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比翼の烏  作者: どくだみ
幕間:戦いの狭間に
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犠牲

 ――行ったか。


 遠ざかる足音にひとまずの安堵を覚えつつ、私こと黒羽は目の前の敵に向き直る。手荒なやり取りがあったようだが、これで楓は安全になった。いくら楓に憎しみを抱いているとはいえ、宗像も馬鹿じゃない。ここで手を出そうとはしないだろう。

 本当なら、楓を連れて逃げるのは私の役目だ。だがそうすると、絢音を足止めする者がいなくなる。あてもなく逃げ続けるのは私の趣味に合わない。

 加えて本妻の立場としては。楓を好き放題弄ばれた以上、色々と譲れないものがあるのだ。


「おい女狐。お前も動け」


 視線を絢音から外さぬまま、木崎に向かって呼び掛ける。体力で宗像に劣るといっても、こいつだって妖怪の端くれだ。無理ですとは言わせないぞ。


「ふ、ふっふふ……運命って不思議ですね。こんな形であなたと共闘することになるなんて」


 木崎が立ち上がる。足をプルプルと震わせる様は、生まれたての子鹿のようだ。普段なら皮肉ってやるとこだが、生憎、今はその余裕が無い。

 絢音が首だけを動かして、木崎を見た。


「苦しいのにまだ頑張るの?」

「何もせず死ぬとか嫌なんですよ。全力で悪足掻きします」

「……そっか。でも、無理するのは良くないよ」


 タクトを振るう指揮者のように、絢音が左腕を持ち上げる。四本の蔦が一斉に木崎へと殺到した。首、両手、胴体に巻き付き、絢音の足下まで木崎を引き寄せる。


「はっ!? ――あ」

「ゆっくり眠って。狐のお姉さん」


 体勢を崩した木崎の首に、連続して手刀が叩き込まれた。糸の切れた操り人形のように、木崎が崩れ落ちる。私を苦しめた忌々しい女狐が、いとも容易く無力化された瞬間だった。


「さて、どうする? 黒羽さんもこんな風になりたい?」

「……愚問だな。私は気絶するより、させる側だ」


 拳を握り締める。すると絢音は掌を上にし、人差し指と中指を合わせて私を指差した。


「どきなよ」

「断る」

「どけ」

「断る」

「しゃーないな。だったらタイマン張っちゃうか!」

「……いいだろう。受けて立つ!」


 時間稼ぎが私の目的だが、別に手を抜く意味は無い。いやむしろ、いつになく本気を出すべきタイミングだろう。こいつは楓に手を出した。彼を痛めつけ、唇を奪った。私があそこで目を覚ませたのも、彼の悲鳴を聞いたからだ。

 今思い出しても、怒りで気が狂いそうになる。こんなに腸が煮えくりかえったのは、いつ以来だろうか。


「はは、やっぱ黒羽さん怖―い」


 よく言う。恐怖など微塵も感じてないくせに。


「うーん……、ざっと二分かな」

「何だと?」

「時間だよ。二分で黒羽さんをぶちのめすってこと」


 覚悟してね? 大胆不敵に絢音が笑う。人の心を逆なでする技量は一級品だ。


「……あまり私を舐めるなよ」


 実力に差があろうとも、それだけで勝ち負けは決まらない。授業の時間だ。手負いの獣がいかに危険か、思い知らせてやる。

 固めた拳を振りかぶり、私は地を蹴って飛び掛かった。


 こいつには。

 こいつにだけは、死んでも負けてなるものか。


 ※


「――ふふ、残念。二分もかかんなかったね」

「がはっ!?」


 仰向けに転がした黒羽の腹を、臓物まで潰れよと思い切り踏み付ける。

 身体がビクンと跳ね上がり、痛みでその目に涙が浮かぶ。歯を食い縛って悶絶する黒羽。そんな彼女を見下ろしているのは、植物のスーツで全身を覆った、一人のボーイッシュな少女だった。


「苦しい? でも、まだ終わりじゃないよ。そーれもう一発!」

「――ひぎっ!?」


 続けて脇腹を蹴りつければ、黒羽は実に良い声で鳴く。

 一対一の勝負で、彼女に勝ち目などある筈が無かった。格闘術の腕前はほぼ互角。だからこそ手数の差、すなわち絢音の蔦の存在が大きなアドバンテージになる。

 難しく考える必要は無い。近付いてきたところを捕まえ、ボコボコに痛め付けるだけ。絢音にとっては実に簡単なお仕事だった。


「時間があればもうちょっと遊んでもいいんだけど、楓さんが逃げちゃうからなー。取り敢えず、これで最後にしてあげる」


 腕を振るい、黒羽の腰に蔦を巻き付ける。目線の高さまで持ち上げて、解放。落下の勢いを上乗せした膝を、彼女の鳩尾に叩き込む。


「踊れっ!」

「あうっ!? は、ぐ、あああぁあ……!」


 目を見開き、身体を丸めて喘ぎ声を漏らす。さっきまでの威勢はどこへやら。無様に悶えるその姿を見て、絢音は恍惚とした優越感を覚えた。

 これだけ一方的に嬲ったのだから、さすがに心が折れただろう。もう抵抗はしてくまい。それではこれよりいざ本命。出雲楓を捕まえに行こうか。


「……まて」

「おっと」


 弱々しく足を引かれる。見れば、黒羽が地を這って絢音に近づき、死に物狂いの形相で足首にしがみついていた。喉の奥から絞り出したような声で、行かせない、と繰り返す様は絢音から見て実に一途であり、実に虚しかった。こんなことしたって無意味なのに。


「まて……っ!」


 ……あー、もう。しつこいな。意地でも放さないつもりなのか。


「だったら、こういうのはどう!」


 粘るならこちらも容赦しない。胸を焼くような嫉妬を乗せて、絢音は黒羽の骨を砕きにかかる。


「ぎっ……おご……ぁ……が……」


 鎖骨を。肘を。大腿骨を。肋骨を。粉々になるまで踏み潰した。

 かかった時間、僅か十数秒。それだけで、強く凜々しく美しかった筈の黒羽は、白目をむいて痙攣するだけのボロ雑巾へ貶められていた。


「これでちょうど二分かな。烏のくせに、アタシの邪魔すんなよ」


 返事は無い。しばらく声も出せないだろう。

 黒羽に戦える力は残っていない。やろうと思えば、一瞬で。赤子の手をひねるようにサクッと殺せる。けれど絢音はそれを望まない。こいつも立派な苗床になるから、死んでくれてちゃあ困るのだ。回復が終わったら、また新しく種を植え付けよう。


「……さて」


 意識を集中させ、想い人の気配を探す。黒羽のせいで意外に時間を取られてしまった。追い付けるだろうか? 少し不安になったが、それもまたよしと絢音は思い直す。恋には障害が付きものだ。そして障害が多いほど、恋の炎は激しく燃え上がる!

 興奮が、絢音の身体を震わせる。さあ、楽しい鬼ごっこを始めようか。


「待っててね――。すぐに捕まえてあげるからぁあああ!」


 ※


 僕が意識を取り戻したとき、そこは何処とも知れぬ山の中だった。

 どれほどの時間が経っただろう。そう長くはない筈だ。霊力の消耗は全くと言って良いほど回復していないし、僕を担いで走る結城の顔には、玉露大の汗がいくつも浮かんでいる。ノンストップで逃げてきたに違いない。今にもぶっ倒れそうだ。

 黒羽は。絢音はどうなった? 訊こうとした瞬間、結城がジャンプで岩を飛び越える。盛大に身体が揺さぶられて「ぐぇっ」と変な声が出た。そこで結城も、僕が目を覚ましたことに気付いたみたいだった。


「……結、城」

「喋んな。舌噛むぞ」


 ごもっともな忠告である。暴れたところでどうにもならないので、大人しく口を閉じた。代わりに頭を回転させ、これからどうすべきかを僕は考える。


『私の推測が正しければ、楓が鍵なんだ』


 黒羽は間違いなくそう言った。僕が鍵とは、一体どういう意味だろうか。憶測で物事を判断する女性(ひと)じゃないから、おそらく何らかの理屈がある筈だ。僕でも、いや、僕なら(・・)絢音に勝てるという論理が。それさえ分かれば――。


「……くそが。あの烏しくじりやがったな」


 と、結城が唐突に足を止めた。


「どうしたの」

「どうもこうもねぇよ。お前の嫁が負けたんだ。絢音が来る」

「……え」


 そんな、と言いそうになった。驚きが一割、嘆きが九割だ。黒羽は絢音に勝てないと、頭のどこかで僕も悟っていたから、狼狽したりはしなかった。……ただ、そう。黒羽が味わっているであろう恐怖と、痛みと、絶望を想像して、悔しさに歯を食い縛っただけだ。

 僕がもっと強ければ。もっと力があれば。こんな風にはならなかった。颯爽と絢音を倒して、平穏な日常に戻れたのだ。黒羽が傷付くこともなかった筈だ。なのに現実ときたら……。


「まーたウジウジしてんな。おい、シャキっとしやがれ」


 結城が僕を地面に落とす。いきなりだったので受け身が取れず、せり出した木の根に肩をぶつけた。何すんだよ乱暴だな。苛立ちを覚えた僕がキッと結城を見返せば、彼は僕を嘲笑うかのように、わざとらしく鼻を鳴らしてみせた。


「おぉ、多少はマシになったな」

「……もうちょっと優しくしてくれたっていいだろ」

「すみませんねぇ。こちとらお前に気を遣う余裕が無いもんで」


 かっこつけた風に、結城が指を鳴らす。若草色の煙が足下の地面から立ち上って、一息の内にその身体を包み込んだ。肉体派な結城に似合わない、面妖な気配が立ちこめる。

 煙が晴れたとき、そこにいたのは僕だった。


「……は?」

「どうした、間抜けな顔して。俺だって変身くらい出来るんだぜ?」

「……おい。まさか囮に!」

「なるしかねぇだろ? いつもだったらいざ知らず、今の俺は普段の力が出せねぇ。このまま逃げても、追い付かれてやられるだけだ。他に策があんなら聞かせて欲しいな」


 ない。あったら既に試している。結城の判断が正しいと、頭では僕も分かっているのだ。だけど、だけど……!


「はーもう面倒くせぇな! いい加減にしろよ楓! この期に及んでなに弱気になってんだ! こっち見ろ、おら」


 結城を犠牲にするのが嫌で俯いていると、不意に結城が僕の髪を掴んで、強引に持ち上げた。必然的に顔は上を向き、粗野な表情をしたもう一人の僕と、正面から見つめ合う体勢になる。


「あのオトコオンナ助けたいんだろ? だったらもっと気合い入れろ。高千穂で俺を出し抜いたお前は、そんな情けねぇツラしてなかっただろうが」


 一拍開けて、彼なりに励ましてるつもりなのだと気付いた。


「結城……」

「そっちの事情はよく分かんねぇけどよ。苗床がどうこうっつーんなら、あの烏も俺もすぐには殺されねぇ筈だろ。だけどてめぇが絢音に負けたら、俺らがどうしようが全員死ぬ。気に入らなくてもてめぇに頼るしかねぇんだ。そこんとこ理解してんのか? もっと自覚持てよ? おおん?」


 ……ああ、そうだな。

 無力感に侵されかけた心が、結城の言葉に勇気を貰う。黒羽は負けた。僕も負けた。けれどまだ、終わりではないのだ。

 絢音の立場で考えてみよう。まず何よりも最優先で確保すべきは僕。黒羽はその恋人で、僕をおびき寄せるための餌、もとい万が一のための人質として活用出来る。僕ならそうするだろう。加えて死体は苗床にならない。黒羽を殺さず無力化した方が、絢音にとってのメリットも大きいわけだ。

 冷酷な思考に我ながら吐き気を覚える。だが、ひとまず黒羽はまだ生きている。

 だったら自分がすべきことは何だ? 敗北を嘆くことか? 違う。休み、立ち上がり、彼女の元に帰ること。きっと黒羽もそれを信じて、僕を結城に託してくれたのだ。


「うっし、その顔だ。その不遜な顔がすっげぇムカつくんだよ」

「不遜で悪かったね。――ありがとう、おかげで頑張れる」

「死に物狂いで頑張れ。ついでに苦しめ。お前の不幸は俺の幸福だからな。けど死ぬんじゃねぇぞ」


 死んでたまるか。一緒にいるって黒羽にも約束したんだ。まだまだ生きてみせるさ。


「……勝つよ。勝って迎えに行く。黒羽にそう伝えといて」

「伝えなくても伝わってるだろ」

「だとしても、言葉にするって大事だと思うからさ」


 立ち上がる。身体は本調子じゃないが、走るくらいなら出来そうだ。そのまま足を踏み出しかけて……形容しがたい名残惜しさを感じ、振り返る。

 グータッチを求めれば、結城にしては奇妙なことに、応えてくれた。勢いよく、拳と拳を打ち合わせ、鈍い音と共に衝撃が伝わってくる。それが異常に強くて、僕は思わずビクリと跳ねた。


「――っっ!? おまっ……、ふざけんなよ痛いじゃないか!」

「わりーわりー、加減をミスっちまったぜ」


 素知らぬ顔して去って行く結城。その背中を見送りながら、絶対本気で殴っただろ、と僕は苦笑いを浮かべた。

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