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比翼の烏  作者: どくだみ
2-6:因縁の終着点
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血の赤と花の緑

 ダメージを与え合った後、僕たちは一旦距離をとる。

 揺れる脳、ぼやける視界。さすがの馬力と言うべきか、肉体を強化する方向に突き進んだだけあって、打撃の威力は僕よりも上らしい。


「おしいな。天狗の鼻っ面を折るつもりだったんだが、狙いが狂っちまったぜ」

「……物騒なのは口だけかい? 鉤爪で首を切り裂けば、今ので僕は終わってたのに」

「初手大振りで仕掛けるほど俺もトーシロじゃねぇよ。まずは様子見。ジャブから入るのが定石ってもんだ」

「殺す気満々の割には随分と冷静だね」

「慌てても獲物は狩れねぇからな。戦い慣れしてないお坊ちゃんには分かんねぇか?」


 あからさまな挑発。それには乗らない。いかなる時も冷静たれ。黒羽が教えてくれた、戦いの心構えの一つだ。

 静かに息を吐く。リラックス。なるべく自然体で。対する結城は腰を落とし、獣のごとく飛び掛かる体勢をとった。その鉤爪が朝日を反射して煌めく。


「――おらっ!」

「っと!」


 繰り出された爪を掌で受け流し、そのままの勢いで身体を反転。お互いの場所を入れ替える。相手は野生動物。背中を見せれば終わりだ。

 再びの切り裂き。これをバックステップで回避し、鬼火を放つ。

 だが、結城は並外れた反射神経でそれをかわすと、姿勢を低くして一息に踏み込んできた。

 ……戦い方自体は、単純な力押し。木崎や絢音と比べれば、攻撃が素直な分、対処もしやすい。問題は――。


「ほらどうした! 守ってばかりじゃ勝てねぇぞ?」


 くらった場合、大ダメージになること。そうでなくとも純粋に押し切られる恐れがあることだ。


「フッ!」

「……っ、甘い!」


 鉤爪の一撃を腕で受け止める。皮膚が切れ、肌の上に血潮がほとばしるが、関係無い。痛みにはもう慣れた。

 前傾姿勢の結城を引き寄せ、膝蹴りを叩き込む。一度。二度。最後に前蹴り。力で負けている以上、長く組み合えば抑え込まれる。だからこそのヒットアンドアウェイだ。


「知ってた? 攻めてばかりじゃ勝てないんだよ」

「……猿が」


 意趣返しをすれば、結城はこれ見よがしに舌打ちをし、また飛び掛かってくる。回避と防御に意識を傾けつつ、板に付いてきた蹴りで僕は応戦する。

 殺害はあくまで最終手段。可能なら無力化で済ませたい。

 ミドルキック。鈍い音と共に肉体がぶつかる。手応えはあったが膝を付かせるには至らない。男性らしく頑丈な身体だ。

 反撃の切り裂き。回避は間に合わない。そう思って咄嗟に腕を組んだ。肉が抉られ、痛みと共に視界に赤が散る。


「……っ、今のは危なかった」

「踏み込みが甘かったか。次は首を落とす」

「出来るかな? その前に君の腕を折ってやるよ」


 傷付いた箇所を再生させながら、飄々と笑ってみせる。内心は冷や汗ダラダラだったが、おくびにも出さない。黒羽曰く『敵に弱みを見せるな』と。

 次に仕掛けてきたのは結城だった。全身をバネにして跳躍。天井の梁に上がり、勢いをつけて急加速。受け止めるのは危険と悟り、僕は素早く横に飛び退く。反撃のローキックを放つが、結城はそれを自らの足で受け、反撃に転じてきた。

 拳が。鉤爪が。唸りを上げて身体を掠める。乱雑で、滅茶苦茶で、だからこそ強力な攻撃。長くは避けていられない。どこかで流れを変えないと……。

 結城の右フック。頭を下げて回避。直後に腕を振るい、結城の手首を掴むことで連撃を寸断する。曝け出された脇腹に、短く肘打ち。結城が顔をしかめた。

 いける。そう判断し、空いている方の手で結城の首を掴む。そのまま地面に叩きつけようと足を踏ん張った……刹那。直感的な戦慄が、僕の背筋を駆け抜けた。

 結城の頭が狐のそれに変わる。慌てて彼を突き飛ばし、弾けるように距離を取った。直後、ガチン!と、鋭く尖った牙が目の前で閉じる。

 コンマ数秒でも動くのが遅ければ、僕の頭部は胴体と泣き別れになっていただろう。


「殴り、切り裂き、噛み砕く……獣の闘術か。読めないな」

「だろうぜ。あのカラスも絢音も割かし型通り(・・・)だ。俺みたいなのと戦うのは初めてだろ?」


 初めてだ。分かりやすくて分かりにくい。良く言えば柔軟で、悪く言えばいい加減。彼の洗練された力押しは、僕の喉元に十分届きうるものだ。

 黄金色の尾がゆらゆらと、僕を誘うように揺れている。半身になって、しばし睨み合い。同時に飛び掛かった。

 床に手を突き、下から食らいつくようにして結城が迫る。反対に、僕は上から叩きつけるような一撃を狙う。振り下ろした拳が、結城の頭に命中する寸前……彼の姿が消えた。

 取り残された服がその場に落ちる。どこに行った? 生じる焦り。予感を覚えて振り返る。するとそこには一般的なサイズの狐がいて……ハッとなった直後。裸体の青年に早変わりした。


「残念だな、足下がお留守だったぜ」


 身体を狐に戻し、小さくなって僕の下をすり抜けたのだろう。上手いな……いや、感心してる場合じゃない。この位置関係は、非常にまずい。


「うっ!?」


 立ち上がる勢いを乗せた拳が、僕の顎を強烈に打ち上げる。凄まじいばかりの衝撃に、視界はチカチカと明滅して……気が付けば視界は反転し、僕たちは床の上に転がって、取っ組み合っていた。

 結城の鉤爪。僕の鬼火。互いが近接戦用の武器を有する以上、戦いは自ずと、ノーガードの削り合いになる。

 上と下とが目まぐるしく入れ替わる。鋭利な刃が僕の肉を切り裂き、赤い飛沫が朽ちかけの床板を汚した。僕も負けじと、炎で結城の肌を焼き、手刀で鎖骨を、肋骨を砕く。

 二人の怒号が木霊すること十数秒。一瞬の間隙をついて、結城が僕の首を掴んだ。


「くっ……はっ……」

「思ったより手こずらせてくれたな。これで、チェックメイトだ」


 馬乗りになってギリギリと締め上げてくる。慌てて彼の手を引き剥がそうと藻掻くが、純粋な膂力で僕は彼に勝てない。肺への空気が遮断され、血が上った頭は今にも弾けそうになる。

 聞こえるのは、勝ち誇った結城の哄笑と、つんざくような耳鳴り。

 いけない……このままだと意識が保たない。拘束を振りほどく抵抗を続けながら、僕は必死に口を開け、喉の奥から声を絞り出した。


「僕を……殺すのか……」

「だからそう言ってんだろ?」

「あの日と……今日。僕は二度……お前を助けた! 借りがあるんじゃないのか……!」


 卑怯と笑うなら笑えばいい、少しでも彼が躊躇ってくれれば。そんな一縷の望みをかけた、良心に訴えるための言葉。首を絞める力が僅かに弱まり、今まさに振り下ろされようとしていた鉤爪が、ピクリと硬直する。

 瞳の奥に垣間見えた逡巡。生じた、確かな隙。だがそれは、僕が何か行動を起こすには、あまりにも短すぎた。


「黙れ……黙れ黙れ黙れ! 借りがどうした、助けてくれたからって何だ! んなもん関係ねぇ。全部お前のエゴ。お前が勝手にやったことだろうが!」


 激昂する結城。まるで己を叱咤するように。決意で戸惑いを塗り潰し、後戻りの道を意図的に破壊するかのように。


「……終わらせてやるよ、何もかも。俺たちの因縁も……ここまでだ」


 僕の言葉は届くことなく、ギロチンの刃が落とされる。再び加速した鉤爪が、息を飲む僕の首に迫った。


「死ね! 楓ぇぇえっ!!」

「――――させないよ! だったらアタシは邪魔しちゃう!」


 快活な声が鼓膜を揺らす。瞬間、目を疑うばかりの光景が、そこに広がった。

 見覚えのある植物の蔦が、僕の左手から(・・・・・・)急速に芽生え(・・・・・・)、鉤爪を寸前で受け止めたのである。


「え……は? はあぁあ!? 何なんだよこれ!」


 驚愕した様子の結城。事態が飲み込めないのは僕も同じだった。何しろその蔦は、僕が散々弄ばれた絢音のものと同じ、ヤドリギであったのだから。

 頭が混乱し、次いで停止する。だが、考えるよりも先に身体は動いていた。結城の肩を掴み、全身に力を込めて振り払う。

 拘束から解放された僕は急いで立ち上がると、必死に息を吸い込みつつ、左手から伸びる“それ”に目を向けた。

 形状、間違いなくヤドリギ。蔦の本数、一。大きさ、そこまででもない。生えている場所、絢音に噛まれた(・・・・・・・)手の甲の傷。


 ……いや。いやいやまさか。冗談だろ? だってこれって、要するに――。


「なーにポケッとしてるのかな? アタシだよー」


 僕の思考を読み取ったかのように、蔦が絢音の声で喋る。それを聞いて、僕は背筋が凍り付くような悪寒に襲われた。


「お前、どうして……」

「ふっふーん。その顔は驚いたときの顔だね? まあ当然か。アタシが生きていたなんて、楓さん微塵も思ってなかったもんねっ!」

「な……そ、そんなわけ無い! 僕はお前を殺した! 確かに殺したんだ!」

「簡単なことだよ。アタシの本体は死んだ。だけど直前に、自分の一部を切り離して楓さんの手に移植したの」


 移植……?


「寄生じゃないから間違えないでね。園芸で喩えるなら植え替え、あるいは挿し木みたいなものかな? 最後の噛み付き。あれは後押しであり、ギャンブルだった。楓さんに殺害を決意させる一方で、あなたの中に、アタシを永遠に留めておくための」


 してやったり。そう言わんばかりの朗らかな口調に、僕は絢音の最期を思い出した。

 自暴自棄じみた、けれどどこかしら満足げな笑い声。あれは……。


「誤解しないで。最初は潔く死ぬ気だったよ? だけど、躊躇う楓さんが尊すぎたから、ギリッギリのタイミングで未練が湧いちゃった。許して?」

「……何が目的だ」

「そりゃあ勿論、こうやって好きな人と一緒にいることだよ。……もしかして。離れられると思ってた? アタシを舐めんな。負けるにしたって完勝はさせない。あなたが傍にいてくれないなら、こっちから付いていく!」

「おまっ……ふざけるな! 人の身体を勝手に!」


 絢音を引き抜こうとするが、蔦を掴むよりも早く、彼女は僕の中に引っ込んでしまった。焦りと動揺、そして何よりも恐怖がよぎり、僕は拳を握り締める。

 対する絢音の返答は、僕を慰めるように穏やかなものだった。


「難しいかもしんないけどさ、どうか怖がらないで欲しいな。見ての通り、アタシは力を失った。前みたいなことは逆立ちしても無理。楓さんの身体を間借りして、細々と命を繋げてく、ただそれだけの弱々な存在だよ」

「うそぶくな……信じると思ってるのか?」


 倒したと思った最強の敵が、あろうことか自分の中に巣くっている。たとえ今は弱っていても、これから先どうなるか分からない。いつ何時、彼女が力を取り戻し、僕や黒羽に害意を向けるとも限らないのだ。そうなれば……。


「お前は平気で僕たちを騙す。今だってそうだ。何も出来ないって言ってるだけで、本当はチャンスを窺ってるんじゃないのか? 僕の霊力があれば、身体を再生させることだって……」

「どうかな。言ったでしょう、あなたは免疫を持っている。あなたの中にある限り、アタシの活動は大幅に阻害される」

「信じられない! お前の嘘かもしれないじゃないか!」

「そうだね。だからこうして出て来たの。言葉じゃダメなら、行動で示すのが筋だもん」


 再び蔦が生えてくる。僕は今度こそそれを引き抜こうとして……ピタリと、直前で手を止めた。絢音が何を考えているのか、分かってしまったからだ。


「……まさか、協力するってのか?」

「そういうこと。楓さんが死ねば、アタシは拠り所を失って枯れる。楓さん的にも、恋人のためここで負けるわけにはいかない。力を合わせるのが最善じゃないかな?」

「……っ。確かに、そうかもしれないけど」


 理屈として納得は出来る。しかし一方で、こいつを受け入れることに、僕の心が明確な拒絶反応を示してもいた。論理と尊厳が脳内で天秤にかけられ、激しく揺れ動く。


「おい、俺を無視してんじゃねぇよ」


 正面から迫る殺気に、ハッとなった僕は慌ててその場から飛び退いた。直後。結城の拳が床板を砕く。

 消耗の度合いは明らかに僕が上。実力は、総合的にみて互角。このままタイマンで戦って、負ける可能性は存分にある。さっきがまさにそうだった。

 欲しいのは、確実な勝利。五分五分の勝率など許容出来ない。ならば、ここで僕が打つべき策は――。


「……魂を、売るしかないのか」


 悪魔に。いや、それよりも遥かに恐ろしい女性に。


「……君は何が出来るんだ?」

「色々と。とりま鞭みたいに使ってみる? 程良い中距離用の武器になる筈」

「鞭? 持ったことない」

「ご安心を。そこはアタシがサポートする。任せて」


 不敵に笑う絢音の顔が、イメージとして脳裏に浮かび上がる。僕は盛大に溜息を吐いた。

 信用してはいない。これはあくまでビジネス、すなわち契約だ。協力すると言うのなら、奴隷のように使い倒すまで。最終的にどうするかは、終わってから考えればいい。


「……命令は僕が出す。勝手な真似をしたら、腕ごと切り落としてでも殺す。いいな」

「イエッサー、ボス! これより貴方を守ります!」


 いつになく低い僕の声に対し、返ってきたのはテンション高めの返事。僕と共闘出来るのが嬉しいのだろう。こちらとしては気に食わないが……まあ、どうでもいい。今意識を向けるべきは、彼女じゃない。


「てめぇらの事情はよく分かんねぇけどよ。他の女にうつつ抜かしてるって知ったら、あのカラスはどう思うだろうな?」

「絶対に怒るだろうね。骨とか折られるかもしれないけど……覚悟の上さ。まずは結城、君を倒す」


 嘲笑する結城。応えて、半身になる僕。合わせるように、絢音が蔦を伸ばした。左手が妙にムズムズするのは、こいつの根がまだ僕に馴染みきっていない証拠だろう。けれど……。

 数度、試しに振ってみる。思ったより感触は悪くない。リーチも十分。これならば、結城の間合いの外からでも攻撃出来る。


「初めての共同作業だね。アタシが嫁、楓さんは夫ってとこかな?」

「君が奴隷で、僕はご主人様だ」

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