ノブレス・オブリージュ
「かくして脅威は取り除かれ、儂は期せずして神の座を得ることになった。戦闘の余波で村は壊滅。事の顛末を知る者も、儂を除いてこの世から消え去ったというわけじゃ」
「……そんなことが」
あったなんて。まるで神話が現実になったみたいだ。信じるにはいささかファンタジーな話だが、生き証人が目の前にいる以上、そういうものだと理解する他ないのだろう。
頭で情報を整理してから、僕はマヤに問いかけを放つ。
「ヤドリギを全滅させて……。その後は、どうなったんですか」
「お主らが知っておる通りじゃよ。怪物の存在した痕跡を焼き、何もかも無かったことにした。当時の儂は、それが最善だと考えておったでな。人間たちの出方が気がかりではあったが、“山賊に襲われた”と解釈してくれたらしい。全て目論見通りよ」
「つまり、ヤドリギの怪物が記録として残ることはなかった、と」
「理を外れた魔物との戦なぞ、語り継がれんで大いに結構。それこそが、被害を未然に抑え込めたという何よりの証拠なのじゃからな」
「……蛇神様は、このことを知ってたんでしょうか?」
「知らんかったろうな。あやつの誕生は事件の二百年後であるし、儂も何一つ教えていない。今思えば明らかに失態じゃったな。情報の一つでも伝えておれば、こうはならんかった可能性もあろうに」
そう呟いて、マヤが自嘲的に笑った。後悔先に立たずとは言うが、どうしても考えてしまうのだろう。蛇神の死の一因が自分にもあるのではないか、と。
長い付き合いだからこそ、失った時の哀しみも強くなる。神様だろうと人間だろうと、それは同じの筈だ。
声の節々にため息を滲ませながらマヤは語り続けた。
「実のところ儂も、あやつのことを完全に理解出来ているわけではない。これといった弱点も分からぬ。出自も不明……自壊を選んだ鹿神は、異変発生の数ヶ月前に大和上空で観測された流星雨と関連付けて、あの植物が宇宙からやって来た可能性を指摘しておったな。もしそうであるならば、奴は元々、あのような姿を取っておらんかったという見方も出来る」
「宇宙から……」
壮大な単語に面食らった僕は、無意識の内に空を見上げていた。
昼間だから、星々の輝きを見ることは出来ない。けれどそれでもあの雲の向こうには、途方も無いほど広大な空間が広がっていて、何万、何億もの惑星がその中を漂っている。生き物の住む星がどこかにあっても、なんら不思議では無いと言えるだろう。
木崎が作った黒幕の仮称、『エックス』の四文字が脳内に浮かんだ。遊星からの物体かな、などと昨日の僕は悠長に考えていたが、あながち的外れじゃなかったのかもしれない。
「おい、あまり思い悩まない方がいいぞ」
黒羽に肩を叩かれて僕は我に返った。
「流星だの宇宙だのは、あくまで推測の域を出ない話だろう。今どうするかを決めるのが先じゃないのか」
そうだった。思考を現実に引き戻し、僕は黒羽に首肯を送る。アレコレと考えがちな僕にとって、彼女みたいに話を引っ張ってくれる人の存在は本当にありがたい。
落ち着けと自分に言い聞かせながら、頬を叩いて気合いを入れた。ビビるんじゃない、冷静になれ。僕がしっかりしなきゃ誰がしっかりするんだ。半端者でも神様だろうが。
「……オーケー。一旦、あいつの特性を整理しよう。マヤ様がたくさん教えてくれたけど、要点は三つだね」
その一。ヤドリギの怪物は生き物に寄生する。神格か通常種かの区別は問わない。
その二。成長した怪物は宿主を食い破り、外に出て来る。そして宿主に擬態する。
最後。放置した場合、怪物は果てしなく勢力を拡大する。寄生されていた蛇神の動向と、マヤの話を合わせて考えた末の結論だ。
「っつーわけじゃな。あらゆる寄生生物の能力に加え、看過出来ぬほど支配的な気質を併せ持っている。一言で言えば、“最強の寄生体”」
「……っ!」
淡々と放たれたその言葉に、全身の筋肉が緊張で強張る。今僕たちが敵対しているのは、神を以てして“最強”と形容せしめる存在なのだ。マヤの助けがあったとはいえ、よく無事に逃げれたものだと思う。
「……となると、蛇神に寄生していたやつは、五百年前の生き残り?」
「否、村にいた株は儂が全滅させた。念入りに確認しておる故、間違いない」
だったらあいつはどこから来たんだ?
腕を組んで唸る僕に、黒羽が答えを返した。
「おおかた、種子が残っていたんじゃないか」
「じゃろうな」
マヤが同意し、更に続ける。
「土の下、儂の目の届かぬ場所で密かに息を潜めていた。それが何かの拍子に地上へと現れ、運悪く蛇神に寄生した説が有力じゃ」
「植物の生命力には凄まじいものがあるからな。通常の樹木でさえ、状況が整えば数年、数十年と時を超えて発芽することも珍しくない。ましてやあいつは妖怪だ。五百年だって耐え抜けるだろうさ」
「ハスじゃったか、二千年前の種が芽生えた例もあったの。儂より長生きとは恐れ入る」
ほっほっほ、とマヤが口を開けて笑った。さすがは年の功と言うべきか、危機的事態なのに安心感がすごい。
その横で黒羽が指を立て、空中に小さな円を描いた。
「じゃあ次は、私たちの置かれた状況を説明する番だな。時間が惜しいから簡単にいくぞ」
そうして彼女は、二日前の夕方から今に至るまでの過程を語る。
家にやってきた狐たち。彼らの口から告げられたのは、異変の第一報と、助けを求める言葉だった。
訪れた泣沢村では、蛇神に攻撃され。絢音という少女に命を救われた後、襲ってきた村人を相手しつつ逃走。作戦を練り直して反撃に出た。
命を賭けた蛇神との死闘には、何とか勝利を収めることが出来た。けれど直後にヤドリギの怪物が現れて、もう少しで殺されそうになっていたところを、駆け付けたマヤに救われた。……こうしてみると、つくづく危ない橋を渡ってたんだな。
全てを聞いたマヤは、僕たちを労うように目を閉じた。
「難儀なもんじゃの」
「まったくだな。……で、だ。師匠の話と私たちの持つ情報を統合すると、この村で起きていることの説明が出来る」
黒羽の中では話がまとまったみたいだ。かくいう僕も今の時間を使い、状況の整理は既に済んでいる。確認がてら共有しようか。そう思い黒羽に目配せを送れば、どうやら彼女もそのつもりだったらしい。僕の顔を見て、こう訊いてきた。
「楓は、件の予言を覚えているか?」
「もちろんさ。『開花の気配』に『身中の虫』。その二つは同じ物を指してたんだね。蛇神の中に根を張った、ヤドリギの怪物の存在を」
「ああ。そしてそれは、女狐の言ってた黒幕『エックス』でもある、というわけだな。村人を操っていた蛇神も、実はエックスに操られていただけだった。蛇神に信仰を集めさせたのも、その力を自分が吸い上げるためと考えれば納得がいく」
「エックスが蛇神に寄生したのは、今からざっと四ヶ月前、七月のことだろうね。“何かを見つけた”って絢音ちゃんは話してた。多分そいつが、地中で眠っていたエックスの種。どうやったのかは知らないけど、そのタイミングで蛇神に入り込んだんだ」
ようやく事件の全貌が見えてきた、そんなとこだろうか。
黒幕の存在をもっと早く察知していれば、という後悔もあるが、覆水盆に何とやら。今更ぼやいても遅い。僕は心の中で両手を合わせ、濡れ衣を着せたことを蛇神に謝罪しておいた。
さて、次だ。
「……本題に行こう。これからどうするか、決めないと」
方針は大きく三つに分かれる。傍観、逃走、戦闘。傍観は無意味だから却下するとして、退くか攻めるかの二択だが……。
「そんなの迷う余地も無いだろう。このまま村から退避すればいい。一番安全な策だ」
選択肢を挙げるやいなや、黒羽が即答した。うん、だよね。君はそれを望むかなって思った。
「あいつの強さは対峙して理解した。私と楓、そして師匠が力を合わせても、正面からの破壊は困難だと推測する。蛇神を止めるだけならともかく、訳の分からん怪物まで相手にする義理は私たちに無い」
清々しいばかりに利己的な理屈。……のように聞こえるが、その本心にあるのは、僕に危険を冒して欲しくないという思いだろう。勝てない敵とは戦わない。負け戦はしない。生きていく上で大切なことだ。
だが、マヤの意見は違った。
「ならぬ。立ち去ることは許さんぞ」
「……何だと。どういう意味だ師匠」
「そのままの意味じゃよ。特にお主、出雲某」
「楓です」
「出雲楓。お主には――あの怪物と戦う義務がある」
短く、ハッキリとマヤが告げる。黒羽が強い語調でそれに食ってかかった。
「何を言ってるっ! 楓にエックスと戦う義務があるだと!? そんなの――」
「黒羽。落ち着いて」
彼女を手で制してから、僕はマヤを見詰め返した。僕の左目と同じ黄金色をした瞳が、スッと細められる。
マヤが言ったことの理屈は、薄々察しが付いていた。
「お主は理解しておるようじゃな?」
「何となく、ですけど」
「述べてみよ」
「はい。僕がエックスと戦わなければならないのは……多分、僕が神様だから、ですよね」
マヤは無言で瞼を閉じる。その通り、という意味だろう。
「何が言いたいんだ? 楓、私にも分かるように説明してくれないか」
「オーケー。でも、そこまで難しくないよ。“お前には力があるんだから、やるべき事をやれ。あの怪物から他の命を守り、今ある秩序を保て”。……ってこと」
要するに、ノブレス・オブリージュというやつだ。高貴さによる義務の強制。ローマの貴族がインフラ建設に私費を投じたり、イギリスの王族が軍隊に所属して国のために戦ったりするのと同じで、神なら神らしく逃げずに戦えとマヤは言っているのだ。たとえ僕が、神格としては明らかな半端者であったとしても。
「……そうなのか、師匠」
「いかにも」
「自然の理に介入するのは、神としてタブーだった筈だぞ」
「本来であればの。しかし此度は例外じゃ。理を護るために理を破らねばならん場合もある。かつての儂や神獣たちのようにな。全てを放置して見守るだけなら、神が神としてある意味が無かろう?」
「う……それは、そうだが」
不満げな顔をしつつも、反論らしい反論を思い付かなかったのか黒羽は黙った。マヤが僕に語りかけてくる。
「困難なのは分かる。危険であることも分かっておる。それでもお主は、あの怪物を迎え撃たねばならんのじゃ。類い稀なる力には、相応の責務が伴うと心得よ」
「分かり……ました……!」
震える拳を握りしめ、僕は頷いた。
初めにエックスと対峙したときは、考える間もなく生き残るのに必死だった。だけど束の間の安全を得た今なら分かる。当時の僕は怖かった。今だって同じくらい怖い。けれどそれでも、ここで逃げることは許されないのだろう。
神として。そして黒羽の恋人としても。
仮に、僕たちが手を引いた場合を考えてみよう。敵を失ったエックスは限りなく勢力を拡げる筈だ。村の中に留まってる内はまだいいが、より人の多い市街地に到達すれば、もう取り返しが付かなくなる。人間に擬態したヤドリギたちは、人間の作った交通網を使って、遠くへ、より遠くへ。新種のウイルスが広がっていくように、個体数を増殖させていく。僕の日常が侵食されるまで、そう時間はかからない筈だ。
黒羽に、大学の友人たち。実家の家族や地元の幼馴染み。これまでの人生で僕が得てきた、大切な人との記憶が蘇る。ここで自分が動かなければ、彼らの命も遠からず脅かされることになるのだ。
……それは、嫌だな。
深呼吸して、何度目かも分からぬ覚悟を決める。大切な人を護る力があるんだ。使わない理由は無いじゃないか。
他の神とか、自衛隊とかに丸投げもありっちゃありだろうけど。そもそも彼らが勝てるかは不明だ。悠長なことをしている間に、更なる力を怪物が付けてしまっても困る。現にあの時、エックスの花は咲きかけていた。もうじき繁殖の予定だったのだろう。
ああ、そういえば。この村に来てから、動物らしい動物を見掛けてなかった。彼らは賢いから、異変を察知して逃げたのかもしれない。だったらここに残ってる僕は、どうしようもない大バカ者ってことになるな。
勇気と無謀は紙一重。今の自分は……どっちなんだろうか。
「大丈夫です、マヤ様。心の準備、出来てます」
「よろしい。それでこそ儂の後継者。尻尾を巻いて逃げだそうものなら、ひと思いにその首噛み砕いておったところよ」
喉を震わせて笑うマヤ。冗談か? と思いかけたが、目は本気だった。怖い怖い。
「さて。重要人物の同意も得たことじゃ。これからの段取りについて協議するとしようかの」
そう言って、マヤが話を進めようとした時だ。
「――待て」
遮るように、黒羽が声を上げた。




