私の戸惑いと、おそらく二人目の攻略対象について。
「あれは……」
「ああ、公爵家の馬車ですね。乗っているのは公爵と夫人です」
――というのが、出会いだ!
と、断言されて、私の頭の中に浮かんだのは当然。
――マ、マザコンっ!
い、いや違うか、熟女好き? いやいやいや、あれか、保母さんが好きーとかいうあれか。
まぁ、男の子も女の子も、保育士さんやパパママと結婚するっていうのが普通みたいなところがあるらしいから……普通に育った人にとって、それは普通なんだろう。
てことは、何か? この男は、憧れの人に似たこの顔が好きで? 本人と結婚するのは無理だから、娘の私で手を打とうと? それのせいで? 私の性格がどうだろうと知ったこっちゃなく、毎度毎度婚約してきたと? そ、そういうわけか?
が、合点がいったわ……
観賞用としては価値があるんだろう、多分この顔は……
まぁぶっちゃけ、おそらく乙女ゲームのこの世界には、私の価値基準からすると、系統は違えど美男美女しか存在しないのだけれども……
はいみなさんこんにちは。もしかしたら悪役令嬢に転生しちゃったかもしれない(しかもループしてる気がする)私、現実逃避に入ります。
あれから、先生との授業は普通に再開された。先生はまたローブみたいな服を着てくれていて、髪も下ろしてくれていた。めちゃくちゃ気負っていた私は、へにゃっとその場に崩折れそうになってしまったが、根性で膝を入れ直した。
手紙の返信はすぐに来た。突然お休みしてしまって申し訳ありませんという内容に、先生の授業は好きですという煽ても入れてみた。いや本心だけど。日前でも基本的に私は嫌いな授業というのがほとんどなかった。体育くらいか。苦手な教科はあったけれども、苦手と嫌いは違う。それに、先生の授業は工夫されてる。躓きやすいところは、わかりやすく。小説とかでそうやって教えてる先生は知っていたけど、実際に実物持って来る先生は初めてなんで驚いた。というか、この世界に苺のショートケーキがあることに驚いた。確かショートケーキって日本オリジナルってどこかで読んだ記憶がある。いや、まぁ……ほんとに乙女ゲームっぽいんだよなその辺……和洋折衷半端ないもん。
閑話休題。
まだ子供だということで許されるだろうと思って、必要最小限のことしか書いていない私の手紙に、先生は丁寧な返事をくれた。体調を気遣い、私の拙い煽てもとい褒め言葉を喜んでくれて、これからも仲良く(仲良く?)、末永くよろしくお願いします、といった内容が冗長にならない範囲で丁寧に書かれていた。
正直、ホッとしたというか、ちょっと泣いた。ほんとに、できることなら、このままずっと優しい先生でいて欲しい。
仲良く、という文面には疑問符が浮かんだものの、相手は私だ。そう子供。もともと私は先生に世間一般で言うところの母親に対するイメージのようなものを抱いていたし、それに先生が気づいていたのなら、もしかしたら先生の私に対する思いはどっちかって言うと先生というより保育士さんのものに近いのかもしれない。だったら自然な文章だ。
というかむしろ私の本心。
その手紙で安心していたとはいえ、先生が今まで通りの服装で、心配そうにしながらも優しい笑顔で現れてくれた時、本当に嬉しかった。
私がもうちょっと明るい、天然ぽいタイプの女の子だったら、そのまま抱きついてハグしたかったくらいだ。まぁそういうのはヒロインに譲る。
そんな心温まる日々を過ごしていた私に、突如降りかかった災難、それがこの婚約者の襲来です。
ええもう、強制力とか何や彼やで諦めていたけど、また婚約者です。
先生と違って、寸分違わぬ同じ見た目だったおかげで、すぐわかった。ああいや、断罪の時と同じって意味じゃありませんよもちろん。十年後と同じ見た目だったらビビるわ。どんな化け物よ。
この年齢のこの子と同じ見た目で、当然同じ名前から、わかった。
先生の一件を経て、御前会議中断の悪夢を再現しないため、意地で悲鳴を飲み込み、若干震えながらも深呼吸をし、接客業で培って来た愛想笑いを総動員して、顔合わせを終え、そして婚約者としてご指名くれやがった後の、訪問。
今までと異なる点は私の態度。全てに対して不良モードの時はもちろん、相手が誰だろうと知ったこっちゃないとばかりに、わがまま放題を貫いていたので、こちらの婚約者様は基本静かなものだった。家で良い子ちゃん全開にするから代わりに家以外では不良モードだった時も、以下同文。というかどんな時も以下同文だった。基本、私はこの子に対して酷い態度だったから、そりゃ当然なのだけれども……
今回、私が普通にしていたら……、ええ、つまり、本来の私はあんまりおしゃべりじゃない。だから、この子も静かなんだし、沈黙の時間が続くのか、さあ耐久レースの始まり始まり、窓の外の流れる雲でもみようか、それとも手入れの行き届いた庭園の様子を楽しもうかと窓に目をやりいかほど経った頃でしょうか。
突如、この婚約者様は、私のお母様についてベラベラ話し始めて、今に至る。
どうもこのお坊ちゃんは、美しいお母様に一目惚れしたらしい。
「だからお前のことがすごく好きとかそんなんじゃないからな!」
だそうだ。
そんな顔真っ赤にして怒って怒鳴らなくても、そんなおめでたい頭してませんよ。
ていうか、今の私のどこらへんに、「この子私が好きなんだわ、ふふん」感があったのか聞きたい。
あなたに嫌われても大して私は傷つきませんが。ぶっちゃけこの世で私が嫌われてめっちゃ傷つくとしたら、家族と使用人、あと私を救ってくれた先生だけですけど?
「はい。あの……次は、お母様のご予定を聞いておきますね。お母様の都合が合えば、ご一緒していただきます」
「は?」
道ならぬ恋に身を窶されては困るが、この子はきっと大丈夫だろう。結婚しているお母様を、権力でどうこうしようなんて考えずに、ちゃんと諦めて娘の私を選んでいる。
それなら、お母様のファンは大歓迎だ。お母様は社交的な人で、お茶会を楽しそうに切り盛りしているから、きっと私みたいに、できるだけ知り合いと家族とだけ過ごしたい、交友関係広げたくない、ぶっちゃけ家族とだけ過ごして行きたい、なんてことは考えないはず。
一応、本人に嫌じゃないか聞いてみて、だけど。
「あの……私も、お母様が、いらした方が、その……落ち着きますから。殿下も、その方がよろしいでしょう?」
私の提案に、黙すること数分。ボンっと音が出そうなほど、顔を真っ赤にして殿下は怒った。
「ば、違う!」
「……っ」
あ、しまった。言い方が悪かった。もしかして、お母さんと一緒じゃないと怖いよーえーんみたいに聞こえたか? やばい。どうしよう。怖い。
「あの、すみません、あの……違うんです。殿下のお母様という意味ではなく、私の母と一緒の方がという意味でして」
「わかっている!」
ならどうして怒るんですか!? 怖いんだけど私が泣きそうだよ! 怒鳴り声怖い! もうやだ!
ってああもう待て待て落ち着け、精神年齢何十歳よ私は。子供の癇癪にいちいちビビるんじゃない。いずれ殺されるけど、今のこの子はただの子供! いやただのじゃないけど、少なくともどんな酷い態度をとっても、断罪の日までは殺されなかったんだから!
「なんでそうなるんだ!?」
ですよね私が聞きたい。って、違うか。
ええと、そう、何を怒って……?
深呼吸だ。まだ殺されない。この子は別に、全くもって言葉が通じなかった、思い通りにならないとすぐ怒鳴りだす怪物みたいな日前の家族じゃない。
……はずだ。うん。基本的にすぐ怒鳴るような人間は大嫌いだ。だけど、普通の人間は、意味もなく怒鳴ったりしない。まぁ怒鳴る人間はそこそこいるかもしれないが、いきなり殴ったり蹴ったりしてくる人間は、そりゃあもう少ないはずだ。あの両親だって、他人を殴ったり蹴ったりはしなかったはずだ。落ち着け。大丈夫。殺されない。殴られない。……それに乙女ゲームの世界なら、ヒーローになるだろう攻略対象たちは、女の子に手をあげたりしないはずだ。
って悪役令嬢はその例外っ!! 剣で切られたり魔法で吹っ飛ばされたりして殺された悪役令嬢の話読んだことあるな!?
いやいやいや待て待て待て。例外は例外でも、本当に暴力的なやつはヒーローになれんだろ。ヤンデレだって愛があるからで、なかったらただの人間失格。そう。大丈夫。私は悪役令嬢かもしれんが、殺されるまでまだ間がある。
おっけー、大丈夫、落ち着いてきた。
ひとしきり頭の中で喚き立てて、落ち着いてきた私の頭に、天啓のように閃くものが。
……あ、そうか。この子はもしかしたら、ツンデレという属性なのかもしれない。
だとすれば、なるほど。照れ隠しか。
「……あの、大丈夫ですよ。あくまで、母には、私が不安だから、一緒に出て欲しいとお願いします。殿下がそうされたいからとは言いません」
「だから違う!」
はいはい、大丈夫ですよ。権力を振りかざして強要したとか、思われたくないんですよね。でも会いたいんですよね。
そう思ったら、もう怖くない。
「……あの、ちゃんと、機会を作れるよう、頑張ってみますね」
理由は違うが、先生が不当解雇されないように、私は手紙を出したりした。でもこの子は、その立場上、手紙を出したりできないんだ。私の立場なら「お願い」や「煽て」の一環で済むことも、この人はその立場上、命令や召喚になってしまう。
「大丈夫、です。ちゃんとお母様の意思も確認しますから」
そういうと、顔を手で覆ってしまった。
喜んでくれてるのかな? わからないが、とりあえず、控えめにお願いしてみよう。子煩悩な両親は、大抵のお願いに二つ返事で了承してしまう。意思の確認は結構難しいけれど、なんとか知恵を働かせよう。
「このたびは、ご婚約おめでとうございます」
「……ありがとう、ございます」
表情に出たのか、一応お礼を言ったのに、先生が苦笑した。
「あぁ……あまり乗り気ではないようですね」
「……その、えっと」
「あの、誰にも言いませんよ。誓って」
少しだけいたずらっぽく笑ってくれる先生に、私もちょっと笑う。
「……はい。……気が重い、です」
眼鏡の奥の目が、優しく細められた。
窘められるかと思ったけど、先生は否定しなかった。
「よく、頑張りましたね」
……あぁ、やばい、泣きそ……
心理的距離を置こうと決意したが、やっぱり沁みるものは沁みる。
頑張ったね、の一言に呆れるほど喜んでしまうのは、むしろ大人かもしれない。大人はあんまり褒められないし、褒める側に回るし、頑張って当たり前みたいになってくるわけで。
けれど、子供の頃からそうやって言われることのなかった私は、もうほんとに、馬鹿みたいにその言葉に弱い。攻略対象側だったら、ウィークポイントとかキーワードに「頑張りましたね」とか書かれちゃうくらいにころっといってしまう。
「誰にも言いませんから、私には本音も教えてくださいね。あまり我慢していると、自分でも自分の心が何を思っているのか、そのうちわからなくなってしまいます」
先生が自分の胸に手を置いて、優しい声でそう言う。
先生は、あれかな。カウンセラーみたいな部分もあるのかな。
そういえば、私は、何をしたいのかがずっとわからなかった。こうしたほうがいいというのを基準にずっと動いていて、休みの日は好きなことをしようと思っても、もうひたすらただ寝たい、何もしたくない、それしか浮かばなくなっていた。
高校の担任の先生が、疲れたときは、欲しい物を数えてみると良いですよ、とホームルームで話していた。疲れすぎると、あまり浮かばなくなります。そうなったらまずいと思ってください。
ちょうどあの頃は、母が足を捻挫して、家事分担がいつもより更に増えて、母の仕事場まで行って荷物持ちをしたりもしていて、八つ当たりで怒られることも多くて、睡眠不足がやばくなっていたし、普通に試験も近いし宿題多いし結構追い詰められていた。
気づいてくれてたのかなぁなんて、ちょっと思ったけれど、あれは多分、親が離婚したという子のために言ったんだろう。昔からなぜか、結構重めの話をポツリポツリとクラスメイトからされることが多かった。
根が恨みがましい私は、私だってしんどいと、ちょっと思いもしたが、どうしんどいのか、いつだって話す勇気はなかった。だからひたすら、私が言って欲しい言葉を、かけていた。
大変だね。辛いよね。……心の整理もつかないのに、学校も来て、勉強もして、部活もして、すごいよ。頑張ってるね。でも、あんまり頑張りすぎちゃダメだよ。きっと、ご両親もあなたが苦しむの、辛いと思うから。だってすっごくいい子だもん。聞くしかできないけど、グチならいくらでも聞くから言ってね。
「……ほんとは、人の顔とか、覚えるの、すごく苦手なんです。……だから、怖いです。逃げたい」
「え?」
先生が驚いた顔をする。
しまった、本音を言えと言われたからつい言ってしまったが、これは私と同じ社交辞令だったパターンか!?
「……すみません、忘れてください」
「いえ、あの、謝らなくて良いんですよ。……覚えるの、苦手なんですか?」
「……はい」
そもそも顔の見分けがあんまりつかないこと、だから顔と名前が一致しにくいこと、名前も、音の高低で頭に残るから、固有名詞は母音が同じものと間違えやすかったり、二番目と三番目の文字がひっくり返って覚えてしまったりしていたことを話した。
先生はなんだか考え込んでいるような顔をしている。
……しまったああああああああああ!!!
これ日前の! 話! 顔が覚えにくいのは現在進行形だが、流石に日前乙前含めて数十年、日本語喋ってるのに、固有名詞覚えにくいはもうない! あらかたパターンが掴めたから! それを補うためにも、小説いっぱい読んで来たから!
なんというべきかわからずに、あわあわしていると、それに気づいた先生が、ふわっと優しく笑った。
……頭を、撫でられた。
そうっと。
驚きすぎて、自分でも目が大きくなったのがわかった。
「あっ!」
先生が、パッと手を離す。
「す、すみません、つい。失礼なことを」
「……い、いえ。大丈夫、です」
驚いたのは。
頭を撫でられたことじゃなくて、っていやそれもすっごい驚いたけれども。
どちらかと言えば、頭を撫でられて、嫌悪感がわかなかったことだ。
たまに同級生に頭を撫でられることがあったが、ばかにされてるような、下に見られてるような感じがして、顔では笑いつつ内心腹が立ったことを覚えている。それに、女性は腹が立つで済むけれど、男が触ってくれば、死に物狂いで相手を攻撃しようとするくらいの、嫌悪感が先に立つ。もう我慢とかできるものじゃない。こいつ殺してやるくらいの勢いだ。幸い、社会に出てからは対人関係に恵まれていた私は、そんな目に合わずにいたが、転生1回目、相手が全て女性だろうとも、突然裸に触られそうになったときの、あの怒りと恐怖と嫌悪感ははっきり覚えている。
だから自分に驚いた。
先生も、つい、と言っていたことから、ご自分の行動に驚かれているのだろう。私たちは互いに互いを見つめたまま、しばしほけーっとしていたらしい。
それは、ゴンッとか、ドンっとか、なんとも形容しがたい音が響き渡るまで続いた。
「ひっ」
「……申し訳ありません、お嬢様」
「る、ルディ……?」
音のした方を悲鳴を押しつぶしつつ振り向けば、壁に拳を突き立てている護衛と、おっかなびっくり護衛の名前を呼ぶメイドがいた。
「目障りな虫がいましたので」
「む……?」
え、叩き殺したんですか? 素手で? いや籠手みたいなの嵌めてるけども……
それでも無理だ。私は虫全般苦手で、たとえ蝶だろうがなんだろうがすぐ逃げ出す。ティッシュ越しでも蚊の死骸も掴めないというダメさ加減だ。
爬虫類と両生類は平気なんだけど。
「あ、あの、て、手を」
「なんともありません」
「あの、洗いに」
「申し訳ありません。息の根を止めたかったのですが」
と、取り逃がしたのか。
いや、まぁそれなら、良いんだけど……
そうですか、と言おうとした瞬間、メイドが堪えかねたように吹き出した。
うん。笑い出した。なぜだ。
「す、……すみません、お嬢様。でも本当に、急に目障りになったので、私も摘み出したいと思っていたんです。どうかルディをお許しください」
「い、いえ、あの、怒ってませんし、痛くないなら良いんですけど……」
すっごい音したし、本当に痛くないんだろうか。
というか、そんな目障りな虫ってどんな虫なの?
この世界万歳な点は、虫がほとんどいないことなんだけど……
どうかその虫が私の前に現れませんように、と願いつつ前を向くと、ちょっと血の気の引いた顔の先生がいた。
あれ、先生も虫ダメなんだ。
ちょっと親近感湧くな。




