私と、入学式について。その2
「式典の間、メイドはこちらの控え室で待機を。準備が整いましたらお声がけください。一度退室致しますが、ドア向こうにおります。開会時間に近くなりましたら、一度こちらからお知らせいたします」
「はい」
控え室、というか、化粧直しの部屋だろうか。寮の一室とかいえそうなくらいの部屋でもある。
公爵家は控え室も個室なのか、それともいわゆる大貴族にはそれぞれ個室が与えられるのか。
正直なところ、私自身は化粧があまり好きではなかった。
睫毛が重くなるのも嫌だし、視界に影が入るのも嫌だし、水筒やコップに色がつくのも嫌だし、ぬったりした感触が常につきまとうのも好きじゃなかった。
他人の顔をあまり判別できない私にとっては、メイクで大変身! みたいなのは、あくまで観賞するならすごいと思うが、自分の顔でするのは、成果が全くわからないし、何が正解なのかもわからなくて、面倒でしかなかったのだ。
この世界では基本的に、メイクはメイドがやってくれる。
紅筆が唇を這う感触だけは、ゾッとして気持ち悪くてたまらなかったから、それだけはお願いしてやめてもらった。どうしても必要な時は、教えてもらいながら自分でやる。
護衛その2が退室して、ついつい恐る恐ると言った感じになりつつ振り返った先のメイドに、「しなきゃダメですか」とお伺いを立てれば、ため息混じりの苦笑を返された。
「両陛下が臨席されますから」
「……はい」
「最低限のお化粧はさせてください」
え。
最低限のお化粧は、私が2番目に苦手なマスカラをしなくて良い。さらに一番嫌な口紅もなしだ。
お粉……ええと、白粉、ルースパウダーを叩いて、うっすら色を乗せれば良い。
それなら我慢できる。
「……いつか、お嬢様が、進んでお化粧をしたいと思うような、……」
……ああ、そうか。
私が、メイクをしたいと思わなかった理由は。
恋をした女の子はみんな、綺麗になろうとするのなら。
私には、その綺麗になろうとするための理由が、いつもなかったのだ。
「要らない」
――……ええと、今言ったのは私じゃないよ?
メイドは、また苦笑した。それから、何かを吹っ切ったような笑顔で一つ頷いた。
「そうね、ルディ。お嬢様には……殿下がいるもの」
……事案になるからやめてほしい。
というのは、私の精神年齢のなせる技であって、好きになる努力はしないといけないのだろうか。
暗澹たる思いになるのは、殿下に失礼だと思いつつも、どうしようもない。
思考の暗がりにいつものように落ち込んでいると、ドアをノックする音がした。
もう時間か。
顔を上げれば、いつの間にか化粧も、髪も終わっていた。
メイドが応対に出る。
「殿下!」
……いや、今の声はメイドの声じゃない。
びっくりしすぎたのか、視界の端で、護衛その1が剣の柄に手をかけるのが見えた。
いやいや殿下は曲者じゃないから。
それに多分、今の声は、殿下のお付きの人だ。
返事を待たずにドアを開け放った殿下を咎めたんだと思う。多分。
「遅い!」
……殿下ってこういう人だったわそういえば。
今世では。なぜか。
「エスコートしないとは言ったが、顔を見せるなとは言ってない!」
……あぁ、そうか、挨拶に行かなきゃダメだよね、そうだよね。
「失礼いたします。『事情があってエスコートは譲ったが、顔を見るのは許してほしい』と殿下が仰せです」
……いつもお疲れ様です、セキュアさん。
殿下がエスコートしない婚約者と、不仲説が流れるのも体面が悪い。それを打ち消すためにも、エスコートはしないけれども、顔を見に行くという行動は必要で、……殿下から来てくれたのは、本当に、最大限こちらに配慮してくれたのだ。
わがままと取られかねない私の体質のせいで、わざわざ。
セキュアが提案したのか、殿下本人の考えなのかわからないけれど、どちらにしろ、言葉はアレだが、優しくてまともすぎるくらいまともな人だ。
「……ありがとうございます。……同年齢の人で私が顔見知なのは、殿下だけですから、……お顔を見れて、少し……緊張が解けました」
……率直にお礼を言って見たところ、殿下の顔が真っ赤になった。また怒らせた。
どうしてうまくやれないのだろう。
「あの……こちらから伺うべきでした。申し訳ありません」
「そんなことは言ってない」
……違うのか。じゃあ何が不満なん……ヒロインに会えなかったから……?
いや待て、違う、今の殿下は、まだヒロインに会って……るかもしれないけど、ヒロインに会えなくて不機嫌になる殿下は今世の殿下じゃなくて……
だめだ、ちょっと混乱してる。
いくらちょっとまともになったって言っても、興味あることの記憶力が異常なだけで、頭はそんないいほうじゃないから、すぐキャパオーバーになる。
そもそも、今の見た目はあの……なんども繰り返した、婚約破棄の場面と完全一致してるんだよ。
私の記憶の型が写真タイプなせいで、混同しやすい。
「……その髪飾り」
髪飾り?
……ああ、殿下にもらったものだ。
そうか。
「すみません」
「え」
「お嬢様!?」
「……あの……私が、これをつけてと言ったんです。メイドは悪くなくて」
ほんとは「これでいい」と言った。
もらったものは活用した方がいいと私は思っていた。
昔も、香りの強いハンドクリームをもらって、ちょっとキツイなぁとは思ったが、職場の人にもらったものだから、職場で使った。
好きじゃないお菓子も、親に与えられれば喜んだふりをして食べた。
だからいつものことだ。
だけど、よく考えたら、いかにも悪役令嬢がしそうなことだった。
殿下からもらった物を見せびらかす、とか、自慢する、とか。
殿下とヒロインの出会いの場になるだろうここで、殿下所縁の物を身につけておくのは、良くなかった。
綺麗に髪に挿してくれたメイドには申し訳ないけれど、抜き取って手に取ったそれを見つめていると、苦笑交じりのため息が聞こえた。
「マリー様。殿下は、その髪飾り、してくれて嬉しいって言いたかったんですよ」
「え?」
顔を上げると、護衛その2が、なんとも言えない苦笑を浮かべてこっちを見ていた。
「マリー様は、あー……もしかして、この場に相応しくない、とか言われると思いました?」
「……はい。……そんなつもりは、なかったんですが、よく考えたら、殿下にいただいたものを自慢してるように受け取られるかもしれません。……考えが足りずに」
……いやでも、ほんとにしてくれて嬉しいって言いたかったのだとしたら、取っちゃったよ。どうしよう。せっかくメイドが綺麗に挿してくれたのに、時間が……
殿下の顔は今も赤い。
怒ってる。
どっちが正しい?
焦る。背中を嫌な汗が伝う。
「じゃ、その髪飾り、もう一度つけてあげてください。そのくらいの時間はまだありますよ。ってわけで、殿下。女性が身なりを整えてる間は、それを目にしないようにするのが男のマナーです。部屋から出ましょう」
「……申し訳ありません、殿下」
どうしてか、私たちはいつも噛み合いませんね。
どうして、というか、まぁ、……私の、せいなんだろうな。
私の受け取り方が、捻くれてるから。
私の行動がひねくれてるから。
「いちいち謝るな! ……おまえは別に悪くない」
「……っ」
——泣くな。
泣くな泣くな泣くな泣くな。
……母親に。父親に。弟に。……時折、祖父にさえ。
いつもおまえが悪いと言われて育った私の——
「……ありがとうございます」
押し出した声に、殿下は「なんで礼なんか。変な奴だな」と言って、出て行った。
ええ、そうです。私は変な奴です。
何回も何回も同じ世界を、同じ時間を繰り返してる。
そのくらい優しい家族に何回も恵まれてるのに、たった一回の、最悪な家族の、真っ黒な思い出をいつまでもいつまでも引き摺ってる変な奴で。
その変な奴にとっては、泣いちゃうくらい嬉しい言葉なんですよ。
私を前にした人は、家族じゃなくても、私が悪い、自分は悪くないと言うから。
……面と向かって、そう言ってくれる人は、本当に貴重で。
面倒で折れてばかりいたし、先に謝ることの方が多かった。だってそうすれば角が立たないし、時間も節約できるから。
だけど、……そうすることで、私の心は磨り減っていたのだろう。
だからこんなに嬉しく感じる。
嬉しい、とも少し違うか。そうだ、まるで……先生の言葉で、初めて頑張りを認めてもらえたと思ったときのように。
今まで、本当は嫌だったのだ。悪くないのに謝ることが。そんなこともいつの間にか忘れていた。
……悪くないのに謝って、自分が罪を被って、だれかを救って。それが大人だと思ってたけど……
私の憧れだった小説の中の主人公の誰一人として、そんな人はいなかった。
彼女たちは、どちらかと言えば、正義は我にあり、な人たちだった。
私が最も憧れていたヒロインなんて、勝手に法律自作してたし、「悪人に人権はない」なんて言ってたし。
……いやまぁ、それを適応されちゃうと、悪役令嬢の私は立場がとってもマズイんですけどね。
もうやめよう。
ゲームの強制力というのがどれほどのものか、私にはわからない。イベントもルートも、類推することしかできない。なにせ知らないんだから。
でもその強制力に抗えず、たとえ断罪の日を迎えても、今回は。
言ってみようか。
私はその子を嫌ってない。だからそんなことする理由がないって。
殿下のことを嫌ってるわけじゃない。でも、だれかを好きになることもできない。
だから、まっすぐだれかを好きになれる人を、私は眩しく感じている。
人の惚気を嫌う人もいるし、どちらかと言えば多いことも知ってる。
だけど私は、人の惚気を聞くのが好きだ。
幸せそうな人を見ていれば、共感力の高い私は幸せを感じるから。
そんな私が、だれかを傷つけられると思う?
痛がってる人を見れば、自分だって胸が痛むのに。
悲しんでる人を見れば悲しいのに。
殿下が。先生が。護衛その2が。義弟が。……ごめんやっぱ名前思い出せないけど、誰だっけ後もう一人。
その人が好きで、その人もあなたを好きなら、どうか幸せになって欲しいって。
罪を被って死んで、物語に彩りを添える悪役令嬢。
だけど。
だったけど。
もうやめる。
もう十分やったでしょう。
もう、いいよね?
もうやめて、いいよね。
面倒で逃げてきたけど、やってなかったら、やってないって、言おうと思う。
だって。あの殿下が。
……おまえは悪くないって言ってくれたのだから。
もしかしたら、あの人は結構……かなり、まともな人だから、私が諦めなければ、もっとちゃんと……どうせ言っても無駄とか、あの話の通じない日前の家族のせいで根底から植え付けられた諦念に負けずに、ちゃんと、話し合おうとさえしていたら。
もしかしたら、……私は。
今頃、ちゃんとあの世へ行って、祖父に面白おかしく、この世界のことを話せていたのだろうか。
今からだって、別に遅くない。私は今生きてる。
もっとうまく……あと一回あったら、今度はちゃんと義弟に、最初から、柔らかい話し言葉で話して、……そう、変えたいことは色々あるけれど、だけど、やり直せないのが本来の人生のはずだ。
なら、この人生にかけてみるべきなんだ。
今回は。
ちゃんと話し合おう。ダメかもしれないけど、する前から諦めるのはもうやめよう。
当たって砕けろだ。
砕けたら人生終わっちゃうだろって、昔の私は何もしなかった。
今は人生終われたらむしろ幸いだし。
メイドが丁寧に結い上げてくれるのを鏡ごしに見ていた目を、少し落として自分の顔を見る。
久しぶりに、どこか晴れやかな顔をした強気な顔立ちの美少女がそこにいた。




