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近づいてくる破滅の音

 殿下はお母様や義弟に対してはまともになるのだが、護衛や使用人の前では私を怒鳴るのをやめない。まぁ仕方ない。


 日前の社会科の資料集で読んだことがある。あれが奴隷制度に対するものなのか、それとも人種差別だったかは覚えていないけれど、とにかく、日本人男性が白人の家族に雇われていたときの話。

 彼が部屋にゴミの回収に行った際、白人女性は下着姿でドレッサーに向かって腰掛けていた。彼女は驚いて振り返ったが、ドアの前に立っている彼を見て、まるで何事もなかったかのように化粧を始めた。


 まるでラノベのラッキースケベみたいな展開だが、日々差別を肌で感じていた彼は、勿論そうは感じなかった。これはつまり、いかに人間扱いされていないかの実例なのだ。


 ――もしドアを開けたのが私ではなく白人男性であったなら、彼女は取り乱し私を罵っただろう。私は人間として認識されていないのだ――


 私は着替えを家族に見られるのがすごく嫌だった。だからその女性の反応には驚いたし、そして、彼の押し潰した怒りのようなものが感じられて、欄外に記されていたその短い体験談はひどく印象に残った。


 殿下はとてもまともな人で、私よりも頭が良いけれど、身分制度の頂点に立つ人なのだから、当然無意識に、使用人とそうでない人を分けるのだろう。

 私は徹底的に差別は良くないと叩き込まれて育ったから、差別してしまう自分を恥じたり後悔したりする。

 きっとそう言うのとは次元が違うのだ。


 まぁそんな感じで、お母様があいにく不在の場合、私はだいたい終始殿下に怒鳴られる。

 それを見兼ねたのか、時々護衛その2が話題を提供してくれる。

 殿下がまともな人だと思うのは、護衛その2が話に割り込んでも機嫌を損ねたりしないところだ。

「……部屋中に意中の人の肖像画を?」

 護衛その2から披露された話に、思わず鸚鵡返ししてしまった。

 日前で言うところの、いわゆるオタク部屋というやつだろうか。

「ええ。どう思います?」

「……日焼けしないか気になります。色褪せとか」

 私は一種異様なくらいラノベにどハマりしていた時期があった。私が特に好きになったのは美少女天才魔導士だが、そのイラストに惹かれて雑誌を買ったことがある。漫画が1、2本、あとは小説と、特集ページ(巻頭カラー有り)という、絵よりも文字が多い雑誌だった。

 その付録でポスターが付いていた。折りたたんだ状態だと、キャラクターの顔が半分しか見えない。だから自然に壁に貼ったのだが、私の部屋は南は一面窓で、東にも窓があるという、日当たり良好な部屋だった。

 本棚の背表紙も一面日焼けするくらいの部屋だから、当然ポスターも徐々に色褪せていった。

 護衛その2がブフッと吹き出した。

 ……いやそりゃまぁ、形あるものいずれは壊れる、諸行無常とはいうけれど、悲しいものは悲しいんだよ。だったら飾らなきゃ良かったとは私も思ったよ。大事なものはしまっておくべきってね。だけど……大切にしてるものほど壊そうとしてくる人間たちと同居してたんだから、自分で壊すか人に壊されるかの違いで……

 私が持っていたポスターは、祖父が買ってくれたあの雑誌の付録1枚だけだったから、特に悲しかったんだよ。あの時代、電子書籍なんて便利なものはなかったんだよ。なくしたら終わりで、フリマサイトどころかネットオークションすらなかったんだよ。それどころかネット書店すら、……そもそもパソコンがようやく、徐々に普及し始めた頃だったんだよ。

 あーあ、……思い出したらもう悲しさが止めどなく……当然のように劣化して、最後はボロボロになっちゃったんだよなぁ……


「マリー様ってやっぱ頭良いですね」

 護衛その2の笑い混じりの発言で思い出から現実に引き戻される。

 ……おい、この裏切り者の代名詞。今バカにしたな? バカにしたろ? それいつも勉強頑張らなかった輩が言う悪口の亜種だからね? もしくは枕詞だからね? その手の人間から悪口言われる経験ならちょっとやそっとのやつには負けないから流石にわかるよ?

 勉強だけ頑張りすぎて常識ゼロだった私が悪いんだけどね?

「まぁ確かに壁一面に飾ってりゃあ、一部だけ日焼けするし目立つでしょうね」

 ……でも否定しないあたりありがとう。なんか自分より勉強できる相手をとにかく言い負かしたいみたいな奴が多かったもんで、受け入れてくれると私の態度はころっと変わるんです。

「はい。……その一部が可哀想です」

 家族の中で一人露骨に不遇な扱いを受けていた自分と被る。

「あー……なるほど。マリー様らしいですね」

 ……あれ、おかしいな? 私は前世のことは誰一人話してないんだけどな? 何よらしいって。

「……一枚、日の当たらない場所に飾るのは良いのか?」

 あ、殿下が食いついてきた。

 いや、良いも何も……ご家族の肖像画は王宮に飾ってあるのでは……ってああそうか! わかりましたよ殿下!

 お母様のですね!? お母様の肖像画を飾りたいと! そうでしょう!?

 なるほどなるほど!

 よく考えれば護衛その2は、私が先生に懐いていると殿下に告げ口した過去がある。

 今度は逆に、殿下がお母様の肖像画を飾りたいのを、私に告げ口ではなく、こっそり遠回しに。

 わかった。任せて!

「……そうですね。あの、先に一つ訂正させてください」

「訂正?」

「ええ。 あ、いえ、……訂正というか、付け足しです。私自身が、壁一面に肖像画を飾った部屋について思うことは先ほど述べた通りですが、もしかしたら私の意見は一般的ではないかもしれないので」

「……別に一般論は求めてない」

 いやいや殿下。娘の私とお母様は感性一致してるわけじゃないからね。

「まぁ聞いときましょうよ殿下」

 ナイスアシスト。

「私は引き籠ってますし、友人もゼロです」

 また護衛その2が吹き出した。いやほら、一応言っとかないとね? でないと引きこもりが一般論とか臍で茶を沸かすわとか思われるからさ。

「でも物語はよく読みます。その中で、今のお話にあったような、意中の人のしゃし――いえ、肖像画を、壁一面に飾る男の人の描写がありました。今思い出したのですが……それは、おどろおどろしいものとして描写されていました。その人は……意中の人と結ばれていて当然と思い込んでいて、そうならなかった現実が受け止めきれずに、意中の人を――」

 なぜか、続きが言えなかった。

 言い回しを考えたわけでもなかった。なぜか言えなかったのだ。その単語を口に出せなかった。

 あれ、おかしいな、と思った瞬間、不意に目が熱くなった。

 ――嘘だろ、なんで今。

 先生にもらった扇子で咄嗟に顔を隠した。

 待って。なんで。……やばい。

 またか。そりゃ……自分の仇とずっと対面するなんてありえない状況、私のヘナチョコメンタルがやられんのも当然だけど、今まで平気だったじゃん。待ってよまだ先は長いのに。

 まだお披露目会も終わってない。入学式なんて先の先だ。

 まだまだ生きてなきゃいけないのに、なんで。

 理由もなく涙が頬を伝う。

「っ失礼します!」

 裏返った声はメイドのものだ。震えてるし、一瞬泣いてるのは私じゃなくてメイドかと思うくらいの声。

「お嬢様はご気分がすぐれませんっ! ……お、お、……お引き取りください!」

「――御前失礼します」

 護衛その1の声。

 ……不甲斐ない主人でごめんね。

 使用人の身で、殿下とその婚約者の時間を中断させたなんて、この世界じゃタダじゃ済まないよね。

 だけど絶対に、絶対に、あなたたちを罰させたりしないから。

 それに殿下は、私を殺すけど、普通に良い人だよ。だから大丈夫。きっとお咎めなしになるから。私さえいなくなれば全部うまく行くから、大丈夫だよ。日前の家族もそうだったから。

 もう疲れた。

 私の頑張りはなんの意味もなかった。ただ目障りだっただけ。早く死ねば良かったのに、いつか愛されると思って無駄な努力を続けて――どうせ報われないなら、もっと人生を楽しめば良かった。楽しむって何? 趣味一つ見つからなかったのに。自分の顔も体も嫌いだった。だからお化粧もファッションも楽しめない。恋愛も興味がない。新しい知識を得ることくらいしか、好きなことはなかったのに。

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