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* 訓練の訳

 こちらを睨みながらの「代わります」を丁重にお断りした。

 お嬢様が起きてしまうかもしれないからと伝えれば、唇を噛み締めながら脇に退いた彼女の、握りしめた拳は震えていた。

 きっといつかみたいに殴りたかったのだろうなと思って、内心冷や汗をかいた。

 あの日から、必要最低限しか話さなくなったメイドも、なんだか後ろに雷雲が見えそうな笑顔をしている。

 それでも二人とも、表立って何も言わなかったししなかったのは、多分、公爵と夫人から言い含められていたのだろう。

 いつも手紙のやり取りは使用人を通していたし、手渡しされたのは初めてで驚いた。

 その前にもらった手紙は、殿下の前で泣いてしまったというものだった。

 ほぼ毎日顔を合わせていることもあり、手紙にはいつも要点しか書かれていない。

 ただそれでも、いつもより混乱しているのが手に取るようにわかった。

 一言も書かれていないけれど、そこにあるのは「助けて」という声。

 お嬢様は思い詰めるところがある。

 感情を表に出すのは良くないなんて言うけれど、それは紳士淑女の公の場での嗜みであって、子供の頃にまで求められるようなものじゃないのに。

 大丈夫、と宥める手紙が届く前に、手渡しされた手紙は、それ以上に焦っているのがわかった。

  

 ——治らなくても良いなんて、もう言うわけにはいかなかった。


 お嬢様が焦っているなら、取り除いてあげないと。

 



 

 今思えば、少しやり過ぎたかなという気もした。

 少し前に友人に笑われて腹が立って、これに関しては少し冷静さを欠いていたのかもしれない。

 そもそも彼が変なことを言うから、順番を組み立て直したと言うのに。


 耳元で喋られたら誰だってくすぐったいに決まっている。

 なのにそれを失念していた自分がおかしくて、お嬢様の反応が普通の子供のようだったのも嬉しくて。

 なぜお嬢様の反応が普通の子供のようで嬉しかったのかを失念していた。

 抱き上げて膝に乗せても、あの日私を見て起こしたような反応も、友人に対するような怯えの色もなかった。

 お嬢様自身も、不思議そうな顔をしていた。

 大丈夫と言いつつ、それでも体は強張っていたし、手も冷たかった。

 顔色と表情を見て、少しでも異変があればすぐに離れるつもりだった。

 それでもいつしか、泣き疲れた子供が眠るように。

「――お嬢様?」

 体の強張りが取れて、少し経った頃。

 見下ろせば、お嬢様は眠りに落ちていた。

 


 メイドが開けてくれたドアから外へ出れば、脇を固めていた友人が目を丸くした。

 体質で悩んでいる人を前にして笑うという愚挙を犯した友人は、あれ以来、この時間は部屋の外で待機している。

「……どういう状況?」

 至極真っ当な小声での問いに口を開けば、答える前に友人はお嬢様の顔を不躾なくらいに観察した。

「気絶――にしちゃ、顔色は悪くない。呼吸音も正常……」

 そこまで言ってから顔を上げた友人は、何故だか半笑いの顔で私を見て言った。

「まさか居眠り? 寝落ち?」

「そのまさかです」

「今の時間てあのけったいな訓練じゃなかったのか?」

「失礼な物言いはやめなさいと何度言ったら」

「何してたらマリー様が寝るんだよ? 子供のくせに昼寝もしたことない子だぞ?」

 ……やっぱり。

 緊張状態にある子どもは普通の子供と比べて覚醒時間が長い。

 普通の子供であれば、スキンシップで精神的な負荷を弱めることができる。お嬢様は男性が苦手ということに加え、くすぐったがりな体質もあって、きっとその機会が少なかった。公爵夫妻の優しさが裏目に出たのかもしれない。

 人よりも辛さを感じやすい状態で、常に精神に負荷がかかるような毎日。

 疲れているはずだ。すぐに眠ってしまったのも当然かもしれない。

 事情を手短に説明すれば、何故か友人はお嬢様ではなく私を、可哀想なものを見るような目で見た。

「……なんです?」

「……いやぁ……ちょっと同情するわ」

 お嬢様に対する同情なのだろうが、視線を不思議に思いながら立ち止まる。話しながらも先導してくれるメイドについて歩いていたものの、彼女は躊躇するようにドアに手をかけて固まっている。

「あの……?」

 そこがお嬢様の寝室なのだろう。開けてもらわないと中に入れない。

 お嬢様の顔を見れば、まだぐっすり眠っている。

 起きているお嬢様は、華やかさの中に張り詰めたような雰囲気がある。眠っているお嬢様は初めて見たけれど、触れたら壊れてしまいそうな緊張感が消えて、年相応というよりもいっそ幼く見える。

 普段の肩書きも必死さも、どこか痛々しい。

 せっかく普通の子供のように自然と眠りに落ちたのだから、今のうちに寝かせてあげたい。

 友人が動く気配がして目を向ければ、メイドに何事か耳打ちしていた。

 

 ややあって、諦めたように苦笑しながらドアを開けてくれたメイドにお礼を言って、部屋に入る。

 起こさないように気を配ってゆっくりベッドに下ろす。

 目を覚まさなかったお嬢様に安堵して微笑んだ。

 鋭く息を飲む音が複数して、別れ際無意識に頭を撫でようとしていた手に気づいた。

 苦笑して手を引っ込める。  


 代わりに、せめてこのくらいは。

 

 どうか良い夢を。

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