過負荷
「ここは任せた」
いつ終わるかも知れない防衛戦のさなか、師匠が唐突にそんなことを言ってきた。
どういう意味だと問い返す間もなく、師匠は俊敏な動きで身を翻すと、楓の方へ駆けていった。蔦の猛攻を退けるのに精一杯だった私は、振り向こうにも振り向けなかった。
そして背後で、師匠と楓の気配が一つになるのを感じ取ったのが、つい数秒前のこと。
「アアアアアアアアアアアアアア!!」
「――っ、楓!?」
恋人の苦しげな悲鳴が聞こえ、私は思わず動きを止める。
どうした? 一体何が――。
「……いや、考えるのは後だな」
楓のところへ行きかけて、駄目だと己を叱咤する。師匠のことだ。どうにかして現状を打破するつもりなのだろう。
出来るならすぐにでも楓の無事を確かめたい。さっきの叫び声は尋常じゃなかったし、それが今でも続いているのだ。彼の身に負荷がかかっているのは明らかで……だからこそ、私がここを空けるわけにはいかない。
視線を上げる。外周から楓を狙う蔦は、どれも縄のように太く、先端が鱗のような組織で覆われている。数は一、二……ざっと二十前後。一本でも通せばおしまいだ。本体の破壊に専念する楓を貫き、彼の命を容赦なく刈り取るだろう。
「……フッ、上等だ」
そうはさせない。この数を相手するのは初めてだが構うものか。やり遂げてみせよう。
誰かを守るのは、得意なのだ。
「好きな男なら尚更な。さて」
反射神経に自信のある私だが、全部の蔦の動きを把握することは出来ない。襲ってくるものだけにリソースを割く。
死への恐怖も。
恋人の安否も。
失敗したらどうしようという不安も。
余計な情動はおしなべて捨て去って。私は自分を機械に変える。
「ああ、視界もいらないか」
無駄な情報に惑わされたくない。瞼を降ろせば世界が暗闇に包まれ、音と相手の殺気だけが残った。
全身の力を抜き、直感を研ぎ澄ます。波の無い静かで穏やかな海に、両手を広げて浮かんでいるような感覚。
――――右だ。
斜め上。四十五度。タイミングを合わせて腕を捻り、私は蔦を受け流す。最低限の労力で、効率的に。
「左」
軸足を切り替え、叩きつけるようにして二撃目の進路を逸らす。すかさず身体を反転させ、回し蹴りで第三波を撃退。ここまでの動きを無心でこなす。
楓は神になってから強くなった。だが私だって、この三ヶ月を自堕落に過ごしていたわけじゃない。
木崎との戦いで、私は楓に化けたあいつに心を乱されて負けた。だから私は楓に内緒で、視覚に頼らずとも動けるよう、聴覚と直感を限界まで研ぎ澄ます訓練をしていたのだ。
所謂“無心攻撃”。一人で多数を相手取るとき、本来ならば全員に目を向けておかねばならない。けれどこれなら、向かってくるやつだけに応じることが出来る。
エックスは殺意を隠そうともしないので、相手として丁度良かった。
「下。上。右。斜め前。もう一度上。その次は――」
なるほど。左右から同時に来るか。挟撃は戦闘の定石だが……。
「――甘いッ!」
むしろ私を狙ってくれる分、好都合だ。前に踏み出し、腕を振るう。まず一本。切り返して跳躍、二本目を回避。素早く翼を腕に変え、霧裂きの術で三本目を破壊。着地と同時にローキックを繰り出し、下からの攻撃を弾く。
「雑草が。出直してくるといい。まあ、お前に次はないだろうが、なっ!」
最後にもう一度術を放って、一連の攻撃を防ぎきった。反撃までは出来ない。それでも何とか守り切れている。
後は私の恋人次第だ。
※
熱い。身体が熱い……!
何だこれ。何がどうなってる!? 骨の芯を炎で炙られてるみたいだ。もの凄い速さで血液が体内を巡り、心臓と肺は割れそうな程に痛い。下腹部から湧いてくる途方も無い量の力が、僕の骨を割り、肉を裂き。全身に余すことなく浸透し、支配していく。神になった時と同じ感覚が、形を変えて戻ってきたようだった。
そして何よりも。
『お主に二つ、言うておかねばならんな』
意識を飛ばしそうな苦痛を味わってなお、僕の身体は止まることを許されていなかった。
『一に“すまない”。二に“頑張れ”じゃ。少しの間だけ耐えて貰う』
脳内に響くマヤの声は、感情を殺しているようにも聞こえた。
『――動け』
僕の手が、意思とは無関係に持ち上がり、目の前の怪物に対して突き出される。これまでよりも強い衝撃の後で、エックスの表皮が一文字に割れ、反動で腕の骨が砕けた。
痛みで目の端に涙が滲むが、マヤにそれを気にかける様子はない。
『傷口を開き、中に入るのじゃ』
気付けば主導権は失われ。磨り減り続ける僕の精神とは真逆に、肉体は命令に忠実に動いた。怪物の中に上半身をねじ込み、力任せにこじ開ける。普段の僕なら、およそ出せる筈もない怪力。
生命の危機を感じたのか、敵の反撃も苛烈さを増した。アイスピックのように尖った蔦が、僕の肩口に突き刺さる。
「が……はっ……」
続いて腿に。腹部に。背中に。ズブリズブリとあちこちを串刺しにされていく。その度に身体が痙攣を起こし、呼吸は引き攣って止まりそうになった。肌の上を流れる熱い水。これは僕の血液か。視界の端が白くなり、僕は意識を失いかける。だが……。
『否! まだ、まだお主は戦える!』
再びバキリという音。思考が、誰のものかも分からない破壊衝動に染まっていく。心身の限界はとうに超え、それでもなお、僕は立ち上がる。
痛い。
殴れ。
重たい。
燃やせ。
苦しい。
引き裂け。
座らせて。
破壊しろ。
止まるな。立て。食らいつけ!
回復に回す霊力も、余さず攻撃につぎ込んで。制御を失った身体は果てしなく動き続ける。
「――壊れろ」
僕の口から漏れ出た声は、多分、僕のものじゃなかったと思う。
再生されたら、された分だけ殴って潰す。拳じゃなくて足でもいい。些細な違いだ。
一撃ごとに命を磨り減らし、やっと数センチ奥に進める。それを、突き動かされるままに、何度も。何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返して……。
やがて、僕はそこに辿り着いた。
『それが“芯”じゃ。破壊せよ』
草体の中心を貫くように、植物質の棒のようなものが立っている。
最後だけは自分の意思でそれを掴むと、僕は残り少ない力を振り絞り、引き千切った。
そして……。
世界が光に包まれた。
※
私は見た。
ヤドリギの蔦が、一斉に活動を停止する様を。
私は聞いた。
恋人の怒号と、凍り付くような断末魔の悲鳴を。
私は感じた。
風を。光を。衝撃を。津波のように背後から押し寄せてきて、踏ん張る暇もなく吹き飛ばれてしまった。
耳鳴りのする中で起き上がり、そして私は気付く。
この世の誰よりも大切な、楓の気配が感じられなくなっていることに。




