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比翼の烏  作者: どくだみ
2-4:芽生えし侵略者
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対話、そして別れ

 我に返ったとき、僕は真っ白な世界にいた。

 比喩でも誇張でもなく、本当に何もかも白だった。

 天井、あるいは空も。床、あるいは地面も。同じ色が遙か彼方まで続いている。立ち上がって辺りを見回してみたが、不思議な空間に果ては無いようだった。


 ……どこだここは。


 記憶が定かなら、僕は泣沢村にいた筈だ。黒羽やマヤと共にエックスと戦って、だけど僕一人では力が足りず、それから。

 それから、僕は……。


「おはよう。素敵な朝だね」


 唐突に、背後から声をかけられた。

 ハッとなって振り返るが、誰もいない。

 気のせいか? 確かに呼ばれた気がしたが。


「下だよ、下」


 もう一度同じ声が聞こえ、僕は視線を足下に向ける。

 一匹の白蛇がそこにいた。


「……ッ!」


 思わぬ遭遇に驚きながら、僕は半身になって構える。だがすぐに、その警戒は解かれることとなった。

 敵意が感じられないのだ。


「そんな反応をされると傷付いてしまうな」

「……蛇神様?」

「私だよ。正真正銘、正気だ」


 答える声色に、こちらを見下すような傲慢さは無い。高千穂で出会ったときと同じ、穏やかなものに戻っていた。

 加えてサイズも常識的というか。


「……なんか、小さくなりましたね」

「可愛いだろう?」


 普通の蛇と同レベルにまで縮んでいる。爬虫類を可愛いと思うかはさておき、愛着の湧きそうな大きさではあった。

 どういうことかと僕が考えていると、蛇神は不意に頭を伏せた。


「感謝する。若き勇者の献身により、ヤドリギの魔物は(たお)された」

「僕だけじゃないですよ」

「でも立役者は君だろう? 謙遜も過ぎると毒だよ」


 クスリと微笑みを浮かべてから、蛇神は哀しげな顔になる。


「すまなかった。君たちには迷惑をかけてしまったね」

「……じゃあ、やっぱり」

「ああ、私の意思ではない。力を取り戻すためであれ、他者の心をねじ曲げたりするものか。此度の件は全て、私の体内に巣くったヤドリギの仕業だ」


 忌々しげに呟いてから、その場で小さく蜷局(とぐろ)を巻いた。


「とはいえ責任は私にある。謝罪して過去が変わるわけでもないが、せめて一言、伝えておきたくてね」

「いえ。蛇神様、あなたは――」

「悪くない、とでも言ってくれるかい? ……優しい子だ。だがどうか励まさないで欲しい。黒幕が誰であれ、事を為したのはこの身体。それを管理するのは、私だ。私であるべきだった」


 悔しそうに語る蛇神に対し、僕はかける言葉が見つからなかった。

 だから代わりに質問をした。


「何があったのか訊いても?」

「構わないよ。記憶は途切れ途切れだが、話せる限り話をしよう。……取り敢えず座ったらどうかな」


 促されて僕は腰を降ろす。床とも地面ともしれぬ真っ白なそれは、固いような柔らかいような、摩訶不思議な手触りだった。


「私がヤドリギに寄生されたことは、理解しているよね」

「はい。マヤ様の話だと、寄生された者は行動を支配される……と」

「まったくもって腹立たしい連中だよ。まあ、とはいえ私も山の主。黙ってやられるのは癪に障る。だから多少なりとも抵抗を試みてみたんだ。排除は無理でも、せめて定着を遅らせようと思ってね。そうして一ヶ月ばかり、山奥の洞窟で戦いを続けた」


 曰く、孤独な時間だったという。他の神に助けてもらう手も無くはなかった。だがその考え自体、新たな宿主を確保しようとするヤドリギによって作られたものだったとしたら? そう思うと末恐ろしくなって、どこにも出て行けなかったのだそうだ。


「私は日に日に弱っていった。最終的に敗北が避けられぬと確信したとき、私は最後の力を振り絞って、あるものを心の奥深くに封印することを決めた」

「あるもの?」

「記憶だよ」


 息を吐き出す蛇神は、大切なものを慈しむような、優しい目付きをしていた。


「例えば、君と知り合ったときの記憶。例えば、狐たちと交わしたささやかなやり取りの記憶。例えば、マヤや黒羽くんと過ごした他愛ない日常の記憶。どれもかけがえのない思い出だ。肉体の主導権を奪われるとしても、それだけは奴に渡したくなかった」


 ……なるほど、そうか。


「だからあのとき、蛇神様は僕たちを覚えていなかったんですね」

「いかにも。綺麗サッパリ忘れ去っていたのさ! 当時の“私”の混乱っぷりと言ったら! 我ながら傑作だったねぇ」


 負けると分かってなお、怪物に一矢報いたのだろう。精神を支配されるその瞬間まで、蛇神は神としての矜恃を失わなかったのだ。

 年季が違うな。僕は内心で感嘆の念を抱く。


「ところで青年よ」

「何ですか?」

「我々は今どこにいると思う?」

「……タイミングを見計らって、訊くつもりでした」


 苦笑しながら答える。蛇神は微かに目を見開いた。


「おや。落ち着いた風だから気付いているものとばかり。……まあいい。分からないなら教えようか。青年。君は今、生と死の狭間にいるんだよ」

「……ああ、やっぱり」


 何となく予想は出来ていた。少なくとも現ではなかろうと。


「こんな真っ白な場所、現実にはありませんし」

「だね。だが死後の世界とも少し違う。強いていうなら、君の頭の中、ってところかな」

「つまり……夢?」

「そうとも言える」

「臨死体験みたいなものですか」

「そうとも言える」

「てことは蛇神様も、僕が見ている幻なんですね」


 残念に感じながら問う僕に、返ってきたのは意味深な微笑みだった。


「どうだろう。夢は確かに事実ではないが、果たして完全な虚像なのかな?」

「……ハッキリさせましょう?」

「ネタをバラしてはつまらなくないかね。慎んでお断りするよ」


 胡散臭い神様だな……。根っこの部分が木崎に似てる気がする。思うだけで口には出さないけれど。

 ここに来る直前、自分が何をしたかは覚えている。エックスを殺そうと奮闘するさなか、唐突にマヤの意識が“入って来た”。身体の制御は効かなくなって、それから半ば、暴走のような状態に陥ったのだ。

 そうか。僕……死にかけたのか。


「月並みな言葉ですまないが、大変だったろう」

「……はい」


 震える身体で頷く。自分が自分でなくなるような感覚が、自分の中にあれだけの力が眠っていたという事実が、我に返った今はただ恐ろしい。


「仕方ないさ。君に流れる霊力は、元より人の身に過ぎたる力だ。一朝一夕で扱えるものじゃない。だから君は、己に対して無意識の内にストッパーをかけていた」

「マヤ様がそれを外したと?」

「そう。君の力を限界まで引き出すためにね。おそらくだけど、マヤ自身の霊力もそこに上乗せして、暴走させた君を裏から操ったんじゃないかな。そんなことをすれば何が起きるか、あいつとて分かっていたろうに」


 許容量を越える霊力が解き放たれ、耐えきれなくなった身体がオーバーヒートを起こした。そう蛇神は推測する。僕が感じた苦痛も、その影響なのだそうだ。


「神の座を継いでまだ日が浅い。君は確かに人外だが、それでも半分は人のまま。心身共に脆弱だ。マヤもそのことは理解しつつ、君をあそこまで酷使したんだろうね」


 そこまで危うい状況だったのか。「現に君は死にかけているし」と付け足す蛇神に、僕は複雑な気持ちを抱かされた。

 勝利のためには仕方なかったのだろう。僕だって頭では分かっている。だけどせめて、せめて一言くらい言ってくれても……。


「今回のようなことをもう一度引き起こしたくなければ。強くなるんだ、青年。心を磨き、肉体を琢磨し、がむしゃらでいいから突き進みなさい。次第に力も馴染んでくる筈」


 “強くなれ”。あっさりと告げられた五文字の言葉。落ち着いた様子の蛇神を前に、僕は自然と唇を噛み締めていた。


「……僕だって、強くなりたいと思ってますよ」

「そうらしい。前より身体つきが良くなってる」

「黒羽に鍛えてもらってるんです。だけど……僕なんか、まだまだですよね」

「というと?」

「藻掻けば藻掻くほど自分の未熟さに気付くんです。さっきだってそう。僕が最初から強ければ、マヤ様の手を借りなくてもエックスを倒せていた。最近は、そもそも“強さ”って何だろうって、悩むようになってきて」


 気付けば始まった人生相談に、蛇神は無言で耳を傾けてくれた。


「時々、分からなくなるんです。僕はこのままでいいのかって。こんなんで本当に、好きな娘と一緒に生きていけるのかって」


 黒羽に稽古を頼んだのも、元はと言えばそんな感情があったからだ。昨夜は木崎にさえ助力を求めた。

 けれど答えは見つからない。力が付いている自覚はあるが、未来への不安は高まるばかり。迷走しつつあるのが現状だった。


「君の苦悩は理解出来るよ。私も若い頃はよく考えた。毎晩毎晩、神とはどうあるべきか、自分は本当にこれで良いのか……とね。今思うと青かったな」

「そうか……神様だって悩むんですよね」

「悩むとも! 初めから完璧な者などいない。神にしろ人にしろ、それは同じさ。……だからね、青年。私の口から“君は大丈夫”などと伝えることはない。授けられた答えなど無価値もいいとこだ。考え、選び、己の足で突き進んだ先にこそ、意味のある終点が待っている。歩いてきた道が意味を持つ。……おや、何か可笑しかったかい?」

「え、ああいえ、すいません。マヤ様と同じこと言うんだなって思って」

「あいつも私も放任主義者だからね。束縛されて生きるとか、窮屈だろう? 私は大嫌いだ」


 しばしの沈黙を挟んだあと、蛇神は僕の目を見て続けた。


「君はこのまま、君らしくいきなさい。……うん、前も似たようなことを言った気がするが。取り敢えず焦ることはないよ。人生は意外と長く、君はまだ若いんだから」


 艶やかな瞳が揺れた。多分笑っているのだろう。

 世界がぼやけ始める。夢は終わり、現実に帰るときが来たのだ。


「どうやら時間切れらしいね」


 切なげな口調に、僕は蛇神がもう戻っては来れないことを悟った。


「逝ってしまうんですか」

「仕方ないのさ。私の力は怪物に吸い尽くされた。昔ならまだしも、今の私じゃ復活は不可能だ」

「そんな……! ようやくヤドリギを倒したのに。僕は、僕たちはあなたを止めるために戦ったんです! 殺すためじゃない!」


 手を伸ばせば届く筈の距離。しかし僕たちの間には、絶対に越えられない隔たりがある。


「どうして悲しむのかな。死は消滅にあらず。ただ大地に還るだけなのに」

「それでも……あなたは僕にとって、顔見知りです。会えなくなるのは、寂しいですよ」

「そうか。その感情は否定しない。むしろ大切にしなさい」


 旅立つ我が子を見送るように。座ったままの僕へ、頭頂部を擦り寄せてくる。なるほど。これは確かに可愛いかもしれないな……などと、泣き笑いを浮かべながら僕は思った。


「もう一つ。私からせめてもの償いだ。蛇神の持つ再生の権能を使い、君の命をこの世界に繋ぎ止めよう。……君にはまだ、越えるべき試練(・・・・・・・)が残っているだろうからね」

「……え?」


 何だって? 不吉な言葉に眉をひそめるが、問い返すだけの時間は無く。世界から音が消えていく。目の前が燐光に包まれて、蛇神の姿も見えなくなった。


「気を付けなさい、若き現人神。私の記憶が……れば、……は…………った筈だ。どこかに……、同じ……が残っていて――」


 途切れ途切れの警告を最後に、僕の意識は白の中へ溶けた。

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