* 五里霧中 2
女性使用人一同に嫌われているらしい俺の友人の心配を余所に、俺はわりかし女性使用人ともうまくやれていた。
あいつがあんまりお嬢様に好意的な態度を隠さないもんだから、俺はなるべくあいつとお嬢様の接触を減らすように立ち回っている。
それが女性使用人一同やりたくてもできなかったことらしく、俺がお嬢様を名前で呼ぶのはマイナス、あいつの邪魔をするのはプラス、結果プラマイゼロってわけだ。
なんかあいつをダシにしてるみたいで悪い気もするが。
ま、元はと言えばあいつも悪いんだよな。使用人の不始末は主人の評判を下げる。お嬢様があいつを嫌っているならともかく、そうでないなら現状、彼女たちができることと言えば、あいつの行き過ぎた言動をお嬢様が気づかないように、遠回しに止めることくらいだ。虫がいたことにして壁を殴るしかない。
その点、騎士団所属の俺は都合が良い。それに大抵のことは友人だから何とでもなる。
直接口を挟もうが不興を買ってクビになるなんてこともない。その上、男である俺は元々お嬢様の好感度minimumレベルだ。これ以上下がりようがない。
そんな俺は、自分の特性を使って公爵家でのあいつの立ち位置をそれとなく調べていた。
お嬢様の懐きっぷりはわかっているからそこは心配していない。……まぁ、本来の子供の懐くレベルとは随分乖離しているが、初対面の俺を見て硬直した時縋ったのがあいつなんだから、一定の信頼を得ているのは間違いない。
——溺れる者は藁をも摑む感が凄かったが。
だから俺が知りたかったのは、使用人と公爵夫妻だ。
お嬢様付きのメイドは、最初はあいつに好意的だったらしい。まぁあいつの見た目はかなり良いから、そりゃ当然だろう。女性なら十人中十人が好感を持つ見た目だ。問題はやっぱり頭を撫でたことだったらしい。
曰く、お嬢様はなんと、極度のくすぐったがりだそうで、相手が男じゃなくても触られるのは苦手だとか。だから物心ついた時には、身の回りのことはほぼ自分でやっていて、髪の手入れなんかも、どうしても治らない部分だけ、メイドが手直しする形だったそうだ。
それを、男のあいつがあっさり触ったもんだから、そりゃあもう腹が立ったと。
「それに、お嬢様でなくても、女性は髪に触れられるのは嫌なものです」
「そうなんすか?」
「貴婦人方はヘアセットに並々ならぬ熱意をお持ちですから。ヘアセットが崩れるのは歓迎しません。たとえ意中の殿方でも。そうでないなら尚更です」
「……参考になります」
「ふふ。それに、お嬢様は違いますが、見た目ほど触り心地もよくありませんよ。固定剤を使っていればベタベタすることもありますし、パサパサしていることもあります」
「へー……お嬢様は違うんすか?」
「ええ。お嬢様はあまり、こう、髪を固めるのがお好きではないようで。私でも触れられるのは僅かですけど、とても触り心地が良いんですよ。本当は私が一から十までして差し上げたいんですけど。あ、触り心地がいいからって、触るのはダメですよ。そんなことしたら、先生と同じですからね?」
最後はわかりやすく怒った顔をして見せるメイドに、俺は肩を竦めて笑って見せた。
「わかってますって。俺はどちらかと言うとあなたの髪に触りたいですね」
「まぁ」
ころころと笑うのは、ハナから相手にされてないってことだ。さすがは公爵家と言ったところか。
お嬢様がくすぐったがりといういうのを、あいつは知っているのだろうか。もし知らないなら、その方が良いかもしれない。心配になるだろうから、あいつには黙っておこう。
くすぐったがりな子を擽る、嫌がる相手の様子を見て楽しむ悪癖持ちと言うのは、結構男に多いものだ。それもいわゆる少年に多い。お嬢様は一人っ子で、公爵夫妻は一人娘の言いなりだから良いとして、問題はスクールか。いや、スクールに上がる年齢になってまでその悪癖が治らないまでも公爵令嬢に対して抑えることのできない、程度の低いのはいないと思いたいが。
マリー様とアイザックでは身分が結構違うが、嫌という程からかわれたあいつは、基本的に人間の特に子供の分別に期待しない部分がある。
……マリー様を前にした殿下はアイザックの嫌う子供そのものだからなぁ……あいつが護衛じゃなくて家庭教師で良かった。
普通のご令嬢は、母親についてやれ観劇だ茶会だと忙しいもんだが、ここのお嬢様はただただひたすらに勉強して本を読んで行儀作法の修練をしての繰り返しだ。一人娘に大層甘いと言う前評判を知らなければ、義務ばかり押し付けて、娘自身には関心がないのかと心配になるくらいだった。
読書は好きなようだが、お嬢様は基本的に物事への興味関心が薄いような気がする。夫人は必ずお嬢様を誘うが、お嬢様は毎回すまなそうな笑顔を浮かべて断る。その顔に夫人は慌てて「いいのよ、あなたの好きにしていて。そうね、お母様も今日は一緒におうちにいようかしら」というのを、執事と公爵が慌てて止める。時々は「そうだね」ともいうが、外せない外出でも夫人はそう言ってしまうようだった。
一番驚いたのは、執事の「なりません!」という大音声と、公爵の「流石に王妃殿下を袖にするのはちょっとまずいよ」という困り顔だった。
ちょっとまずいどころの話ではない。正しくは極め付けにまずい。まずいの最上級だ。
いくら公爵夫人といえど、いやだからこそ、妃殿下を蔑ろにしたなんてことになれば、序列を乱すどころの騒ぎではない。
だから本気で言ったわけではないと思う。執事と公爵が止めるまでが暗黙のルーティンでワンセットなのだろう。そういうことにしておきたい。
このくらい外出に消極的なら、スクールに上がるまで、自制の効かない年齢の子供と付き合う機会もないだろう。安心っちゃ安心だが、免疫のなさが気になる。
殿下の態度は、まぁ好きな子を前にした不器用な男のわかりやすい見本みたいなもんだ。だからあいつを虫扱いする女性使用人一同も、微笑ましく見守っている。
何より、お嬢様はあまり殿下の振る舞いに動じない。初対面の俺を前にあんなに怯えたお嬢様が、殿下の暴言と怒鳴り声には、多少肩を跳ねさせることもあるが、基本的に怯えの色はなかった。
俺の何がそんなに怖かったのか、結構地味にショックなんだが。
まぁそれはさておき、何より殿下とお嬢様の間には悲しい誤解が生じているので、使用人一同、おそれながら若干憐れみの情が沸いているのもあり、殿下の暴挙は今のところ見逃されている。
とはいえ、普通に考えればあの態度は論外だし、あれがお嬢様に標準と思われたら、流石に将来が心配過ぎる。
あいつは女性使用人一同には嫌われているようだが、意外にも公爵には好意的に見られているらしい。
その理由が、「アイザック君で耐性がつけば、いつか私が頭を撫でても自然に受け入れてくれる日がくるかもしれない」と言うのだから、同情の涙を禁じ得ない。
言われてみれば、公爵もどちらかといえば中性的な顔立ちだ。お嬢様のお父上なだけあって、相当な美形。その公爵が弱々しく微笑みながらそんな涙ぐましいことを言うもんだから、女性使用人はアイザックをつまみ出したくても我慢するしかなかったらしい。
察するに、アイザックへの怒りの何割かは、使用人にも優しいってんで大人気の公爵でさえ、お嬢様に触れるのは遠慮しているのに、赤の他人がよくもまぁ、というのもあったんじゃなかろうか。
それにしても公爵、前評判と実際の雰囲気が大分違う。というか、城で見かけた時とは顔つきが違う。ウチとソトを完全に分けるタイプの人間かもな。
ある日、外出にも観劇にも茶会にも全く興味のないお嬢様が、乗馬をしたいと言い出した。俺も隣にいたルディも、付き添っていたメイドも驚きに目を見張った。
ついでメイドは泣きそうになっていた。優等生を地で行くお嬢様を心配していたのは友人だけではなかったらしい。乗馬とはいささかお転婆だと止められるかと思ったが、何も言わなかった。後で公爵夫妻が止めるかもしれないが、横乗りならまぁ……嗜みと言えなくもない。
今の俺の相棒であるルディという女は、寡黙だった。俺がおしゃべりなだけかもしれないが、お嬢様とも必要最低限しか話さない。話しかければ答えてくれるが、能動的に話しかけてはこない。応答も首を振るか頷くかだ。
それでも、お嬢様を見る目はいつも優しいし、アイザックを見る目はいつも凍えているしで、存外表情に出るということがわかった。
歩き方からわかるが、腕が立つのは間違いない。敏捷性を犠牲にしない筋肉の付け方をしている。見た目で侮ってかかると痛い目を見るタイプだ。
乗馬も得意な方だろう。
……母上を思い出してちょっと肝が冷える。
高位貴族というのは、何か一つ芸術に秀でているものが多い。
小さい頃からあらゆる芸術科目の講師をつけて、基礎的な教養を学ぶ。そのあとは適性があるものを学んでいく。
ちなみに俺は、芸術関連の才能はまとめて母親の腹の中においてきたらしい。歌も楽器も絵もまるで才能がなかった。ま、騎士団に入ってしまえば関係ない。その分身体を動かす才能には恵まれたから、欲を言っちゃいけない。
アイザックはまぁ……何やらせても天才だからな……
お嬢様の母上、夫人は確か、詩歌音曲の名手だった。
お嬢様の芸術科目は俺の友人の担当じゃない。
俺が護衛について初めの芸術科目は声楽だった。お嬢様はちょっと気分が沈んでいた。
お嬢様はあまり話さないが、表情豊かだから結構わかりやすい。
「歌、苦手ですか?」
「……芸術関連は全部苦手です」
「そうなんすか?」
「いいえ! お嬢様は芸術の神の祝福を受けています!」
話に割り込んだのはメイドだ。相棒も頷いている。
「あはは……ありがとう」
いかにも「お世辞どうも」みたいな顔だった。
子供を煽ててやる気を出させるってのは定番っちゃ定番だが、お嬢様はちょっと大人びてるから不発だな。
……と、思っていたのだが。
――月並みな表現だが、天使の歌声だ。
「お嬢様、すごいっすね」
教師はそれでも文句があるようで、なんだかんだと指導をしていたが、ぶっちゃけ俺のような音楽に見放された人間にとっては、そのまんまで十分完成された歌に聞こえる。
「……芸術は努力より才能がものを言いますからね」
どこか諦念の滲む声に、驚いた。
傲慢とも取れる発言だが、公爵家の子供といえばこのくらいが当たり前か。
「音感に至ってはどんなに努力しても手に入らない部分というのはあります……何回注意されても出だしの音はぴったり当てられません。耳に入っても頭の中に分類する鍵盤がないんです」
「はぁ……?」
「これが勉強だったらいくらでも覚えられます。十回繰り返せば大抵の教科書は暗記できます。でも音は十回聞いても記憶に留めておけな……すみません」
「へ?」
「あの、……すみません。先生……あの、アイザック先生が優しいので、つい、言い訳を」
「はぁ?」
「あの、つい、先生みたいに」
ん? ああ、アイザックの友達だから俺にも気が緩んだとかそういう……?
おおっとぉ? これは……マセガキではないって判断したけど、もしやワンチャン……?
いや、違うか。これで顔が赤くなっているならアイザックにもワンチャンあるかもだけど、青くなっていた。
「……申し訳ありません」
「いやいや、何謝ってんすか? アイザックが優しいのはあいつ聞けば喜ぶと思いますよ? 別に言い訳も何も、愚痴とか八つ当たりだってメイドや護衛は基本的にされて当たり前っていうか」
「違います!」
「へ、」
「あ、すみません。あの、……して、ましたか、私」
メイドとルディがそれぞれ首と手を振りまくる。
「……八つ当たりされるのは絶対嫌なので、したくないんです。そこまで甘え始めたら、ちゃんと言ってください。先生にも、伝えてくれますか」
「いいですけど……」
「すみません。自分で言います」
「いやー、それはやめといてやって欲しいです」
「……厚かましいですか」
「逆ですよ。多分あいつは、甘えてほしいと思ってるんで」
「私も思ってますよお嬢様!」
「八つ当たりなら私に。お嬢様にならどれほど叩かれても構いませんので」
……おおい、寡黙な美人だと思ってたら、まさかの特殊性癖持ちかよ。
お嬢様はドン引くでもなく、控えめに笑っていた。
あ、冗談なのかこれ。真顔だからわかりにくい。
そういや、お嬢様は癇癪を起こさないな。子供なのに。
俺があれだけ注意されたら舌の一つも出したもんだが、沈んだ表情で「はい」と頷いていた。
落ち込みはするものの、使用人に話しかけられればこうやって笑顔を見せる。
この日の夜、お嬢様が寝た後、お嬢様付きのメイドから、一つだけ注意を受けた。
――お嬢様は、時折、ごく稀にですが、突然涙を流すことがあります。気づいても決して声をかけないでください。
子供が泣いてんのに無視するなんて普通じゃない。それに、突然泣き出すなんてもっと普通じゃない。仰天する俺に、メイドは若干の苛立ちを含ませた声で続けた。
「お嬢様はいつも声を上げずに泣くの。体を震わせることもなくて、顔を見なければ気づかないわ。それはね、気づいて欲しくないからだと思うの。私も初めて気づいた時はびっくりしたわ。慌てて声をかけた。どこか痛いんですか、大丈夫ですか、何があったんですかって。お嬢様は、ずっと『ごめんなさい』って謝り続ける。声を震わせたりもしなくて、本当に、目だけが壊れたみたいに涙を流して……理由はわからないけれど、お嬢様は何も悪くないのに、謝らせないであげて」
それは多分、使用人ならではの言葉だ。雇い主が悪くても謝らなくてはならない場面は多い。それは若ければ屈辱的だし、老いればきっと虚しい。俺は笑う。ハラの中で。俺が笑えるのは、その気になれば殺せるし、懐いてくれてる殿下に告げ口することもできるし、友人に頼んで物理的に消してもらうことだってできるし、と思えるからだ。もちろんやらないが。
だけど普通は腹の中にいっぱい溜めるか、あとで泣いて喚いて解消するかだ。
だから、このメイドの子は悪くもないのに謝るお嬢様に感情移入して、きっとそう思うのだろう。
けど、ちょっと大人びた子供ってのは、無理して「なんでもない、大丈夫」って言うもんだろう。
気づいて欲しくなくて声を出さないで泣くっていうのは、気づかれると謝るっていうのは、
――泣けばうるさいと、誰かに言われたからじゃないのか?
大人は、いろいろ溜まった鬱憤を晴らす術を知っている。酒を飲む、女を抱く、葉巻を吸う。
女だったら買い物やお喋り、観劇だろうか。
子供は、そもそも溜めない。大声を出す、泣き喚く、癇癪を起こす。
お嬢様は一体どうやってやり過ごしているのだろうか。
子供が泣くのを放っておくなんて、普通じゃないと思った。
けれど、それさえもしなくなったら、その自由さえ奪われたら、お嬢様の心は壊れてしまう。
あのメイドの子の苛立ちは、わかっていてもどうにもできない自分への苛立ちかもしれなかった。
普通の子にするように、抱きしめて背を撫でてあげることも、お嬢様にはできない。
――ああ、そうか。
それが、できるかもしれないのが、あいつだから、余計に腹が立つのか。
ずっとお嬢様が小さい頃から一緒にいて、側で見ていたメイドでも護衛でもなくて、ただの家庭教師のあいつだから。




