私と乙女ゲームの世界の今更な相性の悪さについて。
殿下とのお茶会を数回、お母様に助っ人を頼んでやり過ごし。
義弟は礼儀作法の習得に異様な力を入れており、毎日私への報告を欠かさない。
先生とは相変わらず、時折手紙をやりとりして愚痴を聞いてもらい、座学全般を教えてもらう。
そして苦手な実技は、社交ダンスの基本に入っていた。
ここで困ったのが、私の噓から出たまことだ。
基本姿勢を取るのに、吐き気も寒気もしないのだが、参るのは、背中に手を回されると、擽ったい。
極度のくすぐったがりだから、触らないでほしい。
使用人と両親にお願いしたそれが、まさかの本当になってしまった。
別に先生が擽ってるわけじゃない。普通にホールドしてるだけだ。なのに、どうにも擽ったくて、ビクッとして姿勢を崩してしまう。
ダンス講師には溜息をつかれるし、先生には笑われるし。
「……ごめんなさい」
「いいえ」
先生は楽しそうに笑っている。恥ずかしくて顔が見れないけど、声が明らかに笑ってるし。
私があんまりにも毎度毎度反応するせいで、先生ももう慣れっこだ。
「はいもうお披露目まで日がありませんから諦めて先に進みます」
講師が気持ちを切り替えるように手をパンパンと叩く。
だって脇の下を手が通るんだよ。なんでみんな擽ったくないの!?
一人での練習は今溜息をついている講師も完璧だと評価してくれたので、動き自体は体が覚えてるんだけど……くすぐった……
「……大丈夫ですか?」
「……すみません」
「いいえ。……お披露目会さえなければ、このままでも良いくらいですが」
いや良くは……でもお披露目会なければ、あとは拝謁さえ済ませちゃえば、卒業パーティーまで踊る機会なんてなしでも済む。だけどお披露目会は逃げられない。
「……殿下に醜態を晒すわけには」
「ええ。でも、お嬢様。醜態なんて言い過ぎです。可愛いですよ。見せたくないくらいに」
――ガッシャン、という音で先生の声がかき消された。
「あーすみません、足が滑って」
「失礼しました。止められず」
音のした方を振り向けば、護衛二人が謝罪した。
……足が滑って、休憩用の飲料水が用意されていたワゴンをひっくり返したってことなんでしょーか。
……いや、あの、別に責めやしないけど、多分そのグラスとピッチャー、めちゃくちゃ高いんじゃないかな多分……
派手に割れてますけど。
メイドが「失礼します」と走って退室した。絨毯も大惨事だね。水とはいえ……
「あの、……け、怪我は」
「いえ、全然」
「はい」
「……それ、なら、良かった、でも危ないから、そのままで。道具持ってきて片付けてくれるまでは」
「お嬢様も」
「あ、はい」
「先生から離れて」
「はい?」
「休憩で構いませんよね、ダンスの練習は」
講師がちょっと気圧されたように頷く。
……すみません。
先生がホールドを解いてくれる。
なんか、実技、進まないな?
私のせいなんだけど、私のせいじゃないのもちょこちょこ入ってくるっていうか。
お披露目会はそれほど盛大なものじゃない。
両陛下への拝謁が済めば、あとは……城に頻繁に出入りする高位貴族と、上級使用人に顔を覚えてもらうための挨拶、そしてダンスをして解散だ。本来デビュタントでさえない年齢の子供同士ということで、時間も短い。そこらへんは結構考慮されてる。
ちなみに、乙前ではほとんどいつもすっぽかした。
……いやうん、最低なんだけど最低なのはわかってるけど。だってお父様お母様どこまでも甘いんだもん。
40度近い高熱があっても皆勤賞を取るためとかいうわけのわからない見栄のために学校を休ませてもらえなかった私にとって、世間一般の子供がする頭痛いとかお腹痛いとかって言うズル休みが本当に可能なのかどうか、ちょっと試したいっていう気持ちがあったっていうか。
学校と拝謁一緒にすんな罰当たりめがっていまの私は思うけど、あの頃の私には同じだったのだ。
日前の両親は私の体よりも優先するものが腐る程ある性根の腐った生き物だったので、本当に親は子供の体調のために、大事なものを休ませるのだろうか。それを知りたかった。試したかったのだ。
結果、あっさり休んだね。最初は延期になったんだけど、その都度痛い痛い喚いてみたら、延期が中止になった。
うん。最低。ほんとに。日前の両親だったら、俺・私の顔に泥を塗りやがって! とか言って何回か殴ってきたね。いや蹴りか。その前に引きずってでも連れてかれたか。はは。
……そんなだったから、わからなかったんだ。ごめんなさい。
あの頃、よく考えたら、お父様はもう参内してなきゃならない時間だったはずだ。なのに、「ああ、可哀想に。何がよくなかったんだろう」って私の枕元でオロオロしてたのは、例の御前会議中断警報が発令されて引き返してきたに違いない。
お母様も私の方が見てて心配になるくらい、泣きそうな顔して私のすぐそばに置いた椅子に座っていた。医者は多分、仮病だとわかってたはずで、……二人に伝えなかったのか、伝えたけど、私を信じてくれたのか、もしかしたらあれは、仮病を使ってまでお披露目会を嫌がる私の気持ちを考えていてくれたのかもしれない。
そう言った全部があの頃の私にはわからなかった。いや同じ私なんだから、推測しようと思えばできたはずなのに、そんな余裕がなかった。
こんなだから、誰にも好かれない嫌われ者なんだよ。
後ろ暗いところばっかだから、胸を張って顔を上げて前を向いて歩けない。
虐げられた過去を免罪符に、弱い自分を正当化してる。
ヒロインに見破られなくても、自分でわかってるんだ。
だけど、変えたくても変わらなくて。
だから、どうせ変えられないなら、自分がいま精一杯正しいと思ってることをしようと思う。
復讐とか、恨み辛みとか、愛されようとか、そういうのは一旦横においといて。
一番逃げたいものから逃げる正当な権利を得るために、小さな我慢を積み重ねるのだ。
私にとっての我慢は勇気を出すことだ。言いたいことを我慢する方が私にはよほど簡単で、他人が言って欲しいと思っていることを言うことの方がずっと楽だった。
だけどこれからは、頑張って、人の心を踏みにじらない範囲で、人を傷つけない範囲で、自分の意思で行動するのだ。
お披露目会は逃げない。だって悪役令嬢が悪役になっても許されるのは、小さい頃から課された義務を、逃げることなく一生懸命努力して向き合ってきたからだ。日前の私は、そうしてきても何も報われなかったけれど、ここがもし優しい世界であるのなら。
私も、もう一度だけやってみよう。
優しい両親と使用人と、先生と、護衛と、そして私のために怒ってくれる殿下と義弟のために。
良い子でいるのは日前で疲れてしまったけれど、みんなのために頑張りたいと言うのは、紛れもなく今の私の本音だった。
何もかもすっぽかして、型紙破りを地で行っても許されるような、素直さは私にはないから。
素直で純粋で、人に好かれるような無邪気さは残念ながら私にはない。
代わりにあるのは、日前から受け継いだ、先に心が壊れるほど無理のできる頑丈な体と、人のためならとりあえず頑張り続けられるという条件付きの気力。
……うん。だから、早く、くすぐったいの治ってまじで。




