第四話 美人で華麗で人気者なトウトウ村の冒険者様!
ダンジョンの調査も空気の甘ったるさと共に一段と深部に入り込んだ中、いよいよ気を引き締めないといけなくなった訳だけど、それに伴って、先に一つ片付けないといけないことが出来てしまった。
「じゃ、行くよ?」
「おう。頼んだ」
上半身裸のサルバがこくりと頷いたのを確かめて、その白くて華奢な背中に足を掛ける。もちろん、何か特殊なプレイとかじゃなくて、極めて切実な物理的事情による行為であることを釈明しておきたい。ま、要するに、
「「いっせーの、せっ!!」」
さっき洞窟に引っ掛かったサルバの胸を潰す仕事だった。
掛け声と同時に、僕達は全力で踏ん張る。包帯でぐるぐる巻きにしたおっぱいに更に寄りかかる様にするサルバの背中を蹴押しながら、僕も救護用のそれを力一杯に引っ張る。
「んんんんん!」
「ぐぬぬぬぬ!」
二人揃って歯を食いしばりながらプルプル震えているけど、中々サルバの胸は潰れてくれない。サルバ本人は不本意だろうけど、正直体型的には予想できていた話だった。
元々、華奢で小柄な割には酒場の看板娘や村付きの娼館なんかじゃ太刀打ちできないおっぱいをしている上に、一目で分かるくらい弾力があるからね。
医療に詳しい人なら或いは綺麗に力を分散させて巻くことも出来るのかもしれないけど、生憎、僕もサルバも包帯の取り扱い技術は冒険者の応急処置の域を出なかった。
結局、適切な包帯の巻き方を知らない野郎二人が顔を突き合わせて出せた結論は、兎に角力任せにおっぱいを縛り上げるしかないという、極めて力技なものだけだった。で、
「どう?」
「滅茶苦茶苦しいな。これ」
ま、そうなるよね。
結局、完成したサルバの姿はコルセットで胴を固めた貴婦人みたいな有様で、簀巻きにされたサルバ本人は青い顔をしてうっぷと吐きそうになっている。顔ぐらいありそうな肉の塊を無理矢理潰してるわけだし。
「動きづれーし、肉がへばり付き合って気持ち悪いし、皮つっぱって痛いし、ホント安直に巨乳を求めてたのが申し訳なくなるな」
「他人事だからこそってのはあるよね」
「あ゛~」と呻くサルバの言葉は当然ながら実に実感が籠っていた。なんていうか、昨日のナンパの件といい今日の自爆といい、サルバって運気をおっぱいに吸われてるんじゃない?
「言うなよ。薄々そんな気がしてたんだから……」
がっくりと項垂れるサルバに軽く肩を竦めて、ダンジョンの深部に足を向ける。別にサルバを慮る訳じゃないけど、状況的にもさっさと仕事を終わらせた方が良さそうだしね。
「そういやアルタ」
「ん?」
「"ダンジョン・コア"って、お前達はどうやって見つけてるんだ?」
後ろを歩いていたサルバが、ふと思い出したように口にした疑問に、僕は「ああ」と頷く。そういえば、それを話していなかったっけ。ダンジョン閉鎖士が”ダンジョン・コア”を見つける能力を持っているのは知ってても、そっちは知らないことが多いもんね。
「そうだね、まず前提としてだけど、”ダンジョン・コア”を感知する能力はあくまで感覚的なものだから、画一化された手法がある訳じゃないんだ。……少なくとも、ダムツ帝国ではね」
何なら、技術でどうにかなるならダンジョン閉鎖士なんて制度自体が無くなってるんじゃないかな?
「ほーん」
僕の説明に、サルバは興味を持ったように顎先に手を当てた。
「で、その感覚はどうなっているかって言われると、こっちは本当に個人差があるみたいで、人によっては五感の一つでしか捉えられないし、人によっては五感全部で捉えられるし。その感度もぼんやりと分かるくらいの人から感知するのも辛いくらいはっきりと分かる人がいるしで」
「本当に純粋な感覚なんだな」
「そういうこと」
妙に感心した様に頷くサルバに、僕は軽く肩を竦めた。
「そういう意味じゃ”味覚”でしか感知できないギルド長は大変だよね。濃淡は多少分かるらしいけど」
「”コア”の採取もダンジョンの内壁舐めながらやってたのか?」
「らしいよ?」
僕の首肯に、サルバは「マジかよ」と何もない洞窟の天井を仰いだ。
「まあ、本人は『意外と濃厚なチーズの味がする』って言ってたから、僕達の想像ほど苦でもなかったのかもしれないけどね」
おかげで、現役の頃は赤ワイン片手に閉鎖業務にあたってたんだよね。
対するサルバは「マジか……」って雰囲気で頭を掻いた。ま、そういう反応になるよね。
「なんつーか、一生調味料には困らなそうな味覚だな」
「代わりに口内炎に悩まされる人生になりそうだけどね」
「それな」
頷いて、サルバはクックックと喉を鳴らした。そして、そこで思い出したように小首を傾げる。
「んじゃあ、アルタはどうなんだ?」
「僕?」
……そういえば言ってなかったっけ。
「僕は嗅覚。臭いだね」
「匂いか」
「いや、匂いじゃなくて臭い」
「分かりづらいな」
「読みは同じだからね」
ポイントは良い匂いか、悪い臭いか。
「率直に言えば臭いんだよね。ぐずぐずに腐って酸っぱくなった林檎の臭い。それがダンジョンに充満している感じ」
「そりゃきついな」
僕の説明を想像したのか、サルバはうへっと呻いて妙に長い舌を出した。
「特に”ダンジョン・コア”は最悪でさ、腐敗も変な甘ったるさも質量を持ってるんじゃないかってくらい濃厚な上に、濃縮され過ぎて訳分かんないくらいだし。正直、好き好んで"ダンジョン・コア"に触れる人間の気が知れないよね」
何なら、気がふれてる説まで出てくるくらいには。
「なるほど……って、それじゃ俺も含まれるじゃねーか」
頷きかけたサルバの前髪が揺れて、割れ目から覗いた青い左目が殺気を放った。
「そうだよ?」
「……」
「……」
「この野郎」
キレたサルバが発砲した。
僕は身を反らして回避した。
「じゃ、奥に進もうか」
「おう」
ふざけ混じりの攻防を終えて、サルバを奥に促すと、頷いたサルバもホルスターに銃を戻して後ろをついてくる。
目指すはダンジョンの最深部だけど、さてさて鬼が出るか蛇が出るか……。
◆
開孔したダンジョンのコンディションは基本的に”モンスター”と”ダンジョン・コア”の二つが変動要素となっている。そのうち、”モンスター”は比較的変化がすぐに出て、”ダンジョン・コア”は最低でもある程度のモンスター討伐が行われないと、分かりやすい変化が出ないという傾向があった。
自然、誰にでも出来て変化も顕著な”モンスター”の観測は、手が多くて”ダンジョン・コア”を感知する能力を持たない普通のギルド職員に割り振られて、頻度が低くて”ダンジョン・コア”を感知する能力が必要な”コア”の調査はダンジョン閉鎖士に割り振られることになる。
ただ、そもそもの話として大まかなダンジョンの状態は”モンスター”の調査だけで把握できる場合が多く、僕達ダンジョン閉鎖士はそもそもが滅多に生きたダンジョンに潜るということがなかったりする。つまり何が言いたいのかというと、
「おっと」
たとえC級のダンジョンだとしても、深部のモンスターともなると正直僕の手に余る部分が出てくるんだよね。
「アルタッ」
横穴から突如飛び出してきたワーウルフの喉首を狙ったはいいものの、直感的に狙った骨と骨の繋目が間違っていたらしく、深い剛毛とに弾かれて、その頸根を断つ前にモンスターの突貫を許してしまう。
多少のダメージはあれども致命傷には至ってないワーウルフは当然のごとく体当たりを仕掛けてくる。けれど、即座に放たれたサルバの弾丸が後頭部からワーウルフの延髄に差し込まれたらしく、その動きが突然電池が切れた人形の様に崩れて止まる。
間髪入れずにその首を落としてから、ワーウルフが出てきた横道に入ると、丁度追撃を仕掛けようとしていたらしい別の個体と目が合った。
「ふぅ……」
即座に残りの一匹の頭を落として、軽く片刃剣にへばりついた血糊を払う。そして元の道に戻ると、ワーウルフの死体を検めていたサルバが、丁度愛銃を折って、弾丸の交換をしているところだった。
「よ。お疲れ」
「ん」
弾丸の装填を終えたサルバがホルスターに拳銃を戻しながら、ふと思い出したように「しかし、意外だな」と言って小首を傾げた。
「? 何が?」
「お前がモンスター相手に苦戦するのが」
不思議そうにしげしげと見られ……見られてるんだよね? ……ま、いいか。
長い前髪で判断つかないけど、サルバは何となく不思議そうにしている。
「そんなに不思議?」
「不思議っつーか、妙に思うな。あんだけ人斬るの滑らかなのに、モンスター斬るの慣れてない感じがするっつーか……」
「まあ、こうも斬り方が不規則だとね。僕は元々器用な方じゃないし」
人間は多少体型が変わっても狙うところは一緒だけど、モンスターは種族が変われば斬る場所も変わっちゃうからね。
「そういうもんか」
「そういうものだよ」
首をかしげたサルバに、僕は首肯を返した。
「まだまだ、冒険者のふりには慣れが……うん?」
軽く辺りを警戒しながらダンジョンの臭いを探っていると、不意にダンジョンを満たす甘ったるい腐果実臭とは違う鉄錆の臭いが僕の鼻腔を擽ってきた。
「? どうかしたのか?」
「しっ」
「……」
首をかしげるサルバに、口を閉じるように人差し指を立てると、意図は伝わったらしくサルバはこくりと頷いて口をつぐんだ。
(近くに冒険者が居るみたい)
唇を尖らせて疑問を露にするサルバに小声で耳打ちすると、サルバは少し驚いたみたいに薄く唇を開いたサルバは、すぐに僕の耳元に顔を寄せてきた。
(こんな奥にか)
(そうだね……)
どんなダンジョンでもそうだけど、基本的に深部に行けば行くほど生存は難しくなっていく。これは、単純に深部の方が大型のモンスターが居るというのもあるし、それ以上に深部に潜れば潜るほど体力も食料も消費するという至極単純な理由もある。
この村のダンジョンはC級。B級のサルバから見れば深部に辿り着くのもそう難しくはないだろうけれど、一度下り坂に入ったダンジョンにわざわざ上位ランクの冒険者が長く留まるということもない。つまり、この村のダンジョンにアタックを掛けているのは基本的にC級以下の冒険者に限られる訳で。そして、下り坂とはいえ、現状出現したモンスターの数と種類を考えると、この場所にまでC級で来られるというのは、天才とは言わずとも同級の中では比較的実力者という事になる。
そんな人間が、ダンジョンで成り立っている村で名が知られていないわけもなく、そして、そういった名士扱いの冒険者に顔を覚えられるということは少なからず村で名が知られてしまうということになる。
今回の”ダンジョン・コア”の調査が秘密裏のものである以上、そんな人達とこんな深部で顔を合わせるのはまず好ましくないだろう。
そんな事情もあって、僕達は咄嗟に岩陰に隠れた。あるいは取り越し苦労の可能性もあったけれど、そんな咄嗟の過剰な判断が功を奏したのだった。
先に気付いたのは、今度はサルバの方だった。
「なあ、アルタ。あれ、昨日の奴等じゃないか?」
「本当だ」
ランプを消してサルバが指差した先に居たのは昨日の夜、酒場でサルバに睾丸を潰された顎鬚の冒険者とエーテルソーサラー。そして、そんな仲間を置いて逃げた戦士だった。
もし自称だったB級という肩書が自称ではなく本当だったとしたら、確かにここに居ても実力面では驚くことではないのかもしれない。ただ、
「……もう一人居る?」
ランプから四方に散った灯りよってゆらゆらと揺られる影を一つ二つと数えると、想定の三つに加えて更に一つ。都合四つ目の人形が不規則に歩みを紡いでいるのが見えたのだった。
「「……」」
それを確認した僕達は、じっと息を殺してこっちにやって来る件のパーティーの四人目の姿を待つ。
昨晩絡んできた面々に仲間が居たのだとしたら、それを相手に気付かれずに察知できたのは行幸だった。一度絡まれた相手に、二度絡まれない保証は無いわけだしね。肝は潰しておいた、というか、サルバが物理的に玉を潰したはずではあるんだけど、見たことのない仲間と合流して性懲りもなくっていうのはなくもない話だし。
「よし、準備は良いか」
果たして昨日のパーティーの最後尾で姿を現したのは、ひょろりとした痩せ型の、けれど対照的にギラギラとした気迫を両眼に湛える、騎士然とした雰囲気の男性冒険者だった。
「「「は、はいっ!!」」」
その殺気すら迸っていそうな壮年の冒険者が放った渋味のある号令に、昨日の三人組が肩を震わせてガクガクと頷くと、大きな分厚い背負い袋をひっくり返す。
「……!」
直後、僕の鼻腔を嗅ぎ慣れた悪臭が貫いた。
腐敗して、饐えた、濃厚すぎる、甘臭。
地面に落ちてぐしゃぐしゃの染みを作ったリンゴを思い起こさせるそれが、鼻神経を通して脳髄までを侵食してくる。
「……!」
僕の反応に気付いたのか、隣のサルバが「お、おい、大丈夫か?」とでも言うように、ちょいちょいっとこっちを肘で小突いてくる。うん、最初は不意打ちで驚いたけど、もう大丈夫。
僕が掌を上げて意思表示すると、ほっと安堵したような溜息を洩らしながら、サルバが心配そうな左目を露にする。
そんなサルバに軽く肩を竦めながら、僕は改めてあのパーティーがぶちまけた土へと目と鼻を向ける。
臭いを嗅ぐ限り、物は多分ダンジョンの土で間違いない……かな。なんでそんなものを態々ナップサックに詰めてるのかは分からないけど。
「!」
と、そんな疑問符と共にあの冒険者の人達の足元に出来上がった小山に意識を向けていると、嗅覚よりも視覚の方が先にそれを捉えたのだった。
初めは何の変哲もない土くれだったのが、不意にその表面を波打たせていた。
その不自然な動きは二度三度と繰り返されて、次第にパラリパラリという小さな土砂崩れを伴い始める。
「「!」」
そして、にょきりとその天辺から突き出る、フォークの様に細く小さな腕。明らかに人間のものではないそれが悪臭漂う産土の中から姿を露にすると、それに呼応するかのように小山の至る所から無数の手足が生えだす。
草木一つ無い禿山だったはずのそれは、瞬く間に四肢の木々が生い茂る異様な姿へと変貌を遂げていた。
そして、とうとうその四肢の持主達が、その姿を現した。
紫色の肌に小さな羽、きーきーと喉を鳴らす姿は、
(妖精か……)
ダンジョンの中でも比較的表層に現れて冒険者の装備を主に攻撃する下級モンスター、妖精で間違いなかった。
土くれから這い出たピクシーたちは三々五々ブルブルッと身震いをして体に貼り付いたダンジョンのそれを落としていく。そして、自分達の前に立つ大きな四つの人影に気付くと一瞬身を竦めるも、その四人が自分達を前にしても襲い掛かってこないのを確かめて、次第に一匹、また一匹と背中の羽をはためかせて中空へと浮上する。
やがて、最後の一匹が飛び上がると、固まったピクシー達は逃げるようにダンジョンの通路を四散したのだった。
「「……」」
「よし、良いだろう。人が来る前に撤収する」
僕とサルバがその奇妙な光景を見送っていると、再び通路の真ん中で、さっきの渋い声が響いた。
その声を合図に、通路奥のパーティーの人達が軽くなったナップサックを背負い直す。ぶちまけた土くれには既に興味も無いのか、誰一人として足元に目を向けることはなかった。
「くそっ……」
そして、少しずつ足音が遠のく中、群れとなった影の中から、そんな悪態が漏れ出てきた。その声は、昨日サルバに手を出そうとして、強制的に去勢された髭面の冒険者のものだった。
「まだ、痛むのか?」
仲間の悪態に、昨日唯一僕達が迎撃しなかった戦士の人の声が反応する。
「ったりめえだろうがよ!!!」
何処か気遣わし気なその声に触発されたのか、去勢済み冒険者の怒号がぐわんぐわんと音を立ててダンジョンの細道に反響した。うるさいなあ……。
「一人だけ逃げやがって! 腰抜けのお前と違って、俺達はあの顔削ぎ野郎にズタボロにされてたんだぞ!?」
そんな仲間の言葉に追随するように、エーテルソーサラーの男が不自然に引き攣った声で、同じく戦士を非難する。その奇妙なイントネーションに首を傾げると、隣のサルバが自分の頬を口端伝いに人差し指でなぞってみせてくる。……あ、そういえば頬っぺた斬ったっけ。
そんなサルバはといえば、あのパーティーの仲間割れが心底愉快だったのか、口パクで「ざまぁ」と笑いながら首を掻き斬る仕草をした。僕が返事代わりに股間をハサミでちょん切る動作をして見せると、堪えきれなくなったのか、お腹を抱えて小さな肩を振るわせ始めた。声だけは出さないように気を付けてね?
「そ、それは仕方ねぇだろ……」
一方の戦士はといえば、一応自分だけが助かったという負い目が手伝いでもしたのか、やや気まずげな口調で反駁した。ま、面子稼業の冒険者としては、仮に立場が悪くても、そう答えざるを得ないよね。
少なくともダムツ帝国ではどんなに昇級したとしても毛の生えた破落戸でしかない立場上、舐められたらおしまいなのは仲間に対しても同じだし。
そして、案の定睨み合いになる二人と一人。けれど、その対峙は前段の負い目もあるせいか、明らかに戦士の方が不利だった。
「その辺にしておけ」
もしかしたら、この場で粛清のための殺し合いにまで発展しかねないそれに割って入ったのは、やっぱりと言うべきか、リーダーらしき渋面の冒険者だった。
「「あ゛?」」
「……」
自分達の私刑を遮った遮った声に、不愉快なのを隠そうともしない二人分の声と、あからさまにホッとした様子の一人分の溜息。ま、二対二なら生き残るチャンスも格段に上がるしね。
「そも、その怪我の件でモンネンを責めるのはお門違いだ。元々、他のパーティーにお前達がちょっかいを掛けて反撃されただけなのだからな」
「「……」」
冷徹かつ容赦なく二人の敗北を指摘して切り捨てる瘦身の冒険者の言葉に、最初に突っかかっていた二人は不満げに、けれど実力差があるのか、それ以上は何も言うことなく口を噤んだ。
「まあ、安心しろ」
そんな二人の鬱憤を宥める……つもりはあまり無さそうな冷厳な口調で、痩身の冒険者はそう続ける。
「我々冒険者は面子を売る商売だ。お前達が一方的にやられたままでいては我らパーティーの沽券に関わる。少なくとも、団長がそのまま放置するという事だけはない」
その一切感情を感じさせない淡々とした口ぶりは、けれど、その淀みの無さが却って不気味で力強かった。
それは傾聴している三人組にとっても同じだったらしく、最初の火種になった二人がどちらともなしにチッと舌打ちをしたものの、それ以上の反駁はせず、無言のまま今度こそ立ち去って行ったのだった。
◆
コツコツという音が次第に小さくなり、掻き消え、一瞬、二瞬……。やがて、完全にその気配が消えたのを確かめると、僕とサルバはどちらともなしに通路の影から這い出した。
「「……ふぅ」」
そして、殆ど同時に漏らした溜め息は、反響することもなくダンジョンの中空で霧散する。
「行ったな」
呟いたサルバに、
「行ったね」
と頷き返すと、何故か不思議そうな雰囲気を出された。んん?
「どうかした?」
「いや、大丈夫かと思ってな」
「何が?」
いや、本当に。
僕が首を傾げると、面倒くさそうに唇を尖らせたサルバがばりばりと頭を掻いた。
「あいつら、落とし前自体は必ずつけに来るぜ? クソみたいなやつらだったが、冒険者が面子と信用で食ってるってのは、事実っちゃ事実だし」
「あー」
それか。
「まあ、良いんじゃない?」
「おい」
僕が肩を竦めると、サルバがポカンと口を開いて「マジかこいつ」とでも言いたげに唇をむにゃむにゃと噤んだり尖らせたりしている。そんなに不思議だったかな? ……ああ、
「一応言っておくけど、無意味にサンドバッグにされるとかそういう意味じゃないからね?」
「そうなのか?」
「もちろん」
僕は別にそういう特殊性癖を所持してはいないし。
「さっきの話を聞く限り、あの人達はあくまでパーティーの構成員であって、決定権を持つ立場じゃないみたいだからね。仕掛けてくるとしたら……」
「あの細いのが言ってた”団長”ってのが合流してからってことか」
「そーゆーこと」
ポンッと手を打ったサルバに、僕も首肯する。
「まあ、仮に団長っていう人と鉢合わせしちゃったとしても、僕達の面子を潰すためのリンチをしてから村から叩き出すのが精々だろうからね。なら、無駄に抵抗するよりも流れに任せて”叩き出される”方が変に勘繰られることも無いだろうし……何なら今日の調査が終われば僕達もロハグに引き上げるだけだから、却って都合が良いかもしれないよね」
「いや、まあそうなんだろうけど……」
僕が説明すると、サルバが納得半分不満半分といった雰囲気で唇を尖らせている。……ああ、
「それと、サルバは僕達の面子のことを気にしてるんだろうけど、潰れるのは、あくまで”ドルフ”と”イルマ”の面子だからね」
付け加えた言葉に、「あー……」と唸ったサルバが「そういやそうだったな」と頷く。そうそう。
「どこにも居ない、”ドルフ”と”イルマ”の面子ならいくらでも潰しちゃって問題ないからね」
B級冒険者の“サルバ”とは何の関わりも無いことです。少なくとも記録上はね。
「正直、その発想は無かったな」
ま、だろうね。
「この辺は、それこそ面子商売じゃないダンジョン閉鎖士ならではの発想かな。逃げるのも負けるのも好きなだけ出来るし、それで生活が成り立たなくなるわけでもなし。なら、考えるべきは調査の効率ただ一つだけってね」
何なら、負けもリンチも一つの手段でしかないし。……ん?
「どうかした?」
それまで軽口を叩いてたのが、何故か黙りこくってしまったサルバの方を見ると、そのサルバが呆れたような感心したような妙な雰囲気で蟀谷を揉んでいる。
「いや、なんつーか……」
「うん」
「お前……ほんっとうに頓着しない性格してんなと思ってな」
「そう?」
「おう」
僕が首を傾げると、サルバがコクコクと頷いた。んー、まあでもそうだね、
「よく言われるよ」
人とはあんまり話さないんだけど、その割にはよくね。
「ま、そういうことなら俺は文句ねーわ。後の細かい匙加減は任せるぜ?」
「はいな」
サルバに軽く肩を竦め返してから、僕はその場でしゃがんでさっきのパーティーがまき散らして行った土くれの残りを掬い取って、軽く臭いを嗅いでみる。
ツンと鼻腔の最奥に突き刺さる饐えた悪臭。リンゴに似たそれは嗅ぎ慣れたダンジョンの臭いで間違いなかった。
「……臭うのか?」
僕の表情の変化に気付いたのか、サルバがそう尋ねてきた。
「うん」
「程度とかも分かるのか?」
「経験則になっちゃうけど……」
サルバの質問に僕は少し考える。
「まだ腐敗が始まったばかりくらいの臭いだから、ちょっと酸っぱくて妙に鼻に纏わり付くくらい?」
「十分臭ぇじゃねーか」
「まあね」
想像したのか、サルバはうえっと妙に長い舌を出した。
「そういうの聞くと、ダンジョン閉鎖士の力を持って生まれるのって本当に良し悪しに思えるな」
「ま、それが正常な感想だよね」
割と真理を突いているというか。
「やってることは街のごみ処理係とさして変わらないし、ダンジョン閉鎖士ってだけで風当たり強いし。無駄に生きるための必要レベルが上がってる気がしてならないよね、本当に。……そこ、笑わない」
「すまんすまん」
「詰めるのは小指だけで良いよ?」
「いや、何がだ!? つか、指詰めんのは確定かよ!?」
「当たり前じゃん」
落とし前は必要でしょ?
「つか、そんな糞みてぇな仕事なら、いっそ辞めちまえば良いんじゃねぇのか?」
「え?」
「あん?」
サルバの言葉に首を傾げると、サルバも何故か不思議そうに首を傾げている。……あー、そういえばまだ言ってなかったっけ。
「それやると、ほぼほぼ次の朝日を拝めなくなるんだよ?」
「そいつぁやべぇな」
「……」
「……え? マジでか?」
一頻りけらけらと笑ったサルバは、僕の視線に気付くと信じられないとでも言うように、長い前髪の間から覗く左目を丸くしているけど、掛け値なしにマジなんだよなあ。
「ダンジョン閉鎖士って、立場上帝国とか貴族の機密情報に触れまくる仕事だからね」
そんな人間足抜けさせたら、帝国にしても貴族にしても”始末”するしかなくなるよね。まあ、今更なんだけどさ。
「いや、なに平然としてんだよ」
「だってじたばたしても仕方ないし」
「それはそうなんだろうけどよぉ……」
「ごっつい神経してんなぁ」と虚空を仰ぐサルバだったが、その時ふと何かに気付いたのか、焦った様にこっちを向き直った。
「っておい、それってつまり、お前と一緒に行動している俺も、足抜けした瞬間後ろから殺られるってことじゃねぇのか!?」
「そうなるね」
僕が首肯すると、何故か絶望したような雰囲気になって頭を抱えるサルバ。
「まあ、触れた機密次第ではセーフの可能性もあるから」
「本当か!?」
「うん。……サルバはもうダメな気がしないでもないけど」
「それじゃあダメじゃねぇか!? 上げて落とすなよ!? 態々、上げてから落とすなよ!?」
「はっはっは」
キシャーッと一頻りキレ散らかすサルバ。数分して激情が治まると、ぜーぜーと肩で息をしながら「ち、ちなみにだが……」とこっちを向き直る。
「仮に足抜けした場合の、閉鎖士の生存確率ってどんなもんなんだ?」
「触れた機密事項の軽重問わず、もれなく一月も経たずに失踪だね」
「ダメじゃねーか!!!」
「あはは」
サルバが悲鳴と共に頭を抱えた。
「……入る前に言ってほしかったわ」
失意に濡れたサルバが恨めし気にそんなことを言ってくる。
「その場合、話し終わった瞬間、僕がサルバを殺してただろうけど、そっちの方が良かった?」
「何でそうなる!?」
「はっはっは」
発狂したサルバが胸倉に掴み掛ってきた。
「外部への情報の流出自体が粛清対象なんだよ。サルバも知ってるだろうけど、ダンジョン閉鎖士なんてただでさえダンジョン感知能なんて主観でしか証明しようのない能力が前提になっている上に、社会からの扱いなんかもアレだから、皇帝陛下やギルドも数を集めるのに四苦八苦している状態だしね。ただでさえそんな有様なのに足抜けが出来ないなんて話が周知されちゃったら、意地でもダンジョンの事を察知できないって言い張る人間が出てくるだろうし、ダンジョン閉鎖士じゃない人間からすれば、ダンジョン閉鎖士の"ダンジョン・コア"を察知するスキルなんかは感覚的なものだから、言い張られたら一々相手の論理の矛盾探さなきゃいけなくて手間も手間だし」
「なんつーか、末法極まれりって感じの理屈だな」
「倫理で全ての片が付くなら、政治なんて必要ないだろうからね」
僕が肩を竦めると、サルバも「そりゃそーだ」と肩を竦め返した。
「ま、だから、何度か確認取ったわけだし」
「あれ、そういうことだったのかよ」
「分かりづれぇわ」と呻くサルバに「分かりやすかったらそれこそ問題でしょ」と返すと、ぐぅとだけ言って、何も言わなくなってしまった。
「大丈夫?」
「ん? ああ……」
頭を抱えていたサルバは軽く首を横に振って、
「自分の軽率さを改めて実感していただけだ」
と、物凄く疲れた雰囲気で深く深く溜息を吐いたのだった。ま、それはそうだね、
「いくら切羽詰まったからといって、よりにもよって僕にコンタクトしちゃうあたり運が無いのは間違いないかな」
僕が笑うと、サルバが「別に……」と不満混じりの雰囲気で口を尖らせる。
「お前に声かけたこと自体は後悔してねぇっての」
ふーん……
「え? マジで?」
「なんでお前が驚いてんだよ」
物凄い訝られたんだけど……だってねぇ?
「僕に声掛けたことを後悔してないなんて、どう考えても変態か性癖が歪んでるかのどっちかしかありえないし」
何なら、その中でも超特殊性癖で間違いないと思うし。
「言うに事を欠いてこの野郎」
サルバは発砲した。
僕はしゃがんで回避した。
「まあ、サルバの性癖が大分特殊だったのは置いておいて」
「置いておくんじゃねぇよ」
「それより仕事を進めないと」
「仮にも発砲されたのを"それより"で済ませるやつも大分特殊な変態だろうが」
「なにおう」
否定出来る要素は無いけどさ。ま、それはそれとして、いい加減ダンジョンの奥に向かわないと。
「そういやアルタ」
「んー?」
ダンジョンの奥に向かって歩き出したところで、サルバが思い出したように小首を傾げた。
「さっき、あいつらが撒いた土のことは腐敗が始まったばっかくらいっつってたけど、他になんかなかったのか?」
「うーん、特には?」
正直、良くも悪くも普通の枯れ始めたダンジョンの土って感じの臭いだったし。
「逆に僕からも聞きたいんだけどさ」
「おう」
「さっきの土から這い出てきたモンスターはピクシーで間違いなかったよね?」
僕の質問に、一瞬考え込む様な素振りを見せたサルバだったけど、すぐにこっちを向くと「ああ」とはっきり首を縦に振ったのだった。
「何かしら特殊なモンスターの可能性も考えたが、あれは間違いなくピクシーだった。元B級冒険者として断言するぜ」
「そっか」
サルバの太鼓判に頷きながら、そうなると次に湧いてくる疑問に首を捻る。
「ダンジョンの土とピクシーを態々ダンジョンの深部に運んで、しかもそのまま放す理由か……」
「持ち運べる数を見誤って、泣く泣く放置することは結構あるんだけどな」
「自分から能動的にモンスターを放棄する理由はまず皆無……か」
「だな」
そう言って、隣のサルバがコクコクと頷いた。うーん……、
「まあ、今すぐとっちめる必要も無いだろうから一旦放置だけど、ギルドに戻ったら、ギルド長にあの冒険者の人達の動向とかを調べてもらう方がいいかな?」
そんなことを考えながら、丁度辿り着いたダンジョンの最奥にある一室、”コア”の臭いが一番濃く漂うそこに足を向ける。
「じゃ、入るよ。……準備は良い?」
無駄に力強い悪臭と共に、聞こえてくるチキチキという硬い殻か何かが擦れ合う異音。断続的なそれが、中に居るモンスターの存在を示唆してくる。
「おう」
頷いたサルバが二丁拳銃を引き抜くと、かちりと音を立てて、その両方の撃鉄を起こす。俄かに真剣になる息遣いに、「宿に帰るまでが探索です」と思い出した言葉を何となく口ずさむ。
「初級冒険者の手引きにあったな、そんなの」
僕の言葉に反応したサルバがくすりと笑みを漏らす。
「まあ、冒険者としては正真正銘初心者だしね」
むしろ、こういう基本は大切にしないと。
「それもそうだな」
頷いたサルバが室内で鎌首をもたげた小さめのワームに向けて一発発砲する。ぎっ!?という悲鳴が細い通路に反響する中、僕はそのワームへと突貫を仕掛けたのだった。
◆
ダンジョンから戻った僕達は役場で今日のダンジョンで狩り取ったモンスターの換金を済ませると、宿で夕食が出されるまでの時間を思い思いに過ごしていた。
("ダンジョン・コア"の析出の兆候……なし。その他異変……なし)
今の身体になってから初めてのダンジョン探索で気が張っていたのか、部屋に入るとすぐにベッドの上でゴロゴロし始めたサルバの前で、僕は今日の分の調査報告書の方をまとめていた。
(それと……)
報告書の定型書式の記入を完了させて、書類を先に書いていた昨日の報告書の上に乗せてから、さっきのパーティーがピクシーと和えていたダンジョンの土入りのブリキ缶を取り出す。
蓋を開ければ、当然の様に腐敗したリンゴの臭い。ダンジョンの中でややぼやけていたそれは、そとで嗅いでみればよりはっきりと僕の鼻神経をじくじくと蝕んだ。
ただ、それ以上に何かがあるのかと言われるとそういう訳でもなくて、どちらかと言えば僕の疑問符は態々このダンジョンの土を運搬するという、不自然な行動を取っていた件のパーティーの方に向けられる。
それらの旨を報告書に記入すると、書き込みを終えた全ての書類を一纏めにして、サンプルのブリキ缶と共に小包にしてしまう。
「終わったのか?」
「うん」
いつの間にかベッドを立ったサルバが隣に立って僕の手元を覗き込んできていた。
「手際良いな」
チラリと前髪の隙間から覗かせた左目で、書類を梱包する僕の手元を捉えたサルバがそんな感想を口にする。
「ま、慣れてるからね」
僕は軽く肩を竦めながら、作業を完了させた。
「調査結果の方も白髪のギルド長さんが言っていた通りの内容だったのに対して、”コア”の方には異常らしい異常が見られない奇妙な状態だったから、二、三気になったところを加味しても、明日早めにギルド長に報告書を提出したいところだね」
流石に今の時間から村を出たら悪目立ちするから、出発は明日まで伸ばさないといけないけどさ。
と、僕の説明に「ほーん」と頷いてたサルバが、何か引っかかったのか「ん?」と小首を傾げた。
「? どうかした?」
「いや、小包ならポストに突っ込んじゃえば良いんじゃねえのか?」
「あー、それね」
はいはい。
「機密が少ない奴ならそうするんだけどね。今回くらいになると、そうもいかないかなって」
さっきの冒険者のパーティーのこともあるしさ。
「あー、そういう」
意図が伝わったのか、コクコクと頷くサルバ。そーゆーこと。
「ま、状況次第ではサルバに持って行ってもらうこともあるんだけど、今回は冒険者パーティーに扮しての調査だから、リーダーのサルバに居なくなられちゃう訳にはいかないしね」
もっとおっきい町で、今回みたいにそれなりに目立つやり方じゃなかったら、遠慮なく顎で使えるんだけどね。残念。
「……」
「? どうかした?」
「何か嫌な予感がした」
「気のせいだね。間違いなく」
「……」
「……」
「なあ、アルタ」
「なに? サルバ」
「本当に気のせいなのか?」
「……」
「……もち「「「「「きゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」」」」」
「「ん?」」
胡散臭い物を見るようなサルバに左目を前に、僕が誠心誠意の首肯を返そうとしたその瞬間、どこからともなく沸き上がった甲高い絶叫の多重奏が、安宿の薄いガラス窓をビリビリと震わせたのだった。
「「……」」
顔を見合わせた僕とサルバは何が起きたのか確かめるために薄窓越しに外の方へと目を向けてみる。
「……何だ、ありゃ?」
サルバが口にした第一声が、僕達二人にほぼ共通した感想だった。
「「「「「ミロ様あああああああああああああああああ!!!!!!!!!」」」」」
絶叫するのは老若男女の別も無い、この村の村人さん達で、それを遠巻きに憧憬の視線を向ける真新しい安装備を身に着けた低級冒険者の人達。そして、それを更に遠巻きにして品定めするような視線を投げかける、少しだけ装備の良い中級冒険者らしき出で立ちの人々。
そんな多重の人の輪の中心にあるのは一台の中型自動車だった。
「「……」」
帝国ではある程度の普及を見せているものの、一般人にとってはまだまだ高級品な黒塗りのそれを遠目から眺めていると、不意にその扉が開き、一人の冒険者が姿を現した。
初めに見えたのは金糸をあしらった赤地のダンジョンコートの裾で、開いたばかりの艶やかな扉と一続きの上品さを醸し出している。そんな、いっそこんな村から見たら場違い感の拭えない出で立ちと共に現れたのは、
「はぁい♪ 今戻ったわ! みんな元気にしていたかしら?」
ややくすんだ金髪を揺らしながら、快活な笑顔を振り撒く、一人の女性冒険者だった。
少し勝気そうながら、利発そうなツリがちの右目をパチッと閉じてウィンクをすれば、近くでそれを浴びた数人の村人さん達が「はうっ」と胸を抑えて倒れこんだりしている。
「くすっ。相変わらず可愛い子達ね♪ お姉さんもこんな盛大なお迎えをしてもらえてとても嬉しいわ♥」
まるで歌劇か何かのスターの様に愛想を振り撒く姿に、元々ごく普通の冒険者だったサルバが言葉を失ったように唖然としている。随分目立ってるけど……、
「ねえ、サルバはあの冒険者に見覚えあったりする?」
「……いや」
あそこまで派手だったらもしかしてと思ったけど、少し考えたサルバはフルフルと首を横に振る。
「記憶にねぇな。……少なくとも、”渡り鳥”じゃねーはずだ」
「それなら、こんだけ派手にやってりゃ、最低でも情報は入ってきてるだろうからな」と言って、サルバは軽く肩を竦めた。
「となると、この村を拠点にして動かない”モグラ”か」
サルバの言葉に頷いて、もう一度相手に目を向けたところで、ふと妙な違和感を覚える。
(……隙が無い?)
ダンジョンに携わる冒険者というのは多くが対人戦をあまり想定していない。あまりと付くのはダンジョン内に冒険者を狙う盗賊や、他の冒険者との争いがないわけではないからだけど、基本的に彼らの標的はダンジョン内のモンスターとなる。それ故に対人戦として見た場合、過剰な威力やスピードを捻出しようとして極端な挙動を取ることが多く、その前提となる平時の所作や姿勢にも必然的に冒険者らしい隙というものが含まれている場合が多い。
けど、視線の先の彼女にはそういった冒険者に見られる隙が殆ど表に出てきていなかった。
(まあ、だから即何かがあるっていう訳じゃないんだけど……)
若干の違和感とそこから導き出される可能性をつらつらと思考の天秤に乗せていると、隣のサルバが「おい、アルタ」と視線の先の彼女から少し離れた一点を指さした。
「……」
サルバが指し示した先に居たのは、煌びやかな風体の女冒険者に向かって歩み寄る一人の冒険者……先のダンジョンでピクシーの輸送の指揮を執っていた痩身の冒険者の姿だった。
「「「「「キリコ様よおおおおおおおおおおお!!!!!」」」」」
その姿に、更に上がる村娘の絶叫。最早英雄譚の伝承中の人物そのものと言わんばかりの扱いに村人達が湧く中、痩身の冒険者に促された人だかりがぱかりと開き、伝承の中の二人が再会を果たす。
どうやら、二人とも親しい間柄らしく、女性冒険者の方は衆目に晒すためのそれとは違う、ごく気安げな微笑を浮かべながら、渋い表情をした痩身の冒険者に近付いて行った。そんな、女冒険者の微笑みにほんの僅かにだけど表情を綻ばせた痩身の方は、しかし、直ぐに視線を引き締めると、何事かをその女冒険者さんに耳打ちしていた。……っていうか、
「何か、こっち見られてない?」
「だな」
痩身の冒険者の言葉に何度か頷いたくすんだ金髪の冒険者は何故か宿の二階から顔を出す僕とサルバに向けて、アーモンド形の大粒の両目をきつく引き絞っている様に見える。
「……気のせい?」
「と、思いたいところだけど、何かこっちに来てるぞ」
「だよねえ……」
サルバの言葉通り、その女冒険者さんはゆったりとした余裕たっぷりの歩みで何故か僕とサルバの居る宿へと近寄ってきている。
その顔には分類的にはさっきと同じ微笑が浮かんでいるものの、いわゆる気安さみたいなものは欠片も感じられず、むしろ獲物を前にした猛禽類の様な獰猛な色が帯びられていた。……うん、
「そういえば、さっきダンジョンで"落とし前を付ける"って言ってたよね」
「言ってたな」
「……」
「……」
僕の確認に同意したサルバがムスッと唇を尖らせる。まあ、どう考えてもそういう事だよね。
「面倒臭いな」
「けど、さっきも言ったけど落とし前の内容によってはチャンスかもしれないし」
「あー、まさか本当にやることになるとはな」
ぼやくようにサルバが窓の庇を仰ぐけど、そこには答えも無ければ、あっても辿り着くのはどん詰まりだと思うよ?
「うっせぇよ」
「? まだ何も言ってないけど?」
「言ってなくても大体分かるっつの! ……う゛ぉぇっ」
「どうしたのさ」
そして、突如えずくサルバ。んー?
「いやな」
「うん」
「お前の思考が理解できるのって、冷静に考えて人として何か嫌だと思ってな」
「はっはっは……失礼な」
「躊躇なく短刀抜くなよ、おい」
「眼球を狙ったつもりだったんだけど、まさかその前髪で正確に避けられるとは思わなかったな。……よく避けられたね?」
「これでも、ガンナーだからな。というか、何で目を狙うんだよ。ガンナーにとっちゃ致命傷だぞ、目は」
「だから狙ったに決まってるじゃん」
「この野郎」
「正真正銘この"野郎"だよ。ちんちんなくなったサルバと違って。ぷっ」
「……この野郎」
「うん、僕が悪かったから胸倉掴んで銃口突き付けるのは止めてくれないかな? それだと避けられないし」
「避けられる要素があったら良いのか」
「それなら一々ごちゃごちゃ……言うかもしれないけれど、命乞いはしないよ」
「……」
何か、溜息と共に呆れられた気がする。あれ?
「はぁい! あなた達!!」
と、そうこうしているうちに、話題の中心だった女の冒険者が窓の下までやって来ていた。ついでに纏わり付いて来る村人の数も多くて、まるで大衆に向けた貴族の演説風景みたいになっている。
「何か用ですか?」
取り合えず窓を開けて、こっちの予想通りじゃない可能性を考慮して確認を取ってみる。まあ、貼り付けられたような笑顔とか、分かりやすい闘気を見る限り、その可能性はほぼほぼ皆無だろうけど。
「昨日の夜は私のパーティーメンバー達が随分とお世話になったみたいじゃない?」
「はあ」
どうやら、案の定というか、予想違わずといったところらしい。うん、好都合。
「まあ、大分行儀が悪い人達でしたからね。それで、それがどうかしたんですか?」
一先ず、煽り半分で要件を問い返す。
僕の返答に軽く肩を竦めた彼女は「そうねぇ」と呟いて形の良い顎に人差し指を当てる。淀みも無いし、絵にもなっている、芝居がかった仕草だった。
「確かに、あなたの言う通り、ちょっとお行儀が悪かったかもしれないけれど、流石にあれはやりすぎじゃないかしら?」
「はぁ」
口では行儀悪いのを認めてる風だけど、本心から悪いとは思ってないね、これ。
「それで?」
「パーティーのリーダーとして、あなた達から私のパーティーメンバーへの正式な謝罪を要求するわ」
彼女の要求は端的で単刀直入だった。
(さて、どうしたものか……)
その言葉に、僕は内心で頭を捻る。
正直、事を荒立てないのが目的ならさっさと頭を下げちゃうのが良いんだろうけど、この村から尻尾巻いて逃げ出すにはちょっと理由付けとして弱いんだよなあ。というか、それをしちゃうと、
「……」
(うん、やっぱり怒ってるよね)
隣の不機嫌になったサルバを宥める方法が無くなっちゃうんだよね。それ以前に直接の被害は僕じゃなくてサルバの方だしね。
そうなると、こっちの出方も必然的に絞られる。まあ、どうせこのまま帰還するんだから、却って好都合だしね。
「お断りします」
僕が窓の上から僕が返答をすると、熱気を帯びていたはずの空気がピシリと硬直するのが分かった。同時に、村の人達の間では自分達にとってのシンボルか何からしい冒険者の要求を袖にしたことに対する怒りと敵意が湧き出ていた。
「理由は……何かしら?」
周囲で湧き上がる怒号の中、顔面に微笑を湛えたままの女冒険者が、そう尋ねてくる。
「元々絡んできたのは貴女のパーティーメンバーの方ですし、先に剣を抜いたのもそちらですから」
「だとしても、あの子達の顔までズタズタにしたのは明らかにやりすぎじゃないかしら? ただ単にそっちの子が可愛かったから、ただ少し一緒に食事をしたかっただけなのよ?」
「ただの食事で胸を揉ませるのがそちらのパーティーの習慣なんですね。知りませんでした」
女冒険者の確実に状況を恣意的に穏便化した説明に、方々から上がった「そうだそうだ!!」という追随の怒声に、軽く冷や水を浴びせる。
(っていうか”子”って……)
あんな、脂ぎった冒険者に使う言葉じゃないよなあ……。
「ま、そういう訳なんで、話はもう良いですか? こっちもそろそろ明日に備えて寝たいんで」
そんなことを考えながら、最後の締めに入る。これで諦めて矛を収めてくれれば、こっちとしてもこれ以上手間が掛からないで楽なんだけど……、
「そう……」
まあ、
「あくまでも謝罪するつもりはないということね」
そう簡単には、
「じゃあ、仕方ないわ」
いかないよね。
そう語りながらするりと薄手のグローブを外す階下の女冒険者さん。そして、投擲されたそれは、二階で見ていた僕の胸に当たって、ぽすりと軋む床板の上に墜落する。
「この村にはこの村のルールがあるわ。トウトウ村の看板冒険者として、その礼儀を教えるのもお姉さんの役目ですもの。……さあ、来なさい! お姉さんがしつけてあげるわ♥」
そう言って、ロングブレードを掲げると、切っ先をこっちに向けて宣言してくる女冒険者。
夜の村全体に響き渡った威勢の良い宣言に、取り巻く村の人達の期待も最高潮に達する。
「「「「「うおおおおおおおおおおおおお!?」」」」」という歓声の中心でパチリとウインクする姿は確かに絵になるだろう。この風采の持主と同じパーティーって考えると、あの三人の冒険者が調子に乗ってたのも、まあ、無理からぬことだったかな?
「ちなみに、断ったら?」
「あら、怖いのかしら?」
くすりと笑う女冒険者。同時に、周囲の村人達がどっと沸く。一様な反応をした村の人達に浮かんでいるのは、判で押したような嘲笑の気配だった。
「ま、それならそれで仕方ないわ。いくら悪い子でも、背中から斬りかかるわけにはいかないもの」
そう言って、頭を振った女冒険者は「でも」とすぐに次の言葉を繋ぐ。
「そうやって逃げちゃう冒険者のことを、他の人達はどう思うかしら?」
「……」
「少なくとも、ギルドや商会の人達、後は貴族みたいな立場の人間なら、絶対に仕事を依頼しようとは思わないわね」
「……」
商会や貴族といった大口の顧客からの依頼というのは、冒険者にとっては大きなステップアップに繋がる仕事だ。必然的に、その依頼を行う商会や貴族様も、その仲介を行うギルドも、依頼する冒険者の風聞や信用というものを殊更に重視する。
この風聞を無視するなら、これ以上の昇級は出来ないか、出来たとしても大幅に遅れることになる……という脅しをかけてきていることになる。
(まあ、僕達の場合は関係ないといえば関係ないんだけど)
冒険者に偽装したダンジョン閉鎖士だからね。まあ、逆に言えば、普通の冒険者なら逃げることが出来ない殺し文句ってことなんだけど……。
「分かりました。受けましょう」
少し考えて頷くと、隣のサルバが驚いたように上げた「アルタ?」という言葉が、ドッと沸いた村人の歓声に呑み込まれて掻き消える。
「勇気のある子は嫌いじゃないわよ♥ それじゃあ、私は村の広場で待ってるから、準備が出来たらいつでもいらっしゃい♪」
そう言って、再び群衆を引き連れて去っていく冒険者を眺めながら、一旦窓を閉じて鍵を掛ける。
「良かったのか?」
僕が窓を閉めると、隣のサルバが訝る様にそう確認してきた。
「まあ、あれだけ闘気を滾らせていた時点で、丸く収めるのはまず無理だったからね」
あそこまで分かりやすいと、却って逃げるという選択肢を捨てやすくてよかった気もする。
「それと、一つ確かめたいこともあったからさ」
「確かめたいこと?」
「うん」
コテンと首を横に倒すサルバに頷いて、さっきの女冒険者の所作や体捌き、足運びに腰の据わりといった動作の一つ一つから感じた、妙な違和感を伝えてみる。
初めは訝る様だったサルバも、次第に雰囲気を険しくして、最後は納得した様にコクリと頷いた。
「妙なことをしてた冒険者パーティーのリーダーが、また妙な素性を持ってる可能性か……」
そう言ってガシガシと頭を掻くサルバに、僕も肩を竦める。
「そういう訳だから、僕が決闘をしている間に荷造りを済ませておいてくれない? 終わったら、荷物を全部持って広場集合で」
「そりゃ構わねぇけど……本当に大丈夫か?」
そう言って、少し心配そうに小首を傾げるサルバ。んー、まあそうだね。
「多分大丈夫でしょ」
確かに立ち振る舞いは冒険者にしては特異だったけど、捌けないって感じはしなかったかな。
「それじゃ、"決闘に負けて無様かつ惨めに逃げ出す負け犬"と」
「”それを追いかけて尻尾を丸める無力で無能なリーダー”の演技……だな」
口にしたカバーストーリーがツボだったのか、ニヤッと口端を持ち上げるサルバ。
「おお、あるたよ まけてしまうとは なさけない」
そして、確定した未来を、おどけた口調で茶化してくる。
「その なさけない なかまに けっとうを おしつけるなんて ひどいやつだなあ きみは」
ぶはっと噴き出したサルバの笑い声に見送られながら、僕は必負の決闘に臨むのだった。