水辺の死闘
互いの間合いを計りつつ、しばし睨み合う。
幸いにも川は浅い。精々、足首が浸かるくらいだ。深ければ動きも制限されるだろうが、この程度なら大した支障にはならない。
「ほら、早く」
絢音が誘う。躊躇ったあと、僕は挑発に乗ることにした。
身体を捻り、ハイキックを放つ。相手の拳は頭を下げて躱し、左フック、右ストレートと続ける。しかし攻撃が決まらない。掠めはするのだが、命中しないのだ。
奇襲の裏拳が空振りに終わったところで、絢音は反撃に転じた。下段、中段、上段。あらゆる高さの蹴りを織り交ぜ、息もつかせぬ猛攻を仕掛けてくる。一撃一撃が速く、そして重い。黒羽に鍛えてもらってなければ、僕はあっという間にやられていただろう。
必死に腕を突き出す。だが勢いの乗っていないパンチなど当たる筈もなく。返しの回し蹴りが僕の側頭部を捉えた。
「ガッ!?」
ぐわんぐわんと脳が揺れ、一拍遅れて、川の中に叩き伏せられたことに気付く。直感的に転がって逃げた、次の瞬間。飛沫が爆ぜる。絢音の足が僕のいた場所を踏み抜いていた。数秒遅ければ僕は……。
「ひゅう、水も滴るいい男」
「黙れ」
「恥ずかしがらないで。とっても素敵だよ。うっすらと割れた腹筋に、そこを垂れ落ちる雫! 濡れた髪! 真剣な目付き! マジ眼福。上だけ裸なのが本当にそそるっ!」
「黙れって言ってんだろ! さっきから気持ち悪いんだよ!」
再び殴りかかる。反撃を食らってもいい。当たらないなら、当たる距離まで近付くしかない。
前傾姿勢になり、拳を振り抜く。命中。青白い炎がヤドリギのスーツを焼いた。絢音にヘッドロックをかけられるが、構わず頭突き。強引に拘束を振りほどき、絢音を後方に突き飛ばす。
今のはダメージが通った筈だ。しかし起き上がってくる絢音に、苦しげな様子は見られない。
「……やっぱりしぶといな」
「しぶといよ? 何と言っても植物だからね」
パチリとウインクをしてみせる。耐久には自身がある、という意味だろう。
適切な環境さえ整えれば、葉や枝からでも再生出来てしまうのが植物だ。本来ならその強靱さは、移動しなくとも生きていくために身につけたものなのだろうが……絢音の場合、普通に動けている。反則としか言いようがない。
「蔦が落ちれば手で殴る。手が千切られても足がある。首だけになったって噛みついてやるんだから」
「大人しく死ぬって選択肢は?」
「あるわけないじゃん。最後の最後まで足掻いてやる。ま、そんなことしなくても、勝てるけどね」
「……やけに自信満々じゃないか」
「楓さんの中に不安があるから、そう見えるんだよ」
予想外の返事に僕の身体が強張る。否定したいが、図星だった。揺らぎかけた心を立て直すように、僕は照準を絢音に合わせ、切り裂きの術を放つ。
細身の外見に反して、絢音は堅牢だ。案の定、僕の術はスーツに弾かれている。これまでの戦いで分かったように、生半可な打撃も効果が薄い。すなわち……。
再び跳躍する。相手の懐へ飛び込み、フェイントで右フックを繰り出す。絢音はそれを軽やかに回避すると、僕の予想通り、両手を使って僕の拘束を試みた。首と腰とを腕で締め上げ、そのまま僕ごと川の中に倒れ込む。
水中戦なら炎は出せない。そう踏んだのだろう。だが……。
「知らなかった? ちょっとの水じゃ妖の火は消えないんだよ」
妖術といえど炎である以上、水に弱いのは確かだ。だが、それはあくまで勢いを削がれる程度。術主の霊力が尽きたり、何らかの理由で放出が阻害されたりしない限り、僕の炎が消えることはない。
加えて現在の状況。僕は絢音に組み伏せられているが、簡単に離れられないのは彼女とて同じ事。見方を変えれば……。
目を閉じ、意識を集中させる。僕の背中に散る、青い火花。絢音がハッと息を飲むが、逃げようとしても遅い。彼女の腕を掴んで抑え、そのまま霊力を解き放った。
「僕を舐めるな――、これで、君の負けだ。燃えろ!」
背中から炎が吹き上がり、絢音の身体を一息に包み込む。
「え。あ。ちょっと待って……うああぁああ!?」
悲鳴を上げて藻掻く絢音。その様は、さながら火刑に付される魔女のごとく。熱から逃れんと背筋を反らせ、暴れる姿が直視しなくとも分かる。
「ひっ、ぐ……はっ、放せ! 放せよ! 放せって言ってんの!」
ブチリと肉が引き裂かれる感覚。死に物狂いの抵抗か。肩に、耳に、うなじに噛みつかれた。激痛が走り、目の端に涙が滲むが、それでも僕は火の勢いを緩めず、彼女の腕をますます強く握りしめる。
体術で殺せないなら――簡単な話だ。丸ごと焼き尽くせばいいのである。
最初は激しかった抵抗も段々と弱まっていき、やがて悲鳴が完全に聞こえなくなった。絢音の死亡を確信した僕は、鬼火を消し、おそるおそる彼女を振りほどく。
立ち上がって振り向けば、絢音は文字通り丸焦げになっていた。哀れな姿に少しだけ罪悪感を覚えたが、知ったこっちゃないと僕は首を振る。
先に手を出してきたのは君だ。僕がこうすることを強いられたのも君のせいだ。その結果君がどうなろうと、全ては君の自業自得なんだ。
心残りがあるとすれば、黒羽たちを助ける方法を聞きそびれたことだが。それに関しては予想がついている。幸いにも夜はまだ長い。余裕をもって皆を救える筈だ。
「……やっと、終わったか」
戦いの緊張が過ぎ去って初めて、僕は己の消耗を自覚する。結果的には倒せたが、絢音は強敵だった。厄介な蔦に、高い生命力。洗練された格闘術。歯車が一つでも食い違っていたら、負けたのは僕だったかもしれない……そんな思いがある。
だが、何にせよ実際はそうならなかった。運が良かったのか実力か、そんなのを考えるのは後でいいだろう。既に済んだ話なのだから。
最後にもう一度絢音を見下ろす。精々ご冥福を。嘲りの意味も込めてそう呟く。僕は踵を返し、黒羽の元へ帰るべく歩き始めた。
彼女は今も苦しんでいる。早く助けなければ――。
「ご冥福? なに言ってんの。勝手に殺さないでよ」
「…………え?」
鈴の鳴るような声。胸に満ちていた勝利の余韻が、一瞬でかき消される。
僕の後ろで、パシャリと水飛沫の音がした。そんな。まさか。込み上げる恐怖で身体が震える。振り返りたくない気持ちと振り返らねばならない圧力が、僕の中で激しくぶつかり合って、全身から冷や汗が噴き出した。
「こーら、無視しないで」
気配が迫ってくる。やむを得ず身体を反転させた。そして直後、信じられないものを目の当たりにして、僕は言葉を失う。
宮野絢音が立ち上がっていた。
「嘘、だろ……?」
確かに燃やした筈だ。なのにどうして。僕は思わず後退りする。
「あっははは……。楓さんの作戦ねぇ、悪くなかった。方向性はグッドだよ。だけどアタシを殺すには、火力不足だね」
嗤う絢音の身体から、ポロポロと何かが剥がれ落ちる。焼け焦げたヤドリギのスーツだった。その下から覗くのは、傷一つ付いてない玉のような素肌。
「植物は、水を得てこそ強く育つの」
蛇が脱皮をするように、余分なものを脱ぎ捨てていく。それはまさに、女神の再誕とも呼ぶべき神秘的な光景で……。
「山火事の後も、洪水の後も。最初に蘇るのは、いつだって植物なんだよ」
それを見た僕の心には、凄まじいばかりの焦燥が沸き上がってきた。
事は単純。届いていなかった。僕の炎はヤドリギのスーツを焼いただけだったのだ。それなのに僕は早とちりして、彼女を倒せたとばかり思い込んでいた。
一糸纏わぬ生まれたままの姿。けれど絢音は恥ずかしがる様子もなく、引き締まった肉体を見せつけるように、両手を組んで大きくのびをする。隙だらけの仕草に、僕は迷わず地を蹴った。
臆するな。今なら絢音を守る物はない。さっきみたいに組み伏せろ。もう一度燃やせば今度は……!
「全然ダメ。慌てすぎ」
「……っ!?」
肉薄した瞬間、僕の身体が重力と逆方向に突き上げられる。
鳩尾を蹴られた。それを悟ったときには、もう遅く。跳躍の勢いが一撃で殺され、僕は絢音の足下に落下した。
「ぐがっ! うぅ……、くそ……」
咳き込みながらも起き上がろうとしたとき、僕の頬に息が吹きかけられた。目を開ければ、そこにあるのは可愛らしくウインクする絢音の笑顔。
しまった。逃げろ。そう思う間もなく、頭が掴まれる。全身の筋肉を強張らせた僕に、絢音はゆっくりと顔を近付けてきて……。
「好きだよ楓さん……チューしよ。ね、ね、ね」
そのまま、僕の口が、柔らかいもので塞がれた。
「あ……もご!?」
唇がこじ開けられ、何かが僕の中に入ってくる。舌!? いや違う。これは根。それにヤドリギの葉と茎だ。口の中を舐めるように蹂躙し、更に喉の奥深くへ。食道を下って体内に侵入していく。
おぞましい不快感に身体が跳ね上がるが、絢音はまったく手を緩めない。凍り付くような寒気と共に、霊力が吸い上げられていく。僕の頭はパニックに陥った。
「んっ……ぐ、……ぁが……!」
まずい。負ける。このままじゃ負けてしまう……! どうすればいい。考えろ。早く、こいつから……そうだ!
咄嗟の判断で口に力を込める。引き抜くのが無理なら、噛み切るしかない!
「……ぅ、ぷはっ!」
「アイタタ。撤退撤退」
絢音が素早く離れていく。解放された僕は必死に息を吸い込んだ。霊力を吸い尽くされるのは何とか防げたが、その代償として、体内に入り込まれた枝葉はそのまま飲み込むしかなかった。
「美味しかった。やっぱり半神はいいねぇ」
「何の、真似だ……!」
「んー? すぐに分かるよ?」
「それはどういう……」
喘ぎながら僕が問い質せば、絢音は両手の指を立てて。
「十」
「え?」
「九」
指が一本、折りたたまれる。カウントダウンのつもりだろうか。一体何の?
「八」
訝しげに眉をひそめる僕。対する絢音は謎の笑顔を浮かべていた。……まあ、いい。霊力にはまだ余裕がある。動かないならこちらから行くまでだ。僕は絢音に飛び掛かった。
「七」
「燃えろ! ……くっ、ちょこまかと!」
僕のキックを躱し、川から突き出した石を伝って、ヒョイヒョイと遠ざかっていく。僕は半神の身体能力を駆使し、それを追いかける。
「六、五、四」
「待て! 逃げるな!」
絢音が岸に上がった。木立に入って身をくらますつもりか? そうはさせない。
「三、二」
速度を上げる。絢音との距離が一気に縮まる。
「一」
追い付いた。絢音の頭を目掛け、僕は回し蹴りを繰り出す。
「タイムアップ」
「そこだ! ――――ぐっ!?」
瞬間、強烈な悪寒が全身を包み込む。よろめいたところで足を払われ、僕は地面に叩きつけられた。
「くそ、何が……」
慌てて起き上がった、その直後。絢音の膝が目の前に迫っていた。避けようとしたが間に合わず、衝撃と共に記憶が途切れる。次に気付いたとき、僕の身体は宙を舞っていた。
突然の出来事に受け身も取れない。全身をしたたかに打ち据え、痛みに悶える僕を見ながら、絢音は勝ち誇ったような顔で笑っていた。
「知ってるかな? ヤドリギってね、結構いろんな成分が含まれてるの」
「何を……」
「少量なら、それは薬になる。だけど……あなたなら分かるよね。毒と薬は紙一重。摂取する量を間違えれば、肉体に重大な負荷をかけてしまう。場合によっては死ぬことだって」
絢音が説明を続ける、その間にも、身体の不調は酷くなっていった。痙攣する筋肉。加速する鼓動。腕に、足に、力が入らない。何してるんだ。動け。早く動け! こいつを倒さないと、僕は――。
「普通のヤドリギと比べちゃダメだよ? 楓さんの身体にぶち込んだのは、もともと対蛇神用に練り上げた渾身の妖毒。一度でも体内に入ったが最後。発熱、息切れ、目眩、吐き気、意識混濁。少し時間が経てば、手足の痺れから全身麻痺に。他には……ああ、そうだ。痛覚過敏もあるよ」
「くっ……そ……!」
毒で視界がぼやけ始める中、僕はさっき飲み込んだヤドリギの枝葉を思い出す。
絢音の目的は霊力の吸収じゃなく、僕に毒を盛って弱体化させることだったのだ。僕が噛み千切って逃れることも、最初からお見通しだったのだろう。あるいは、僕が絢音の復活に焦って、隙を見せたあのタイミングから。
悔しさに拳を握りしめる。僕は、絢音の掌の上で踊らされていたのか。
考えうる限り最悪の状況だ。けれど……まだ、負けるわけにはいかない。
歯を食い縛って身体を起こす。勝たないと。勝たないと駄目なんだ。早く、炎を……。
「燃えろ! ……っ!?」
必死に意識を集中させるが、手から出たのは小さな火花のみだった。驚愕と狼狽で目を白黒させる僕に、絢音がチッチッチと舌を鳴らす。
「ノォン、諦めな。アタシの毒で汚染されてる以上、今の楓さんには無理だよ。水入りのガソリンで車が上手く動かないのと同じ。そもそも毒で苦しいのに、集中なんか出来っこないでしょ」
「ぐっ……」
絢音が課した毒の枷。単純で、しかし僕には効果抜群だった。
鬼火の術を会得して間もない僕は、体内の霊力を乱されたり、集中を崩されたりするだけで、簡単に術が使えなくなる。その弱点を突かれた。絢音に対抗する最大の武器を、僕は封じ込められてしまったのだ。
「さてさて? 次はどんな手を見せてくれるのかな」
「――っ、の!」
放つキックを、絢音は回避しようとしない。いや、その必要が無いのだろう。事実、毒で鈍った蹴りでは、仁王立ちする彼女を揺るがすことすら出来ていないのだから。
奪われた勝ち筋。無情な結末が脳裏によぎる。
それでも。それでも僕は……!
「負けると分かって戦い続ける、か。カッコいい。男の子だね。そういう勇敢なとこも大好き。だけど楓さん……あなたは選択をミスった。最初からアタシとは戦わずに、一人で逃げちゃうべきだったの。そうすれば自分だけは助かった」
「うる、さい!」
「ああでも、アタシの立場的にはお礼を言うべきだな。おかげで素敵な彼氏が手に入るんだもん。ありがとう。これから一緒に暮らそうね。末永くよろしくお願いします」
鼻歌を歌いながら興奮した表情で口走る絢音。僕はそれに、最大級の恐怖を覚えた。
「――っ! はっ! くっ! このっ!」
全力で絢音を蹴り続けるが、鍛えられた肉体は頑としてビクともしない。僕が諦めないでいると、絢音は不意に目を細めた。
手を一振り。僕の足が弾かれ、同時に絢音が動き出す。
「せっかくだから教えてあげようか。キックってのはねぇ――」
霞む視界に映るのは、僕の急所目掛けて足を振り上げる彼女の姿。
戦慄が身体を駆け巡る。咄嗟に身を退こうとするも、間に合わない。
そして――。
「こうやって打つもんなの!!」
「ああぁああぁあぁあぁあああっ!?」
金槌で殴られたかのような衝撃が、僕の股間に炸裂し、そのまま脳天まで突き抜ける。
感じたことのない痛みに全身を侵され、瞼の裏側でチカチカと星が瞬いた。
あまりの威力に、身体は一瞬だけ浮き上がる。思考が乱され、闘志が粉々に砕かれる。目の前に敵がいることも忘れ、僕は悲鳴を上げながら地に膝を付いた。
「あはー! ねぇ痛い!? そりゃ痛いか! 楓さん男の子だもん。そこを蹴られるのは、反則だよね。しかも毒で痛みに敏感になってるとくれば……。うぅん、ゾッとしちゃう」
楽しげな絢音の笑い声。対する僕は何も出来ず、途切れ途切れの呼吸を続けるので精一杯。視界が真っ白に染まる中、いつしか目の端には涙が滲んでいた。
「っ、は……ぐっ……! あ、がっ……おお……」
蹲ったまま悶える僕の背中を、絢音はこれ以上ないくらい優しい手付きで撫でた。
「大丈夫? 無理しないで。どんな動物にも急所はある。人体の場合、それは身体の中心線に沿って分布してるの。目、鼻、首、鳩尾なんかがそうだね。肉体は頑丈でも、そこを突かれれば簡単にダメージが通る。無力化も拷問も思いのまま」
僕のうなじに鼻を擦り寄せ、匂いを堪能するように絢音が息を吸い込む。顔を上げて睨み付ければ、彼女は恍惚とした笑みを浮かべて、こちらを見下ろしていた。
心が読めなくとも分かる。苦しみながらも抗う僕が、愛しくて愛しくて堪らない。そんな表情だった。
「どうする? ここらで終わりにしとく?」
「何を……! 僕は、お前なんかに負けない!」
気力で叫んだ直後、絢音の背中が盛り上がる。燃やしたはずの四本の蔦が、太さを増して再生し。触手のような動きで僕の方に伸びてきた。両手を頭の後ろで縛り上げられたかと思えば、そのまま強引に起立させられる。
「粘るじゃん。そんじゃ二回目、いってみよっか」
「……っ!?」
「何その顔。あんだけで終わると思ったの? 夜はまだ、始まったばかりなのにさ」
顎に絢音の手が添えられる。本来ならば誘惑の仕草。だが今は、そこに胸躍るときめきなど無く、底知れぬ恐怖があるばかり。
「怖かったら歯ぁ食い縛ってな! ロックンロールッ!」
「ぎっ……があああぁあああぁあぁあ!?」
一度目はまだ手加減していたことに、最悪の形で気付かされる。気絶せずにいられたのが不思議なくらいだった。
身体を丸めて痙攣する僕に、絢音の蔦が巻き付いて、万力のように締め上げる。そのまま地面に引き倒されたかと思えば、絢音がのし掛かってきた。
交わる体温。ぶつかる視線。オレンジに似た絢音の匂い。彼女の鼓動が、触れ合った素肌を通して伝わってくる。本人の心情を表わしてか、それは嵐のように激しく、そして滅茶苦茶なビートを刻んでいた。
「どっちが上か、もう分かったでしょ? 妖術は毒で封じた。これで、体術も。後は、ゆっくり時間をかけて、あなたを堕とすだけ」
僕の腹筋を執拗に愛撫してくる。いやらしい手付きに鳥肌が沸き上がって、慌てて絢音から逃れようと藻掻くが、足をバタつかせる以上のことは出来ず。
愛欲で濡らした瞳を何回も瞬かせ、絢音は僕に口付けの雨を降らせた。
「はあ……最高。屈辱に歪んだその顔、良い。ずっと眺めていたい。ずっと触れていたい。もっともぉっと色んなことして、壊れる寸前まで追い詰めてあげたいよ。誰にも見せない表情を、アタシだけに見せて欲しい」
「何を……」
「何をする気かって? その前に、クエスチョン。大人しくアタシを受け入れるか、それとも心が折れるまで頑張るか。どっちがいい? 遠慮せず、“正直に”、答えてね」
今度は僕の頬を撫で回しながら、絢音が笑う。あからさま過ぎる脅迫に、僕はその手を噛み砕くことで応じようとしたが、サラリと避けられた。だから代わりに、僕は思いきり拒絶することにした。
「……いい加減に」
「うん?」
「いい加減に諦めろよ! 僕の心は絶対に変わらない。お前に何をされても、僕はお前のものになんかならない。僕の恋人は黒羽だ。黒羽だけなんだ」
「そっか。……ありがと。そう言ってくれると、アタシも心置きなく好きなこと出来る」
そこで絢音は名案を思い付いたような顔になって、おもむろに僕の右腕を握りしめた。
何する気だ、と思ったのも束の間。あらぬ方向に力が込められる。最初は弱く。段々と強く。……お、おい? やめろ。それ以上曲げたら骨が折れ――――痛い。痛い、痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
「っぁあああぁあああ!?」
引きかけていた痛みが別の形を持って蘇る。しかも絢音は、僕の腕をただ折っただけでは飽き足らず、情け容赦ない追撃を加えてきた。同じ場所に指を添え、体重を乗せて、何度も何度も押し潰す。嫌な音を立てて僕の骨が砕かれ、身体は激痛で魚のように跳ねるが、絢音はそれを意にも介さない。
「恋人になってくれないなら、アタシは楓さんを物理的に取り込もうと考えてた。だけどそうすれば、楓さんが死んじゃう。アタシとしてもそれは望ましくないんだよね。……だ・か・ら。これから沢山、痛いことする。さっきと同じこと、それ以上に苦しいこと。あなたの気が変わるまで、徹底的に痛め付けて、“説得”しようと思う」
生暖かい何かが肌に触れる。絢音の舌が、鎖骨の横から首筋を通って、僕の耳を包み込むように舐め回していた。
「ひ……ぎ、ぁ……あや、ねぇ……!」
「ふふ、可愛いっ! 楓さん、震えてる。怖いの? そりゃ怖いか。何をされるか分かんないんだからね」
鈴の鳴るような忍び笑いのあと、こめかみにフッと息が吹きかけられて。
「ねぇ、これから何をすると思う? 何をして欲しい? 記念すべき二人の初夜だもん。何だってするし、してあげるよ」
朝までずっとね。艶っぽく囁かれたその言葉は、僕にとって永遠と同じ意味だった。
「今夜は……寝かせないから」




