同盟の終焉
障子越しに朝日の差し込む中、鐘を突くように高らかな哄笑が響く。
僕の申し出を嘲るかのごとく、結城はパチパチと手を叩き、それから鉤爪を僕の方に向けた。
黒羽が素早く前に出ようとする。僕はそれを押し留め、逆に彼女を背中に庇った。
元・友人に改めて向き直る。彼の瞳には明確な殺意が宿り、自然と奥歯を噛み締める僕を、獲物を定める捕食者の形相で、睨み付けていた。
「……何のつもり?」
「言わなきゃ分かんねぇか? 今からお前を殺すんだよ」
ハッキリと、曲解の余地も無い宣戦布告。僕は体内を風が駆け抜けていくような悲しみに襲われた。
和解したと思ったのに。元の関係に戻れなくても、マイナスをゼロには出来たかなと。少しだけ期待を抱いていたのに。全部、僕の気のせいだったのか……? 二人の協力は上辺だけで、事が終われば初めからこうするつもりでいたと?
「俺や木崎を助けてくれたのは、感謝してるぜ。だけどそれとこれとは話が別だ。事件が解決した以上、俺は俺の望むようにやらせてもらう」
「そんな……ふざけんな! 勝手なこと言うなよ、僕たちは仲間だったじゃないか! 僕を嫌うのは勝手だけど、何も殺し合わなくたって……!」
「仲間? しゃらくせぇ、所詮は敵の敵さ。しかも、寝首を掻かずにタイマンでやろうってんだ。まだ正々堂々としてる方だぜ?」
「……頼むよ。僕は、君と戦いたくないんだ。こんなの意味なんて無いよ……!」
拳を固く握りしめ、必死の説得を試みる。だが、今の結城は聞く耳を持っていなかった。戦いを嫌がる僕を忌々しげに睨み、侮辱するように唾を吐き捨てる。
「意味が無い、か。お前にとっちゃそうだな。けど俺は違う。俺はあの日から……妖怪になって化けて出た日からずっと、お前を殺すことを考えて生きてきた。お前への殺意が、俺の妖怪としての原動力なんだ! ああそうさ、ちゃんと頭じゃ無意味って分かってる。だけど身体が止まんねぇんだよ! お前がどう思ってようが俺はお前を殺すっ!」
全身から妖気が立ち上り、周囲の空気に金色の閃光が走る。彼は……間違いなく本気だった。
僕の言葉じゃ彼の心を変えられない。そう悟った僕は説得を諦め……代わりに一つ、深呼吸をした。
清涼な空気が肺の中に満ちていく。これが避けられない争いならば。余計な心情は捨て、勝つことを何よりも最優先に。
「……木崎、君も同じ考えなんだよな?」
「残念ながら。戦争は、同意が無くても始まるんです。どうしてもケリつけたいそうなんで、付き合ってやってください」
止めてくれるかと期待したが、むしろ彼女はイケイケであるらしい。だが少なくとも、僕と結城の決闘には手出しをしてこないようだ。あとは黒羽がどうするかだが……。
「何を勝手に話を進めている? 貴様ら、楓に助けられておきながら、その恩人に牙を向けるつもりか? 恥を知れ下衆どもがッ!」
案の定、ブチギレだ。彼女の辞書に静観の二文字は無い。結城が動くなら自分も動くつもりなのだろう。そういう女性だ。
「おーおー、大変勇ましいこった。で、オトコオンナ。お前はどうするつもりなんだ?」
「決まっているだろう。宗像、貴様が楓に手を出すなら、私は彼の盾になる。……言った筈だ」
「ちゃんと覚えてるぜ。だけど悪いな、そいつは無理だ」
「何だと? 一体どういう――」
「わたしがあなたの相手をするという意味です。結城くんのためじゃなく、至極個人的な理由でね」
問い返そうとした黒羽に対し、応えたのは木崎だった。狐の尻尾をゆらゆらと揺らしながら、不気味に舌なめずりをしてみせる。
「高千穂で戦ったときから、ずっと思っていたんですよ。半人半鳥の黒羽さん、あなたからはとっても良い匂いがする。狐だからそう感じるのか、それともあなたの独特な在り方ゆえか。……判別はつきませんが。ここでみすみす逃すには、あまりにもレアで勿体ない」
目を細くする彼女の表情は、絢音が僕に向けたものと同じ。獲物を捉えた捕食者のそれだった。
「食べさせてくれ、っていうわたしの言葉。まさか冗談だとでも思ってました?」
本気ですよ。呟いて、木崎が黒羽に歩み寄ろうとした。僕は素早くその前に立ちはだかり、視線で木崎を牽制する。
「彼女に近付くな」
「……あら。あらあらあら! 随分と勇ましいものですね。ちょっと前までシンデレラだったのに、今じゃ立派なナイト様ですか」
「優男が調子に乗ってんなぁ? 八つ裂きのし甲斐があるってもんだぜ」
目の前の二人から放たれる、妖怪としてのプレッシャーに、僕は思わず生唾を飲み込んでいた。
黒羽を守って戦うとなれば、必然的に二対一。数の上では劣勢で、しかもこちらは消耗から回復しきっていない。分の悪い戦闘を強いられるだろう。だが――。
「上等だ、女狐。貴様の願望、完膚なきまでに叩き潰してやる」
僕の肩を掴んで押し退けたかと思えば、黒羽が僕の横に出る。そうだよな。君は大人しく守られる女性じゃないし。この雰囲気じゃ、下がれと言っても聞いてくれそうにない。
「乗り気ですね?」
「前々から、貴様を一度ぶっ飛ばしておきたかったんでな。良い機会だ」
「嬉しいです。それではわたしも、遊びは抜きにして全力で。……取り敢えず場所を移しますか? 夫の邪魔はしたくありませんし、されたくもないので」
僕と結城を指差して、木崎が提案する。黒羽は「構わん」とだけ答えてから、親指で下の広場を指し示した。ここが学校だったなら、喧嘩を売るチンピラとそれを買う番長の構図に見えただろう。
出来ることなら黒羽を止めたかった。だが、今の僕にその余力は皆無。彼女を信じて、僕は僕の戦いに勝つしかない。
不敵な笑みを浮かべて、黒羽が僕に手を振った。
「後でな、楓」
「うん、またね」
「例の件、忘れるなよ?」
「……ごめん、何のこと?」
「酒。狐どもが来る前、一緒に飲もうという話をしていただろうが。約束は守ってもらうぞ」
言われてみればそんなことも。何やかんやあってすっかり忘れていた。これで尚更、負けるわけにはいかなくなったな。
「晩酌ですか?」
「貴様には関係無い」
文字面だけなら親しい間柄にも思える、そんな会話を交わしつつ、歩き去っていく女性陣。その足音が聞こえなくなってから、僕は結城の顔を見た。
「……君とこうやって対峙するのは、あのとき以来かな?」
「……ああ。もう四ヶ月も前だ。今回は油断する気は無いぜ」
肩を回し、腕を伸ばし。のびのび準備運動をしながらも、互いに隙を見せることはなく。
「……僕が勝ったら、生殺与奪の権は握らせてもらうよ」
「ほぉそうか。どうする気だ? 俺を殺すか、それともまた生かして逃がすか? 言っとくが、数回打ち負かしたくらいじゃ俺は諦めねぇぞ」
「分かってる。一つ二つ、どうしようかなってのを考えてはいるけど。ま、君を倒してからのお楽しみさ」
どちらからともなく身構える。大気に満ちた緊張の中、機を狙う二人の息遣いだけが響く。
躊躇してはいけない。気を抜けば、迷いを抱けば、その瞬間にやられると絢音に教えられた。
「俺を倒してのお楽しみ、か。だったら永遠に秘密のままだな、楓」
「油断する気は無いって? それこそ一番の慢心だよ、結城」
床を蹴る。交差した拳が、両者の頬を歪ませた。




