第五話 惨めで屈辱的な決闘
件の冒険団の団長さんによる一見して公明で、その実立場や場所を考えれば中々にえげつない窮追を経て執り行われることになった決闘により、トウトウ村では夜闇の帳が嘘のような活気が沸き上がっていた。
(まるでお祭りだね)
先の決闘宣言までは燃料の節約もあってか必要最低限に留められていた照明の類にもこれでもかと油がくべられて、これから行われるであろう私刑という名の娯楽を欠片も漏らすことなく白日の下に晒そうとしている。
街灯を取り囲む人々が漏らす騒めきは期待と好奇そしてそれ以上の薄暗い愉悦に色付けられて、漣の様に寄せては返し、その昂ぶりと共に次第に音を大きくしている。
(ま、当然か)
そんな村人達の振る舞いを見た僕は一人肩を竦めた。
いくらダンジョンというお財布があったとしても、立地に難のある村落じゃ娯楽の拡充にも常にリスクが付き纏う。そんな村落にとり、突如降って湧いた人気冒険者による決闘。それも仔細は分からないがどうやら悪いのは相手の方で、この決闘はそれに対する応報らしいとくれば、それは最早現実に飛び出てきた活劇譚と言って良いだろう。
まあ、この程度の代物に胸躍らせるくらい禁欲的な生活をしているっていうことは、逆説的に村の経営が堅実かつ健全ってことの証左なのかもしれないけど。
(それはそれとして……)
つらつらと蛇足の方へ傾いていた思考を引っ張り直して、正対した件の冒険者の方へと意識を向ける。
陽気で快活そうな雰囲気と人好きのする気風の良さそうな美貌に、クルクルと変わる豊かな表情。
“静”と”動”で言えば間違いなく”動”のパーソナルとは裏腹に、スッと通った背筋とピタリと座った腰つき。その鍛えられた体幹から繰り出される一挙手一投足は大仰で流麗ながら、ノイズとなるブレは欠片たりとも伺わせない。間違いなく、一門の実力者のそれだった。
一見、村の頼れる姉後肌といった塩梅の人物像から滲み出る歴戦の所作は、見る者を惹き付ける確かな魅力に溢れている。まあ要するに、
「始める前に、改めて名乗らせてもらうわね? 私の名前はミロ。ミロ・フロンティア。昨日の夜、あなたが暴力を振るった冒険団の団長を務めているわ。流石にあの子達の怪我も見過ごせないものだったし、それ以上にその暴力の矛先を村の人達に向けさせるわけにもいかないの。だから、同じ冒険者の先輩として、私があなたと遊んであげるわね!」
―なあ、昨日の夜って一体何があったんだ?―
―知らねえのか? ミロさんの前に立ってるクソ野郎が昨日の夜に酒場でいきなり暴れたんだよ―
―そうよ! そのせいでパブ様もソカロ様も大けがをさせられたのよ!?―
―そんな!? ひどい!?―
―それで、ミロさんがあの野郎と戦うことにしたんだよ。それも、態々決闘なんて形にしてやってまで―
―相手の名誉まで守ってやるってか。っかぁ流石だなあ!―
―いよっ! 流石トウトウ村一の冒険者!―
―おいおい。そんな観客気分じゃ困るぜ。俺達はいわば立会人。ミロさんの決闘を見届ける義務があるんだ!―
―そうそう。あの野郎が汚い手を使わねぇか、きっちり見張らねぇと―
―あ、そうよね。きちんと見ておかなかったら、あの冒険者が何をするか分からないもの―
―いよっし! そういうことならきっちり見張らせてもらうぜ! そいつには汚ねぇことは絶対にさせねぇぞ!―
―そうだそうだ!!―
この村に居る限り、こうして衆目の前で宣言をすれば、忽ち周りの全員を味方につけることが出来る訳だ。
長剣という空間的制限のあるダンジョンにおいてはやや取りまわしに難のある武器を軽々と抜き放つ、金髪頭をした美貌の女騎士。まるで寓話の一片から飛び出してきた様な彼女は単なるカリスマというだけでなく、最早一つの信仰対象ですらあるのだろう。初めは人伝で聞いただけの決闘の大義が、彼女の口を通すだけで厳然たる事実へと書き換えられていく。その前提となる話を無視して。……まあ、初めから期待してないけどさ。
(ん?)
“戦闘技術だけでなく煽動技術にも優れる”と、脳内で目の前の冒険者のプロフィールに付け加えていた僕は、野次や怒号、そして侮蔑と嘲笑の最中にふと背中の方から強い視線を感じて後ろを振り返ってみた。
「……」
違和感の先を辿ってみれば、今しがた出てきたばかりの宿の二階で荷造りをしていたサルバが憤怒と激情を浮かべて剥き出しにした白い牙を広場の人間達に向けていた。ふむ……、
無理はしないで切り上げるから、ちゃんと荷造りしておいて
意図が残らず伝わったかは分からなかったけど、僕のジェスチャーに軽く頷いたらしいサルバの白い顔が軽く踊って、薄暗い窓の奥へと消える。
「ちょっと、どこを見ているのかしら?」
と、そんなやりとりをしている間に見得を切り終えたらしい女冒険者に今度は引っ張られる。んー……、
「別に何も」
包み隠さず答える訳には当然いかず、さりとて仮初の事情をでっちあげるのも面倒だった僕は適当にそう答えた。が、
「……ふーん、そういうことね」
何をどう曲解したのか、目の前の冒険者はなぜか妙に意味ありげな視線と共に合点がいったとでも言うように深く頷いた。……んー?
「なんでうちの子達にあんな暴力を振るったのか疑問だったんだけど、今のでよく分かったわ。彼女に良いところを見せたかったんでしょ?」
「は?」
なんか、訳の分からないことを言い始めた。というか、全然違うんだけど。
「ふふっ、そう考えたらちょっとかわいいじゃない。好きな子にどうアピールをすればいいか分からなかったのかしら? あ、隠さなくっても良いわよ。誰だって、誰かに恋をするものだもの♪」
突如ぶっ放された的外れな妄言に絶句する僕の前で、したり顔のままさらに言葉を重ねる女冒険者は最早的外れを通り越した純粋な捏造を始めやがった。っていうか、サルバは彼女じゃなくて彼だし。
「自分よりランクが上のリーダーの気を引きたいと思った……いえ、ちょっとかっこいいところを見せたいと思ったあなたは、私のパーティーメンバーにあらぬ言いがかりをつけて暴力を振るった……そんなところね?」
降って湧いた様な理不尽極まりない名誉棄損に本気でこのまま斬りかかることを検討し始めた僕を前に、当の張本人は「見栄を張りたいってだけで暴力的に振舞うのは、男の子にはありがちよねぇ……」という前代未聞の暴言と共に呆れ混じりに苦笑を浮かべる。しかも、ごく当然の様に事の発端だったパーティーメンバーによるサルバへのナンパをただの言いがかりってことにしたし。
―信じられない!! 男っていつもそう!!―
―パーティーのリーダーに良い恰好するためだけにパブ様達にあんなことをしたなんて! これだからパブ様達以外の男は嫌なのよ!!―
―暴力を見せびらかしたら女が靡くと思ってるのかしら!? 普通にドン引きよ!!―
―何とか言ったらどうなのよ!!!―
―決闘なんて良いから、さっさと責任取りなさいよ!!!!―
―そうよ! 責任取りなさいよ!!!―
(うーん、この)
目の前の女冒険者が行った煽動により、“責任”の大合唱を始める観衆達。まあ、ちょろいね。
そもそもがその場に居なかった人間の一声で、同じくその場に居なかった人間がシュプレヒコールを繰り返すという割とあるあるな光景の中でチラッと事の発端になった人物に目を向ければ、どこか余裕ありげと言うべきか、全面に出ない程度にではあるものの、分かりやすく勝ち誇った表情を浮かべている。
(ま、そうなるよね)
そんな女冒険者の意図を理解して、僕も内心で頷く。
怒声を張り上げる観衆をざっと見渡せば、その表情には最初にあった理不尽な暴力への怒りとも違う、一種の昂揚感が浮かんでいる。ま、人間は気持ちよくリンチするのが大好きな生き物だからね。
当初の義憤を火種にして、“些細な悪事も見逃さない”という心理状況を段階的に“こいつには何をしても自分達が正義”というところまで引き上げた、目の前の冒険者の見事な煽動術の成果がこの光景だった。こうなると目の前の彼女は多少の”ズル”をしたとしても”正義”の名の下に見逃されるし、何なら観衆の方がもっとやれと煽り立てる可能性すらある。対する僕は呼吸をするだけですら非難の対象だろう。ま、つまりは、
(いつも通りってことだね)
ごく当たり前の結論に内心で肩を竦めながら、鼻先で繰り広げられる面倒な茶番を切り上げるために片刃剣を引き抜くと、周囲の歓声に晒されて心地良さげに微笑を浮かべていた女冒険者が「あら?」とでも言うように、少しだけ両目を大きくする。
「話がそれで全部ならさっさと始めません? 時間ももったいないですし」
―おいおい正気か!? こんだけ言われて、まだミロさんとやる気かよ!?―
―ぷっ、ちょ、だめ、おなか痛い―
―身の程知らずもここまで来るといっそ哀れだな―
当然一拍遅れで観衆から明確な侮蔑の言葉が吹き出てくるけど、まあこれもいつものこと。
目の前の敵に切っ先を向けながら、一度息を吐ききって肺の中を新鮮な空気で満たし直す。整った呼吸はいつも通り。鼓動も異常なし。観客が居るのは珍しいけれど、居たら居たで敵役が僕なのは日常茶飯事。よって、何も戸惑う必要はない。
「そうね、そろそろ始めましょうか」
相対する、ミロと名乗った女冒険者は一瞬虚を突かれたような雰囲気を見せるも、すぐに頷いて自信たっぷりに長剣を構え直す。
観衆の怒号と歓声が綯交ぜになって、ようやく夜闇に濡れた片田舎での決闘が開始されたのだった。
◆
臨戦態勢に入った敵を前に、まずは一当て距離を詰める。
(うん、見事な殺気)
果たして僕の片刃剣の先があるラインを越えた瞬間、目の前の女冒険者の殺気が薪をくべられた火球のようにぶわりと膨れ上がった。どうやら、ここら辺が彼女の射程距離ということらしい。
(これ以上、半歩でも進んだら斬られるね……!)
この威力偵察の結果に凡その見当をつけながら息を吸った瞬間、ズイッと間合いを詰めた目の前の冒険者が「はあああああああああああ!!!!」という裂帛の気合と共に大上段に振りかぶった長剣を叩き付けてきた。
(やっぱりそう来たか)
当初の予定通り吸息を半ばで切り上げた僕が呼息と共に斜めに振り下ろされた剣筋に片刃剣合わせると、すり上げた僕の刃先が皮一枚に食い込むかどうかのその瞬間、
「くっ!?!?」
喉仏の分、爪一枚ほど間合いの遠い細首を捻って頸椎を狙った突きを回避する。空を切り、中空に浮かぶ白刃。直後、
「このっ!」
僕の諸手突きによって中断された一撃を、手元を引き戻す様にして再開する件の彼女。中途半端な位置からの斬撃でも十分に人を殺せる威力を持っているのは人間の膂力として考えれば見事なものだけど、立ち位置や体勢といった不利を覆すほどの威力を持っている訳でもない。
「ふっ」
諸手突きの形となった片刃剣を引き寄せてそのまま真下に振り切れば、そこには逃がしたばかりの獲物が無防備な姿を晒している。
元より万全な体勢で直下に振り下ろされれば、その剣筋には明確な遅速が現れる。少なくとも、ここまでの有利があって速度比べに負けるほど僕も弱くはない。
「「!」」
案の定、明確となった剣先の速度。
「このっ!!」
「っとと」
けれど、そこからのリカバリーは目の前の女冒険者さんの方が早かった。速度比べに間に合わないと見るや斬撃への注力を即座に切り上げて太刀筋を流れるままにすると、代わりに大きく一歩踏み込んできたのだった。
乱雑で力任せなだけの踏み込みは、けれど間違いなく死中に活を求めるための一歩で、その一歩が、僕との剣撃の交錯を紙一重で上回った。
「ぐっ」
一瞬彼女の姿が目の前から掻き消え、直後に鳩尾からドンッと全身に伝播する鈍い一撃。
(体当たりか)
一拍置いて肺の中の空気を一滴残らず搾り取られたのは、僕の脳髄が状況を理解するのとほぼ同時のことだった。
初手の吸息を半ばで切り上げたことによる歪がここに響いて来た。
「っ」
追撃、切り返しともに不可能と判断した僕は、一先ず纏わり付いた彼女の身体を捌く方に意識を傾ける。下手に後ろへと飛び退っては直前の体当たりで勢いを増した彼女に今度は先手を取られると判断して独楽のように身を捻ると、下の女冒険者の方も逆らう気は無いのか流れのままに走って大きく間合いを取ったのだた。
「……ふぅ」
その呼気はどちらの物だったのだろうか? あるいは、僕でも彼女でもなく、周りの誰かの物だったのかもしれない。ただ、直前の交戦が一段落してくすんだ金色の乱れ髪を手櫛で整える彼女の姿は絵面だけ見れば色気に満ちていて、その細部まで作りこまれた美貌に周りの誰かがコクリと唾を飲んだ音がやけに大きく響いたのだった。
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?!?」」」」」
「「「「「きゃああああああああああああああああああ!!!!」」」」」
直後、ドッと沸き上がった歓声は男女の別なく黄色い色を帯びていた。否応なく高まる周囲の興奮。それはとても、
(都合が良いね)
既に、観衆の声は喝采を通り越して絶叫の域にまで達していて、明らかに場の熱気に浮かされて決闘の空気に酔っていた。そんな彼らにとっての主役はあくまでも目の前の女冒険者であって、僕やサルバは肴どころか添え物の切れ端が良いところだろう。逆に言えば、このまま彼女に村から叩き出されたとしても、彼らの記憶に残るのは威風堂々とした姿で無礼者を追い立てる主役という構図であって、僕やサルバそのものにはならないはずだ。
(と、なると)
後はどうやって上手く負けるかだけなんだけど……、
(流石にこの状態から一方的に叩きのめされるのは不自然だしね)
“それなりの実力者。けれど、彼女の敵ではなかった”と思ってくれるのが理想かな。欲を言えば出来るだけ記憶に残らない十把一絡げな冒険者と見られるのが理想だけど、そのためには……
「くっ!?」
一先ず、努めて力を込めて不格好に見えるように片刃剣を握り締める。表情に浮かべるのは気負いと焦燥。先の攻防が唯一の手札であり、周到に用意された実力以上の一撃だったのだと察されるように。
次いで、呼吸が完全に整うより半拍早く足を送る。なるべく気負いと焦りから気が急いていると見える様に。
「!」
(よし、引っかかった)
果たして、僕の送り足を見た目の前の冒険者は、自信の方に勝機が一気に近付いてきたのを悟った様で、そうなることを期待していた僕がようやく察せられる程度に薄く口の端に笑みを浮かべる。けれど、僕がその笑みを無視してさらに距離を詰めると今度こそ勝利を確信したのか満面の笑みを浮かべたのだった。
「! はあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
その笑みに、一瞬反応してから遮二無二に突っ込む。
(それなりにプライドが高い、唯一必勝の型を破られた青く非才な冒険者……こうかな?)
敵の笑みに神経を逆撫でされて、更に力んだ青二才。そう見えるように大上段へと振り被る。まるで薪を割るかのような不格好な一撃。これなら、目の前の冒険者は容易く返しをして来るだろう。
(さてと……どこを狙ってくるかな?)
不必要に強張って柔軟性を失った結果、まともに身動きの取れなくなった人体はその全てが格好の的だ。となれば、後は自身の望むがまま、なるべく彼女という冒険者が格好良く映る様に、己の名声が高まる様に決着の付け方を選んでくるだろう。
ほんの一瞬、その双眸に映った窮鼠を甚振る嗜虐的な雌猫を思わせる殺気を辿り、その行く先にあたりをつけていく。
脚……眼中にないみたいだ。
腹……通り過ぎた。
胸……も違う。
首……には行かない。
腕……近い?
(……指か)
チリッと産毛が逆立つような感覚と共に彼女の殺気の着地点に先回りした僕は、急激に泡立った肌の感覚を信じて次の動きへの仕込みを行う。ただ、それはそれとしてだけど、
(やっぱり、相当いい性格してるね、この人)
闊達な弁舌と人好きのする容姿に風采の良さと彩り豊かな絵図に気を取られる人が殆どみたいだけど、昨日の半ば破落戸染みた冒険者のリーダーをやってたり、自身の立場の良さを踏まえて優位な立場でのリンチをしようとしたりとか。概ね清廉潔白とはかけ離れた人格と判断して良いだろう。
指というのは、意外に致命的になりやすい器官だ。普段日常生活で真っ先に使用する部位でもあり、人によっては戦いにも使用する、そんな部位でありながらその動きは繊細かつ緻密でそれ故に僅かな食い違いで一生使い物にならなくなる危険を孕んでいる。時にダンジョンに潜っていた武道家やモンクが拳を壊し、低ランクのモンスターに臓物を漁られる姿を晒した例はそれこそ枚挙に暇がない。そういった前提を踏まえれば、ある意味臓器と同等か、それ以上の急所とも言えるだろう。
ただ、そういった実情を理解しているのは医療従事者の様な人体の専門家か自分の指を壊した経験がある肉体労働者に限られるだろう。端的に言えば、この場でそういった事実を知る人間はほぼ居ないか、居ても確実に少数派ということだ。大多数の観衆は闊達で感情豊かながらも慈悲深い彼女が“道理に適ったお仕置きをした”としか思わないはずだ。
この決闘において、今この場こそ観客は知人や仲間の熱狂の伝播もあって全面的に彼女を支持しているものの、仮に顔や胸などの分かりやすい急所を損傷させてしまった場合、後日になって熱狂が冷めやった折に、自分の評価に傷をつけかねない。少なくとも、事の発端がサルバへのナンパであるのは事実で、あの酒場の時点で乱闘以外の問題になってない時点でそういった向きもあったということになる。その辺の算盤を弾いたうえで導き出した答えが、“一見手加減したように見える部位”でありながら“冒険者としては致命的な急所”にあたる指先という決着なのだろう。通常であれば可動範囲が大きく狙いも付けにくい部位だけど、今の僕みたいに力みのせいで一定の方向に等速でしかまず動かない状況なら、撃ち抜くのはそう難しいことじゃない。
(ま、その辺の事前情報があれば、対処はいくらでも可能なわけだけど)
「そこよっ!」
ざらついた歓声の中で、一際鋭く走る目の前の冒険者が放った裂帛の気合。同時に閃いた剣先が両者狙い違わず僕のグローブに叩き付けられた。
「ぎゃんっ!?」
分厚い鉄製の長剣を受けて、容易くひしゃげる中身の無いグローブ。指先を保護するために貼られた小さな金属片のことを考えれば、直径もたかが知れた肉を切り裂く感触なんて誤差も誤差だ。後は致命傷にこそならないものの、繊細な神経が結集した急所を抱え込んで地面に転がり這いつくばる無様な敗北者の姿を取れば事は全て完了だ。いやほんと、今後彼女には足を向けて寝られないかもしれないね。
斬撃の直前に指を引き抜いたグローブが手から外れないように抑える僕の前で、勝ち名乗り代わりに大仰に両手を開く女冒険者さん。まるで、卑小な悪魔を容易く打倒した聖騎士を思わせる彼女の姿に、村の住人や冒険者の人達は「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」」」」」と夜の空が割れんばかりの喝采を上げた。後はこの流れに乗って、村の外に叩き出されれば完了だろう。と、
(あ、やば)
直後、耳元で響いたカツンという足音に、僕は当初の思惑が外れてしまったことを理解させられた。
僕の想定では決闘に負ければそのまま村を叩き出されて終わりって流れだったんだけど、そういえばそっちの可能性もあったか。
(失敗したな……)
周囲の反応の良さに方針を定めたのか、はたまた当初からそうするつもりだったのか……今となってはそれも分からないけれど、一先ず断言できるのは僕の頭上で「それじゃあ、始めるわよ!」と明るく声を張る女冒険者がここから更に僕を甚振るつもりという事実だった。
「ぐっ!?」
いっそ反撃するか、それともこのまま嬲られるべきかとしていた思案を、前髪に走った本当の激痛に中断させられる。っていうか痛い痛い。地味に痛い。
「あなたが何を考えてうちの子達に危害を加えたのかは分からないけれど、その意図はどうであれ相応のけじめはつけてもらわないといけないわ」
直後、石畳の上に投げ捨てられた衝撃で思わず呻いた僕を見下ろしながら、目の前の女冒険者はその双眸に爛々とした光を浮かべ、芝居がかった仕草で宣告する。
「私は普段から村の人からは優しいって言われるんだけど、それでもこの世界で一番大切な仲間達を傷つけられて黙っていられるような人間じゃないの」
そんな彼女が視線を走らせた先に居たのは、その彼女が言うところの“世界で一番大切な仲間達”。先日の冒険者達が既に解体を済ませた俎板の鯉を見て、爛々とその両目に愉悦を滾らせている姿だった。そんな真打の登場に、村人達の歓声はこの日最高潮に達する。まあ、つまりはだ、
(昨日の乱闘の件も完全に僕が悪いってことで固めたい訳か)
実際の処刑を村の人達を証人にして執行すれば、後から僕がどう言おうが全て戯言として流されるようになるだろう。
(やっぱり、エグイ性格してるなあ……)
となれば、この状況も最初の名乗りの時点からちょこちょこ見え隠れしていた彼女の思考形態を基に方針を決められなかった僕の落ち度だ。ま、反省は追々出来るし、先に状況を打開する方向を考えないとな……、
「それに、上位の冒険者としてもそう。あなたみたいな冒険者が居ると、私達真っ当な冒険者が迷惑するの。それは私のパーティーだけじゃない。ここに居るみんながそうよ」
思案する僕を他所に、彼女の方も着々と言葉を重ねる。
「だからそうね……同じ冒険者として、きちんとけじめっていうものをつけてあげるわ。もう絶対にこんなことをしないようにね」
彼女の宣言に、今か今かと待ち構えていた冒険者の仲間達が身を乗り出そうとする。そんな、生肉を前にした餓狼の様な一団に、女冒険者は軽く手を挙げて待ったを掛ける。
「全部終わったら、身ぐるみは剥がさせてもらうわ。可哀そうだけど身から出た錆よ? 今後はきちんと周りのことを考えて振舞うことね」
(あー……)
どうやら、本当にまずいかも。この際リンチは良いにしても、身ぐるみを剥されちゃうと指を砕かれたふりの方がばれちゃうし。
そんな最終宣告を済ませた女冒険者の右手がサッと振り下ろされ、私刑執行の合図が下される。同時に甘美な復讐の味に目を血走らせた集団が殺到し、辺りの人間達はといえば、これから裁かれる悪を見下しながらニヤニヤと愉悦の笑みを浮かべている。
(考えている暇はないか……)
流石に状況も状況だし、“実力では勝てず騙し討ちの機を見計らっていた卑怯な冒険者”という設定に切り替える様に姿勢を整えたその瞬間、
ザンッ!!!という空気を鋸で削り取ったような音が夜闇の中を疾ったのだった
片刃剣を握り直した僕と躍りかかって来た件の冒険者達の間にあった空気が弾け、咄嗟に飛び退った冒険者の一人―確か、モンネンと呼ばれていた戦士の人―の鼻先が削り取られていたのだった。
「!?!?」
ぶっと噴き出た鮮血に慌てて自分の鼻尖を抑える戦士さんと、突如鼻肉を食い千切られた仲間の姿に呆然と目を剥く残りの二人。
「誰だ!?」
いち早く我に返ったのは、いつの間にか女冒険者さんの隣に侍っていた先日の痩身の冒険者の人で、その鋭い眼光を先の擦過音のした方へと走らせた。
「……」
果たしてと言うべきか、或いは案の定と言うべきか。先の発砲音の先にあったのはゆらりと硝煙が揺らめく銃口を向けたまま、固く唇を引き結んだサルバの姿だった。
「あなたは……」
いつの間にか荷造りが終わって下に降りて来たらしいサルバの手に握られた回転式の火器に、隣の女冒険者が僅かに表情を強張らせて身構えた。
対するサルバの方は油断なく照準を冒険者の五人に向けたまま、小さな肩を怒らせてツカツカと間合いを詰めてくる。その小柄な体躯から迸る怒気は直前の野次や怒号を圧殺するほどで、隣を過られた村人数人が「ヒッ!?」と悲鳴を上げて身を引くほどだった。ま、そういう反応になるよね。普通に物騒だし、
「な、なんだてめぇは!? あ、あのクズの仲間か!?」
あ、自殺志願者。
殆どの村人がサルバの殺気に肝を潰されて口を噤む中、多少勇気がある冒険者が通り過ぎたサルバの小さな背中に向けて怒声をあげた。
「ぎゃんっ!?」
まあ、当然のごとく報復されてるわけだけど。
「な!?」
「ひ、ひいっ!?」
直前の威嚇に対して一切の躊躇なく引き金を引いたサルバと、その凶弾によって片耳を吹き飛ばされた冒険者の姿を目の当たりにして、仲間らしき数名が悲鳴と共に後退りをする。
「あ……あが」
「……」
生々しい銃創とそこから噴き出る鮮血に身悶える冒険者にくるりと背中を向けて、決闘場の中心に踏み入ったサルバは再び躊躇なく拳銃を頭上の冒険者に向けると、これ見よがしに撃鉄をカチリと引き下ろしたのだった。
(あ、本当に怒ってる)
撃鉄を下した瞬間、辺りに硬質な音が響くのと同時に揺らぐサルバの前髪。その隙間から覗いた青い左目は鋭利な刃の様に引き絞られていて、僅かでも動きを見せれば即座に両眉の間に風穴を穿つことも躊躇わないという決然とした殺気が見て取れた。
「あら……何か用かしら? 今は神聖な決闘の最中だから、私と彼以外が踏み入ってくるのはあまりよろしくはないのだけど……」
まあ、流石に腹に一物を抱えた女冒険者さんはそれだけでは止まらなかいか。
「先に集団リンチに掛けようとしといて何が"神聖な決闘"だ。アホくせぇ」
そんな女冒険者の一言を鼻で嗤うと、サルバは不愉快そうに吐き捨てた。うん、まあ既に無理かなーなんて思ってたけど、これで完全に自然なフェードアウトという選択肢は消えたね。まあ、仕方ないけど。
どうせ身ぐるみを剥されてたら僕が暴れるしかなかったし、想定と現実の差はそれが僕かサルバかくらいのものだろう。となれば、後の舵取りは一旦全面的にサルバに任せちゃうのが吉かな。
「酷い言い草ね。言っておくけど、私がしたのは決闘の作法的には「そもそもの発端はそこのクズどもが俺を宿に連れ込んで輪姦そうとしたことじゃねえか」……」
明け透けにぶった切ったサルバの言葉に、女冒険者の方は「失敗した」という顔になる。咄嗟に論点を決闘の法解釈にすり替えようとしたものの、下手にパーティーメンバーのガス抜きまで済ませようとしたせいで、却って藪を突く結果になってしまった訳だからね。当初の予定では、パーティーの面子を守れればそれで済むはずだったのに。
(もしかして、想定よりもあっさり勝てたせいで調子に乗っちゃったのかな?)
もしそうなら、ちょっと簡単に負けすぎたかも。もう少し抵抗して彼女を苦戦させるべきだったかなあ……いやでも、仮に接戦を演じたからといって、このイイ性格をした女冒険者さんが一歩引こうとするかと言われればそれも不確かか。サクッと斬れれば楽なんだけどなあ……ま、そうもいかないよね。
「それともなんだ? あんたの信じる神とやらは力尽くでちんこをぶち込むのを推奨してんのか? すげぇ神だな」
なおも事実を重ねて煽るサルバの舌鋒に周囲の村人達が騒めき始める。まあ、流石にサルバの言葉については半信半疑って印象だけど。
けど、半分でも疑念が湧けば十分かもしれなかった。何せ、直前まで“人気冒険者”による“正義の執行”という二つの甘露に舌鼓を打っていたのが、その大義の半分に思いっきり砂を撒かれた形なのだから。
所詮はダンジョン村だし、羽振りの良い冒険者が起こしたことなら多少の醜聞には目を瞑るだろうけど、幸か不幸か今のサルバはB級冒険者の“イルマ”だ。このダンジョン村にしては十分な高級冒険者だし、本人は嫌がるだろうけど風貌もまあ美人だ。少なくとも、一笑に付すにはちょっと存在が大物過ぎる。
「ちょっと誤解があるみたいね」
自身の旗色が悪くなったのを察したのか、女冒険者さんの方は軽い口振りでひらひらと手を振る。
「誤解もくそもあるか。てめぇらがやらかしたことの発端を全部擦り付けようとしやがった時点で、てめぇも確信犯じゃねえか」
そして、「やっぱ、ここでやっとくか?」と引き金に指を食い込ませたサルバを見て、あちらこちらから悲鳴染みた絶叫が上がり始める。いけないいけない。
「!? ……ア……ドルフ」
本格的な銃撃戦が始まる直前、ギリギリ手の届く距離に入っていたサルバの足首を強く掴む。その感触にサルバはギリギリのところで我に返って僕の偽名を口にしたのだった。
「……こっちもドルフの手当てがある」
そして、一拍を置くと完全に落ち着いたらしいサルバはそう言いながら件の女冒険者と視線を交錯させた。
「ここで手打ちっつーなら、俺はこれ以上何も言わねぇで村から出て行くぜ?」
「……」
「けどな……」
はらりと揺れた前髪の隙間から覗いた青い目がざわりと憤怒の色を見せる。
「これ以上やるっつーなら、こっちもやるぜ? 徹底的に……な」
そう言って、ホルスターに収められたもう一丁の拳銃に手を掛けたサルバの言葉に、一瞬女冒険者さんが顔を顰める。まあ、状況的にはちょっと分が悪いもんね。大体自分が欲を張ったせいだけど。
「…………仕方ないわね」
(あ、呑み込むんだ。それ)
やや長い逡巡の末に渋々といった様子で頷く女冒険者さん。そんな彼女の対応に、僕は少し意外という感想を抱いた。先の貪欲に正義を自分達に悪を僕達にという態度から、てっきり決裂すると思ったんだけどな。
取り敢えず、いつでも切り上げられるようにしていた片刃剣は無駄になっちゃったみたいだった。
「じゃ、行こうぜ」
僕の肩を支えて引き起こすサルバに、不自然にならない程度に身を預けながら努めてよたよたと歩を進める。下手に自力で動いてぼろが出るのが一番まずいというのはサルバも分かってくれているようで、無駄に大変な体勢にも特に文句も言わないでくれた。
「じゃあな」
最後に一度だけ短く吐き捨てて以降は振り返る素振りも見せないサルバに周りのざわめきが一度だけ高鳴るも、それはすぐに水を浴びせられた火種の様に掻き消えて、後には漣の様な雑音だけが残ったのだった。
◆
トウトウ村を離れてからしばらく。俯いたままの視界に映る踏み固められた剥き出しの地面に少しずつ雑草が目立ち始めたのを見計らってサルバに「もう誰もいなさそう?」と尋ねると、僕に肩を貸すような体勢のサルバが「ちょい待ってくれ」と少し身動ぎした感触が伝わり、直後に「ん、もう大丈夫そうだぞ」の答えが返って来た。
「そっか。ありがとうね」
サルバにお礼を言って体を起こすと、辺りは村の灯りも届かない夜闇に染まった野原だけが止めどなく広がっていた。念のため、少し臭いを嗅いでみるけれど、僕とサルバのそれ以外は青草の水っぽい匂いが僅かに立ち込めているだけで、他に人の気配らしきものは欠片も感じられなかった。よし、
「荷物は?」
「ほれ」
ひょいっとサルバが放って来た僕の分の背嚢を受け取って背負うと、隣に寄って来たサルバが訝る様な雰囲気を醸し出す。なにかあった?
「んにゃ、さっき潰された拳は大丈夫なのかと。思いっきりぶん殴られてただろ?」
「ああ、それ?」
心配そうに口を尖らせるサルバに、僕は嵌めていたグローブを抜いてグーパーと掌を開閉して見せる。
「この通り、全然問題ないよ」
「直撃は受けてたよな? もしかして、ギリギリ回避したのか?」
「グローブの中でね」
手甲代わりの金属プレートが潰れたグローブをひらひらと振って見せると、ようやく納得したらしいサルバは「蜥蜴か」と楽し気にくっくっくと含み笑いを漏らした。誰が蜥蜴か。
「いや、流石にあの程度の奴らにかたわにされちまうようなタマとは思ってなかったけど、まさかそんな避け方してたとはな」
「一見して分かりやすい負傷をして見せないといけなかったからね。だから、タネがばれる可能性もあったし、サルバがリンチの前に割って入ってきてくれて助かったよ」
割と正直ね。
「そうかよ」
僕の意図が伝わったのか、隣のサルバが少し擽ったそうに頬を掻いて頷く。そして、一瞬かさりと揺れた前髪を撫で直しながら、「ま、どういたしましてってか」と軽く肩を竦めたのだった。
「いい仕事してくれたよ。ほんと、美人が怒ると怖いって本当だったんだね。おかげであそこにいたほぼ全員がサルバに肝を潰されてたし。中身は男なのにね」
「はっはっは。この野郎」
キレたサルバが足払いをしてきた。
僕はジャンプでそれを回避した……うん、タイミングばっちり。
「冗談はこれくらいにしとくとして」
「おう、俺は一切冗談じゃねえぞこら」
そのまま着地した僕に、サルバが青筋を浮かべた。ま、一旦置いておいてだ、
「報告の際に、一つ付け加えないといけないことができたね」
先の決闘という名のリンチで得た、思いがけない情報をサルバと共有する。
「つーと?」
「ほら、このグローブを見て気付かない?」
「んー?」
僕が改めて差し出したぐちゃぐちゃのグローブを前に、サルバがはてと首を傾げる。……やっぱり、冒険者だと気付きにくいのかな。
「急所とは言わないまでも、指の破壊が戦闘不能と直結する生物はおおよそ人間しかいない……少なくとも、サルバはモンスター相手にそんなことを気にしたことある?」
「いや、ねえな。モンスターは武器を持ってるのがまず少数だし、んな細部を攻撃しても突進を止めることが出来なきゃこっちがあの世に逝っちまう……ん?」
どうやら、サルバも変形したグローブをじっくりと観察するうちに、一つの違和感に辿り着いたらしい。
「冒険者なら、まず身に着けていないはずの対人戦闘技術。少なくとも、それに相当する攻撃を、しかもこの精度で身に着けているってことになるよね。あの冒険者の人達」
少なくとも、対モンスター戦では無用とは言わないまでも、使用機会はかなり限定された技能だ。
「そもそも、そこまで高知能のモンスターはこの村程度じゃ居るわけもねぇよな」
「だね」
むぅ……と頬に指をあてて口元を歪めるサルバに、僕も軽く肩を竦める。
「前職が騎士とか衛兵だったとか?」
「対人戦闘技能を習得する機会があるって意味では合ってると思うけど、そういう人達は基本的に多対多を想定した技術になるよね」
少なくとも、一対一くらいでしか使わなさそうな手間取る戦闘技能を態々収得するとは思えない。
「つうと、決闘が生業の職業か……貴族お抱えの騎士とかか?」
「それも考えたんだけど、貴族のお抱えなら一定の作法があるはずだよね」
少なくとも、こんな実利一辺倒な戦闘方法は行使する機会が無いはずだ。下手に品の無い戦い方をし過ぎると、主人の評判に関わるし。
「あー……それもそうだよな。……うーん?」
僕の指摘に、腕を組んで考え込むサルバ。けれど、すぐに行き詰ったのか「うあー、分からん!」と呻いて頭を掻く。
「お前の方は予想出来てんのか?」
「そうだねえ……強いて言うならだけど」
サルバの疑問符に、僕も軽く腕を組む。否定をしちゃったけど、基本的にはサルバが挙げた職業がまず候補なのは間違いないと思うんだよね。そんな中で、ある程度の矛盾や齟齬を飲み込んでなお、付け加えるべき職業があるとしたら……
「ダンジョン閉鎖士……かな?」
僕がそう口にした瞬間、隣のサルバが「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げた。ま、そういう反応になるよね。何なら、サルバが挙げた職業よりも無理があるし。
「いや、流石にそりゃねぇだろ」
そして、案の定サルバがふるふると首を横に振る。
「確かに、対人戦闘力があるっつーのは分かるぜ? お前見てりゃ一目瞭然だし、最初に会った時も思いっきり農民に絡まれてたからな」
「その前髪で一目瞭然とはいかに」
「うっせ」
サルバがペチリとこっちの腕を叩いた。
「それに、パーティーメンバーがって話ではあるが、ダンジョンで訳分からんことをしてたってのも、理由としては分からんでもない」
「ま、そこはね」
モンスターを求めてダンジョンに入る人間は枚挙に暇がないけれど、狩猟以外の理由で定常的にダンジョンに入る人間はそれこそダンジョン閉鎖士以外じゃまず見かけないしね。そもそも、生きたダンジョンで何かをするなら、最低でもダンジョン感知能は必須だし。
「だけどな」
そう言って、サルバが思考をまとめる様に眉間を揉む。
「ギルドに深く関わった人間が足抜け出来ないってのは、少し前にお前が言ってたことだよな」
「そうなんだよね」
いや、本当に
サルバにも言った通り、ギルドに携わった人間は基本的に足抜けという概念が無い。いや、正確にはあるにはあるけれど、それが同時に“死”と結びついているのが実態だ。
で、そうなると戦闘技能まで教え込まれる程度に深入りしたダンジョン閉鎖士なんて人間が何事も無く冒険者をやって、あまつさえダンジョンそのもので妙な動きをするなんてことはまず不可能と言って良かった。ダンジョンと対人戦闘能力という二点だけで見れば、妥当な選択肢だけに惜しいよね。とはいえ、妙に臭うのは事実だしね。
「じゃあ、どうするんだ?」
「取り敢えず、ギルドに報告だけして後は放置かな」
「おい」
「だって、これ以上僕達にはどうにかしようもないしね」
突っ込んできたサルバに肩を竦めながら「そもそも、僕達がどうこうできる範囲じゃないし」と付け加える。推測を持つのは良いけれど、推理するのは僕達の仕事じゃないからね。まあ、
(こういう時の悪い予感って、結構当たっちゃうんだよね。良いか悪いかは置いておいて)
「? 何か言ったか?」
隣で首を傾げたサルバに「んーん。何も」と答えながら、一旦小難しい思考を終了したのだった。