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私と、入学式について。その1

 護衛その1の手を借りて馬車から降り、窓からじっとこっちを見続ける義弟に手を振ると、メイドがすぐさま御者に出るように促す。

 一応、見えなくなるまで手を振って、手を下ろしたタイミングで。

「……お嬢様。あまり甘やかしますと、つけあがりますよ」

 冷たい物言いにギクリとした。

 振り向くと、見たことのない顔をしているメイドがいて、心臓が嫌な音を立て始めた。

 私は人の顔を識別するのが本当に苦手で、特に同じ服装の集団は本当に苦手だ。いわゆるレディーズメイドのこのひとは、他のメイドとは違う服装のはずなんだけど、私にとって刺繍がどうだとかフリルがどうだとか、そんな些細な違いは判別できない。

 この人はいつものあの人だろうか。


「何を甘やかしたんです?」


「……あ」

 護衛その2が、いつものパッと見軽薄そうな、よく言えば人好きのする笑顔を浮かべて立っている。

 それにちょっと緊張が緩むのを感じた。

 男の顔見て気が緩むとか、貴重な経験だ。私にとっては。

「ようこそ、マリー・アン嬢。エスコートのルディ殿。会場へのご案内と護衛を担当しますマルクス・ユニウスと申します」

 やや芝居掛かった所作で礼をとり、その後に茶目っ気のあるいつもの笑顔を見せる。

 騎士という言葉が持つ堅い雰囲気よりも、今世では気安いイメージのある人だったけど、さっきの礼とか見ると確かに騎士だ。

「よろしくお願いします」

 私もマナーに則った礼で返す。返しながら緩んだ気にヒヤリと混ざるのは、この背景とこの人という組み合わせが持つ私にとっての禍々しさ。

 それでも、先生とこの人という組み合わせを見た時と違って、表に出さないくらいの根性はついた。

 義弟がいつもと違う行動を取ろうが、この人が気安く笑いかけてくれるようになろうが、……どうせ私の命はあと約二年だ。

 人との関係なんて、簡単に悪い方へ変わる。

 気を引き締めないと。

「こちらへどうぞ。――で、誰が何を甘やかしたんです?」

 前半は騎士っぽく、後半は普段の護衛その2らしく。

 それに返したのは私じゃなくてメイドだった。

「アベル様が、お嬢様の入学式に同伴すると言ってきかなかったんだす。馬車に乗り込んで」

 苦笑を浮かべた護衛その2は、「それはそれは……」と言った後で、私の方を見た。

「大変でしたね」

「……はい。すごいと思いました」

「坊ちゃんのわがまま?」

「いえ……」

 ええと、名前なんだっけ。さっき名乗ってくれた、そう、裏切り者の代名詞。の、名前の方。

「ユニウスさんが」

 護衛その2が目を大きく見開いた。

 のと同時に、メイドと護衛その1が足を止めた。

 え?

「あの、いつも……義弟を、……宥めてくれて。本当は護衛の仕事じゃないのに、すみませ」

 言いかけて、これじゃ義弟付き使用人の怠慢みたいになることに気づいた。

「あ、いえ、あの、いつも……本当に、ありがとうございました。ずっと助けられていたことに気付きました。改めて、感謝します」

 なんとか言葉を足して、さっきの発言をかき消そうと足掻く。

 他に言えることは、と考えていると、護衛その2が息を吐き出した。それは笑みの形をしていたから、私は焦る頭を止められた。

「感謝はありがたく頂戴します。でもね、マリー様。寂しいこと言わんでください。マリー様が卒業したら、俺はまたマリー様の護衛に戻ります。過去形にしないで。それと、人には向き不向きがあります。俺は坊ちゃんの相手は好きでしてるんです。気に病むことはないですよ」

 子供に向けるような温かな笑顔。

 この人からしたら、私も頑是ない子供なのだろう。

 そんな慈愛に満ちた笑顔で、とんでもない嘘を吐く。

 私は少しおかしくなって笑ってしまった。

 笑いながら頷いた。


 私は卒業できない。

 あなたが私の死後、何をしていたか知らないが、私が死んでいる以上、私の護衛ではないはずだ。

 何より、ヒロインの横に立って、連行される私を嗤って見ていたじゃないか。

 それもきっと好きでしていたのだろう。

 ヒロインのことが好きで。義弟のことも好きで。先生のことも好きで。あの場に。

 ヒロインを貶めた私が彼女を傷つけることのないように、あるいは、彼女をいじめた女が無様な末路につくのを、特等席で眺めたかったのだろうか。逆恨みして、先生や義弟に何かする可能性も考慮したのかもしれない。

 この人の好きな人たちに、私がひどいことをしないように。


 いつもそうだった。

 私の担任の先生も、学年主任の先生も、話すのは弟のこと。

 私は……多分、近くで見れば見るほど、嫌われるタイプの人間に違いない。

 だから、私の護衛だったこの人も、私のことが嫌いなのだろう。


 ひどい真似なんて、されるばっかりで、した覚えなんてほとんどないのに。


 大人はいつも簡単に気軽に嘘を吐く。

 子供にとって夢のような嘘を。

 指折り数えて言われたことが果たされる日を待つ子供の気持ちなんて思いもつかないで、簡単に忘れてしまうような軽い気持ちで嘘を吐く。

 ……全て忘れられずに、嘘をつかれた分だけ恨みつらみを重ねていく私がおかしいのだろう。

 

 花の名前を教えてくれて、覚えた私を褒めてくれた。

 なんども義弟のわがままを窘めてくれたこの人を、恨みたくない。

 夜中に窓を開けたりした私を怒りもせず、心配して、話し相手になるとまで言ってくれた。

 私は自分で思っていたよりもずっと、この人に懐いていたのかもしれない。

 だからこんなに、笑ってしまうほど、あり得ない未来の話に傷つく。


 多分それは、あの頃、欲しかったから。

 私を否定しない話し相手が。仕事の邪魔をしても怒らない大人が。

 いつまでもいつまでも、私の心は頑是ない子供のままだ。

 もう何十年生きているのかもわからなくなるほど、長い時が経っても。

 アダルトチルドレンの苦しみは半端じゃないんだろうけれど、それにしたって私は一体、何回――


「さて。それじゃ、行きましょうか」


 いつものようなタイミングの良さで、護衛その2が先を促す。

 私はそれにもう一度笑って頷いて、前を向いた。


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