私の、多分ループしているような気がする何回かの人生について。
私は根が素直だったから、大人がいうことは全部正しいことだと思っていた。
そうじゃないと気づけたのは、随分歳をとってからだった。
その頃には、自分の体が嫌いで嫌いでたまらなかった。人に触るのは失礼だと思っていたし、人に触られると気持ち悪くて仕方なかった。
もともと、両親は抱っこしたりおんぶしたり、頭を撫でたりといった、親として当たり前の触れ合いは全くしない人たちだった。
だから、大人から触られると体が強張る。
何の因果か、そんな私が転成した先は、貴族のお嬢様だ。服の着替えもお風呂も何もかも、人の手を借りてしなければいけない。
怖くてたまらなくなってパニックを起こした私は、その場から逃げようとしてすっ転び、あまりの恐怖に足腰が立たなくなったせいで手当たり次第ものを投げた。
悲鳴すら出せない口からは変な呼吸音。馴染みの息苦しさに、ああ、過呼吸だと思った。
それでも自分を守れるのは自分しかいないのだ。私は目の前から誰もいなくなるまで、物を投げるのをやめなかった。
それが私の、この世界での初めての記憶だ。
当然の如く、あっという間に、お嬢様は気が触れたという話が屋敷内に広まった。
広まった、けれど、使用人はともかく、両親は優しいままだった。かわりに、使用人が入れ替わった。
不当解雇だ。申し訳なさすぎる。
それなら私が我慢すれば良いのだと思ったけれど、自己犠牲は散々やったのだ。夢なのかあの世なのか何なのかわからない手探りの世界の中でまで、我慢なんかしたくない。私は私の体を勝手に人に触らせないことで、何をされてきたか知ってからは、私の矜持を守ってきた。それが最後の砦だった。それを曲げることは、心まで踏み躙られるみたいでどうしても我慢できなかった。
だから1回目の転生は、そりゃあもう我儘に生きた。日本で生きてきた私が両親にされたように、今度は私が人の犠牲の上で幸せになってやると思った。
私はゼロか100の人間だ。完璧主義で、一度の失敗でとことん転落するタイプで、挫折に弱いエリートの典型。
私のせいで不当解雇された人がいる、というその一点で、私は「もうどうにでもなれ」スイッチが入ってしまった。
そりゃあもう我儘に生きたけれど、幸せとは程遠かった。そりゃあそうだ。私が欲しかったのは親の愛情で、それを得るために、愛されていた弟の真似をしてみたけれど、私は弟とは違うし、両親とも違う。
人に我儘を言えば申し訳ないと思うし、振り回したらごめんなさいと思うし、大して好きでもないファッションにお金をかけても何やってんだろこれ、全然楽しくないし何が楽しいのこれ? としか思わなかった。学校をサボったところで、ほかにしたいこともないし、何をしているんだろうか。本当に意味がわからない。無料でいろんな知識学べて絶好の暇つぶしになるのに。だいたい、あの両親と違って間違えて答えても殴ってきたりしないじゃないか。
他人のものを欲しがるのも、私にはよくわからない癖だった。そもそも代金を払っていないのに手に入れようなんて厚かましいし、横取りされたらその人が可哀想だ。その人はそれが欲しくて、真っ当な手段で手に入れたのだ。その人に申し訳ないとなぜ思わないのだろうか。物も可哀想じゃないか。
真似をしてみても、後味の悪さだけが残った。
最悪だったのは、優しい、非の打ち所がないくらい優しい両親が、「私たちの愛情が足りなかったんだ」と、自責しているのを聞いてしまったこと。
今すぐ目の前に躍り出て、本当にごめんなさい、もうしませんと言いたい気持ちだった。
けれどそれをするには、私は前の両親を恨みすぎていた。
ここで止めるの? じゃあどうして、すぐにやめなかったの? 最初に謝ればよかったじゃないか。そうしたら、あの人たちも職を失わずにすんだかもしれない。謝ったってどうにもならない? だったら今だってそうでしょ? 今更すぎる。それに、私の恨みはこんなもんじゃないでしょ?
もう本当に、今思えば、とっとと専門家のお世話になるべきだったのだ。あの精神状態は異常だった。自分が全然楽しくないのに、こうしなければならないという義務感で、ひたすら周囲も自分も不幸にしていた。不幸の延長線上にはやはり不幸な末路しかなかった。裕福で優しい両親がいたのに、地獄みたいな短い生涯を終える時、ああ、やっと死ねる、と思った。もっと早く死にたかったと思った。もう人を不幸にするのは嫌だと心の底から思った。
だから再び、この優しい両親の元に生まれて来た時、前世の償いができると思って涙が出た。
今度は失敗しないように、あらかじめ、話をした。私は極度のくすぐったがりということにして、入浴の世話と着替えの手伝い――コルセットは仕方ないとして、せめて幼児の間は――は、遠慮したいと。
両親もメイドたちも、少しおかしそうにしながらも、笑顔で聞き入れてくれた。
それから、服を着たまま、体には触れずに、懇切丁寧にお風呂の使い方を教えてもらった。着替えも、自分でしてから最終的にメイドがチェックしてくれるという形になり、その際も、直す時はあらかじめ言ってもらい、どうしても自分で直せないような部分に触る時は、一声かけるようにしてくれた。
そうして私は家庭内不和を起こさないように細心の注意を払って、その分、両親の目の触れない場所では好き勝手することにした。
この両親が私を見捨てないことは知っていたので、絶対に両親に被害が及ばないように振る舞ったのだ。なのに最期に目にしたのは、「愛しいあなたを一人で死なせたりしないわ」というお母様の涙を堪えた表情と、その隣で決意したかのように頷く父親だった。
私はもう狂ったように叫んだ。やめて、と言っても聞いてくれなかったから、かつての私のように、品のない物言いで泣き叫んだ。やめろクソババアとか言ったかもしれない。
どこからどうみても悪役に違いない私の発言よりも、その時は、目の前で死のうとしている罪のない人を放置して、後で死刑が決まっている私を取り押さえている兵士たちの方が悪人じゃないかと私は思った。
あなたたちのご令嬢とは思えない品性下劣さだ、これが本性だ、あなたたちは謀られていたのだとかなんだとか言われた私に、お母様は微笑んだ。「人を死なせるくらいなら、自分がなんと謗られようと気にもしない、優しい自慢の娘ですわ」と。
その微笑みが怖かった。諦めて決意した人がこんな顔をするのだ。自分の声はもう届かないけれど死をもって抗議する、みたいな最悪の決意をした人が。
そして、この兵士たちもお仕事でやっていると、ちゃんとわかっている。兵士たちにも家族がいて、守らなきゃならないものがあって、上役のいうことに逆らえない。そんなことはわかっていた。
誰も傷つけずに、抗議の意思を示すには、きっとそれしかないのだろう。
私はもう、「身勝手に」も「自分勝手に」も「わがままに」も封印することにした。それはつまり、不良のふりを、真似をすることを辞めることにした。家庭内でも学校でもだ。
もともと楽しくなかった。楽ではあったが、正直暇で暇で、バカバカしい生活だった。私はもともと、義務を放棄して権利ばかり声高に主張する両親や弟のような人間を心から疎ましく思っていた。
そして、私の中には、お節介と言われても、困っている人がいたら反射的に助けようとする部分があって、それを見て見ぬ振りをするのは、かなりの苦行だった。HSP気質と関係があるのかもしれない。困っている人を見ると無意識に自分の眉も下がる。特にお年寄りや小さな子供が辛い目にあっていると、祖父を思い出してどうにもダメだった。
だからもう、私にとっての「普通」に生きることにした。両親も、使用人も、私の尊厳を踏み躙るような真似はしない人たちだった。それなら普通に生きてもいいだろうと思ったのだ。
そうして生きてみれば、日本で生きていた頃にそうであったように、それなりに人に囲まれる生活になった。クラスメイトのほとんどとそれなりの距離感で付き合い、何人かと気が合って一緒に食事をするような。
けれど何をどう間違ったのだろう。転校生が困っている時に声をかけて何かと手助けをしていたつもりが、それは「何もわからない者をバカにして」いたように受け取られて、気づけば、私はいじめの主犯になっていた。
受け取り方は人それぞれだ。小中学校ではいじめられる側を経験した私にとって、私が今世でしてきたことはそれに値しないはずだったが、被害者がそう言うならそうなのだろう。いじめと、暴行に関して、被害者も悪いなんて言葉は、ずっと被害者でい続けた私には絶対に受け入れられない言葉だった。
そして、人は信じたいものを信じると言うことを、私は痛いほど知っている。反論なんか無駄なのだ。私はいつも、信じてもらえなかった。
だから、仕方ないのだと、諦めた。そしてその時、ふと、何かが引っかかった。
それから何度も何度もやり直し、その度私は、おそらくかなり違った性格の人間になっていたはずなのに、少なくともそう見えていたはずなのに、私が死ぬ原因になるのは、いつも同じ人間だと言うことに、やっと気付いた。
なんの運命かと言うくらいに、いつも決まって、私がいじめたことになる女の子は同じで、その子に糾弾されて、その子の横に立つ男性はその都度違うものの、その子を守るように取り囲むメンバーはいつも同じだった。
人の顔を覚えるのが苦手な私でも、流石に死に際に見た顔は忘れ難かったようだ。
可憐な平民の女の子。錚々たる経歴を持つ美少年に美青年。断罪。貴族の通う学校、いや、学園。西洋風なのに日本語で、なのに登場人物の名前はカタカナが似合う。なぜかバレンタインに女性がチョコを贈る習慣があり、クリスマスは家族と過ごすのではなくなぜか恋人とデートをすると言うイベント扱いで――イベント?
怒涛のように頭を巡るワードが、パズルのピースのように渦巻き、やがてパチリパチリとはまっていき――
私の頭の中に、一つの仮説が浮かび上がった。
……乙女……ゲー……ム?
そうだ。そう考えれば辻褄が合う。
バタフライ・エフェクトもなんのその、決して変わらない私の破滅のキーパーソンの女の子。
不良もどきになろうが品行方正に振舞おうがなぜかいつも婚約させられる男の子。
この世界が乙女ゲームの世界なら、キーパーソンの女の子は、そう、「ヒロイン」だ。
そしておそらく、彼女を守るように取り囲む代わり映えしないあの面々はきっと「攻略対象」で、その攻略対象の婚約者である私はおそらく「ライバル」であり、公衆の面前もとい生徒を集めた場で「断罪」される私はそれもおそらく「悪役令嬢」なのでは……?
……いや。いやいやいや、ちょっと待て。
私は乙女ゲームはやったことがない。しかしいわゆる「悪役令嬢もの」はいくつか読んだことがある。さらに大きなくくりで言うと「異世界恋愛もの」、またの名を「転生もの」。しかしそのオーソドックスなパターンが私には当てはまらない。
私は乙女ゲームは一回もやったことがないし、乙女ゲームをやる友人は一人いたが、その友人は私に乙女ゲームを貸したりはしなかった。ノベライズを貸してくれたが、その小説の舞台は現代日本だった。こんな中世なのか近代なのか、日本なのか西洋なのかわけのわからない世界観の話ではない。そして私には妹もいなければ姉もいない。いわゆる悪役令嬢が登場する系統の乙女ゲームと、私は関わりがない。更に言うならば私の死因は轢死じゃなかった。誰かを救ってもいなければ、トラックに跳ねられたわけでもない。
キーパーソンの女の子はともかく、彼女を取り囲む男たちの名前にも聞き覚えがない。
いや、正確に言うなら、個々の名前にはそれなりに聞き覚えがある。世界観が似ているから、と言うか、貴族制の似合う世界観のキャラに似つかわしい名前というのは、どうしてもちょっと似たり寄ったりになるのだろう。異世界ものをいくつか読んだだけの私でも、「おや、このキャラもこの名前か」と、作品が違うし役所も違うのに同じ名前のキャラにいくつか出会った。
しかし、聞き覚えのある名前がある一方で、家名の方に馴染みはない。
そして同じ作品のキャラの名前がいくつか重なっていれば、私だってもっと早く「あれ?」とか思ったかもしれないが……そうじゃなかったということは、つまり、私の読んだことのある乙女ゲームの世界ではないということだろう。それもそうか。あれはあくまで物語の中のオリジナル設定で、実際そういう乙女ゲームがあるわけではないのだろうし。
となると、本当に、私には判別がつかない。実在する乙女ゲームとなると、作品名を知ってるのなんて、件の友人が貸してくれた小説の現代日本が舞台だったものだけ。
設定はおろか作品名すら全く分からない私の今いるこの世界は、果たして乙女ゲームなのだろうか。
斯くして。
乙女ゲームの知識が断片的にしかない私の、もしかしたら乙女ゲームの世界に転生しちゃったかもしれない(しかもループしてる気がする)人生は、何度目かの幕を開けたのである。