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比翼の烏  作者: どくだみ
幕間:戦いの狭間に
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嵐の前の

 結城と別れてから、結構な時間が過ぎた。

 絢音の追跡が及ばぬ場所へ。落ち着いて身体を休められる場所へ。それだけを考えて走っていたら、いつの間にか川に行き着いていた。泣沢村に来たとき見た、村の北から南へと流れている、あの川だ。

 地理的には上流といったところだろう。おおよそ僕の膝くらいの深さがある。福岡と違い水は澄んでいて、ゴミや泥が浮いてる、なんてことも無さそうだ。

 ところで今、僕は猛烈に喉が渇いている。


「……飲むか」


 川の水を飲むには煮沸してから、と前にどこかで聞いた気もするが、非常事態だ。贅沢を言ってはいられない。

 川辺に膝を付き、流れの中に顔を沈める。走り続けて火照った身体に、冷たい水が心地良い。心の動揺が段々と鎮まり、僕は冷静さを取り戻していく。

 息が苦しくなってきたので、顔を上げ、口に含んだ水を飲み込んだ。ヒヤリとした感触が喉の奥を下っていく。ついでに手と顔を洗った。うん、結構サッパリしたな。


「あとは……何か腹に入れとこう」


 少しでもエネルギーを補給したい。周囲を見渡し、生でも食べられそうな木の実を探す。自然が豊かな場所だ。何かしらあるだろう。神様パワーのおかげで、夜でも視界がクリアなのはありがたい。

 しばらく付近を歩き回っていると、良さげな木を見つけた。シイの仲間で、これはおそらくスダジイだろう。クヌギやコナラと違って、この木に実るドングリはアクを抜かずとも食用に出来る。しかも今は十一月だ。根元を見れば……ビンゴ! 新鮮な果実が山のように落ちている。

 どうしてこんな知識を持ってるかというと、ひとえに黒羽の教育のたまものだ。戦い方だけじゃなく、山のことも沢山教わった。役に立つ機会が来るとは、自分でも思ってなかったけれど。

 手頃な大きさのをいくつか拾い、殻を割って中身を取り出す。ドングリを食べるのは初めてだが、躊躇っている場合じゃない。口に入れ、思い切って噛んでみた。

 ……ほう。ちょっと渋いけど、美味しいじゃないか。

 追加で何個か手に取って、僕はその場に腰を落ち着ける。今のところ、絢音が追いかけてくる気配はない。見失ってくれたか。黒羽と結城が時間を稼いでくれたおかげだ。これならば、しばし無防備な状態になっても、大丈夫だろう。

 木の幹に身体を預け、僕はふと空を見上げた。


「……月が綺麗だ」


 いつかの夜、高千穂で見たのと同じくらいに。思い返してみれば、当時の僕は色々と無茶をしていた。そしてこれからまた無茶をする。歴史は繰り返すってやつだろうか。

 言うまでもなく、絢音は強敵だ。洗練された格闘術に、あの四本の蔦。短い対峙だがそれでも分かる。これまでに戦った誰よりも強いと。本気を出せなければ、間違いなく負けるだろう。

 だから僕は、今から眠る。

 タイムリミットがある以上、悠長なことは言ってられない。休養に使える猶予は、長く見積もって二時間。その間、全てのリソースを回復に回し、失った霊力を最大効率で取り戻す。

 それが終われば……戦いの刻だ。

 どうなるかは考えない。考えたら、きっと二度と立ち上がれなくなる。今だって。絢音の顔を思い出しただけで、身体の震えが止まらない。自覚するまでもなく、僕は彼女が怖かった。

 だけどそれでも、一人だけ逃げるなんて選択肢は無い。

 深呼吸、数回。込み上げる恐怖に蓋をして、僕は静かに目を閉じた。透き通る闇に全身を包まれ、意識がスウッと沈んでいく。

 長い夜になりそうだ。


 ※


「……まったく、手間を取らせてくれたね」


 貴重な“戦利品”を抱えて神社まで戻ってきた絢音は、そう言って面倒そうに溜息を吐く。

 本来ならこの時点で楓を確保している筈だったのだが、あと一歩のところで邪魔が入った。楓の恋人たる人妖の烏、黒羽。楓に憎しみを抱く妖狐、宗像結城。あの二人に連携されてしまっては、流石の絢音も手数が足りない。楓の気配を見失った以上、残りの連中を放置するわけにもいかず、こうして待ちの戦術に移らざるを得なくなった。


「まあ、別にそれでもいいんだけどさ」


 最大の懸念だった数の劣勢は、既に(くつがえ)った。絢音の優位はもはや揺るぎない。黒羽にも今し方、種を植え直したところだ。今度はちゃんと根付いてくれた。


「楓さんとの決着が付くまで、キミたちにはジッとしてて貰うよ」


 蔦を振るう。三匹の妖怪をグルグル巻きにし、社の中に転がす。蔦といっても妖怪のそれ、強度は一級品だ。寄生の影響で弱っているのに加え、ちょっとした“秘密兵器”を打ち込み行動を制限してあるから、自力で拘束を解くことは出来ない。


「さて。アタシもちょっと休もうかな。楓さんのことだから、一人だけ逃げたりはしない。必ず恋人を助けに来る。――――そうだよね、木崎さん」

「……何でわたしに訊くんですか?」


 蔦の簀巻きがモゾモゾと動く。絢音は肩を竦めて答えた。


「だって一人だけ起きてるんだもん。狐のくせに狸寝入りとか、傑作にも程があるって」


 骨を砕かれた黒羽や、ズタズタに叩きのめされた結城に対し、木崎は一撃で無力化が成された。故に、二人と比べて体力も余っているのだろう。ここに運んでくる途中で、彼女だけは目が覚めていたのだ。そして絢音も、そのことには気付いていた。


「おおかた、隙を突いて反撃するつもりだったんでしょ。悪かったね、狐の浅知恵なんて最初からお見通し」

「口の利き方がなってませんね。目上には敬意を払えってママから教わりませんでしたか」

「誰が目上だって? え、もしかして木崎さん? 冗談やめてよ面白くないよー」

「……ちっ、クソガキが。この忌々しい蔦さえ無ければ、すぐにでも脳味噌かき回してやるのに」

「あは、威勢だけはいいね。自分の置かれた状況が、まだ分かってないらしいや」


 ケラケラと笑ってから、絢音は不意に膝を付く。そのまま、足で木崎を仰向けに転がしたかと思えば、跨がるようにしてその上に覆い被さった。動揺し、身体を震わせる木崎の首筋を、艶やかな指でゆっくりとなぞる。


「何を、する気で……」

「今から決戦が待ってるの。だから、狐さんの霊力も貰っとこうと思って」


 舌舐めずり。獲物を見つけた肉食獣の表情。猛烈に嫌な予感を覚えた木崎は、慌てて顔を逸らそうとする。だがそれよりも早く、絢音の手が蛇のように動いて、木崎の顎をガッチリと固定した。


「いきなりメインじゃ腹がもたれるもん。まずは……前菜からだよね」


 いただきます。そう言って絢音が顔を降ろす。目を見開く木崎の唇を、強引に奪い取る。


「……っ!? ――!!」


 声なき声を上げて木崎が暴れるが、手足を拘束された状態では、まともな抵抗が出来る筈もなかった。

 粘膜接触による霊力の吸収。いわゆるエナジードレイン。難しそうに見えるが実際はそうでもない。楓や黒羽がやっていたキスと、本質的には同じ理屈で、霊力の流れを逆向きにしただけだ。

 とくんとくん。絢音の喉が脈打つ。その度に、木崎の意識は段々と朧気になり、全身に力が入らなくなっていく。

 途中で息継ぎを挟んで、数十秒。虜囚の妖狐が藻掻くのをやめるまで、絢音はその霊力を存分に堪能し尽くした。


「……ありがとう。ごちそうさま。十分過ぎるくらい回復出来た。これなら楓さんにも負けないよ」

「く……はぁ、はぁっ……うぅ。……おのれぇ。殺す。殺すっ! お前! 絶対に殺してやるぅっ!!」

「こーら、そんな怖い顔しちゃダメだぞっ。木崎さんは大切な苗床でもあるんだから、無茶せず安静に、ね? さもないと、結城さんみたいにズタズタにしちゃうよ」

「ああ?? なんですって。わたしの夫に何を――」


 答えるより実物を見せた方が早い。木崎の顔を捻り、左に向けさせた。その視線の先には、黒羽に次ぐレベルで手酷く痛め付けられた、哀れな青年の姿がある。顔には大きな痣がいくつも出来、両手の先は理由(わけ)あって血にまみれていた。


「……嘘。結城くん!」

「聞いてよ。その男、楓さんに化けるなんていう外道なことしてくれたの。正体がバレても騒ぐのを止めなかったから、爪、全部剥がしちゃった。それでも黙んなかったら生皮をひん剥く予定だったんだけど、痛かったのか途中で気絶しちゃってね」


 負けが決まってなお諦めない結城は、実に健気だった。何が彼をそこまで突き動かしたのか、絢音にはいまいち理解出来ない。彼とて貴重な苗床だから、降伏すれば丁重な扱いを受けれたのに。残念だ。しかも結城の相手をしたせいで、本命の楓を取り逃がしてしまった。こういうのを、勝負に勝って試合に負ける、と言うのだろう。

 表向き反目してるけど、意外とあの二人仲良しだよな……などと思いつつ、絢音は木崎の喉に手をかけた。


「はい。面会時間はおしまい。もう一度おねんねしようか」

「なっ、放しなさい! この雑草女! 放せ! さもないと目ん玉を抉り出して――」

「キュッ」


 首を絞める手に力を込める。木崎が足をバタつかせるが、気にせずそのまま抑え込む。十秒程そうしていると、やがて彼女は静かになった。

 まったく、本当に口うるさい女だ。誰に似たのか。多分、生来の性格だろう。だが一方で、こいつは楓の次に侮れない存在だ。四人の中で木崎だけが唯一、絢音を信用していなかった。疑り深さと良く回る頭は、こちらの勝利を十分に脅かしうる。何より、こいつは絢音の苦手なタイプだ。

 頬を叩き、間違いなく意識を失っていることを確認してから、絢音は木崎から離れ、手頃な場所に寝転がる。神社の本殿で仮眠など、普通なら不敬極まりない行為だが、どうでもいい。ここに神はいないし、いたとしても恐れない。自分がこれから屈服させるのは、他ならぬその神なのだから。

 唇を舐める。微かに残る彼の味を感じ、身体が興奮で震え出す。……最高だ。あの時の、屈辱にまみれた楓の顔。それでもなお潰えぬ闘志。……ああ、いけない。思い出しただけでゾクゾクする。こんな気分になったのは初めてだ。貪りたい。独占したい。楓を自分の隣に置き、いつ何時でも彼を味わえるようにしたい!

 分かっている。楓は抵抗するだろう。別に構わない。愛撫して、誘惑して、黒羽のことを忘れるくらい、口説いて尽くして抱き締めて。いつしか彼の心を手にする。それは今すぐじゃなくたっていい。


「時間はたっぷりあるからね。ふっふっふーん」


 遠い未来。晴れ渡る空の下。二人で歩くバージンロードを想像して、絢音の胸はどうしようもなく疼く。虚空に向けて投げキッス。口から甘い吐息が漏れる。恋する少女が好きな人に電話出来たことを喜ぶように、絢音もまた込み上げる幸福を抑えきれず、その場でゴロゴロと床を転がった。

 いつになったら彼は来るかな。どのくらい待てばいいのかな。一時間? 二時間? 考えるだけで心が躍る。こんな気分になったのは、生まれて初めてだ。

 だがひとまず、自分もその時に備えて休息を摂ろう。せっかくの晴れ舞台なのだから、万全な状態で楓を出迎えたい。

 落ち着け落ち着け。そう念じながら、絢音はゆっくりと瞼を降ろす。

 素敵な夜になりそうだ。


 ※


 次に絢音が目を覚ましたとき、月は既に空高く昇っていた。家のベッドと比べて寝心地はよくなかったが、身体を休めるだけなら、廃神社の床でもなんら問題無い。腕を回し、首を回し、ついでに腰も何回か回して、運動の準備を整える。社の外に目を向ければ、静謐な闇がどこまでも続いていた。心地良いと思うかは人によるだろう。絢音は好きだ。


「……ふむ。そろそろかな?」


 靴を履き、苗床たちが大人しくしているのを確認してから、絢音は歩き出す。

 覚醒した。それすなわち、楓が近くに来ているという証拠だ。鋭敏な絢音の感覚を以てすれば、おおよそ半径一キロメートルの範囲なら、様々な物の接近をある程度探知出来る。例えば匂い、例えば震動、例えば音。周囲の状況を把握する手段は、何も目で見るだけじゃない。

 キツいのが嫌で解除していた、ヤドリギのスーツを再展開させる。本気の表れだ。薄くて軽く、一見したところ頼りないようだが、性能は意外と高い。前に試したときは包丁の刃を完全に防いだ。銃弾を受け止められるかは、試験未実施のため不明だ。

 入り口に向かって参道を降りていく。その先の広場には、楓たちが乗って来たレンタカーが、ポツンと停まっている。当人はまだ来ていないようだ。せっかくなら目立つ場所で待とうと思い、絢音は蔦をロープ代わりにして、鳥居の上へスルスルと登る。危ない、となるのも彼女が人であればの話。妖魔の絢音がバランスを崩して落ちたりはしない。

 おおっぴらに足を投げ出して座れば、冷涼な夜風が前髪を掻き上げた。ワクワクする気持ちを必死に抑えて、絢音は楓が来るのを待つ。

 そうだ。素数を数えて落ち着こう。


「1! ……なんてね」


 冗談だ。柄になく一人言が漏れるのも、全ては自分が興奮してるせいだと思う。


「2,3,5,7,11,13,17――」


 羊を数えるのとどっちがいいかな、と悩んだ末に、再び素数を追いかける。適度に頭を使うから、意識を逸らすには最適なのだ。


「31、37、43、47、53――」


 段々と難しくなってくる。しかし絢音は仮にも受験生。数学のテキストには、素数を題材にした問題も多い。得意か否かはともかくとしても、このくらいならミスらない。


「71、73、79、83、89。……えっと、それから」

「97」


 ど忘れした次の数を思い出そうとした時、心躍る待ち人の声がした。


「二桁の素数で最大の数だ。違ったかい?」

「……ううん。正解」


 来た。壮大な計画を完成させる最後のピースが、ようやく来た……!

 思考が瞬時に切り替わる。身体に歓喜が満ちていく。真っ白に輝く上弦の月の下、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げ、絢音は想い人の姿を探す。

 周囲を森に囲まれた広場。その中央。

 実に分かりやすい位置に、出雲楓が立っていた。

 静かに拳を握り締め、彼は闘志に満ちた目付きで絢音を見据える。

 男性にしては細めの身体だ。だがよく見れば、意外にしっかりと筋肉が付いている。背も高いしスタイルもいい。絢音の理想を裏切らない、人として健康的な体格だった。


「……覚悟、決まった?」

「……ああ。でなきゃここには来てないさ」


 手を口元で三角に組み合わせ、絢音が訊く。楓は首を縦に振って答えた。絶対に退かない。けれど従うつもりもない――動作の一つ一つから、揺るぎない決意が見て取れる。

 交渉の余地、ゼロ。こうなるのは、初めから分かりきっていたことだった。


「悲しいね。好きな相手とタイマンで殺し合うなんてさ」

「同じにするなよ。僕は君が嫌いだ」

「知ってる」


 どこか切なげに呟いて、絢音は地面へと飛び降りた。楓が素早く半身になる。キックボクシングに似た構え。対する絢音は空手の型。ルール無しの異種格闘技戦だ。

 楓が周囲に視線を走らせ、それから訝しげに眉をひそめた。


「……やけに、正々堂々としてるんだな」

「人質でも取って欲しかった? そんなの楽しくないじゃん。好きな人とは正面からぶつかるもの。話し合いでも戦いでも、それは変わらない」

「なるほどね。だったら僕も本気で行くよ」

「手加減しようと思ってたの?」

「まさか」


 不敵な笑みを浮かべてみせる。黄金色の瞳に宿るのは、明らかな敵意。欲しいものとは真逆だが、それでも絢音は嬉しかった。恋人に一途な彼が、今だけは自分を見てくれる。自分に感情をぶつけてくれる。その事実が凄まじく愛しくて、狂おしい程に物足りない。


「黒羽はどこだ」

「心配しなくても、この先にいるよ。行きたければアタシを倒していきな。そしたら、あの娘を救う方法も教えてあげる。だけど負けたら……分かるよね?」

「奴隷になれって言うんだろ」

「違う。奴隷じゃなくて彼氏」

「……どっちでも同じことさ」


 断じて別物だ。下僕ならそこらの人間で事足りる。


「……まあ、いっか。その辺は後々決めるとして。この時を待ってたんだ。早く始めよう」


 四本の蔦を楓に向ける。右手を胸の膨らみに当て、もう片方の手は掌を上にして差し出す。淑女をエスコートする紳士のポーズだ。男女の性別が逆なのはこの際置く。


「ずっと使ってみたい台詞があったの。ねぇ楓さん、シャル・ウィ・ダンス?」

「レディの誘いを断るなんて失礼なことだけど、あえて言わせて貰うよ。失せろヤドリギ女」


 互いに啖呵を切り合って、そして戦いが始まった。

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