おそらく四人めの攻略対象と、私の積年の怨みとその解放について。
はぁ、と思わずついたため息は、思ったより深いものになった。
世の中には弟妹が可愛くて仕方ないという兄姉がいる。その手の小説や漫画は事欠かない。
世の中にある「母親」というものに対するイメージと同じように、弟妹に対するイメージだって大凡共通してあるだろう。
けれど私は、弟が嫌いな姉だった。
気に入らなければ大声を出す。壁を叩く。物を投げる。人も殴る。蹴る。踏みつける。
言葉も通じない。計算もできない。
自分の誕生日にちゃんと物をもらっているのにもかかわらず、私の誕生日に私だけ物をもらうのはずるいと言う。
泣き喚いて駄駄を捏ねる。
どんなに説明しても理解しない。
ケーキを分けるときもそうだった。
目の前に一つずつあるのに、私が最後に渡されれば、私の方が多いという。
順番を逆にしてもダメだったから、これはもう、ただの駄々なのだろうとその頃の私は理解した。
何らかの障害があるから仕方がないなんて、そんな小さな子供が理解できるだろうか。
ましてや私が子供の頃、そう言った子供は狐憑きなんて呼ばれていた。もしくは疳の虫が憑いている、だ。
もちろん両親は、そんなことは信じなかった。弟が癇癪を起こすのは、父は母のせいだと良い、母は私のせいだと言った。
そして泣く子には逆らえんと言うことで、弟がいつもなんでも一回多いのが定着した。
泣き叫べばなんでも思い通りになった弟は、そのまま大人になった。
弟が普通の子じゃないのは私のせいだと母が言い、それを弟も信じていたのだろう。思い通りにならないことはなんでも私のせいだと思う人間になった。当然、思い通りにならない怒りの矛先は私に向く。
そんな弟を可愛いと思えるほど、私はできた人間じゃなかった。
何より最悪なのは——
ああダメだ、思い出すな。これ以上は無理。
急になんだと言うと、最早乙女ゲームの定番、なのだろうか。
そう、弟が出来るのだ。
義弟が、明日来る。
私がどんな性格だろうとも婚約者に選んでくださりやがる王子殿下のせいで、いつも養子を迎えることになる。
私は日前の弟がそんなんだったから、そりゃあ弟というものが嫌いで嫌いで仕方なかった。
うん、悪役令嬢の定番ね。
乙前の義弟がどんなだったかも、覚えていない。なるべく接触しないようにしていたからだ。
義弟が来てからは食事は自室で摂っていたし、なるべく家にいつかないようにし、スクールに上がって来る年齢になっても、学内では遠くから気配を察知した瞬間回れ右してUターンだ。
どうしても避けられない時は思いっきり顔を顰めて無言で早足すれ違う。声かけられても無視。
だから正直、義弟が成長してどんな姿になったのか、はっきり覚えていなかった。
それどころか、子供の頃の顔さえろくすっぽ覚えていない。
確か転生1回目は、会おうともしなかった気がする。
そりゃあもうやさぐれ放題だったから、日前の弟がしたことをしてやるという仕返し根性の前に、視界に入れたくないという嫌悪感が強かった。
繰り返した人生では、家庭不和は起こしたくなかった。何より日前と違って両親は優しかった。だから私も、……何とかしようとしたんだ。それでもその頃の私はまだ頭がどうかしていたから、弟が私にしたようなことをしてやろうと両親のいないところで仕返ししようとしたが、日前の両親がいない所で弟にされたことを思い出すだけで気色悪くて、とてもできないことにすぐ気づいた。
そもそも私と日前の弟は、何もかも全く似ても似つかない性格だった。好き嫌いも趣味も得手不得手も何もかも。
繰り返す人生の中で、壊れ続けていた私はどうしても、弟と義弟は全く違う生き物だと言うことを理解できなかった。
……誰だったかなぁ。「どうして弟君にだけ冷たいのですか」と言われた気がする。なんて答えたっけ。
……まぁいいや。多分ロクでもない答えだったろう。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いんだ。私はたとえ百回繰り返したって、聖人君子にはなれない人間だ。
それで、多分、この世界が乙女ゲームの世界ならば、多分、あの断罪の場にいたんだよなぁ、きっと。義弟が。
まぁ、あんな扱いしてりゃ、そらそうなるわな。
「……どれかな」
眼鏡、黒髪、金髪は除外された。上から先生、護衛その2、殿下だ。
残るはパーマと、銀髪。
養子は親戚の筈だから、多分銀髪じゃないと思う。お父様の血筋なら、多分私みたいに黒髪になるか、茶髪だと思う。お母様の血筋だとすれば、金髪だと思うけれど、金髪の人と銀髪の人が結婚したらどっちになるんだろうか?
そっちの優性遺伝子がわからない。
可能性高いのはパーマだと思うんだよなぁ。
これで、どっちとも違えば、乙女ゲームの世界じゃない可能性もワンチャン……?
いや、それならそれで、なんのループなんだよってなるわけなのだが。
まぁ明日、会ってみりゃわかる、か。
その前に、どうやって対応するかだよなぁ……
普通に接すると、絶対舐められるし……いや、もう、いいか。
……最期に、お父様もお母様も、私を信じてくれたわけだから。
まぁそうか。シンデレラだって悪役令嬢だって、継子をいじめる話なわけだ。だけど私はどうしたってあんまりにも日前での人生が祟って、実子だろうが私という人間は親に愛されないと思い込んでいた。世間様の思うように、弟妹の方が可愛いんだろうってね。
そりゃあんだけ可愛げがないって言われてりゃ誰だってそうなるってもんでしょ?
「……だからいい。試してみよう。とにかく、さっさと終わらせたい。もう十分生きたから、早く……」
今度こそ、私が私のありのままに生きたなら、やっぱり両親は弟を選ぶのかもしれない。実子である私よりも、継子の方がやっぱり可愛いってなるかもしれない。
そういう最悪なシナリオを用意されてたっておかしくない。最後にハッピーを勝ち取るのは、素直な子だ。私みたいにひねくれた人間じゃない。
この世界でも両親に嫌われて、お前みたいな性格の人間は実子だろうと嫌われるんだ思い知ったかと、ざまぁされれば終わるのかもしれない。
勉強ができても努力家でも、媚びることを覚えても人に優しくしても関係なく、上手に他人に甘えられる子が、親の自尊心を擽る子が、一番幸せなんだってわからせられるためのループかもね。
……ヘドが出るわ。
糞食らえだそんなもん。
もういい。どうなったって知るもんか。
やっぱりそうだったとしても、できないもんはできない。真似したって真似でしかない。
コピーはオリジナルに敵わない。
改良を続けたコピーはオリジナルに勝るだろう。けれどその時にはオリジナルは新しい物を生み出している。
天才と秀才の違いだ。
どんなに頑張っても絶対音感は後からでは授かれない。相対音感しか手に入らない。
愛される才能だって天賦だ。
転生した主人公たちが幸せを手に入れられるのは、その子達の魅力だ。そして前世で得た知識を細かく覚えていて更に活かせる才能。
私にはそれがない。記憶力は確かに一定の条件下で異常に良い部分があるけれど、文字通り学問にしか使ってこなかった上に私には応用力もない。
小中学校でいじめられていた私には、逃げ場のない学校というものを義務教育化しようとする気力もない。絶対に踏み躙られる人間は出てくる。私が唯一いじめられなかったのは高校だが、あれは完全に学力別のクラス編成で常に一番上のクラスにいたからだ。結構振り切れている人間が多くて、強制力もなく、いろんな意味で緩くて、体育会系のノリがないから足手纏いを責める雰囲気もなく、それでも適度なやる気はあるので、学祭とかで賞をかっぱらってきた。多分いい意味で個人主義だったのだ。全員一丸となって、というよりは、得意なものを得意な人がそれぞれやる形だった。そんなちょっと特殊な環境でなければいじめられるような人間。
料理スキルもなければ掃除の手際よさもない。ガッツもなければ魅力もない。特別な才能も何もない。あるのはお母様とお父様からもらったこの見た目だけだ。
前世と――日前と何一つ変わっちゃいない、捻くれたままのこの性格。
カルマとかいうものがあるとしたら、間違いなく家族関係だろうし。
やってやろうじゃないの。
今の私が思う最高の”可愛がり方”というのをしてやろうじゃないか。
どうせ何やったって失敗するんだ。
今回でいい加減ループを抜けたいところではあるが、どっちに転ぶかは神のみぞ知るだ。
当たるも八卦当たらぬも八卦。
ちょっと違うか。
今まで読んだ乙女ゲームをベースにした物語では、弟との関係だって大事だった。
彼女たちのようにはできないが、私は私のできる最善を尽くすしかない。
吉と出るか凶と出るか、勝負。
……オッズの高そうな賭けだなぁ……あはは、はぁ……まぁいいや。何やっても負けるのは慣れてるしね……
明けて翌日。
「……初めまして、マリー様」
あ、ダメだこれ。ムカつく。
開始1秒で私の忍耐は跡形もなく崩れ去った。
年下のくせに名前呼び捨てする奴だった。いや、この子じゃない。日前のクズが。
「お・ね・え・さ・ま」
「え」
「次に名前を呼んだら殺す」
ざわっとした。一瞬で周りがザワッと。
それもそのはず。こんな喋り方どころか、その単語は口にしたことすらない。今世では。ただの一回も。
独り言でも口にしてなかったはずだ。
だけど私は笑顔を崩さない。なんでもかんでも腹に溜め込んで捻くれたまま死んだ私の恨みを晴らして成仏するためには、弟と名のつく者との関係をなんとかするしかない。
「返事は?」
基本的に無視してきた存在だが、これでちゃんとお姉様と呼ばなかったらほっぺた叩こう。軽く。今まで人を傷つけることなんて文字通り死んでもできなかったが、この積年の恨みがあればいけるかもしれない。
泣かれても知るか。
「へ・ん・じ。呼べないのなら、ここで一生のお別れ」
悪役令嬢っぽい? 今更気にするか。ここは譲れない。最初が肝心だ。これにも頷かないようなガキなら、はなから仲良くなんて絶対無理。
目を見開いたまま固まっている義弟を笑顔のまま見つめること数分――
「あー……公爵。申し訳ありません。私の口調がうつってしまったようで。騎士団には様々な身分の者がおります。多少荒っぽい口調で付き合うこともありまして。その、荒っぽい歓迎の方を。きっとマリー様はされ――」
と、いきなり口を挟んだのは護衛その2。
「旦那様。申し訳ありません。私が、この男に、不用意にお嬢様に近づくな、殺すと初対面で申し上げました。お嬢様の身近にいる人間として、不適切な発言でした。お許しください」
と、それを遮って発言したのが護衛その1。
いやちょっと待ってあなたたちそんな話一度もしてな――
「か、家政婦長、あの」
「奥様、メイドに発言の許可をいただけますか」
「ええ、もちろんよ」
「奥様、家政婦長、ありがとうございます。あの、私、先生がお嬢様に不用意に触れたときに、あの、ちょっとイラっとして、物騒なことを思いました。時々思い出して、イラっとして、もしかしたら口走ってたかもしれません。お嬢様はそれを耳にしちゃった、いえ、されたのかもしれません。私の落ち度です。お嬢様は悪くありません」
――ってちょっと待って何これ泣く。
泣くから。
やめて。
なんで今。
「私がいなくなればマリー様の口調も治るはずです。責任は私に」
どうして。この人は私を殺す側の人だ。なんでそれなのにどうして、日前でどんなに欲しくても手に入らなかった味方、庇ってくれる人、どうしてこの人がそれになるの。
「この男がいなくなれば私も二度とそんな発言はしません」
って、ちょっとそれは酷い……
「あの、……私は頑張って口走らないようにします。休日返上しますから、お嬢様のお世話はどうか私に続けさせていただけませんでしょうか……」
ってちょっと待って断固阻止フラグ!!
「違っ」
と、口にしようとした所で、お父様の笑い声が響いた。
「マリー」
「は、はい」
「マリーがこの子を弟として迎え入れようとしてくれたことは、よくわかったよ。マルクス君。君はマリーの護衛を辞めたい?」
「いいえ。お許しいただけるなら変わらずお仕え致したく思います」
「マリーが話した言葉が、本当に君の発言を真似たものなら、マリーがこんなことを話したんだっていうことは、それと一緒に話してくれるんだよね?」
「……私が口外することはあり得ません。ですがもちろんです。仮に……そうですね。親しい友人に酒を飲んで話すとしても、私の悪い口癖がお嬢様に少しうつったようだが、すぐに治ってしまったと話すでしょうね」
「違えたら?」
「――」
――待って待って何何なの何の話なのこれ、なんかやばい話になってる気がする。
「ねぇあなた」
「うん? ――あっ、……ご、ごめんねマリー。急に変な話を始めてしまって。大丈夫だよ、君が気に入っているなら、お父様は何も言わないよ」
「マリー、お父様はちょっと今おうちにいることを忘れていたみたいなの。私たちもお父様のことは忘れてしまおうかしら?」
「えっ、嘘だよね?」
「ねぇマリー、どうしましょうか?」
「えっ」
「あっ、もちろん、マリーがそのままで良いっていうなら、護衛もメイドも今まで通りだよ。罰もなしにするし、マリーのことも怒ってないよ。あとは――」
「あのぅ」
すごく心許ない声がした。ごめん今まで存在忘れてた。っていうか私の怒りと積年の恨みを吹っ飛ばした使用人と家族すげーな。
「マリー姉様……じゃなくてお姉様! ごめんなさい、今のノーカンでお願いします!!」
ノーカン? 今この子ノーカンつった?
「いや……うん」
「お姉様、よろしくお願いします。僕、弟として認めてもらえて嬉しいです」
にっこり笑ったその顔は、多分天使の笑顔とでも言われるのだろうが、私はこっそり心の中で舌を出した。
ってか何それ。弟として認めてって。認めるも何も義弟なんでしょうが。ばかなの?
いやでも、逆に空気読んでくれてありがと。収拾ついてなかったし。
「敬語やめたら殴る」
「……」
ポカンとした顔を見て、また物言いが良くなかったことに気付いた。
「……あの、僕一応、これでも、貴族の生まれなので、家長でなければ家族に敬語を使わなければならない、というのは、知っています。でも、教えてくださってありがとうございます。お姉様、優しくて安心しました」
――さてはこいつ、頭ん中お花畑野郎だな?
妹がこのタイプだと、実は腹ん中真っ黒で、後々「お姉さまはどうして私のこといじめるんですかー」とかお涙頂戴……男でもありそうだな。
まぁどうにでもなれ。知るか。
「それから。私に触ったら許さない。すぐに殺す。……お母様、お父様。私、気分が悪いので失礼します」
もうこれ以上顔見てたら何を言い出すか自分でもわからないし、とりあえず最低限のことは言った!
あとはもう良いや。もう疲れた。
三度ぽかんとしている義弟の横をすり抜け、自室への廊下を歩く道中、護衛その2が口を開けた。
「……マリー様? マリー様って実はツンデレ?」
……は?
いや、は、じゃないわ! 謝んなきゃ! あとお礼!!
「あ……あの……申し訳ありませんでした。さっきは、その、……頭に血が上って、つい」
「あー……まぁ。可愛い坊ちゃんでしたね。でも、マリー様は殿下の婚約者ですから、やめてくださいね」
「……あれってやっぱり可愛いんですね」
「私にはお嬢様の方が可愛く見えます」
「私もお嬢様の方が何倍も可愛いですよ。殿方はああいったふわふわした巻き毛を好む方が多いですけど、私からしたらお嬢様のサラツヤストレートの黒髪は垂涎です!」
思わず笑ってしまう。
そういや、ヒロインの髪型は、……
まぁいいや。
庇ってくれたことへのお礼を言った。
三人とも、笑顔を返してくれた。
私のせいであわや懲戒処分になりかけたのに。本当に優しい。あの頃どんなに望んでも決して与えられなかった優しい大人。
「マリー、良いかな?」
「お父様。もちろんです」
机からテーブルへ移動して、お父様を迎える。
……お説教かなぁ……
お父様が怒ったところは見たことがなかったから、今優しい笑顔をしているとはいえ、わからない。笑顔で怒る人も中にはいるし。
「さっきはごめんね」
あれそれ私のセリフ……?
「アイザック君のおかげで、少し耐性ができたかなと思ったんだけど、まだ早かった」
……ああ、そうか。
そうだった。私が男嫌いだと思ってるんだ。合ってるけど。
「それでもマリーなりに、歓迎してくれて、ありがとう」
「……いえ。……すみません、でした」
「うん。あの子には、私からも、マリーに触れないように説明しておいたから、きっと大丈夫だよ。もし違えるようなら、養子は取り消すから安心して良い」
「え」
「他の子を当たるよ。女の子にして、婿をもらうでも良い」
「いえっ、そ……」
そのほうが、私は嬉しい。ありがたい。弟に関しては本当に心の底から欲しくないが、妹だったらマシだ。
だけど、一度親元から引き離されて、またそこに戻されるって、誰の心にも角が立つだろう。何よりどういう事情か知らないが、捨てられたと思っているだろう子供側にとっては、絶対しこりが残る。
猫の子じゃないんだから、元あった場所に戻してきなさいとか、そんなのは……あれはただの子供だ。弟じゃない。ただの子供。
……ただの小さい子供だとしたら、そんなのは、見捨てられない。後味が悪すぎる。
それに今、お父様は、私を選んでくれたのだ。本当に、悪役令嬢の親らしい、ちょっとお前それでも人間かと言われかねない発言だったけれども。
だったら、少しは……我慢できる。
――また我慢するの? 私が我慢すれば丸く収まるって、いつもそうやって生きてきて、顧みられず便利屋扱いされてきたのに? 私が殴られとけば良いみたいな扱いだったのに? 私が盾になるのをやめたらあっさり離婚するって言い出したような奴らのために? また私が犠牲になるの?
――ええいっ、うるさい!!
もう良い加減やめたいんだよ! 惨めなのはウンザリだから!
どうせ裏切られるさでも!
何回も繰り返してきたんだ、一回くらいは親を信じて行動してみたいんだよ!
だから黙ってろ!
頭の中の声を無理やり捩じ伏せて、私は口を開いた。
「……それは、あの子が望むなら、親元を離れたくないというなら、それで良いです。でも、そうでないなら、あの子も傷つきます。私は、絶対に触られたくないです。だから、触られたらなんて考えたくもありません。だから、護衛のお二人が、絶対守ってくれると信じています」
お父様は笑顔になった。
「マリーは優しい自慢の子供だよ。でも、良いのかい? 一人、忘れてるよ」
「え?」
お父様が顔を向ける方へ視線をやると。
「違っ、違うんです! 二人は護衛だから! だからです!」
絶望的な顔でエプロンを握りしめているメイドがいた。
「信用してます。いてくれないと私何もできません。さっきもありがとうございました。結婚するまでずっと私のメイドでいてください。……嫌でなければ」
すると顔が真っ青に。えっ、嫌だった!?
「……わ、私は、王宮には上がれませんか?」
「マリーが望めば可能だよ。マリー?」
「え、あ……私は、あの、私の結婚じゃなくて」
「ああ。彼女が結婚するまで、という意味だったのかな?」
お父様が微笑んで言うのに、頷くと、突然びっくりするような声でびっくりすることを言われた。
「わ、私結婚しません!」
なんでっ!?
私みたいな男嫌いならともかく!?
「おやおや」
お父様が笑いながら言う。
「我が家には産休制度も育休制度もあるよ。君が望むなら、結婚した後も働いてくれて構わない。ね、マリー?」
当然とばかりに頷いておく。
「そ、そのあ、間は、私が……休んでる間は、誰がお嬢様を見るんですか?」
「ふむ。そうだね。後任を考えないといけないね。マリー?」
……そうか。そうなるよね。新しい人か……私、こんな性格だからなぁ。もう、やだなぁ……
「お嬢様……!」
感極まったような声に、慌てて顔を上げる。
「大丈夫です。私はずっとお側におりますよ」
なんだかよくわからないが、それは嬉しい。ありがたい。この上なく。私の傍迷惑なテンションの乱高下にも動じず、人好きのしない性格にも関わらずよくしてくれるような人は、本当に貴重だ。
そして誰にも言われたことのないその科白は単純に嬉しかった。そうでなくても、人に庇われるという初めての体験をしたばかりの私の涙腺はもう限界だった。
目の前のメイドが目を見開く。
急に立ち上がってドアを閉めるお父様。
何その謎の行動。
呆気に取られてお父様の方を見ると、
「何か掴んでないとマリーを抱きしめちゃうからドアノブ持ってる」
なんだそれは。
「それと、……こんな所をあの子が見たら……」
ちなみにお父様用語であの子はお母様だ。
「我々一同の命はない」
それに息を飲む使用人3名。
私はそれに、耐えられず笑い出してしまった。
四人の表情が明るくなる。
「そりゃ大変だ。一発芸でもしますかね」
「品のない真似をするな」
「お嬢様、私たちを助けてください」
「マリー、お父様を見捨てないでくれ」
小芝居はしばらく続き、おかげで私の涙はすぐに乾いた。代わりに笑いすぎてちょっとお腹が痛い。
慰められるのは苦手だった。余計に泣けて来るから。だから、こうやって私が笑えるように芝居掛かった言い方をしてくれた。お父様も、メイドも、護衛の二人も。私をわかってくれているのが嬉しかった。それに乗ってくれるのも。笑いながら謝ってお礼を言った。
日前では親の前で泣くなんて、怒られるし、負けたみたいで嫌だった。あの頃は決してしなかったし、出来なかったこと。
本当に、私が、あんな最悪の家族の元に生まれた経験さえなかったら、一家の主にして大貴族のお父様がドアノブを後ろ手で掴んでいるという謎の状況を作り出させることもなく、泣いた子供を抱きしめてあやすその背中に手を回して心置き無く甘えられたのにと、少し残念に思った。




