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私と、入学式について。その4


 学園――スクールの馬車寄せに、いよいよ馬車が止まる。

 ここで私が読んできた本の登場人物たちであったなら、露骨にしょんぼりし始めた義弟の頭にポンと手を置き、「じゃあな」とでも微笑むんだろう。

 でも私にそれはできない。

 それに今生の別れみたいな雰囲気を出している義弟だが、このスクールは全寮制じゃない。通いだ。

 どうせ放課後には会える。

 ……私は保育園に行くのに愚図ったことはなかった。家にいれば悲惨な目に会うことが多い私にとっては、保育園の方が遥かにマシな居場所だったのだ。そんな私と対照的に、甘やかされ放題だった弟は、登園の度に毎回大泣きしていたのを覚えている。

 義弟の反応も、仕方ないのかもしれない。

「……今日は入学式だけだ。すぐに帰るよ。お前も、いつも通り勉強していれば、あっという間だ」

 俯いたまま頭を振られて、苦笑するしかない。

 弟も、こうだったな。

「……まっすぐ帰るから」

「寄り道しないでくださいね」

「ああ」

「誰かに誘われても、お茶とかしちゃダメです」

「……ああ」

 間が空いたのは、私は基本ぼっち属性だからと情けない思いが浮かんだのと、お前は母親か? と思ったから。

「殿下と一緒に帰るのもなしです」

「……殿下は多分公務があるから、すぐ帰るか残るか……どちらにしろ、私に拘う暇はないと思うよ」

「殿下に仕事頼まれても断ってください」

「……それは不敬罪になるからちょっと……」

「スクールでは全員平等のはずです!」

 いやなんでそれ知ってんの? 知ってるのは偉いけど本音と建前っていうのがあってね?

 なんて、子供の夢を打ち砕くバカな親の真似はしたくない。

「……頑張ってみるよ」

「約束です!」

 ……

 やくそく。

 家族とした約束で、叶えられたものが一体いくつあっただろう。

 無数の約束をして、多分守ってもらえたのは数えられるほどだ。

「……ああ。約束しよう。帰ったら庭でお茶をしようね」

 あの頃、弟のわがままを叶えるために、私としたいくつもの約束を破った家族。

 義弟との約束を破ることで、復讐をしようと思ったのか。

 それとも純粋に、……私がされて嫌なことを他人にしない、をいつものように守ろうとしたのか。

 自分でもどちらかわからなかった。




 体は大して疲れていないはずだが、精神的に疲れていたみたいで、馬車の中でうたた寝してしまった。

 脳は寝ている間に記憶の整理をすると言うけれど、私はたまに巻き戻しみたいに全く現実と同じ場面を繰り返す夢を見ることがある。

 忙しくて忘れていることを夢で見て思い出すこともあるから、便利といえば便利なんだが。

 見たのは、今朝の夢だ。義弟との別れ際。

 そして――ヒロインとの邂逅。




 ――あーやっぱりいた。

 

 可愛い可愛い女の子。

 案内人が付かなかったのは、平民だからなのか。

「あの」

 私の声に三人が声を返す。

「……あちらにいる新入生らしき人には、案内は付かないのでしょうか」

「一対一で会場まで案内がつくのは基本的に公侯爵家レベルですね。あとは爵位ごとに振り分けられて、集合場所が決まってます。そこから団体様ご案内って形に……って、あ?」

 きょろきょろしている女生徒を見つけてくれたのだろう。

「……そういや今回、平民の子が一人いるとは聞いてましたが」

「……爵位のない人の集合場所は?」

「……馬車に乗ってこない子っていますかね」

「裕福でなければ、徒歩の人も中には……」

「平民街からここまでかなり距離ありますけども」

「送迎の馬車を出したという話は……?」

「聞いてませんね」

 まじか。そういうわけで逸れてたのかあの子は。イベントだからってわけじゃなく、そりゃ何キロあるのかわからないけど、ヘトヘトになって歩いて来たら、周りなんてよく見えないし耳もあんまり聞こえなくなるだろう。血圧とかの関係で。

「……案内してあげてくれませんか」

「はい?」

 露骨に何言ってんだこのおじょーちゃんは、的なテンションの声が返って来る。

 ダメなの!? そこ仕事じゃないからとか言っちゃう!? 嘘でしょ!? なんで!? あの子ヒロインだよ多分!? っていう話の前に、あなた親切な人でしょう!?

 って、……違う。親切でも、できないことはある。

 公爵家で割合護衛その2が義弟の面倒まで見てくれたり自由に動けていたのは、護衛その1がいたからだ。私の護衛なんて、基本部屋に閉じこもりの引きこもりだから一人いれば十分なのだ。

 だけど、いま護衛その1は私のエスコートという名目でここにいる。護衛その2が離れたら、職務怠慢になってしまう。

「えっと……あ……じゃあ、その……い、一緒に行く、のは」

「ダメですね」

「おやめください」

「無理です」

 は!?

 え、なん……どうしてよ。

 公爵家の人間と一緒にいた平民とか思われると、彼女を僻む人がいるからとか!?

「平民の中には割と気安く触ってくる人間もいるんですよ。むやみに人に触れないってのは貴族社会のマナーであって、平民の中では割と仲良くなるためにスキンシップを常用する類の人間もいます」

 あ……そうだった、私人に触られるのだめだった。

 相手が女の子だからって今は無理な場合もある。

「まぁ、普通は貴族に触れようとはしないもんですが、一応、スクール内は無礼講……すみません、階級制度に重きを置かず、平等に友人を作ることを奨励されてますからね。友達になろうとして触ってくる可能性もあります。同性なら尚更でしょう。あの子が何を重んじる子かはわかりませんが、何も初日から嫌な思いをする可能性をあえてとらなくても」

 ……そうか。乙女ゲームの謎が一個解けた。

 妙にスキンシップが多いイメージがあったが、アレは……身分を超えた真実の愛、とか言いながら、実は身分差があるからこそ可能なやりとりだったわけか……。

 ……ってだとしたら、平民だと思ってるからこそ簡単に触ってくる男どもってクズじゃない……?

 無意識の見下しじゃないそれ……

「……あ、ほら、マリー様。お迎えが来ましたよ」

「え?」

 顔を上げると、先生がヒロインに話しかけていた。

 うわ、可愛い。

 弾ける笑顔というのは、こういうことだろう。

「まぁあいつの役目はエスコートであってお迎えじゃなかったんですけどねぇ」

「なるほど」

 となると、いつかの記憶は護衛その1と別れた後、メイドは控え室に留まることになっている、入学式典をバックれた時のものだったのかな?

「は?」

 今のは私じゃない。なんかちょっと妙に低い声はメイドのもの。

「あ~、えーとですね。あいつが別に立候補したわけじゃなくて。あいつもその……立場が色々と」

「公爵令嬢ではなく平民を選ぶ立場ってなんですか」

「いや~その、まさにそれです」

「どれですか」

「平民は毎年入ってくるわけじゃありません。それどころか滅多にない。で、扱いが結構デリケートなわけです。エスコート役一つとっても。平民の父親や兄なんて、平日の日中なんかまさに稼ぎ時です。仕事を抜けられない場合もあるだろうし、そうでなくても、エスコートの仕方なんか知らないって場合も多いというか、それが普通。かと言って、女生徒のエスコートは必須です。一人で入場させるわけにも行かない」

 確かに、周りに入学式がどんなものか、聞ける先輩もいないわけだから、エスコート役はむしろ彼女にこそ必要だ。

「だからスクールが手配することになったんですが、あいつの立場は都合がよかったんです」

「先生の立場?」

「ええ。あいつは爵位はそんなに高くない……っていうかぶっちゃけ低い方です。家柄重視の方々は、平民にはあいつでちょうどいいと思うでしょう。で、実力主義の方々からすれば、あいつはさい……いや、象牙の塔最高位の賢者殿ですから。スクールは、才能と実力さえあれば平民でもそれに見合った扱いをする、つまり尊重するというアピールになる」

 なるほど。見る人によって、どちらも角が立たないということか。鏡みたいで、確かに都合が良い。

「ね? 都合が良いでしょ?」

 頷く私にはいつもの笑顔、その後取り成すような笑顔を後方に送る。

 振り向けば、懐疑的な表情のメイドがいた。

「それに」

 取り成すような笑顔が、少しからかいを含んだものに変わる。

「良いんですか? マリー様のエスコートがあいつで。俺はてっきり、あいつはマリー様のお相手としては受け入れらないと思ってたんですが、脈ありでした?」

「燃やしますよ」

「ごめんなさい」

 お父様もお母様も、私のエスコート役に身分がどうこうは求めてない気がする。護衛その1がエスコートするわけだし、そもそも私が平気かどうかを一番に考えてくれたんだろう。

 ふと、何かに髪を引っ張られたような気がして、そちらを向く。私の髪を引っ張るような人もひっかけそうな物も何もなかったが、その視線の先で、先生がこちらを向いてた。

 気づいてお辞儀すると、先生が笑顔で返してくれた。


 先生とは早朝ぶりだ。

 先生の事情というのは、ヒロインのエスコートだったらしい。

 朝、スクールで教師として働くとは、話してくれていた。

 今世ではめちゃくちゃ引きこもりな私を心配した両親に頼まれたのだろうか。

 私はこの延々繰り返す世界で、家の外はもう知っていたから、今回はいいやとばかりに、屋敷というか敷地から……あれ、あ……もしかして……い、一歩も外に出ていない?

 ……嘘だろ……

 いやマジで多分そうだ。

 まともな外出は今日が初めてだ。

 ……我が事ながら、私が私の両親だったら、心配のあまり気が気じゃない。

 なるほど。

 だからエスコートが護衛その1、限りなく身内の人間なんだ。

 エスコート役が絶対に必要なのは、彼女もそうだが私もはたから見たらそうだった。

 なんか妙にスクールの敷地に入ってからピリピリしてるメイドは、もしかしたら初めてのお使いを見守る親のような心境なのかもしれない。

 まともな社交どころか、外の人とまともに話したことすらない私が、会場まで他人と一緒になんて、ただでさえ体質のこともあるのに、見てられないと言ったところか。


 って、いや、ほら、あったよ!? お披露目会で外出たことあった! あの時貴族の上の方の人とは目一杯顔合わせしたし!

 まぁ……同年代は、……殿下くらいしか……知らないんだけれども……


 一瞬、ヒロインとも目があう。

 当然だが、先生を見たときのような笑顔は私には向けられなかった。目礼しておく。

「……マリー様。確かにスクール内は平等ですけど、流石に挨拶くらいは平民からで良いと思いますよ?」

 ……なんだその似非四民平等は。

 穢多非人すら歴史の教科書で学ぶような生粋の一応全員平民な国の人間には難しい。

 そもそも私、スクールカーストという言葉すら、卒業して大分経って初めて聞いたからね? 隠キャ陽キャも小説で知ったくらいだからな……

 会社のマナーで、入ったら即挨拶は叩き込まれたが、そもそもどっちから挨拶とかって考えるものなのだろうか。顔見たら挨拶でいいじゃない。

 ……だから舐められるのか。

「あー……ハイハイ、すみません」

「え?」

 いや、私、怒ってないし口に出してないですよね?

「いえ。あー……アイザックが。無駄話はほどほどにしてさっさとご案内しろと。お嬢様はあまり外出されないのだから、負担になるようなことのないように……って過保護か。ウザがられるぞおま……失言でしたすみません」

 もしかして読唇術だろうか。

 私には見えたところで全然わからないのだが、便利そうで良いなぁと思ったことはある。私は……男の人の低い声が聞き取りにくい。聞き返せば不機嫌になる人もいるし。

 まぁ、……私はそもそも目が悪いし、発音にも少し問題があった。無理な話だったけれど。

 読唇術を知ったのもラノベだった。

 そういえば、あの二人も親友だったな。

 ……あの二人は、幸せになれたのだろうか。

 結末を、最終巻が発売される前に私は……なんかこんなことになっちゃったんだけど。

 物語はハッピーエンドが良い。くだらなかろうが三文芝居だろうが、単純だろうがなんだろうが。誰だって幸せになりたいはずだ。

 あの作者さんは、大丈夫、きっと。

 終わらないものなんてないと、あの小説の中にモノローグがある。幸せな日々もいつか終わる。だけど、だからこそ、終わらない不幸もまたないのだと。

 私は……日前の私はその言葉に救われて、いつか終わる日を待ち望んで生きてきた。まぁ何故か今こんなことになってるし、私が望む形の終わりでは全然なかったわけだけれども。

 それでも、いつかは。

 いつかは、このループも終わるだろうか。

 終わらない不幸はない世界に、私もいけるだろうか。

 ……まぁそもそも、日前に比べたら、いまの私の不幸なんて大したことないけどね。

 栄養バランスのとれた食事を毎食与えられて、お金にも困らない、大抵の要求は叶えられる世界。

 誰にも殴られない世界。

 優しい家族と、周りの人たち。

 あの頃欲しかったもののほとんどは手に入った。

 なのにくるしいとか、私は強欲だ。




 はっと目を覚ませば、もう馬車が家のアーチをくぐったところだった。



 待ってました! と言わんばかりの出迎えに、護衛その1の後ろで思わず後ずさる。

 ってだからちょっと待って、それ私の義弟であって曲者じゃないから。剣に手かけないで。

 どうも今日は臨戦態勢な護衛その1に内心ビビりつつ、「ただいま」と声をかける。

 急停止した義弟は、弾けんばかりの笑顔で「お帰りなさい!」と返してくる。

 ……やっぱ私疲れてるのかな……ぶんぶん尻尾振ってる犬に見える……

 義弟はご機嫌だった。そういえば確か、帰ったらお茶をしようとか言ったなと思い出して、精神疲労満載な体に鞭打って、気合いを入れ直す。

 根掘り葉掘り聞かれて、友達はまだできてないとか、往復はそれほど苦痛じゃないとか、むしろ歩きたいとか、久しぶりの外出は少し疲れたとか、会話してるうちに母親かな? と思わないでもなかった。

 ……そういえば私の母……お母様じゃなくて日前の母親は、過干渉だった。うっかり思い出してしまって、また義弟への嫌悪感がぶり返しかけた時に、メイドが。

「アベル様」

 その名前に、ざわざわと嫌な感覚が走る。やっぱり嫌いだ。

「お嬢様のことをお考えになるのでしたら、そろそろお話は終わりにしてくださいませ。お嬢様はお疲れです」

「えー」

 不服そうな声を上げる義弟に、メイドがにっこり微笑む。

「退屈なようでしたら、私が花火をご覧に入れましょうか」

「……ゴメンナサイ、ヨシュウフクシュウシマス」

 なんで片言?

「お姉様、……あの、疲れてたのにごめんなさい。次は、短くするから、またあしたもお茶してくれる?」

「……あぁ、……勉強を頑張ったら……」

「勉強を頑張ればいいの?」

「……ああ」

「他は?」

「他? ……マナーはもう完璧だと言っていたのは嘘だったのか?」

「嘘じゃないよ! 信じて!」

 いやなんでなくの!?

「わかってる。信じてる。……初めて一緒にお茶をしたとき、お前はティーカップを両手で持ってた」

「え」

「今は食べこぼしもしないしな。マナーは私より上だろう。頑張ったな」

「う。あ」

 なんで怒るんだよお前は!?

 お前もツンデレか!?

「お嬢様。褒めすぎですよ」

「え? でも……私は……あの……体質のこともあるし、マナーはどうしても……」

「お姉様の方が上です。僕はお姉様みたいに綺麗にできない」

「待て。私を手本にするのはまずい。やめろ。男女で違うのはわかってないのか!?」

「知ってます!」

「あ、うん。ならいい」

『よくありません!』

 何なの怖い!

「二人とも。お嬢様が怯える」

 ありがとう!

 いきなり二人がかりで怒鳴られたら怖いわ!

「……申し訳ありません」

「ごめんなさい」

「え、あ、いえ、……」

「行きましょう」

「はい」

「あの、お姉様、……剣は、頑張らなくても良いの?」

「けん……剣か。……好きなら頑張れば良いと思うけど、……お前は護衛や騎士になりたいのか?」

「そうじゃなくて、お姉様は、……強い方が好きでしょう?」

「……それは、戦いにおいて強い人が好きかって聞いてる?」

「うん」

「いや別に」

『え』

 今度は三人はもったけどなに。

「……護衛や騎士は強くなきゃ困るし、立派だなと思う。だからそれを目指すんなら頑張れば良いと思う。でもそうでないなら、個人的にはお前にそれは求めないよ」

「好き嫌いで聞いてるんですけど」

「……よくわからないんだけど……強い人が好きかってこと?」

「そう!」

「だから別にって答えたろ?」

「弱い男は嫌なんじゃないの」

「……いいや? 強い女性は好きだけど、強い男は別に? 半端に力つけた男ってタチ悪くて死ねば良いとごめんいやなんでもないマジで今の忘れて」

「……えっと……もしかして、……お姉様、あの……強い男、嫌い?」

「人による。どう強いのかにもよる。性格にもよる。心構え次第じゃないか? ……お前が強くなりたいのならなれば良い。そう思わないのなら別に……スクールで及第点を取れる程度で良いんじゃないか。骨格や柔軟性、ある程度生まれ持った才能に強く左右されるものは、無理しても体を壊すから、私はあまり勧めないよ」

「……」

「あ……ええと……でも否定してるわけじゃないんだ。その……そう、……昔は」

 ——昔は、普通に、強いヒーローに憧れてた。

 多分あれはまだ園児の頃だ。漫画の中の強いヒーローが、普通に好きだった。

 けど気付いたら、好きなのは強いヒロインで、魔法で街を一つ消しとばす美少女とか、高い霊力で悪霊をしばき倒す美人とか、呪具で強い式神を操る呪術師とか、……女性ばかりが主役のものを好んで読むようになってた。

 あれは――

「お姉様、僕、」

「あ、あぁ、……そうだな。物語の中の、強い主人公が好きだったことは普通にあったよ。だからまぁ、目指すなら」

 皮が剥けて痛いことも多いし、筋肉痛で一日死ぬほど痛いこともあるし、打ち合いをするようになれば、痣だってできるし打撲だってありうる。正直家族にはあんまり剣とか武術はやって欲しくないんだけど、それはそれとして、強さに憧れるのは男子として普通だろう。本人がしたいのなら応援したい。

「どの本ですか」

「え?」

「物語って、本でしょう? どの本のなんていう主人公ですか? 読みます」

 ……いや、あの本は日前で読んだものだから、この世界にはないんじゃないかな?

 大筋似てると思う物語はいくつかあったけれど、キャラクターの名前は全部違うし、同じ物語にはまだ出会ったことがなかった。

 そもそもあれは漫画だったけど、この世界には漫画という文化がないような……

「……忘れちゃった」

 ――ってなんで泣くの!?

「僕と話すの嫌だからって嘘までつかなくて良いです」

「違う! その、今は嫌だと思ってない。……今まで悪かった、だからその……本当に、覚えてないんだ。昔から、人の名前を覚えるのが、苦手で」

「そんなはずない」

 いやなんで!? どうしてそうなるの!?

「ほんとだよ。あの……すごく申し訳ないんだけど、この屋敷の人間の名前もほとんど覚えてなくて」

「嘘です! 歴代陛下の名前だってお姉様は全部言えるって聞きました!」

 ……そりゃあ歴史の範疇だからね……それにこちとら100代を超える天皇家を戴く国の生まれだし……徳川将軍でさえ15代いるし……それに比べてたかが千年足らずの国の歴史なんて……って脱線した。

「授業で習えば覚えるんだけどね。そうでないと覚えられないんだ。あの……すごく情けないんだけど……実は……執事長と家政婦長の名前も覚えてない」

 ぱかっと義弟の口が開いた。

「……というか、……使用人の名前、全員覚えてない」

「——嘘でしょ!?」

 あ、これは信じたな。

「この人は!?」

「……子音が3番目だったような気はする」

「は!? ……え、だってそんな……お姉様、この人のこと、僕が悪口言ったらどうする?」

「……なんでそんな話になる?」

「答えて」

「お前が言った倍はお前の悪口を言う。その後は口も利きたくないし顔を見たくない。お父様とお母様に言いつける」

「……ガチすぎじゃん」

 ……今この子ガチって言った?

「なんでそれで名前覚えてないの……?」

「仕方ないだろう。苦手なんだ」

 開き直れば、義弟は何故か打ちのめされたように項垂れてしまった。



 行儀悪く机の上に突っ伏して、ノートを開く。

 義弟に恥ずかしいところを見せてしまった。とはいえ、私が物覚え悪いのを知らなかったのは意外だった。

 パラパラとページを捲る。

「……あれ?」

 攻略対象についてのページとは別に、唐突に思い出すことを時折書いている。

「……転校生……」

 そうだ。ヒロインは……転校してきたんじゃ……確か……それで……サボっていた私が偶然見つけて、声をかけた。

 ……いや、でもあんな……わかりやすくファンタスティックな見た目の子が、他にいるの……?

 人間の色素的に地毛じゃ無理でしょあれ……

 いやまぁ、無理と言われていた青い薔薇も生み出す人間だから、絶対なんてありえないなんて有名な漫画の言葉もあるし……

 ……でも、あの子だよね……?

 先生と並んだ時の、あの……ぴったりハマったような、不思議な、統一感というか……

 先生の隣で笑うヒロインは、本当に可愛かった。

 殿下の前でも、義弟の前でも、護衛その2の前でも、後誰だっけもう一人の前でも、本当に可愛かった。

 ……なんだろう。転校生パターンと、普通に一緒に入学するパターンと、2パターンあるのかな……?

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