最後に立つ者は
二対一。半ば暴走状態とはいえ、数的不利を理解する知性は結城にも残っている筈。しかし彼に降伏の意思はなさそうだった。むしろ逆境に立たされたことで、余計に闘志が燃え上がったらしい。フー、フーッと荒っぽい呼吸が聞こえてくる。
黒羽が結城を見据えたまま、僕に対して問い掛けを発した。
「どうする。殺すか?」
「それしかないなら。だけど出来れば……彼を止めたい。考えてることがあるんだ。だから」
「皆まで言わなくていい、了解だ。私もあいつには借りがあるからな。墓場送りにするには惜しい。だが……」
「簡単じゃない、よね。分かってる。何か良い案は無いかと思って」
勿論、無い。故にこうして悩んでいるのだ。
結城との距離は十数メートル。互いに仕掛けるタイミングを窺い、しばしそのまま対峙が続く。
両者の間を満たすのは、思わず息を呑むような沈黙。さらさらと水の流れる音が聞こえてくる。神社の位置関係からして、この茂みを抜けた先に川があった筈だ……ん? 川?
「そうだ川だ!」
「何だいきなり! 川がどうした!」
「禊だよ。前に高千穂でやったやつ」
これならいける。禊とは浄化の儀式だ。水の力で悪いモノを清め、正常な状態に戻す。すなわち……。
「宗像を川に沈め、負の念を削ぎ落とすということか? 実現性は高いが、二度も同じ策にかかるとは……」
「バレてても問題ないさ。僕が誘えば付いてくる。罠と分かっても、ぶっ壊しにくる。結城はそういう性格だから」
現に逆手で挑発の仕草をすれば、彼は即座に突っ込んでくる。良くも悪くも感情に素直な男なのだ。もしかすると木崎は、彼のそういう所に惹かれたのかもしれない。
「ほらね?」
「……そのようだな。承知した。汝を援護する」
目線だけで息を合わせ、僕たちは素早く散開した。腕や頭で木々の枝をかき分け、緩やかな坂となっている茂みを全速力で下っていく。
背後から追ってくるのは変化した妖狐。捕まったらマズいのは同じだが、数ヶ月前ほどの恐怖は無い。今の僕には抵抗出来るだけの力がある。それに加えて。
「黒羽さんはいなくても大丈夫だよ! 彼はアタシが守るから! から!」
「引っ込んでろ雑草! 貴様の手は借りんッ!」
……頼もしい仲間もいる。ただし非常に険悪な雰囲気だ。無理な話かもしれないが、戦いのさなかは矛を収めて欲しい。
絢音に指示を出す。止血を中止、蔦を再展開。結城との距離を開けるべく、ちょっと変わった移動方法を試す。
「木だ! 巻き付け!」
「はいはーい」
脳内にターザンを思い浮かべる。手頃な幹に蔦を絡め、跳躍。振り子のように加速して、同時に蔦を巻き取る。
宙に浮き上がる身体。感覚は擬似的な飛行に近い。
「黒羽、着地お願い!」
「言われなくとも」
空中でバランスを整えてもらい、危なげなく地面に降り立って、再び走り出す。
やがて傾斜が落ち着いてきた瞬間。パッと視界が開け、僕たちは川のほとりに出た。
身を翻し、直感に任せて左手を振るう。しなる蔦が、間近に迫っていた結城の頬を打つ。
間髪入れず黒羽がその喉を掴んだ。怒声を上げる結城。僕はそこに後ろから回り込み、猿轡みたいに蔦を噛ませて引っ張る。水面は、目と鼻の先だ。
「ぐ……うがあああぁあぁあああ!」
「こっ……のぉおおおおぉお!」
前に進もうとする結城と、川にぶち込もうとする僕たちの力がぶつかる。当初せめぎ合いは拮抗していた。だが徐々に結城が負け始め、一歩ずつ一歩ずつ、その身体が川に近付いて行く。
振り回された鉤爪が僕たちの肉を抉った。痛い。が、黒羽は動じていない。それに勇気付けられ、僕もまた全身に力を込める。
冷たい感触。ついに足が水に浸かった。今だ。蔦の拘束を解くと、僕はそのまま前に回り、黒羽の手に己の手を重ねる。
最後は、あうんの呼吸で……。
「跪け! 結城ぃぃいいいぃっ!」
二人がかりで彼を押し倒せば、焼けた鉄に水をぶっかけたような凄まじい音が上がった。
冷涼な清流が僕たちの肌を濡らしていく。腕の下、結城の霊力が次第に削がれ、脅威度が減少していくのが分かった。
最後のあがきとばかりに彼も暴れるが、僕と黒羽が抑え込んでいるのに加え、絢音まで拘束に参加している状況では勝ち目などない。やがて力尽きたように、抵抗するのを止めた。
終わったか。終わったな……?
黒羽と目配せをし、そっと手を放す。先程まであった燃えるような邪気は、もう感じない。僕たちの勝ちだ。
だが……。
「は……ははっ。はははははははは!!」
結城はまだ起き上がってくる。見上げた根性と言うべきか。それとも彼にも意地があるのか。
「……おい、大人しくしろ。眷属になるのが嫌なら、このまま立ち去ってくれてもいい」
「……はっ、大人しくしろとか良く言うぜ。んなもん拒否だ拒否! 甘ちゃんな文句は聞き飽きたんだよ!」
ああ……まだ続けるか。何かもう。こちとら妥協案を提示してやってるのに。何かもう……。
一向に途絶えない彼の執念を前に、哀れを通り越して怒りを覚えた。お人好しと言われる僕だって、堪忍袋の緒が切れることはあるのだ。
「お前な……いい加減にしろよ! そりゃまあ原因は僕だけど! いつまでもしつこく付きまとってくんな! 僕よりもっと嫁のこと見ろ!」
「はあああ!? 偉そうに説教垂れてんじゃねぇぞ、てめぇ何様のつもりだ! 人の気も知らずに、いっつも飄々としやがってよ! そういうとこが俺は嫌いなんだ!」
「知るか! だったら尚更関わってこなきゃいいだろ! もっと賢い生き方学べよ!」
感情を剥き出しにしてぶん殴る。すると直後に、殴り返された。威力は弱いが普通に痛い。
もう頭にきた。
「この……分からず屋がっ!」
消耗した身体を振り回し、頬にパンチを叩き込む。吹っ飛ばされて水面に突っ伏した結城は……狂ったような笑い声を上げながら、またしても立ち上がってきた。
「そう……そうこなくっちゃなぁ! おらぁ! 死ねぇ!」
「うるさい! 諦めろ! 馬鹿!」
言葉は届かない。そう分かった以上、説得は無用。雄叫びと共に拳をぶつけ合う。連戦が祟って僕はフラフラ。結城も似たり寄ったりの有様だったが、お互いに決して自分から止めようとはしない。
見かねた黒羽が仲裁に入ってくるが……。
「お、おいお前たち何をしている。ちょっと落ち着け」
「邪魔すんな!」
「するな!」
皮肉にも息が合った。もはや和解のタイミングは過ぎたのである。結城を何とかするためには、暴力を以て従わせるほか無い。
頼むから。頼むから折れてくれと、願いを込めてまた殴る。殴られる。殴る。殴られる。終わりの見えない戦いを延々と続けた果てに……ようやく、その時は訪れた。
「くはっ……俺の……負けか……」
どこか満足げな表情で結城が膝を付く。僕はそこへ、トドメとばかりに一撃を叩き込む。鈍い音の後に、拳のひしゃげる感覚が続き。彼の身体が水飛沫を上げて倒れた。
同時に限界を迎えた僕も、耐えきれず地面に崩れ落ちる。しかし激突寸前で、黒羽の腕に受け止められた。
「男は分からんな。いい加減にして欲しいのはこっちだ」
「まったくだよ。何やってんのこいつら……」
呆れたような二人分の声。それを最後に、ようやく気の抜けた僕は、大人しく意識を闇に沈めた。




