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* 五里霧中 5

 殿下のお付きの人、ノートンから話を聞いた俺は、呼吸困難で死ぬかと思うほど笑いの発作に見舞われた。

 アイザックといい、殿下といい、マリー様はなんか、こう、変わったやつ(失礼)に好かれやすいのかね?


 家族だったら、家族揃っての肖像画を描かせて飾るのは、珍しいことじゃない。

 画家が妻の肖像画を描くのは普通だし、恋人の肖像画の依頼だって事欠かない。

 一目見ただけで細部まで記憶して、画布の上に再現できる画家も、多くはないがある程度いる。大抵そういう画家は貴族のお抱えになっていて、誰それのパーティーについていって、そこで指定された人物、もしくは美男美女をひたすら目に焼き付ける。

 帰って来たらそれを描きあげれば一儲けっていう寸法だ。意中の相手、もしくは美男美女の肖像画は高く売れる。

 

 アイザックの肖像画はそりゃあもう飛ぶように売れた。俺と仲良くなった女の子の大半があいつの肖像画を持ってたくらいだ。

 

 殿下だって年上のお姉様方にこぞって可愛がられる見目の良さだ。なのにまさか描かせる側に回るとは。

 しかもこう、何枚も。


「その肖像画って、もう飾っちゃってるんです? 全部?」

「ううん。陛下と妃殿下が、気に入らなかったら別の人にまた頼めば良いって言ってくれたから、お願いしようかなと思ってたら、ノートンが……だから、全部っていうか、まだ一枚しかないよ」

「そりゃ良かった。まぁ感じ方は人それぞれですから、物は試しに、お嬢様の着替えが終わったら意見を聞いてみましょう。あ、殿下の名前は出しませんから、安心してください」

 笑いをこらえてそう伝えると、着替え、といった直後に殿下の顔が真っ赤になった。思春期だな。




 マリー様は淑女の見本みたいな言い方で、殿下のちょっとアレな行動を止めてくれた。

 『肖像画が日焼けして可哀想』とか、人を傷つけない回答がマリー様らしすぎる。

 虫も殺さないマリー様は、当然人を傷つけるのが大の苦手らしい。

 ダンスの練習で疲れていても、殿下の訪問となればちゃんと身支度して応対する。

 殿下のツンデレが発動して怒鳴られてばかりで、聞いていてちょっとじゃなくだいぶ可哀想なのだが、仮病の一つも使わないんだから、大したもんだ。

 それでもやっぱり疲れていたんだろう。


 アイザックや俺に怯えて引きつけ起こすような子が、毎回怒鳴られて平気なわけがなかったんだ。


「……ねぇ」

「はい」

「……バレ……たんじゃ……ないよ……ね?」

「大丈夫ですよ」

「あの粗筋の物語は僕読んだことないんだけど、結末って」

「俺も読んだことはないですけど察しはつきますね。殺して終わりでしょう」

「あの……僕にその……そうされると思ってああなったんじゃ……」

「まさか。マリー様は感受性が強いんです。多分感情移入しすぎたんじゃないですか」

「……泣いてたよね、やっぱり」

「日焼けする絵が可哀想と思うお嬢様ですからねぇ。殺される登場人物が可哀想すぎて泣けてきちゃったんでしょう。まぁ犯人の方にも同情してる可能性もありますが。」

「……僕が怖くなったわけじゃなく?」

「ま、一般的には重いかもしれないですが」

「おもい? それは、重量の重いであってる? この場合の意味は?」

「ノートンさんが言ってたことですよ。度を超えた愛情は時に怖さを呼び起こすんです」

「……やっぱり僕が怖くなったってこと……」

「一般論ですよ、一般論。だってマリー様、怯えた顔してませんでしたよ?」

「……隠してたんじゃないの?」

「いやぁ、マリー様は全部顔に出ますよ。初対面の俺と会った時なんか、眉毛八の字になって、体震えてるし、目にも涙溜めてて、一発で怖がってるのわかりましたから」

「……そう」

「でもねぇ、殿下。お嬢様は殿下を怖がってはないです。だけど、やっぱりちょっと話し方変えましょう。殿下っていう個人に対する思いとは別で、お嬢様は男が苦手なんです」

 何度目かの忠言に、殿下は項垂れて謝った。それを、マリー様の前でできればなぁ。

 呆れ顔というよりも怒りの強い顔で殿下を見下ろす側近を見て、俺は頭を掻いた。


 震える手でアイザックの服を掴んだときのように、扇子で顔を覆ったマリー様の、その手は震えていた。

 繰り返す謝罪の声は震えてはいなかったが、初対面の時を想起させるのには十分だった。

 そして、メイドの子が話してくれたことを思い出すのにも。



「良いですか?」

「ええ。お休みになられました。小声でお願いします」

「了解。……さっきのお嬢様のアレ、もしかして……?」

「はい。……何の脈絡もなく突然でしたでしょう? 私が見た時もそうでした。ある時は、直前まで笑顔で私とお話していたんです。その時は私、何かお気に触ることを申し上げたのかと思って、必死で謝りました。でもお嬢様はちゃんとした声ではっきりと、私は何も悪くないと。それから『御免なさい』と謝り続けて……」

「さっきのお嬢様と同じですね」

「ええ。……あの時は、そう……先生がお見えになる前でしたわ。家庭教師をそろそろ、と奥様と旦那様がお嬢様にお話されて、少しした頃でした。マナー講師の方から、少しミスが増えたが何かありましたかとご指摘があって……」

「……もしかして、ストレス――精神的な疲れが関係してます?」

「……私は本当は、お嬢様の生活範囲に、できればこの家には、旦那様以外の男性はいなければ良いとずっと思っています」

「あー……」

「……殿下は、先生と比べたらずっとマシです」

「……あーえーまぁ……そうっすね……」

「嫁入り前のお嬢様にベタベタと………婚約者でもないのに文通までして……家族でもないくせに贈り物まで……アクセサリーだったら容赦無く捨ててやったものを……!」

「……いやいや、あいつも流石に、恋人でもないのに宝飾品送り付けるなんて非常識だっていう認識くらいありますよ」

「違います。お嬢様が金属でかぶれるからです」

「へ?」

 そりゃまずい。殿下は知ってんのかこれ?

 けどそういやぁ、夫人は豪華な宝飾品をマナー通りに3点セットで身につけてんのに、お嬢様は身に付けるのは稀にネックレスくらいか。そうか。だからお嬢様のドレスはハイネック率高いのか。

「まるで恋人みたいな甘ったるい言葉とか態度とか……! もう何度燃やそうと思ったことか!」

「……やー……」

「……旦那様は、慣れるために必要だからって仰います。それはわからなくちゃいけないんです。でも……」

 そこで、急に疲れてしまったかのように、下を向いた。

「……お嬢様は殿下には一度も怯えなかったから、応援しようと決めたんです。面白くなくても我慢しようって。だけど……」

 ……そうか。

「お嬢様は……」

 今は殿下よりも先生の方が――

 声には出さずに唇だけ動いて、その後唇を噛んだ。


 あいつを虫扱いする女性使用人一同が、殿下に好意的なのは、すれ違いぶりに同情してるってだけでも、素直になれない男の見本みたいな態度のせいだけでもなく、お嬢様が怯えなかったから。


 俺は殿下とお嬢様の初対面には居合わせなかった。

 だからこの子の言うように、お嬢様が殿下に怯えなかったのかどうか、本当のところはわからない。

 俺と初対面の時と同じように、お嬢様が凍りついて動けなくなっていたとして、その時この子と相棒の二人ともが、お嬢様の背後に控える形での対面だったのなら、もしかしたら、二人はそのことに気づかなかったのかもしれない。


 お嬢様は初対面で怯える相手にも、次回以降は平気なふりをしようと努力するタイプだ。

 俺がそうだった。

 だとしたら、俺が知っているお嬢様の態度も、この子達が知っているお嬢様の態度も、無理をしている結果なのかもしれない。


 だとしたらきっと、この子と相棒はやりきれないだろう。

 新参な俺よりもずっと、心のうちを見誤ったショックは大きい。

 だとしても。

 

「……マリー様は殿下の婚約者ですよ。間違ってたわけじゃない」


 この子のしてきたことも、相棒のしてきたことも。


 

 

 殿下に愛想尽かされたらどうするんだと、俺が冗談を言ったときに、あいつは「それならそれで」と言った。

 マリー様の性格を知れば、王子妃は重荷だろうと誰だって思う。

 だけど少なくとも、マリー様は殿下を嫌っても怖がってもいないと俺は思っていた。

 アイザックの見た目は女だったら十人中十人が見惚れるようなもんだが、殿下も負けちゃいない。将来良い男になるのは確実。マリー様だって好意とまではいかなくとも好感は持っていると思っていた。

 だから頑張ってるんだと思っていた。あいつをして根を詰め過ぎると言わしめるくらいに机にかじりついているのも、余暇もひたすら本を読んでばかりいるのも。

 憎からず思っている相手のために努力しているのだと思っていた。

 俺がそう思ったのも、純粋な学問バカが身近にいたせいだ。

 あいつは学問にのめり込んでいるように見えたが、マリー様は追い立てられるように机に向かっていた。

 あんな小さな子なのに悲壮感さえ漂って見えて、俺の知る限り、マリー様がそんな風になるほど厳しい教師はあいつ含めて一人もいない。

 だから、……王子妃の立場にそぐわないようでは困るからと、頑張っているのだと思っていた。

 だけどそれはもしかしたら、前提が違っていたのかもしれない。

 マリー様には少なからず殿下への好感が、もしくはお姫様と言う立場への憧れのようなものがあると俺は思っていた。俺以外の使用人だって。


 だけど、「本音を言う機会を作っている」と言ったあいつだけは、その前提が違うと知っていたのかもしれない。

 あんな小さな女の子がそこまで頑張る理由が、憧れでもだれかを好きな気持ちでもなく、義務感だけだとしたら、……


 そういえば、マリー様は殿下をどう思っているか、口にしたことは一度もなかった。

 

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