まだオッサン
初作品なのに連載という無謀な事に挑戦中。お手柔らかにお願いします
俺は今、埋まっている。
何に?雲に。
自分で言ってて意味が分からない。
だが、雲に埋まってるとしか言い様がない。
上を見れば空、横を見ても空。
俺が埋まってる部分は真っ白だが、ちょっと離れたグレーの部分が、時々光ってゴロゴロ言う。
痛くはないがたまにピリピリする。
頭、肩、腕以外の胸から下がズッポリと白く柔らかで、しっとりとした何かに埋まっている。
例えるなら、固いマシュマロだろうか。
何とか抜け出そうと、腕を使って体を持ち上げたり、叩いたり、体を揺すったりしたが、一向に抜け出せない。
そのうち、疲れてグッタリしてきた。
経緯を振り返ってみよう。
俺、五木恵太、42歳、両親は10年前に他界。
2歳下に双子の妹、その5歳下に3人の弟が年子で続く。
住んでたのはド田舎、つうか山ん中。
うちはけっこう大きな農家だった。
祖父母は俺が小学生の頃に他界。
祖父母、両親と兄弟6人、賑やかに暮らしてた。
両親とじいちゃんは、朝から晩まで畑や田んぼや山にいて、子供達の世話はばあちゃんがみていた。
長男の俺は、じいちゃんについてって、山を歩き回り、ばあちゃんに家事を仕込まれた。
小学生の高学年になった頃、俺達の住んでた村が、ダム建設の候補地になった。
八割年寄りの村は、抵抗する術無く、受け入れるしか無かった。
ダム建設は、民間企業と合同で、何かの研究所を作るとかで、通常の土地代と移籍補償金?とかより、少し多目の金額を貰えたらしい。
当時小学生の俺は、その辺は詳しくは知らないが、その多目の金額が、俺達の移住先を下の町と言われる、山裾の町への移住を困難にした。
多目の金額を貰えたのだからと、下の町の地主が、土地代を跳ね上げたのだ。
多目の金額と言っても、何倍も貰えた訳ではない、仕事も一から探さないといけない、田畑は先ず、作物に合った土を作り、種を蒔き、収穫までにもそれなりに時間がかかる。
そんな事情で、下の町への移住は取り止め、地方都市の郊外に家と土地を買い、移住する事になった。
諸々の手続きがすんで、さて、引っ越しの準備に取り掛かるか、と言う時じいちゃんが、慣れ親しんだ山の崖から落ちて死んだ。
それを聞いたばあちゃんが、心臓発作で後を追うように死んだ。
いくら仲の良い夫婦だからって、二人揃って逝く事は無いだろう、と葬式では村中が哀しんだ。
哀しんでいても、引っ越しの期限は決まっている。
引っ越しの日、俺は両親の許可をもらい、山で一番大きい木の根本に、じいちゃんとばあちゃんの骨の一部を埋めた。
山ん中から比べれば、地方都市は十分都会で、最初は戸惑うことばかり。
だがそこは、学校一の暴れん坊と、初日にガチバトル。
妹を馬鹿にされては、兄ちゃんは黙ってられません。
暴れん坊と言えど、所詮都会ッ子、日々山を駆け回った俺の敵ではない。
泣くまでボコボコにしてやったら、なぜかなつかれ、友達に。
その後は、とても平和に過ごせた。
父親は、農家生まれ農家育ち、それ以外の仕事などしたことがなく、それでも家族のために、工場で働き出した。
元いた家の10分の1に満たない家の庭に、ささやかな菜園を作り、自分を納得させているようだったが、プロの農家の作る菜園、そりゃ素人の作る菜園とはレベルが違う。
近所の奥様方で話題になり、習いたいと複数の申し出があり、母からの勧めで、工場の休みの日だけなら、と、カルチャースクールの講師になった。
時代が良かったのか、引退後の趣味として、家計の助けとして、家庭菜園教室は大変盛況になり、工場を辞め、講師一本でも、生活が出来るまでになった。
かたちは違うとは言え、父親は農家で生活が出来る事を、とても喜んだ。
母親は、結婚前は会社勤めをしていたので、馴染むのにそれ程時間はかからなかった。
が、パートを始めたはずなのに、いつの間にか、社員になり、課長になり、部長にまでなった。
遣り甲斐のある仕事を手に入れた両親は、家庭を顧みなくなった。
と言うよりも、ばぁちゃんが生きてた頃は、ほぼ全ての家事を、ばあちゃんと俺がやっていたので、家事を自分達でやると言う意識が、スコーンと抜けていたらしい。
だが、いくら周りがしっかり者の長男と誉めちぎろうと、中学生の俺が、5人の子供の面倒を十全にみられるわけもなく、生活は荒れ始め、毎日帰りの遅い両親に、心配した近所のおばちゃんが児童相談所に通報して、虐待の心配はされなかったものの、危うく放置児童認定を受けそうになった。
そこで漸く、家事、育児の全てを長男に丸投げしていたと気付いた両親に、泣いて謝られた。
猛省した両親は、家事、育児に積極的に参加しようとしたが、元々ばあちゃんに育てられ、その後はずっと俺が面倒をみていたせいで、我が子にどう接して良いかわからずに、ただただ甘やかす両親と俺の間で、喧嘩が絶えなかった。
ばあちゃん仕込みで、可愛い弟妹のため家事に勤しんできた俺の家事スキルは、両親よりも、はるかに高い。
それにも関わらず、俺から家事を取り上げて「お前は好きな事をしなさい」などと言って、中学生のこづかいには多すぎる金額を渡して来た。
俺はグレかけた。
まぁ、過干渉の両親に、双子の妹がぶちギレ、保育園に通っていた末っ子が、母の料理で謎の蕁麻疹を発症したので、家族会議の結果、両親は、時間のあるときにだけ[俺の手伝いをする]と言うしょーもない結論に至った。
弟妹の世話に追われ、両親の手伝いと言う名の邪魔にもめげず、中学高校時代を過ごして、大学受験。
東京の大学と、近隣の大学かで悩む俺に、両親は、自分達の今までの不甲斐なさを謝りながら、東京の大学への進学を勧めた。
その様子を見ていた弟妹にも、今度は自分達が頑張る!と言う言葉に後押しされ、東京の大学に進学を決めた。
家事スキルは、バイトにはとても役立った。
俺が家を出た途端、家が荒れたと何度かヘルプコールが来たが、妹達に確認すると、サボりたいだけだからほっとけと一蹴された。
母からのヘルプコールも妹達に蹴り跳ばされた。
大学2年の終わり、妹から結婚の知らせが来た。授かり婚だった。
「高校は?」
と聞くと、
「卒業までは全力でごまかす!」
と返ってきた。
高校卒業後の4月に、身内だけで式を挙げた。
夏の終わりには、双子の甥っ子ができた。
わが妹は、逞しいと感心した。
もう一人の妹は進学した。
大学を卒業し、そのまま東京の食品会社に就職した。
就職した年の梅雨、妹から結婚の知らせが来た。またもや授かり婚。
式は挙げないらしく、ウェディングドレスの写真だけ届いた。
冬の始め、双子の甥っ子が増えた。
その後、幾つかの部署に異動になり、彼女が出来て、別れてを繰り返したが、結婚の話にはならなかった。
妹に愚痴をこぼすと、自分より家事の出来る男は嫌!と言われた。
社会人10年目、両親の事故の知らせ、急いで病院に駆けつける。
孫も小学校に通っていて、中々遊びに来られなくなって、仕事も落ち着いてきた両親は、二人で旅行に行くのを趣味にしていた。
旅行先からの帰りの車で事故にあった。
酔っぱらい運転の車が突っ込んで来たらしい。
病院に着いた時、両親は意識があって、集まった子供達、孫達に笑顔を見せた。
その夜、二人揃って亡くなった。
最後の言葉は「ありがとう」だった。
葬式、親戚への挨拶、相続など忙しく一息つけたのは、亡くなってから一月たってからだった。
一人になって初めて泣いた。
社会人15年目、弟達から結婚の知らせが来た。
同時期に付き合い出した3人の弟達は、互いに相手を紹介し合ううち、彼女達が意気投合、どうせなら、同時に式を挙げよう!と言うことになって、秋に盛大な式を挙げた。
翌年3人の甥っ子が増えた。
三つ子のようにそっくりだった。
就職18年目、課長補佐に昇進した。
同僚の中では遅めの昇進だった。
それでも周りに祝われて、とても嬉しかった。
所属する企画2課に、新しく配属されて来たのが、小学校からの親友?悪友?の三栗谷助で驚いた。
中途採用で入社したらしい。
助とは度々呑みに行き、色々な趣味を楽しみ、たまに甥っ子達の顔を見に行き構い倒した。
今に思えば、あの頃が俺の人生のピークだった。
5ヶ月前、やたらと若い課長が来た。
社長の三男らしい。
仕事の全く出来ない男だった。
出来ないなりに、大人しくしてれば、誰も文句は無かったが、誰が呼んだか、ボンボン課長、隣の企画1課の俺と同期の主任に恋に堕ちた。
彼女は何を勘違いしたのか、自分を物凄い美人と思い込んでいた。
腰まで届きそうな長い髪、化粧は濃く、ぱっつんぱっつんのスーツに身を包み、無駄に尻を振って歩く、そんな彼女を、去年の新人は、ボンレスハムと称し、それが周りに広まって、ボンレス主任と影で呼ばれた。
そんな彼女のドコニ?とは誰もが持つ疑問。
ボンボン課長はボンレス主任の気を引こうと、色々なアプローチをしたが、ボンレス主任は、焦らすのがイイ女!とでも考えているのか、中々二人の仲は進展しなかった。
そんな中、ボンレス主任が目を付けたのは、うちの課の若手社員が提出した企画書だった。
いつもなら俺に提出される企画書を、ボンボン課長に提出した。
放置された企画書に目を見つけたボンレス主任は、甘えた声でボンボン課長にねだって企画書を持ち帰り、自分の企画として会議に提出した。
若手社員がそれは自分の企画だと訴えたが、ボンボン課長は見ていないし、俺も提出されたことさえ知らなかったので、庇いようがなく、うやむやになった。
結局、企画は通らなかった。
初めてボンレス主任に甘えられた、ボンボン課長は、何を思ったか、ボンレス主任の仕事を引き受け出した。
ボンボン課長は、仕事の出来ない男。
最初は自分なりに、頑張っていたが、一向に進まない仕事に、ボンレス主任がイライラし出すと、ボンボン課長は慌てて仕事を俺達に丸投げしてきた。
当然そんな仕事を俺達が受けるはずもなく、突き返すと、ボンボン課長は親の権力を使い出した。
社長は立派な人だった。
有能、敏腕の言葉に相応しい、婿養子にも関わらず、前社長に会社の全権を任される、とても仕事の出来る男だった。
そんな立派な社長なら、この理不尽な仕事の丸投げを、咎めてくれると信じていた。
期待は踏みにじられた。
社長は、仕事は出来るが、息子を甘やかすことしか出来ないバカ親だった。
理不尽な仕事は、ろくに理由も聞かれずに、俺達に丸投げされた。
悲しいサラリーマンの性、上にやれと言われれば、やらない訳にいかず、自分達の仕事で精一杯なのに更に増えた仕事で、連日の残業、休日出勤が続いた。
せめて女子社員は帰そうと、仕事を引き受けた俺を、三栗谷が助けてくれていた。
にも関わらず、調子に乗ったボンボン課長とボンレス主任は、更に仕事を引き受けて、最後の三ヶ月は、一日22時間労働、家に帰る暇さえ無くなり、近所のサウナでシャワーと束の間の仮眠を取るだけの日々。
全員が、限界を感じていた。夜9時、
「あら~ん、皆まだ帰らないんですか~?まだ仕事終わってないって、遅すぎません?」
「ほんと、こいつらにはウンザリだよ、仕事は遅いし、文句は多い、無能なんだから、言われた事を黙ってやればいいのに、こんなやつらに給料払ってる親父って、ほんと立派………」
今さっきまで、イチャついてましたって爛れた格好で現れた、ボンボン課長とボンレス主任の二人に、誰が一番最初に切れたのか、
「ふざけんな!これは全部テメーらの仕事だろうが!丸投げしといてふざけたこと言いやがって、仕事が遅いのも、出来ないのもテメーらだろうが!」
「そーだそーだ、親の権力使って、女に取り入ることしか出来ない無能の癖に、人様に文句言うとか、どんだけ屑だよ!あと、女の趣味最悪!!」
「そーそー、自分のこと、どんだけイイ女と思ってんのか知らないけど、あんたそのあっつい化粧取ったらブスだから!豊満ボディーとか言ってるけど、肥満だから!ちょっと太いとか言うと、セクハラとか騒ぐけど、あんたらがやってんのが、立派なパワハラだから!!」
あふれるように止まらない不満は、限界の体にとても堪えて、皆ゼーゼー肩で息をしている。
突然、全員に怒鳴られて驚き、文句の内容に怒りで言葉の出ない二人に、
「と、言う訳で、我々はあなた達に都合よく使われるのに限界を感じ、これ以上耐えることは出来ないので、あなた方が心から謝罪し、態度を改めるまで、会社を休ませて頂きます。
休養後、労働基準局にも訴えさせて頂きますので、そちらもよろしく。
では、お疲れ様でした!」
言葉と同時に皆に目配せすると、全員に満面の笑みを返され、全員一緒に立ち上がり、やりかけの仕事をほうりだし会社を後にした。
最寄の駅で、それぞれに肩を叩き合い、無言で別れる。
電車内は、それ程混んでいなかったので、空いた席で仮眠を取る。
自然と目が覚めたのは、いつもの駅、限界近く疲れていても、体が覚えていたことに感心する。
駅を出て、ふらつきながらゆっくり歩く。
家に帰れるのは、何日ぶりだろうかと思い出す。
たぶん二ヶ月半ぶり位。
家まで残り2分、ゆっくりと歩道橋を上ると、男女3人が揉めていた。
怒鳴り合う男2人の話によれば、どっちが女の本命なのかを争っている。
男2人に取り合いされる程にイイ女なのかと、仮眠のせいでちょっと余裕が生まれたのがいけなかった。
一目見て、これはダメだと思った。
歳は16、7歳、近所のアホで有名な高校の制服を着た、女子高生、顔は可愛い部類かもしれないが、その表情が最悪だった。
2人の男に奪い合われる自分に、完全に酔っている。
口元を、優越感でニマニマと歪めるばかりで、一向に2人を止める様子がない。
関わり合いになりたくないと、ちょっと離れて通り過ぎた。
その時、背中を誰かにひっぱられる感触がして、何事?と振り向けば、怒鳴り合いから揉み合いになった2人の男に、突き飛ばされた女が、俺の背負っていたリュックを鷲掴んでいたのだ。
場所は歩道橋、階段のすぐそば、元々フラついていた俺が支えられるはずもなく、女と2人、階段下へと転がり落ちた。
痛みは感じなかった。
ただ、体の中から温かいものが抜けていく感じがして、酷く寒かった。
俺は意識を手放した。