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比翼の烏  作者: どくだみ
2-4:芽生えし侵略者
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もう一つの華

 泣き疲れて眠った黒羽を抱え、僕は蛇神の社を後にする。

 もう戻ることは無かろうと、幾ばくかの寂しさを覚えて振り返れば、(あるじ)を失い空っぽになった聖域が目に入る。

 少し前に、エックスの残骸は風に攫われて消えた。蛇神の亡骸も、僕たちの見る前で溶けるように地面へと沈んでいった。

 その結果、今はなぎ倒された社と灯籠だけが残っている。村からは離れた場所だ。数年もすれば緑に飲まれ、何があったかを知る者もいなくなるだろう。

 かくして山の主は死ぬ。蛇神の存在も、やがて忘れ去られて――。


「……いや、そうでもないか」


 少なくとも僕らが生きている内は。数少ない生き証人として、後世まで語り継ぐ……とまではいかなくとも、せめて覚えておくようにしたい。それこそが、蛇神に対して僕たちが示せる何よりの敬意だと思うのだ。

 夢の中で蛇神に出会ったことは、黒羽にも伝えてある。辛そうにしていたが、エックスが現れた時点で覚悟していたのだろう。マヤの死ほど取り乱したりはしなかった。ただ一言、遠くに向けて「ありがとう」と呟いてから、僕と二人で黙祷を捧げた。

 あとは……狐たちだ。途中から蚊帳の外にいたとはいえ、一応彼らも蛇神の眷属。何があったか知る権利がある。寄生体『エックス』の出現と、マヤも混ざった一連の死闘。そして蛇神の最期。間違いなく長くなるが、余さず彼らに話すとしよう。

 だけど、まずは二人と合流しないとな。はてさて、どこにいるやら。


「んん……ぅ」


 腕の中で黒羽が身じろぎをする。起こしてしまったか? 一瞬焦るが、どうやら杞憂だったらしい。僕が立ち止まると、黒羽も動きを止め、安心した様子でスースーと寝息を立て始めた。

 二百点。

 もちろん百点満点だ。さすが黒羽、可愛いが過ぎる。

 僕も手酷く消耗しているが、このくらいは彼氏として、面倒を見るのもやぶさかではない。

 曲がりくねった山道を抜け、廃墟と化した神社に辿り着く。空は薄暗くなりつつあった。昨日の朝、停めておいた筈のレンタカーまで、あと少しだ。

 家に帰ったら、迷わずベッドに直行しよう。そう頭の中で考える。狐たちをどうするか決まってないけど、取り敢えずベッドだ。僕は休みたいのである。

 戦いを終えた今なら分かる。霊力を使い切っただけでなく、疲労も相当、蓄積している。まだ大丈夫、まだ行けると誤魔化しながらここまで来たが、身体はしっかりと蝕まれていたらしい。

 睡眠が必要だった。短くてもいい。意識を落とし、力を回復させるための時間が……。

 ああでも、帰るためには運転しなきゃいけないのか。

 僕しか免許持ってないもんな。結構かかったよな、家まで。

 そういや明日は大学か。期限厳守のレポートもあったな。

 史学概論の課題も。

 フランス語の小テストも。

 言語学実習のレジュメも。

 うん、多い。やることが多いぞ……。

 無慈悲な現実を思い出し、僕は盛大にため息を吐く。そしてすぐに、悩むことを放棄した。

 全て明日の僕に任せる。明日の僕が無理だったなら、明後日の僕を酷使しよう。


「狐たちも動員してみるか。手を貸してやったお礼ってことで……」


 人間のふりして講義を受けていた連中である。頭は良い。木崎なんか僕より博識だ。こういうことはなるべくしたくないが、今回だけゴーストライターになってもらおう。

 などと姑息な企みを抱きつつ、参道を下って下の広場まで降りてきた。車は無事だったらしく、ちゃんと昨日と同じ場所にある。

 鍵はポケットの中だったかな? と曖昧な記憶を遡りながら、僕がそちらに歩みを進めようとした時だ。


 駆け寄ってくる人影があった。


「――楓さんっ!」


 絢音ちゃん……?

 予期せぬ人物の登場に僕は首を傾げる。彼女が何故ここにいるんだろう? 廃工場で隠れてろ。そう言った筈だが……。


「良かったぁ。二人とも無事だったんだね」


 安堵の表情で屈託のない笑みをこぼす。両手を背中で組み合わせてから、クルリと華麗にターンを決め。さも当然のような動きで、絢音はそのまま僕の隣に並んだ。


「え……、どうしてここに?」

「最初は工場で大人しくしてたんだけど、途中で抜け出しちゃったの。皆が頑張ってるって思うと、いてもたってもいられなくなってさ。危ないかなとは思ったよ? だけどそれなら楓さんたちはもっと危ない真似してるし。逃げ足には自信あったから、大丈夫かなって」


 やけに楽観的な思考だ。実際に命を削った身として、ものすごく苦言を呈したいところだが……まあ、それは今じゃなくてもいい。

 黒羽の寝顔を覗き込んで絢音が訊いた。


「重たいでしょ。手伝おうか」

「……いや。僕の彼女だから、責任は持つ。代わりに車の鍵取ってくれない?」

「どこ?」

「ポケットの中。左」

「了解。……ん、取れた。ついでにドアを開けてあげよう。こちらへどうぞ」

「助かるよ。鍵は運転席の上にお願い」

「ウィ、ムッシュ」


 執事のような仕草で車内を指し示す絢音。僕はお礼を言いながら、黒羽の身体を運び込む。


「……終わったんだよね、これで」


 後部座席に黒羽を寝かせていると、絢音が不意にそんなことを言ってきた。僕の背後という位置関係上、彼女の表情を窺うことは出来ない。


「楓さんこれからどうするの?」

「何も無ければ、このまま帰るよ。……君は?」

「アタシ? うーん、どうしよっかな-。まだやり残したことがあるんだよな」


 意味深な言葉を口にした直後、それを誤魔化すように笑う気配があって。


「でもホント、無事で良かったよ。アタシ信じてた。楓さんなら絶対に負けない。蛇神様を倒してくれる、ってね」


 ……ああ、そうか。

 そういうことだったのか。


 横たえた黒羽の顔を僕は眺める。目に前髪がかかっていたので、指で()けてあげた。身体をかがめ、恋人の頬にそっと口付けを落とした後、財布と携帯をポケットから取り出し、運転席の上に放り投げる。

 そうして動きやすい体勢を整えた僕は……扉を閉めた。

 振り返る。距離を詰めてこようとする絢音を、僕は無言で手を上げて制した。


「止まれ。それ以上近付くな」

「……なぁに、楓さん。険しい顔してどうしたのさ。もしかして、アタシが言い付け守んなかったから怒ってんの?」

「……いや。そんなんじゃないね。それで怒れたらどれほど良かったか」

「んんん??」


 頭に疑問符を浮かべる絢音に、僕はこう続ける。


「話は変わるけど、蛇神様ね。実は寄生されてたんだ。ヤドリギの怪物が体内に根を張ってて、そいつが裏から蛇神を操ってた」

「そうだったの!? 何それ、こっわ……!」


 さも初めて聞いたかのように、絢音が目を見開いた。


「え、え。じゃあさ、蛇神様を倒したら、中からそいつが出てきたってわけ?」

「うん」

「どうなったの」

「ちゃんと殺したよ」


 僕が答えれば、絢音はホウッと息を吐き出した。


「ビックリしたけど、何とかなったなら良かったよ。安心した」

「ありがと。……で、その後だけど。臨死体験みたいなことがあってね。一面真っ白な世界で、僕は蛇神様と話した」

「何を?」

「寄生された日についてとか、色々と。君も教えてくれたよね? 山道で何かを見つけたって。あれが実は、ヤドリギの怪物の種だった」

「そっか-。……他には?」

「励ましの言葉と警告を貰ったよ。……まあ、上手く聞き取れなかったけど。きっとこう言いたかったんじゃないかな。“私の記憶が正しければ、ヤドリギの種は一つじゃなかった筈だ”」

「……っ」


 絢音の肩がピクリと震える。それに気付かぬフリをして、僕は話し続ける。


「ずっと不思議に思ってたんだ。どうして君だけが、蛇神の洗脳を受けなかったのか。顔見知りだから見逃した? 違う。蛇神は記憶を封印してた。僕や狐たちと同じように、君の存在だって忘れてた可能性が高い。であれば、絢音ちゃん。蛇神にとって君は、ただの一人の人間だ。特別扱いする訳がない。……そこまで考えて、ようやく気付けた」


 そこで一拍、呼吸を挟み。僕は改めて絢音に向き直る。

 大事なのは、発想の転換だった。


「蛇神――いや、エックスは君を洗脳しなかったんじゃない。初めから眼中に無かったんだ、ってね」

「……どういう意味? アタシってそんなに、魅力不足なのかな?」


 まだとぼけるか。それともこの状況を面白がっているのか? ……別にどっちでもいい。ハッキリさせるのがお望みなら、遠回しに質すのはもうやめだ。


「一つだけ聞く。君は……本当に人間か(・・・・・・)?」


 すると絢音はくしゃっと顔を歪めて……。


「ふふっ、あははははははっ! 何それ、おっかしー! 真剣な顔して、どーんなこと言うのかと思ったら! アタシが人間か? だって! そんなの――――」


 盛大に笑った後、ふっと真顔になった。


「違うに決まってんじゃん」

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