと。
「……別に彼女を嫌ってる訳じゃないんだ。彼女が僕に興味がないだけで」
苦しそうな声。
「……だからこっちを少しでも見て欲しくて、気を引きたくて、いつもあんな態度になってしまう。自分でも子供っぽいってわかってるんだ。でも……」
「わかります。好きな人の前で、思い通りにできないのって、辛いですよね。私も同じだから、よくわかります。なんでだろ……恋ってもっと楽しくて素敵なことだと思ってました。でもこんなに苦しいんですね」
可愛らしい顔がくしゃっと歪む。泣きそうな、それを堪えている顔。
「そう……僕と同じだね」
似たような顔で微笑む。
「……私がマリー様だったら良かったのに」
「え?」
「……冗談です。ごめんなさい。あんまり苦しそうだったから。私ならわかるのにって」
あー……えー……なんだこれは、えーと……ヒロインが今回好きなのは殿下ってことで良いのかな?
あと殿下、誤解を生む言い回しは良くないぞ。主語はちゃんと正しく補わないと。
私を嫌ってる訳じゃないけど、お母様が殿下に興味がない、もしくは殿下が私に興味がないでしょ? 前者は同じ代名詞が複数の人を指しちゃってるし、後者は主語入れ替わっちゃってるし。なんかメンタルやられてそうだし、気づいてないのかな?
今世では至極真っ当に授業を受けて、休憩時間は読書という、私の理想のスクールライフを謳歌していたのだが……
図書館への道は割とひっそりしている。
私の日前の中学時代は結構上下関係が厳しく、私の好きないわゆる物語がある棚というのは、何故か床暖房が入っている区域の土足厳禁部屋にあった。そこは三年生しか使ってはいけないという暗黙のルールがあり、私は早々に図書館通いを諦めた。
三年生になってからはほぼ通い詰めていたので、司書の先生に顔を覚えられた。
三年生は受験のために、図書館の利用カードをかなり早くに回収されてしまうという、これは成文化されたルールがあるのだが、先生は私が最後の利用日に本を返却した時に、「まだ読みたい本があるなら借りて行って良いよ」と言ってくれた。「あなたは読むの早いから」と。
1冊ずつ借りて翌日返却、土日祝日の前日は2冊借りて翌登校日に返却というパターンで図書館を利用していた実績に免じて、ということだろう。
あれは嬉しかった。
一転して高校は比較的上下関係が緩く、利用者も少なかったので、最初から利用していた。
スクールの図書館は高校に似ている。利用者が少なくて蔵書が多い。静かで利用しやすい。
図書館までの道のりは、半屋外になっていて、天気が良い日は日当たりが良くて気持ち良い。途中には四阿もある。
その四阿で、ヒロインと殿下が会話をしていて、風に乗って声が届いたのだ。図書館へ行くには、あの四阿を通り過ぎなければならない。
……行くのか、あそこを。
それとも、図書館に行くのはやめようか。
「お嬢様……」
「あ、はい」
そうだ、今は高校みたいに一人じゃなかった。メイドが付き添っている。
あの四阿も、少し離れたところに、殿下のお付きの人がいる。
どうしようかなぁ……
メイドがいなかったら、もうちょっと決断に時間をかけても良いんだけれども……
「……お嬢様」
お労しい、みたいな声になってきた。こりゃやばい。
さて、どうするか。
聞かなかったふりをして「あら、なんのお話ですの?」と悪役令嬢ムーブ全開で突っ込む。
頭だけ下げて通り過ぎる。
引き返す。
……はぁ。なんかもう全部めんどくさくなってしまった。
別に返却期限は今日じゃない。でも読みたい本はある。引き返してもう一度来るのもめんどくさい。かと言って、あそこを通るのも……
恋愛のあれやこれやの相談を受けることは日前でもあったが、私の役目は愚痴聞き要員であって、こんな風に誰かの大切な話をうっかり聞いてしまうというようなことは今までなかった。
……モブなら容赦無くキャーキャー言う場面なんだろうなぁ……平民と王子様の恋っ……なんて素敵! とかって……いやまぁ思わないけど……恋愛主題の物語はどうしても好きになれない……弟憎しで義弟まで忌み嫌ってた私からは結構変われたと思うけど、そこは変わらないまま。
……そして現状、私を殺さない方向でどうかひとつ……っていう気持ちが何にも勝る……
「お嬢様?」
「っ、先生」
振り返ると、先生が立っていた。
目が合うと、先生がちょっと苦笑する。
「失礼しました。マリー・アン嬢、でしたね」
私も笑って、教師へするものと教わった礼を返した。
「図書館ですか? ご一緒します」
「あ……はい」
「どうかされました?」
「いえ……」
説明しづらいなぁと思いながら、四阿を見る。
「あれは……殿下……おや」
私のスクールでの立ち位置は微妙な所だった。殿下の婚約者であることは既に知れ渡り、分け隔てなく優しい殿下が私にだけ口調が荒い。
……まぁ、いろいろ、思うところあるよね。
殿下が悪し様に罵るほど私の性格が悪いとする人(あれを悪し様に罵るなんて言ったら、日前の私が両親に言われたことはなんて言えば良いのやら)と、殿下が日前の言葉で言うならツンデレだと思ってる人と、まぁ色々だ。
私は早々に同級生との交友を諦めて、足繁く図書館に通いつめている。
たまに先生がこうやって話しかけてくれたり、司書の先生とも会話をする。あとは――
「では、こうしましょう」
……はい?
「お手をどうぞ」
……はへ?
「ご歓談中失礼します」
……まじか。
先生は、めちゃくちゃ取り込み中だろう二人に、平然と声をかけた。
ばっと振り返るヒロインの目から、涙が零れ落ちる。
すごい綺麗。
場違いな感想が浮かぶ私をよそに、殿下は顔を顰めた。
「お前……」
邪魔してすみません。
ああもちろん、殿下がお前と呼んだのは私のことだ。殿下の目は真っ直ぐ私を見ている。
「これから図書室へ行くところでした。そこでお会いしたのでご一緒したのですが」
と、私を目線で示す先生は、そのまま二人を見て微笑む。
「お二人がこちらにいらっしゃるのは珍しいですね」
「アーサー様は! 私の相談に乗ってくださっていたんです!」
そうかなぁ。さっきのは、殿下がヒロインに相談してたように聞こえたんだけどな……。
「……お邪魔して申し訳ありませんでした。失礼します」
私は謝って、先生の手を引く。
「待て。お前はいつもそうやって図書室に行くのか」
そうやって?
「殿下はいつもこうやって女生徒の相談に乗っているのですか? あまり人目のないところで」
ちょっと先生!?
殿下の顔が赤くなる。ほら怒ったじゃん!
「違います! アーサー様は婚約者がいらっしゃるのに、誰彼なくお近づきになるような方ではありません!」
……ええと。
……つまり私は、婚約者がいるのに誰彼なくお近付きになる人間だと。
思わず先生を見上げてしまった。
私が話をするのは先生と護衛その2と司書の先生くらいなのだが、それがお気に召さなかったのだろうか。
……いや、……いや待って、ちょっと待って。よく考えたら話はともかく、エスコートは確かにまずいのでは?
「はぁ、なんだ、……女生徒の悲鳴が聞こえるってんで、急いできたら……お取り込み中か」
駆けつけた護衛その2。
「つか修羅場?」
いや修羅場って。
「……まぁ事情はおいおい聞きますが……男が二人もいて、泣いてる女性を放って置くってのは、ちょっと感心しませんね」
言いながら、護衛その2改めスクール内警護担当騎士がヒロインにハンカチを差し出した。
殿下が、しまった、と言うみたいに顔を顰めた。
ヒロインはそれを受け取って、「ありがとうございます」と頭を下げて、目元に当てる。
さすが乙女ゲームのヒロインは、こう言った場面の定番ギャグ要素、鼻をかむを実行したりはしなかった。
「そんでもって、おい先生。ここは舞踏会でもパーティー会場でもないんだが。手」
「ああ……これは失礼。殿下が女生徒と何やらお取り込み中のようで、横を通って図書館に行くのは邪魔にならないかと、あそこで立ち竦んでいらしたので」
護衛その2はちょっと顔を顰めて、殿下とヒロインの方を見た。
「この四阿は、図書館行く時には必ず見えるんですよ。図書館利用者は、天気の良い日にはここを使ったりもしてます。外の風が気持ちいいですしね」
それ私。
「毎日必ず図書館を利用しているマリー様がここを通りがかるのはなんの不思議もないんですが。先生も、図書館はよく利用されてるそうで。で、お二人はどうしたんです?」
その問いに、殿下はびっくりした様子で、ヒロインを見た。ヒロインは辛そうな顔で涙を拭いている。
答えられないのかな。泣くと喉震えるもんね。代弁するか
「……何か相談をされていたそうです」
護衛その2を見て言うと、片眉を跳ね上げた。
……ん?
「ここは、私が通るときもいつも誰もいませんし、……あまり、人に聞かれたくないような、真剣な悩み事の相談には、ちょうど良かったのでは。……すみません、私がその」
タイミング悪いんですよねいっつも。
「私も通りますよ」
先生がそう言うのを遮って、護衛その2がヒロインを見た。
「そりゃ穏やかじゃありませんね。わざわざ一国の王子殿下にしななきゃならん相談なんて、一体何事です?」
……あー……そうなるのか……
私の伝え方がまずかった。ヒロインは平民だ。生活の困窮とか、学内での差別とか、いろいろあるだろう。トップダウン……いや、頭と直談判するのが確かに手っ取り早い。民主主義国家のシビリアンコントロールは何か決めるのに書類議会採決を繰り返さなきゃならないけど、専制君主国家はある程度すっ飛ばせるし、無理も通るのが利点だ。
私の頭の中もやっぱり基本お花畑だなぁ……難しいこと考えるの面倒だから、表面しか見ない。
「違うよ。クラスメイトとして相談を」
「……殿下。ノートンはどうしたんです?」
「公休日だけど……」
また片眉を上げた。それからヒロインを見る。
「ところで、大層可愛らしいお嬢さん。涙は止まりましたか?」
それにヒロインが可愛らしく笑う。
「ええ。騎士様、ありがとう。ハンカチは洗ってお返しします」
「差し上げます。なんならそのままでも良いですよ」
「いいえ!」
……帰って、良いかな。図書館行きたい。なんか疲れた。
「じゃあ頼みます。ところで、そろそろ帰らないと、暗くなりますよ。歩きじゃ危ない。あいにく送って差し上げるわけにもいかないんで」
「あ……じゃあ、帰ります。アーサー様」
「すみませんね、お嬢さん。殿下には一応、もうちょっと詳しいことを聞きたいんで。何。相談内容を聞くなんて野暮なことはしませんよ。ただ、女生徒が叫んでたってことについて、一応、報告書を上げなきゃならないんで。構いませんね、殿下?」
「……あぁ」
ヒロインは少し寂しそうな顔をして、それから礼をして帰って行った。
ヒロインの後ろ姿を見送り、見えなくなってから、護衛その2が口を開いた。
「ありゃあとんだ女狐ですね。見た目は清純そのもので可愛いのにもったいない」
「言葉が汚いですよ。計算高いと言いなさい」
「……それは、二人は、わざとだと思ってるってこと?」
「そう言うってことは、殿下もわかってんでしょ。少し迂闊でしたね。後でノートンに包み隠さず全部話して、お説教くらってください」
「……はい」
「……で、マリー様はわかってない、と」
あの子が殿下を好きってのはわかってるよ? いやピンときたわけじゃなくて聞こえたんだが。でもそれを耳にしたのは私だけだ。推察と、耳にしたのとでは確度が違う。勝手に人の気持ちを口にするのは良くない。
「女の方がピンとくると思うんですがねぇ……」
「え、あ……」
勝手に口にするのは良くないが、だからって知らないわけでもない。どう言うべきか迷っていると、空気を変えるようにひとつ手を打ち鳴らした。
「まぁ立ち話もなんですから、座ってください。殿下も構いませんね? それとも、気分変えて場所も変えますか?」
「どこでも構わないよ」
図書館に行きたい。
そんな本音は流石に言えず、頷くと、メイドが「お茶をご用意します」と辞して行った。
殿下はさっきも座っていた位置に座り、その横に護衛その2が立つ。私はここを利用する時の定位置、丁度殿下の斜向かいに腰を下ろした。先生は私の隣に。
「つか、俺はお前が気づいたことに驚いたよ」
「話しかけた時から不審な態度でしたからね。誰でもわかります」
護衛その2が「やる~」とでも言うように口笛を吹き、殿下は苦い顔をし、先生はハッとしたように私を見た。焦ったように口を開ける。
「いえ、あの、お嬢様は、気付かなくても無理はありませんよ。初めからあのように怒鳴られては、同性とはいえ……」
「ちょい待ち。そこが聞きたいんだよ。俺に聞こえたのは、『アーサー様は、相談に乗ってくれていた』ってところから。その前に、なんのやりとりがあってあのお嬢ちゃんは怒鳴り出したんだ? マリー様が殿下とお嬢ちゃん見て嫉妬したとも考えられんし」
「あの……ユニウス……」
今度は護衛その2がハッとして殿下を振り向き、慌てて謝った。
「お二人がこちらにいらっしゃるのは珍しいですね。そう言った直後です」
「言ったのはマリー様? お前?」
「私です」
「う~わ、女狐だなぁ」
「その言い方はやめなさい」
「どうです、殿下? あの計算高さと腹芸は政治にも役立ちそうですよ?」
「……婚約者はここにいるよ」
「愛妾とか」
「何を言ってるんだよ。即位後ならともかく、いまの立場でそんな」
「じゃあキープってことで? あのまま育てば、うまくすりゃ社交界を牛耳れますよ」
「だから! ……どうしても子供ができないとかなら仕方ないけど、そうじゃないのにどうしてそんな話になるの。そんなの……う……浮気じゃないか」
「ははぁ……殿下は本当に、見た目も中身も愛くるしいまんま大きくおなりで」
「嬉しくない」
「ただまぁ、そういうことなら、もうちょっと考えてもらいませんと」
「……冷静になってみると、確かに少し、おかしい……かな。……でも、泣いていたからだと思って」
「殿下。良いことを教えてあげましょう。世の中女性には2種類います。涙の出し入れ自由自在なのとそうじゃないの」
出し入れて。
「ね、マリー様」
「え、あ……まぁ……私も割と泣こうと思えばいつでも泣けます」
三人が固まった。
あれ?
「……参考までに。どうやって?」
「前に泣いた時のことを思い出せば。ただ、泣き止むのは自由にできないので、出し入れ自在とは言えないですが」
今度は三人揃って痛ましそうな顔になった。
劇的なのは先生で、一度立ち上がって私の正面に立つと、久しぶりにしゃがんでくれた。小さな時にしてくれたように。
両手を取られる。
先生の手は好きだ。温かくてすべすべ。人に触られるのが死ぬほど嫌だったのを、治してくれた。
眼鏡の奥の目が優しい色をしている。心配そうだけど、その目はいつも優しい。それにホッとする。
「いやまぁ……わからんでもないが」
護衛その2は苦笑すると、先生の耳元で「殿下が可哀想だ。やめてやれ」と言っていたが、もちろんそれは聞こえない。
「さて、じゃあ……今回のことはありのままに書いときますよ。問題は次です。多分また何かやってくるでしょう。今回みたいに、先生が横にいて、俺が駆けつけりゃ問題ないんですが……」
先生は頷き、殿下は苦い顔だ。
「殿下の方は、あとでノートンがコテンパンにやってくれると思うので、マリー様」
はえ!?
なにコテンパンて。
私がされるの!? なんで!? 理不尽!
「ここは確かに人通りが少ないんですが、拓けてるんで声はよく通るんですよ。そこで、さっきのお嬢ちゃんの怒鳴り声です」
……彼女はよく通る綺麗な声をしている。私のくぐもって聞き取りにくい声とは大違いだ。声楽の授業でも散々注意されたが、いかんせんこの小さな口が……
「マリー様はあんな風に声を荒げたりはせんでしょう。つまり、あのお嬢ちゃんの声だけが聞こえるわけです。で、こっちを見ると、殿下と婚約者とクラスメイト。で……これはちょっと失礼なんですが、マリー様はちょーっと、顔立ちがキツめなんですよね」
悪役令嬢だからね。
「だから、ぱっと見、殿下がクラスメイトの相談に乗ってるのを、婚約者が嫉妬して怒ったんだろうと、こう判断するやつもいるかもしれないってことです」
――あ?
あれ、それって、もしかして、……いわゆるイベントか?
……思い出せ思い出せ。先生に嫌われ始めたのはいつだった? あの断罪の日、私は「やっぱり」先生も私を嫌いだったと思った。
あのやっぱりは、こんな性格の悪い最低なやつは誰からも好かれないという意味の他に、もう一つあったんじゃないか。先生が私を嫌っているんじゃないかと、そう思うきっかけがあったのではないのか。あったとしたら?
先生の目はいつから冷たかった?
「マリー様は殿下が視界に入ったのに無視して通り過ぎるなんてできんでしょう。必ず挨拶をするはずです。マリー様を悪者にするその舞台としてここはうってつけってわけです」
「……仮にそうなっても、違うって言うよ。悪者になんてさせない」
「殿下が何か言っても、婚約者を庇ってると思われて終わりです」
「庇うよ。婚約者なんだから。それの何が悪いの?」
「噂を否定して、その噂をしている連中が思うのはこうです。『殿下もお可哀想に。婚約者があんな方で』」
「『庇われるなんて、ご立派ですね』」
「『そこは立場がおありだから』ってなもんです。殿下の株が上がり、マリー様は悪者に、あのお嬢ちゃんはさしずめ悲劇のヒロインですかね?」
……泥沼……
「殿下。相談場所と日時を決めたのはあのお嬢ちゃんですか?」
「……決めたと言うか……今日、ここに案内されたんだ。……人目につかないし、生徒に聞かれることはないから、って、そう」
「ノートンがいたら間違いなく止めましたね。だからこそ不在を狙ったんでしょう」
「婚約者がいらっしゃるのに、人目を忍んで女生徒と二人きりでお会いになろうとしたわけですからね」
「んな身も蓋もない言い方すんなよ。後でお目付役がしっかりとことんじっくり長々とお説教するんだから、お株を奪うなっての。つかなんでお前が怒るんだよ」
「当然でしょう。『私の可愛い教え子のお嬢様をよろしくお願い申し上げます』とお伝えしたはずです。それを」
――瞬間。
突風が吹き抜けた。
結っていない髪が顔を覆うほどで、驚きつつ髪を手櫛で戻す。
幸い、スクールの制服は布がしっかりしているし、デザインもいくつか選べる。私は踝まで覆うロングタイプを愛用していたから、スカートが捲れる心配もなかったが。
「すごい風でしたね……」
風はほんの一瞬ですぐ吹き止んだ。あぁびっくりした、と思いながらそう口にすれば、先生が何故かこっちをみて「すみません、御免なさい、失礼しました」と謝ってきた。
「え?」
思わず目が丸くなる。だってなんの謝罪? 不思議に思っていると、先生は困り顔のままで、護衛その2がひきつった顔をしたまま口を開けた。
「と、とりあえず、今日のこの件は、そのまま報告書に上げときます。マリー様にはなんら非はなく、たまたまその場にいただけで、言い合いをしたのは先生と。理由は、婚約者のいる殿下と二人きりでいるところを注意されたため。問題ないですね?」
先生と殿下が頷く。
ちょっと意外に思った。……そうか。だから……
思わず乾いた笑いを漏らしそうになって、慌てて口元をおおう。
笑えてきた理由は、断罪のシーンだ。嫌がらせの裏どりなんて面倒でしょうがない。
私だって昔から何度も上履きを隠されたり、トイレに持って行かれたり、机をひっくり返されたりしていたが、日時なんてうろ覚えだ。誰にされたかもわからない。
机は元に戻して、上履きは回収して、そうすれば、されたことすら、立証できない。証言するのは本人だけだから。
だけど、こうやって、誰かが誰かと言い合っていたということまで報告書を上げるシステムがあるのなら、断罪もスムーズだ。
きっと乙前の断罪は、その報告書が意図的に書き換えられたか、勘違いを誘う言い回しをされていたから。
もう笑うしかない。
第三者であるはずのスクールの警護担当が、ヒロイン側に有利に、私に不利な報告を上げた。
笑えてくる。
だけど、ここで笑ったら本当に悪役みたいじゃないか。見た目は子供頭脳は大人な探偵に目撃されたら疑われること間違いなしだ。
「マリー様?」
「いいえ。……でももうちょっと、優しい言い回しにしてもらえませんか? なんだかその……」
注意されて逆ギレしたみたいに聞こえるから。逆ギレってまともな言葉に直すとなんだっけ。ああそうそう。
「注意されて逆上した、みたいだとちょっと……」
「可哀想って意味です? ……ちょっと優しすぎませんかね?」
「いえ、……こういうのは、ちょっと……自分だと思うと、恥ずかしすぎるから、もうちょっとこう……」
HSPの特性。共感性羞恥。他人がしたことを自分がしたことのように感じてしまう。されたことも同じだ。よく躾や道徳で言われるだろう。他人の身になって考えなさいと。それを、考えるのではなく、自動的にしてしまうのが私。反射的なもので……実際に多分今顔が赤くなっている。
「……婚約者がいるのに、女性と二人きりでいた僕に、それでも非はないと庇った。それでどうかな」
殿下の提案に頷く。それなら良い。美談になるだろう。乙女ゲームのヒロインは、強く優しく美しいと決まっている。
すると、護衛その2が笑った。
「ああ、良いっすねそれ。自分も怒られてるって気づいてないアホさが際立ちます」
ちょっ、え、あれ!?
「マリー様さっき頷きましたからね。これで書きます」
「え、あの、と、取り消しは……」
「受け付けておりませーん」
「そんな!」
「お嬢様。それ以上は、介入になりますよ?」
やんわりとした物言いだけど、言ってることは物騒だった。だから渋々ながら謝って同意した。
その後、見計らったようなタイミングでお茶を運んできてくれたメイドにお礼を言って、お茶にした。
護衛その2は職務中だからと席にはつかなかった。
考えてみれば、この面子でお茶をしたことはない。
殿下と私、殿下とお母様と私、先生と私、先生と私と義弟。この組み合わせだ。
先生は私が疲れない程度に程よく話してくれる。先生とのお茶は癒しだ。本当にカウンセラーっぽい。
殿下は、基本めっちゃ喋る。っていうか怒鳴ってる。でも、お母様がいるときは、如才なく話に花を咲かせている。
……ええと。
殿下となら沈黙のお茶でも私は良いんだけど、先生がいるからな……
とりあえず、お茶を淹れてくれたメイドにお礼を言う。
茶葉は日前で言うところのアールグレイだ。ベルガモットの香り。私はちょっと変わった味覚の持ち主だから、ミルクティにするならアッサムが定番だけど、アールグレイにミルクを入れるのが一番好きだったりする。
当然私の好みを熟知しているメイドは、こっそりそれを淹れてくれた。
嬉しくてお礼を言えば、共犯者みたいな笑顔を見せてくれる。それが嬉しいから私も似たような顔で笑う。
正直な所、今世では友達を作れなかったので、スクールで気の許せる人と言えばこのメイドだけなのだ。
って言うか、なんで教員に女性が一人もいないの? 見渡す限り事務員さんも全員男性で食堂のスタッフさんまで一人残らず男とか、どうなってんだよこの世界は。やっぱ乙女ゲームだから?
普通だったら眼福とか目の保養とか思うところかもしれないけど……
年上好きの男子生徒が可哀想だろ。
なんて言う斜め上の非難が浮かぶくらいには、辟易していた。だいたい無菌室で育ったような貴族の令嬢たちは、なんだってこの環境に平気なんだ?
いや、これもお父様とお母様が私に甘かった弊害だろうか……私の家庭教師、先生を除けば全員女性だったもんな……
使用人も護衛を除けば、基本的に私に近づかないように最大限配慮してくれてる人たちばかりだ。廊下ですれ違う時も、ギリギリ端に寄ってくれる。申し訳ないから謝りながら通り過ぎる。その都度笑顔を見せてはくれるんだけど。
他の子は耐性あるんだ……
おかしいな。日前はそういや私も平気だった。私に小説を書くよう勧めてくれて、手放しで褒めちぎってくれた先生も男性だったし、物語文の時にアドバイスをくれた小学校の担任の先生も男性だった。
嫌な思い出は枚挙に遑がないが、男全てを毛嫌いしているわけじゃない。恩義を感じている男性だっている。
触られさえしなければ、日常生活に支障が出ない範囲で、普通に接することができていた。こんなにいちいち肩に力がはいると言うことはなかったのに。
今はもう、座席が男女並びになっているとか共学校では当たり前のことさえ、地味にストレスだ。先生の受け持ちの授業はホッとする。
「図書館に行くのが遅くなってしまいましたね」
ハッとして顔を上げる。
紅茶を見つめたまま、物思いに耽ってしまっていた。
先生を見れば、いつも通りの優雅な佇まいでティーカップをソーサーに戻すところだった。
見慣れた苦笑に安心して、私も同じように笑う。
「……はい」
幸い今日は、義弟もお母様に連れられてどこかのお茶会に行くらしい。帰りは観劇だったかな。だから遅くなっても問題はなかった。
私の図書館の利用の仕方は、日前と変わらない。蔵書を端から眺めていって、装丁や書名で気になるものを手に取って少し読んで、興味がわいたら借りて行く。
「なぜ、図書館なんか」
……なんか?
思わず眉を顰めてしまった。慌てて謝る。
殿下の疑問はもっともだ。公爵家は自前の図書館とも言うべき圧倒的蔵書を誇る棟があるし、頼めばなんでも買ってくれる。
わざわざ公共施設であるここの図書館を利用する必要はないだろうと言いたいわけだ。
それはそうだ。現に、ここの図書館はいつもひっそりとしている。同じ理由で利用者が少ないからだ。レポートで必要になるような書籍だって、クラス全員が同じ書籍を必要としたら当然冊数が足らず間に合わない。ここの前提はヒロインのような、高価な専門書が手に入りにくい、才能ある平民が授業で難儀しないため。
私だって大学時代苦しんだ。いわゆる教科書以外の参考書籍を読まなければレポートなんて書けないのに、図書館は貸出中ばかり。末尾に参考文献を載せる必要だってあるから、1冊も読まずに書くわけには行かない。教科書だって高いのに、専門書はもっと高い。それを捻出するためにアルバイトを増やすしかなくて、アルバイトを増やしたら参考書籍を本屋で探す時間もなくなって……
分かっているから、専門書はここで借りたりしないで実家を頼ることにしている。
読むのは物語や伝記の類だ。それだって多分、家にはある。分かっている。でも、放課後が怖いのだ。人の数が多いから、人気が少なくなってから帰りたい。だから義弟との約束がない日は、いつも逃げるようにここにくる。
私にも理由はあるが、裕福な公爵家の一人娘が、ここを利用するのは、平民にとっては腹立たしかったのかもしれない。多分、例えるなら、被災地の炊き出しへ、豪商の娘が興味本位で受け取る側として並ぶようなものに見えるのかもしれない。
それできっと、私よりも何倍も頭の回る殿下は、どうして「図書館『に行く必要のないお前』なんか『が』」と言いたかったのかもしれない。
大学の奨学金申請の場で、綺麗に着飾って髪も染めた子達が並ぶのを見て、必要なのかと私も思った。髪を染めるどころか、髪を切りに行くお金もなくて、自分で切った不揃いの髪に、流行りをまるで無視した着られれば良いだけの着古した服を身につけた自分との差。子供に最低限ではなくお金を回す親がいる彼ら彼女らが羨ましかった。
今の私がしていることは、あの頃の私が――
「お嬢様が図書館を利用なさることに、何も謝るようなことはありませんよ」
優しい声に顔を上げる。
「放課の過ごし方は、法規や校則に触れなければ自由です。……あぁ、それから、外聞も考慮するべきではありますが」
……いやえっと、これは言葉の裏を読むのが苦手な私にも流石にわかる。
殿下への嫌味ですね?
「……外聞と言うのなら、婚約者がいるのに毎日他の男と連れ添っている令嬢というのも問題があると思いませんか」
え、殿下、ヒロインと毎日逢引してたんですか!?
まじで!? そりゃ……今世はどうやら、いわゆる王子ルートで確定かな。
いやまてよ? 殿下とヒロインじゃなくて、もしかしてヒロイン単独か? ヒロインが毎日違う男と連れ添ってて、たまたま今日は殿下の番で、もしかしたら殿下はその点もヒロインに注意しようとして、相談を受けたっていうことも……
殿下は結構まともな人だから、婚約者がいるのにヒロインと二人きりっていうのは、本当にちょっとびっくりした。殿下がヒロインを注意しようとしていたのなら納得がいく。他人がいる場所で注意したりしないだろう。
殿下はツンが強いが優しい人だ。
って、あれ……? あの子婚約者いたっけ?
ヒロインには……普通……婚約者いないよな? いや、わかんないか。私が読んだ物語ではいなかったけど、どこかには婚約者がいるけど複数の男の人に言い寄られるっていうちょっと大人向けの乙女ゲームもあるのかもしれない。
「さて。どなたのことか存じませんが、それは感心しませんね」
「……賢者殿が真っ当な感性をお持ちのようで安心しました。これからはここを通りかかっても、問題ないですね」
「図書館なんかにご用がおありですか?」
……あれ、もしかして、先生ちょっと怒ってる?
「それと、婚約者のいる男性と二人きりになろうとする女性というのは、もっと感心しませんね」
……これは、ヒロインのことかな。
「あの……」
思わず口を挟むと、二人がこちらを振り向く。当然なんだけどちょっとビクついてしまった。
「……思い詰めたり……している時は、……周りが見えなくなるので……私だけかもしれないですけど」
溺れる者は藁をも摑む、だ。私も最初、護衛その2に会った時、ネガティブ思考が暴走して、思い余って先生の服を掴んだ。考えてみればおかしな話だ。先生だって私を殺す側の人間なのに。ただ、二人横に並ばれるという怖い情景をなんとか消したい一心だった。
私が目撃したというか、うっかり聞いてしまったのは、ヒロインの恋心と殿下の懊悩だけど、泣くほど苦しいのなら、恋愛だって思い余る理由にはなるのだろう。そういえば、恋愛に悩んで自殺未遂をする人というのは、一定の割合でいるんだった。
だからヒロインが、殿下に婚約者がいることを忘れてしまったとしても、それは責められない。相手を選んでいたら、こういうのは、タイミングもあるのだ。私は相手を選びすぎて誰にも言えなかった過去がある。
あの時代、カウンセラーなんていなかった。いたかもしれないけど、私の知る範囲にはいなかった。それでも誰でもいいから、言ってしまえば、もしかしたら誰かは……
「……婚約者がいても……忘れ、ちゃ」
ガンっという耳障りな音に、肩が跳ねる。
音のした方を見れば、殿下がこっちを睨んでいた。
「ひ、」
これ、あの……あの時の、顔だ。
あの、断罪の。
やばい。呼吸が、落ち着いて、ここには、護衛、いな――
「――だーめだこりゃ。ちょっと口挟みますよ」
護衛その2が、呆れたような声を上げるのと、先生が私に手を伸ばしたのはほぼ同時だった。
「アイザック座れ。殿下はその顔やめましょうね。あとマリー様は深呼吸して。はいこっから俺は学内警護担当じゃなくてアイザックの親友で殿下の遊び相手でお嬢様の護衛ね」
……殿下の遊び相手だったの?
いきなり新情報が飛び出してきてびっくりなんだけど、なんか納得。
は、それより深呼吸だ。
私が深呼吸を始めると、先生が背中に手を置いてくれる。ちょうど胸郭のあたり。呼吸の目安になる。
「だから座れってアイザック。お前ちょっと今日大人気なさすぎ。あと殿下。マリー様が言いたかったのは、あのクソバカ女狐のフォローですよ」
……今なんて?
「あれの言い分を信じるなら、殿下に何か相談してたんでしょ? だから思い詰めて、殿下にマリー様っていう婚約者がいるのを忘れて、人目につかない場所で相談してしまったってフォローしてるんですよ。マリー様自身が殿下の婚約者だってことを忘れてアイザックといちゃついてたってわけじゃないですからね」
「は?」
護衛その2と先生のおかげで、普通に呼吸ができるようになっていた私は、聞こえてきた言葉に思わずそう漏らした。
けれどその声は聞き咎められることなく、護衛その2がつづけた。
「あと言っときますけどね、俺は見回りでこの辺よく来ますけど、アイザックがマリー様の手を引いて歩いてたのなんて見たの今日が初めてですからね?」
「え」
今のは殿下。
「マリー様も。あんまりにも善意に解釈すんのはどうかと思いますよ。ご自分のお立場わかってます? ここは嘘でもちょっと妬いてやるのが女の義務ってもんです」
「妬く……」
「お嬢様、思ってもないことを言う必要はありません」
「お前ちょっと黙ってろ。ああもう、先生!」
「……仕方ありませんね」
「あの、……男性は妬かれるのは面倒なのでは?」
護衛その2と先生が顔を見合わせた。
「場合によりますね。いや程度?」
「程度……」
「……ないとは思いますが、お嬢様、我慢してました?」
「いえ……」
「だからそこは嘘でもはいって言ってやってくださいよ」
「え、あ、はい……」
「いいよユニウス……なんかもう余計惨めになってくるから」
「妬いた方がいいならそうします。これでも演技には定評がありますから」
私がいうと、三人とも揃いも揃って「うっそだー」と言わんばかりの顔になった。もちろん、表情はそれぞれ違うけれど。
嘘だと言うならご覧に入れて進ぜよう。
「こういった場合はどの程度妬けば良いですか?」
「……そうですねぇ、『私というものがありながら』とか?」
「それは、怒りながらでしょうか。それとも拗ねながら? あるいは泣きながらですか?」
「……ちょっと泣くのを我慢しながらとか? 結構唆ると思いますよ?」
「わかりました」
これでも国語の音読の授業では、いつも手本にされて来たのだ。特に会話文の音読には定評がある。
私は視線を下にして、涙声風に少し声を震わせて言った。
「……ひどいわ……」
ここで視線を上げて、護衛その2を少し見上げるようにして言う。
「私というものがありながら」
スカートを持つ手を震わせるのも忘れない。
呆気にとられたような顔の護衛その2。
「……こんな感じでいかがでしょうか」
久しぶりだったのでちょっと恥ずかしい。
「いや、……あー……えー……御見逸れしました……」
「お粗末さまです」
「いいや、本当にすごい……けど、……ユニウスに向かってするのはどうかと思う」
え、いやだって、リクエストした人に向かってやるのが普通……ってそうか、元々は……
「驚きました。お嬢様は多才ですね」
「ありがとうございます」
「マジでビビった。……やー……痛くもない肚が痛んだわ」
「褒めすぎです」
笑って言うと、神妙な顔で言われた。
「なんかただ台詞言ったって言うより、別人が乗り移ったように見えましたよ。マリー様がお嬢様じゃなかったら、十年に一人の役者になったでしょうに。……それか」
スッと目を細められて、なぜか寒気がした。
「マルクス」
「……ああ、悪ぃ」
「……そんなに演技力があるなら、ちょっと怖いな」
苦笑いしたのは殿下だ。
「僕への気のない素振りも演技?」
先生と護衛その2がまた顔を見合わせた。この二人はさっきの息のぴったり合った会話の連携と良い、なんかアイコンタクトで分かり合えてる気がする。頭の良い人同士は良いね。
「マリー様が初対面で俺を見て怯えたのが演技なら、不世出の名優になれますよ」
「長年お側にいた者として言わせていただくなら、お嬢様は実生活に演技を組み込める方ではないようにお見受けします」
「……そうですね。……昔は、全く別人になろうとしていたこともあったんですけど、上手くいきませんでした。台本があれば別ですが……やはり本物にはなれないので、き」
ハッとして慌てて口を閉じた。
嫌われたままだったと、いうわけには行かないのだ。誰にという話になったら、答えようがない。表立って私を嫌っていた人は、今のこの世界の現時点にはいないのだ。
「わかった。僕が悪かったです。ふざけました」
殿下がものすごい苦笑いをしていた。
「今日の僕の行動は褒められたものじゃないっていうのはよくわかった。反省してます。次からはノートンがいなくても絶対しない。だからその……許してくれない?」
「いえ、私は……許すも何も、……私が何か思うことは……」
「マリー様、マリー様、フォローするつもりでトドメ刺しちゃってます」
「え」
「妬いてあげてください」
「あ」
だめだほら、やっぱそうしますって言っても上手く行かない……
「だから良いってば。……その……無理しなくて良い。そのままで」
いやそれ絶対嘘ですよね!? その顔!
……お母様に似ている顔で妬けば嬉しいのか。
まぁわかってはいたけど、殿下もだいぶ拗らせてるなぁ……
「それと年長のお二方も、そろそろ許してくれませんか」
二人? 先生は怒ってると言ってたけど、護衛その2も?
「殿下は俺と……俺の相棒みたいに、完全分業制にしましょう。あの女狐が次に何かやってきたら、ノートンがいない場合は、代わりの御付きの人を差し出してください」
「差し出す?」
「何か相談事があるなら『信頼できる者を紹介する』、目の前で転びそうになったり倒れそうになったら『護衛に助けさせる』。クラスメイトと親交を持ちたいと言われたら、マリー様を同席させる。これが絶対条件ですね。それが難しいなら欠席してください」
「帝王学には女性の扱い方もあるはずですが、殿下のお人柄では難しいようですし、それが賢明でしょう」
殿下が顔を顰めた。
や、やばくない? そろそろ不敬にならない!?
「……だって、どう考えたって、あれは……幸せになれない。子供がどうしてもできないなら……諦めるしかないかもしれないけど、そうでないなら嫌だ」
あ、ああ、なるほど、不敬だからって怒ったわけじゃなくて、つまり愛妾とかの後宮についての制度が殿下は受け入れ難いのか。
なるほど、乙女ゲームのヒーローなだけはある。
その辺の考え方は平民よりなんだな。
「私は大丈夫ですが、殿下が仰ったように心を痛める女性は多いかもしれませんね」
「……大丈夫?」
「帝王学に女性の扱い方があるように、私もそういった類の心構えを教わりました。殿下がおっしゃったように、ただ一人の妃であることは難しいと。寵愛が他の方に移ろうとも、その地位に見合った振る舞いをするように」
「……正論だけど早すぎません? 卒業前にそこまで教えるもんですか? この年齢の女の子にそんなこと言ったって、反発するだけでしょう」
……え、あれ、教わったのは前か? まだ今は教わってないんだっけ?
「嫌だ」
「……は?」
「いずれ……もしかしたら、その可能性を考えなきゃいけないかもしれない。でも今からそんな風に考えるなんて、僕は嫌だ」
……嫌って言われても……立場があるだろ弁えろよ……っていうか、この人……自分の立場をすごく小さい頃からわかりすぎるくらいわかってる人だったはずでは……?
「僕は君が……誰かと仲良くするのは見たくないから、僕もしない。これから気をつける。だから、君も……」
「承知しております。私は……これ以上、悪評が立たないように」
「そんなに悪評が立ってるのか!?」
「……私のやることなすこと全て裏目にいつも出るので、もう何が正解かわからないのですが」
「え、君の?」
「は?」
「え?」
ぽかんと見つめ合う私たちの間に、失笑が落ちた。
「殿下は結構自分の態度が後ろめたかったんですね」
「自覚がおありなのでしたら改めれば良いものを」
「……お前言葉に気をつけろって。殿下が殿下じゃなかったら不敬罪で今日十回は投獄されてるぞ」
……先生は、護衛その2の前だと若干子供っぽくなるのかな…?
私の数多ある短所のうちの一つ、『一度信じた人のすることは全部正しいと思い込む』が発動してたのか、全スルーしてたけど、護衛その2とか別の人が言ってたら、確かに真っ青になってたような発言がちらほらあった気がする。
「殿下の悪評は今の所俺の耳には届いてませんね。マリー様の悪評はまぁ……そこそこ? でもそのうち消えるでしょ」
消えないでしょ。私悪役令嬢みたいだから。
「って、前までなら言えてたんですけどねぇ……あの女狐次第かもしれませんね」
「あの……差し出がましい上に厚かましいお願いですが……その……『女狐』という単語はあまり好きではないので……お名前を伏せるなら『彼女』くらいにしていただけたりしたら嬉しいんですけれども……」
散々嫌な渾名を付けられてきた私は、本人の許可なく渾名を呼ぶのは嫌だった。名前を覚えられないから役職で(心の中で)呼んだりはするけれども、明らかによろしくない意図が込められていると、どうしても心がざわざわしてしまう。私は多分、この人に父親像を投影しているから、なおさら、正しい人でいてほしいのだろうか。
女性集団生活の陰口も、聞き流すことはできていたのに。
申し訳なくて俯いて告げた直後、なぜか殿下の控えめな笑い声が耳に届いた。
顔を上げると、殿下は咳払いした。
「それよりも。どうしてこの子に悪評が立つ? どちらかといえば被害者だろう」
……あれ、殿下に『この子』って言われた。なんかちょっと……こそばゆいような……いつもお前とかこいつだったからなんか……くすぐったいというか変な感じだが……
「そりゃあ殿下の好感度がカンストだからでしょうよ」
……いまカンストって言ったよね? この世界にゲームってあるの?
「そのご様子では、殿下のお耳には何も入っていないようですね。この男とお嬢様のことも」
「――は?」
びっくう、と擬音が目に見えそうな様子で体を震わせた護衛その2。え、何。
「ユニウス?」
「……っ」
あ、今の口パクは私でもわかった。アイザックって言った。
「ねぇユニウス、僕は昔から君に憧れてたんだ。知ってるよね?」
「……っっ」
「僕の信頼を裏切ったりしないよね?」
「……そりゃもちろん。それに俺の好みは年上なんで大丈夫ですよ殿下」
……あれ、あなたヒロインがタイプじゃなかったの?
――俺のタイプは君みたいな清純な女の子。マリー様は真逆だろ?
確かヒロインに、あの人の護衛を昔していたんでしょう。あの人にひどいことなんてあなたにはできませんって言われて、そう返して笑ってたのを聞いた覚えがあるんですが。
……あれ、なんだろ。あの頃なんとも思わなかったのに、今思い出したら泣きそう。
この人のタイプじゃないのは全然気にならないが、ヒロインの、ヒロインらしいキレイなセリフに軽く笑って否定するのが。
……あーそうか、今世じゃ私この人に懐いてるから、……先生に嫌われた時みたいに、この人に嫌われるのも辛いんだ。そうか。……じゃああと、義弟に嫌われるのもきっと辛いし、殿下に嫌われるのも辛いかもしれない。
「そう。信じてるよユニウス」
……ああ、だから嫌なんだよな……嫌だったんだよ……誰かを好きになると、めんどくさいから……
そうだ、ヒロインのことも……多分私は……初めて声をかけたから、一番最初の友達ですって、言ってもらえて、嬉しかったのに……
「お嬢様?」
「あ、はい!」
「もう遅いですから、お帰りになったほうが……」
「あっ」
慌てて、メイドの方を振り向く。
「お茶会って何時まででした?」
「間に合います」
「お茶会に行くの?」
「いえ、お……母と義弟がお茶会に行っていて、終わるまでには私も帰らないと」
「そうか。引き止めて悪かった。行こう」
「……はい」
ここで解散じゃないのか。ぞろぞろ移動すると人目を引くから嫌なんだけどまぁこれ以上わがまま言うのもあれか。
「また明日」
「……はい」
「お嬢様」
先生が耳元でこっそり、「どんな感情も消さないで、手紙に書いてくださいね」と言ってくれた。
……そういえば、なんか自己啓発系の本で読んだような。ネガティブな感情って認めないと余計大きくなるんだっけ。
変わんないなぁと思いながら、後一年もすれば、先生はまたあの冷たい目になるんだろうと苦笑した。
直後、馬車がある方向からとんでもない音がした。
「失礼しました。目障りな虫が戻ってきたので」
「……戻って?」
「はい。益虫だと言われたので我慢しておりました。が、その時期は終わり害虫に戻りましたので」
……モンシロチョウ?
「あの……怪我は……」
「問題ありません」
すると、メイドが笑い出した。
「どちらかと言えば、ルディの手よりも馬車に問題出るかも。それか馬?」
「……失礼しました」
……そういえば、うちの馬って大人しいよね……あんまり吠えてるとこみたことない。
でも昔読んだ小説で、馬は本来臆病な生き物だって書いてあったような。
笑い出したのは殿下で、「さすが公爵家の護衛は一流だ」と、護衛その1に笑いかけた。
もちろん、うちの使用人はみんなすごい。けど、それがわかるようなやりとりだったろうか?
疑問に思っていたせいで、つい、馬車に乗り込んだあと、護衛その2がそこから動かないのに不思議そうな顔をしてしまった。
だから護衛その2はもう家に帰らないって。セルフツッコミして恥ずかしく思いながら手を振った。




