鬼火
先手を打ったのは絢音だった。ステップで素早く距離を詰め、キレのあるローキックを放ってくる。
対する僕は左足でそれを弾き、反撃に拳を振り抜いた。顔を狙ったつもりだったが、あと少しのところで絢音の腕に防がれる。
このくらいは想定内。迷わず次の攻撃を繰り出すが、相手も僕と同じことを考えていたらしい。互いのハイキックが、空中で激しくぶつかった。
「……これが、楓さんの本気?」
「そうだよ。期待外れだったかい?」
「全然。むしろ最っ高にゾクゾクする。強い人ほど屈服のさせがいがあるよね」
「……っ」
背筋が寒くなるような発言を無視しつつ、僕は一旦身体を退いた。絢音が楽しげに口笛を吹く。緊張している僕と比べて、随分と余裕の表情だった。
やはり手強い。けれどこちらも前よりは勝機がある。休息を摂ったことで、僕の力は蛇神戦の前と同じくらいにまで回復していた。万全ではないが、これなら彼女にも追い付けるだろう。
「……さあ、もっと踊ってみせてよ」
絢音が僕を指差すのに合わせて、蔦が迫ってくる。半神の瞬発力を以てしても四本同時には対処出来ず、僕の左腕が絡め取られた。だが……。
「同じ手は――効かない!」
対抗策を発動させる。霊力を左手に。攻撃対象、宮野絢音。出力全開。鬼火を使って蔦を焼き切り、拘束から逃れる。そのまま僕は地を蹴って、目を見開いた絢音へと飛び掛かった。
「“燃えろ”!」
僕の両足が炎を纏う。受け止めようとした蔦を突き破り、キックが絢音の胴体に届く。体重は見た目相応らしい。確かな手応えを感じると共に、絢音の身体が錐揉みして吹っ飛んだ。
「いったぁっ……! ねぇ、今の何!? 火が出るとかアタシ聞いてないんだけどー!」
「ああ、伝えてなかったっけ? 僕はマヤから力を受け継いだ。だけどマヤの霊力も、元を辿れば猪神のものだ。猪ってのはね、昔から火を制する性質を持ってるんだよ」
五行と十二支にまつわる話だ。火・水・木・金・土の属性を、子、丑、寅から始まる十二支に割り当てていくと、最後の亥、もとい猪は水の要素を持つことになる。水は火に強い。だから火を使いこなせる、という逆説的な理屈。しかし実際、猪を火の神とみなす風習は、日本各地の津々浦々で見受けられるそうだ。
古事記を読まんのか、とマヤに言われたのが切っ掛けで、最近ちょっとずつ勉強しているのである。
「いやいや。だとしても昨日まではそんなの使えなかったじゃない。一体どうやって……あ、なるほど。木崎さんの入れ知恵だね? 二人でコソコソ何してんのかと思ったら、妖術の練習だったんだ」
めんどいなぁ。冗談ではなく心からそう思っている口調で、絢音が吐き捨てる。良い気分だ。妖怪とはいえ彼女も植物。本能的に火が苦手なのだろう。
もちろん、こちらも余裕がある訳ではない。火を制する、と豪語してみせたが、あれは自分を奮い立たせるための強がりだ。術を身につけて一日。炎が出せるようにはなったが、彼女みたいに精密な操作はまだ出来ない。
だけど、それでも……。
「燃えろ!」
「くっ! こんにゃろお……!」
相性的に僕の方が有利だ。黒羽直伝の体術に、木崎から習った鬼火の術。この二つを組み合わせることで練度の差をカバー。絢音が対策を思い付く前に、短期決戦で押し切る。それこそが、僕の考えた作戦だった。
「さしづめブレイズキックってとこか……、やってくれるね。下手に触れば燃やされる。だから回避に専念するしかない。しかも炎で傷口を焼くから、アタシの再生まで阻害出来る、と」
「そう。完全に封じるのは無理として、少なくとも遅くはなるだろう? 手数が減れば、それだけ君に隙が生まれる。さっきみたく攻撃が届くってわけさ」
「むー。これは意外と手強いかも、なっ!」
絢音が腕を振るう。同時に僕は身体を回す。
「ハッ!」
「そりゃっ!」
互いの一撃が擦れ違った直後、僕の頭は衝撃で揺れ、蔦がまた一つ焼け落ちた。
「ぐっ……次! 三本目だ!」
休む暇など与えない。痛みを我慢しつつ更に攻める。残る蔦は二本。片方は僕の右側に。もう片方は……どこに行った?
「ほぉら、余所見厳禁っ!」
ハッと息を飲んだ瞬間、足下からの刺突が来る。咄嗟に地を蹴って飛び退いたが、気付くのがコンマ数秒遅く、完全回避とはいかなかった。繊維の破れる音と共に、シャツと肌着がまとめて切り裂かれる。
思わず怯む僕。その間に、絢音は僕からすばしっこく離れていった。
お気に入りだったんだけどな。内心で残念がりつつも、これでは戦いの邪魔になるだけだと、布きれと化した服を投げ捨てる。裸となった僕の上半身に、冷たい空気がしつこく纏わり付いてくるようだった。
「……ちゃんと男の子の身体してる。素敵」
「僕をそんな目で見るな」
鍛え始めて筋肉がついた自覚はあるが、こいつに褒められても嬉しくない。
「失礼しちゃう。少しくらい靡いてもいいじゃんか」
「自分が何しようとしてるか考えてみろよ!」
「ふーんだ、恋に生きて何が悪い」
「君のそれは恋じゃなくて支配だ!」
「本質的には同じでしょ。言葉の綾だよ」
絢音が地を蹴る。押しているのはこちらだが、諦めるつもりは無いらしい。僕は彼女の足を掻い潜りつつ、仕掛けるタイミングを慎重に窺う。
ローキック。重たいが受け方は知っている。問題無い。回し蹴り。大ぶりな分、回避も容易だ。連続してボディーブロー。防御姿勢を取るが、絢音は腕の隙間を的確に打ち抜いてきた。……くそ、これは効いたな。だけど近付いてくれるなら、こちらとしても好都合だ。
攻撃の合間をつき、僕は素早く地面に手を突く。下半身を浮かせ、両手の力だけで身体を回転。絢音の臑を蹴りつける。頭上で「うっ」と呻き声が上がった。人外でも急所は変わらないようだ。
「まだだ――これで終わりじゃない!」
絢音が体勢を崩したところへ、腹部を狙って蹴り上げる。蔦で防がれるのは想定の上。それを燃やすのが目的なのだから。
「……あっついなぁ。少しは手加減しようと思わないの? アタシ女の子だよ」
「殺し合いに男も女もあるか。死ね」
にべもない答えを返し、僕は起き上がる。今ので三本目。あと一つだ。先に燃やした二本も再生の兆しは無い。これなら――。
「嫌よ嫌よも好きのうち。うーん、無関心じゃないだけマシと見るべきかな?」
意味不明な一人言をほざく絢音。誰がお前なんか好きになるか。嫌いを越えて嫌悪感すら覚えているというのに……まあ、いい。僕は早くこいつを倒して、黒羽を助けにいかなくちゃならないんだ。戯れ言に付き合う時間は無い。
「っ、この!」
「おっとぉ。こっちこっち」
炎のキックが空を掻き、絢音は再び距離を取る。僕が様子を窺っていると、彼女はドンドン遠ざかり、そのまま林の奥へ入り込んでしまった。
「なっ……おい! どこに行く気だ!」
「どこかなー? 付いてこなけりゃ逃げちゃうよ。アデュー」
「くそっ……待て!」
踊らされている気がするが、彼女を放置するわけにもいかない。急いで後を追い、木立の中へ。月光も届かぬ暗闇へと、僕は突入する。
生い茂る木々のせいで周囲が見えない。いくら夜目が効くといっても、僕だって元は人間だ。限界がある。ここで仕掛けてこられたら不味かったが、絢音にそのつもりは無かったようで、僕の前方二十数メートルの距離を保ちながら、柔らかい地面の上をひたすら走り続けていた。
何を企んでいるのだろう。警戒を強めた時、不意に視界が開ける。
僕の鼓膜を揺らしたのは、サラサラという水の流れる音だった。
「……川?」
「イエス。ステージ変更。第二ラウンドを始めようか」
絢音は川の中に立って僕を待ち構えていた。水のある場所なら火の威力が弱まる。そう考えたのだろう。広場で戦うよりは分が良かろうと。だが……。
「川だろうが砂漠だろうが、同じだ!」
掌を前に突き出し、火球を作る。ドッジボールの要領で絢音に向けて投擲。彼女がそちらに気を取られている内に、僕は肉薄する。
「――あ、やばっ」
「これで最後! 四本目!」
慌てて絢音が下がろうとしたが、もう遅い。炎を纏った手刀を振るい、残っていた蔦を根元から焼く。素早く切り返して回し蹴りを繰り出せば、絢音の頭にクリティカルヒット。「うごぉ!」という悲鳴と共に盛大な水飛沫が上がった。
「は、はは……。不味いね。不味いや。ここまで手こずるとは思ってなかった。アタシの見込みが甘かったね」
「……今になって命乞いのつもりか? 聞く気は無いぞ」
「……うん、それでいい。いいよ。むしろ模範解答。アタシもあなたを諦めるつもりなんて、さらさら無いから」
痛た……、と腰をさすりながら絢音が立ち上がる。蔦は全て落とした。だがそれは、あくまでも前哨戦。“本体”は見ての通りピンピンしている。ここからが本番だ。
絢音も戦い方を変えてくるだろう。蔦が無い以上、近距離での殴り合いが主になる。このまま優勢を保てれば勝てるが、場合によっては……。
「突っ立ったままでどうしたの? かかってきなよ」
そう、優勢の筈なのだ。なのに絢音は余裕がある。その事実が、僕には酷く不気味に思えた。




