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* 五里霧中 3

 高位貴族の子供ってのは、覚えることが多い。

 一般教養から行儀作法に芸術科目、大まかな王侯貴族の歴史と現在の立ち位置、ざっくばらんに言うなら実際の上下関係。

 もちろん、スクールに入れば最後の上下関係を除いてそれら全部叩き込まれるわけだが、スクールの成績ってのも箔を付ける上で重要。スクールで人脈を作ろうと思うなら、履修範囲は事前に学んでおくってわけだ。

 まぁアイザックみたいに余暇も全部学問につぎ込んで人脈作りなんて二の次三の次、みたいな突出したやつもいるっちゃいるが。

 だいたいの貴族は子供のうちに全部詰め込む。午前中に座学、午後は実技。スクールに上がってから孤立しないように、母親にくっついて茶会に顔を出すのも多い。

 だけどそんなのは理想であって、実際には抜け出して遊ぶ子供だって当然多い。

 特に遊びたい盛りの少年なんて、体力が有り余ってるわけだから、じっとしてるのは難しい。

 俺はその抜け出すタイプの筆頭で、アイザックは理想を地でいく筆頭だった。

 

 そのアイザックに「根を詰め過ぎる」と言わしめるマリー様の、俺が護衛に来てから初めて予定のないぽっかりあいた時間。

 放っておけばまた本を読むか自習をするかだろうマリー様を、相棒とメイドと執事長を巻き込んで、乗馬を誘い文句に外へ連れ出した。

 何パターンか説得する文言を考えていたものの、拍子抜けするほどあっさりその提案は受け入れられた。

 こう言う時思うんだよな。

 ……マリー様は、昔のアイザックに似ている。

 

 力加減を知らない子供は、手酷い反撃にあうことも多い。

 だから事前に触り方を教えたし、ポニーとはいえ暴れないように抑えてもいた。相棒のルディはすぐにマリー様を持ち上げられるように、後ろにぴったりくっついていた。

 それは全部杞憂に終わり、ある意味想像通りか、マリー様は教えた通りに、教えた以上に恐る恐る手を伸ばした。

 ルディが息を呑んだ音が耳に入って、俺は咄嗟にそちらを向く。ルディはまっすぐマリー様を見ていた。

 そこで思い当たった。

 多分、……マリー様が生き物に自分から手を伸ばしたのが、珍しかったからじゃないか。


 もしかしたら、あいつの服を掴んだのが、初めてだったのかもしれない。

 

 

「マリー様って、動物好きなんですか?」

 噛まれることも蹴られる事もなく、無事ふれあいを終えたマリー様は、子供らしい笑顔を浮かべていた。

「……え」

「いや、いい顔してましたから。羨ましがられそ」

「え?」

「ああ、いや、顔見てて、動物好きなんだろうなって思ったんですが、違いました?」

「……わかりません」

「わからない?」

「……何かを好きになるの、疲れるから」

 その言葉を聞いて、お嬢様について、メイドに聞いた時のことを思い出した。



「……あの~、前からちょっと疑問だったんですけどね? ちょっとお嬢様のこと好き過ぎません?」

「まぁ、ふふ。長くいればわかりますよ。お嬢様ってちょっとクセになるんですよ」

「……え~と?」

「私は結婚もまだですし、子供をもったことはありませんけど、お嬢様にとっては私だけが特別で、私じゃないとダメなんだって思わせてくれるところがあって。だからなおさら可愛くて、必要とされてる感じがたまらなくなるんです。きっと子供を産んだら、こんな気持ちなんでしょうね」

 うーわー……

 一歩間違えたらヤンデレじゃねーの?

 思わず笑顔が引きつった。

 長くいるとそうなるなら、選択ミスったかもしんない。

 適度にお嬢様の護衛は変えた方がいいのでは?

 忠誠心とかはある程度必要かも知んないけど、自分の幸せ犠牲にするのはどうなんだろーな?

 この年頃の女の子が、結婚よりお嬢様のそばにいたいとか、ちょっとやばいだろ。

 公爵家のメイドなだけあって、見た目も良い。アイザックみたいな浮世離れした美貌や、お嬢様や夫人みたいな誰も彼も目をひく圧倒的な華やかさはないが、明るさと愛嬌が、可愛く整っている外見を一層引き立てている。肩の辺りで切りそろえている髪も、円らな瞳も明るい茶色だ。

 そんな普通に可愛い、要は簡単に嫁ぎ先が見つかりそうな子が。 


 ――内心ドン引きしすぎて、その発言に含まれたもう一つの疑問をその時俺は見逃した。

 人に触られるのが苦手で、ほとんど身の回りのことは一人でやるお嬢様のどこに、『必要とされてる感じ』があるのだろう。自分がいないとダメだと思わせる何があるのだろう。


 だけどわかった気がする。

 お嬢様は――この子はきっと、とても愛情深い子だ。

 懐に入れた人間には、惜しみなく愛情を注ぐ。

 そしてそのせいで、何か辛い目にあったことがある。

 それでもその愛し方をやめられないのかもしれない。

 公爵家の令嬢ともなれば、小さくても言いたくないような過去の一つや二つあるんだろう。

 そう思えば、殊に女性使用人の可愛がり方も納得がいく。

 憐憫や同情もあるのかもしれない。


 マリー様は、あれが欲しい、これが欲しい、みたいなことを全然言わない。

 最初は興味関心が薄いのかと思ったが、反対に、ペットはもとより、物にも愛着が強いのかもしれない。

 どことなく恐る恐る物に触っている感じがするし、お嬢様は物にも謝る。

 お嬢様が読書中、急に「あっ、ごめん」と言ったので、「どうしました?」と聞いたことがあった。お嬢様はびっくりした様子で振り向き、すごく恥ずかしそうに俯いて小声で釈明するかのように説明してくれた。

 本を捲る時に、力を入れすぎてページの隅が破れたらしい。

 その本は図書館で借りたものではなく、お嬢様に公爵が買い与えたものだそうだから、その謝罪は人じゃなく本に向けられたものだろう。

 最初は驚いたが、それがお嬢様の普通だった。人でも物でもぶつかれば謝るし、お嬢様は虫が嫌いらしいのだが、とにかく逃げる。一言言ってくれれば、目に触れないように始末するのに、何も言わずに逃げる。ルディが無言で庭園にいた蝶を摘んで、庭師に渡していた。蝶も駄目とか、かなり重度の虫嫌いだ。

 そりゃ、部屋に篭りきりにもなるわな。


 ちなみにこの件でわかったことはもう一つあって。

 お嬢様は虫よりも俺が苦手らしいということだ。

 虫にエンカウントしたお嬢様は回れ右して逃げるが、俺と初めて会った時、お嬢様は身動き取れないくらい固まったからね。

 それでも話しかければぎこちなくでも笑ってくれるんだから、お嬢様の忍耐力は大したもんだ。


 ……アイザックが男装したとき、マリー様が引きつけを起こしたってのも気にはなっていた。

 正直、本人を前にするまで、アイザックが言うことは話半分に聞いていた。

 世間擦れしていない上に、頭の中にあるのは学問ばかりのあいつが無自覚に何かしでかして、引きつけ起こすほどやばい何かがあったんだろうと疑う一方で、困ったことがあった時は気絶して場をやり過ごすなんて令嬢にとっては朝飯前だ。もっとあからさまに言うなら、目ぼしい男の前でわざと倒れてみせるなんてのも、別に手練手管に長けた玄人女の専売特許ってわけじゃない。どちらかといえばほんの小さな子でさえ使う初歩の初歩だ。

 本人を前にせずとも、お嬢様の話をしている時は、花も恥じらうような笑顔を浮かべているくらいだから、本人を前にしたらどんな表情かは推して知るべし。ただでさえ見た目極上品の男なわけだから、マセガキだったらそのくらいやるだろうと、俺はそうも疑っていた。


 が、俺との初対面でアイザックの服を掴んだマリー様に、秋波の色は微塵もなかった。そこにあったのは純粋な怯え。恐怖と言った方がいいかもしれない。

 あれを見て俺はすぐに考えを改めたし、同時に不憫に思った。


 この性格でいずれは王子妃とか、ちょっとしんどいだろ。

 

 緊急時に声を上げられないのも咄嗟に動けなくなるのも致命的だし、男嫌いなのも外交上大問題だ。

 切り捨てることだって必要になるだろうし、苦手なものから逃げ回るのはなぁ……優しいんだろうが、立場上どうなんだろうな。

 同程度かあるいはちょっと格下の貴族に嫁いで、夫人として生活するなら良かったのに。

 可哀想に。

 

 まだ護衛になる少し前。

 お嬢様が殿下の婚約者になったという話を、あいつとした時と同じ感想。

 だけど、あの時よりずっと可哀想だと思った。

 自由に恋愛する権利を取り上げられる可哀想と、絶対に向かないと分かり切っている(ある意味)職業につかなきゃならない未来に対する可哀想。

 国も男も手玉に取るくらいの気概のある女に、このお嬢様がなれるか? これから後、十年かそこらで。無理だろ。

 人は変わるもんだが、本質は変わらないと俺は思っている。

 お嬢様のために身形も口調も変えたアイザックが、それでも俺の女扱いには怒るみたいに、気弱な少女は多分、虚勢を張っても本質的には戦いを避けるだろう。



「よっ、久しぶり」

「昨日も会いましたよ」

「非番で会うのは久しぶりだろ」

「……そうですね」

「お嬢様に何書いたんだ?」

「は?」

「手紙。危うく、メイドが自殺志願者になるところだった」

「……は?」

「マリー様に手紙書いたろ、お前。それ読んでマリー様がちょっとな。で、メイドが怒った」

「……怒る内容ではありませんよ。それに、お嬢様からはそのようなことは……」

「お嬢様もう返事書いたのか。マメだなぁ二人とも。直接会って話せるのに、わざわざ手紙書くとか、疑っちゃうね」

「……」

「殿下は話せばわかる子だけど、良い気はしないだろうし、周りがなんて思うか」

「私のことはどうでも良いです。メイドが怒ったというのは何に対してです?」

「そ……待った! なんでお前が怒っ……って、あー悪ぃ。俺の言葉不足。メイドが怒ったのはお嬢様じゃない。お前」

「私?」

「ああ、っていうか、あの家、ちょっと変」

「……変?」

「お嬢様が何やっても怒らない。なんでも聞いてやるって感じ。両親がそういうタイプなのはわからんでもないが、使用人まるっとそうなのが変。んで、それ知ってるせいで、なんか頑張って良い子ちゃんしてるお嬢様が一番変。教師の愚痴くらい言うもんだろ、フツー」

「……私の講義に何か不満でも?」

「いや? ちょっと近付き過ぎかなぁとは思うけどさ。お嬢様はお前の教えてる科目とは相性が良いらしい。他の授業は憂鬱なんだってさ。自分に才能がないからってね。それでも努力はやめないんだ。健気っちゃ健気だけど、教え方が悪いとかガキの時分は言いそうなもんなのになぁ」

 ……嬉しそうな顔しちゃって。

 あーあ、マズイよなぁ、これ。

 俺の生温い視線に気づいたのか、咳払いして表情を締めた。

「あなたの言葉を借りるなら、頑張って『良い子』をしているお嬢様に、少しは本音を言ってもらう機会を作ってるんです」

「手紙で?」

「手紙で」

「話し言葉は消えもの。手紙は後に残る。無理じゃね?」

「口から出すのが難しい人もいます」

「へ」

「……お嬢様はおそらくそうだから」

「ふうん?」

「私には幸いあなたがいました。だから私もお嬢様にとってそうなれればと思っているんですよ」

「あ? 俺?」

「ええ。八つ当たりしても問題のない相手というのは貴重ですからね」

「……殺しても構わない?」

「気にしてたんですか?」

「普通に俺だけ人権ないもんな、お前……」

 げんなりして告げれば、親友は擽ったそうに笑った。

 俺は別に助けになりたいと思ってこいつのそばにいたわけではなかったけど、ガス抜きになれてたんなら良かった。

 お嬢様にとって、お前にとっての俺のようになりたいと言う気持ちで接しているのなら、手紙も近づくのも下心なしってことなんだろうけれど、ちょいちょい表情に出るのがなんだかなぁ。

 それに多分、今はそんな気さらさらないにしても、ガキの頃の……おっと。

 これはいつか、お嬢様にでも話そう。

 心優しいマリー様がいずれ殿下との関係に悩んだ時に。


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