銀狼、合流
脇目も振らずに逃げてきて、現在地点は山の麓。怪物が追ってくる気配は無い。動けないのか興味を失っただけか。いまいち判別が付かないが、どっちでもいい。少なくとも今は大丈夫だ。あくまで“今は”だが。
「……助かりました、マヤ様。あのままだと多分、殺されてたかと」
「礼には及ばんよ。むしろ、もっと早期に来るべきであったと後悔しておる」
大気の匂いを嗅ぐ仕草のあと、マヤが地面に身体を落ち着けた。その様子を見て、僕もマヤの横に腰を降ろす。黒羽はしばらくの間、警戒した目付きで山の方を睨んでいたが、安全が確認出来たのか、肩の力を抜いて僕たちに視線を移した。
命の危険は取り敢えず過ぎ去り、話をする時間がやってくる。あまり長くはかけられないだろうが、それでも身の振り方を考える前に、訊きたいことが山ほどあるのだ。
「説明、してくれますよね」
「うむ。ひとまず順を追って話そうかの」
マヤが神妙な顔をして頷いた。
「お主らと高千穂で別れたのち、儂は宣言通り、大和の各地を気の向くままに旅して回っていた。自慢ではないがこう見えても顔が広い方でな。会いに行くべき友神は数多く、京に出雲に諏訪に遠野にと、あちらこちらを訪ねておったらいつの間にか数ヶ月が経っておったんじゃ。で、さすがにそろそろ我が子たちの様子を見にゃならんと思い、遠路はるばるお主らの家までやって来た。それなのにお主ら留守ではないか! 数刻待ったが帰宅する気配も無いし、しかも微かに狐たちの匂いが残っておるじゃないか! そこで賢明なる儂は、何ぞ事件でもあったかと推理し、好奇心と老婆心をちっとばかし働かせてみることにした」
嗅覚と直感に従って、僕たちが通った経路をそのまま辿って来たのだという。日付を訊いてみたところ、丁度一日遅れ。木崎が出発を急かさなければ、もしかすると合流出来てかもしれない差異だ。余計なことをしてくれやがって。
「かくしてこの村に到着したのが、つい先程。蛇神の社から面妖な気配を感じて駆け付けてみたのじゃが、まさか、あのような魔物に出くわすとはな。ついぞ想像もしておらんかったわ」
「……まるであいつのことを知っているような口ぶりだな、師匠?」
黒羽が問う。マヤはそれには答えず、逆に僕らに質問を投げ返した。
「お主らは、あの植物をどう見る?」
「ヤドリギの妖怪、でしょうか」
僕が返せば、マヤは頷いてから、
「そう表現するしかあるまいな。じゃが正確に言えば、少し違う」
「というと?」
「儂はあやつを、一種の“災害”だと考えておる。話は通じず、見境も無い。地震や台風と変わらんじゃろうて」
言われてみれば確かに。実のところ僕も、黒羽や狐たちとあの怪物を、『妖怪』として一括りにするのは無理があるなと思っていたのだ。『災害』の方がしっくりくる。言い当て妙だな。
「アレの呼び方は、どうだっていい。重要なのはその生態だろう。あいつは蛇神の中から出てきた。寄生していた、という認識で間違いないな?」
腕を組んで訊いた黒羽に、マヤは「そう急かさんでも話すわい」と苦笑してから続けた。
「ヤドリギという見た目の通り、アレは本質的に、他者の力を利用して成長する存在じゃ。一度でも入り込まれれば最後、体内に根を張り巡らせ、宿主の生命力と霊力を吸い取り続ける。とはいえそれだけならば、さして恐れる心配は無い」
「寄生自体、自然界じゃ別に珍しくないからな。つまり、まだ何かあるのか」
「察しがいいの。……さて、お主ら。ここでちょっぴしお勉強の時間じゃ。一口に“寄生”といっても、その内情は種によって様々あるでな。概して、宿主を殺さずにいるものと、殺してしまうものに分けられる」
高校の生物で聞いた気がする話だ。一般的な寄生に対して、宿主を殺すパターンを捕食寄生と言う。前者はヤドリギが、後者はイモムシに卵を産みつけるハチの仲間が有名だろうか。
「あの怪物がヤドリギなら、よっぽどのことがない限り宿主を殺すには至らない筈……ですよね。だけどあれは」
「そう甘くない。成長を終えた株は、やがて宿主の身体を見限り、自立するようになるのじゃ」
「自立」
「さよう。発芽し、根を降ろしたあやつらは、まず宿主の思考を支配する。さながら、昆虫の体内に入り込み、その行動を操る寄生虫のようにな。巧妙かつ慎重な手口で行われる故、周囲に察知されることはほとんど無い」
となると、蛇神の行動は本人の意思じゃなく、裏で怪物の意図が働いていたと見るべきか。
「かくして十分な力をつけた後、あやつは宿主の肉体を食い破って、外へ出て来るというわけじゃ。お主らも実際に見たじゃろう?」
僕と黒羽は揃って頷く。あれはもう、本当に、吐き気のするくらい残酷で。けれどどことなく現実味の無い、悪夢みたいな光景だった。ブチブチという肉の千切れる音が、今でも鼓膜にこびり付いているようだ。
顔をしかめた僕を見て、マヤは「気分の良いものではないの」と付け足すように呟いた。
「嫌な記憶を呼び起こしたかもしれんが、これで終わりではないぞ。外に出たあやつは、息絶えた宿主の肉体を取り込み、自らの姿を宿主と同じ形に変化させる。要するに、擬態するのじゃな。おそらくそうすることで、己が子孫の寄生先を探しやすく、近付きやすくするためと思われる」
「……寄生、捕食。でもって今度は猿真似か。悪趣味、それでいて性質が悪いな」
舌打ちを沿えて毒づく黒羽。僕も彼女に同感だった。
自然界で生きていくためには、多かれ少なかれ他者を出し抜く力が必要になる。だがそれを踏まえても、マヤから聞かされた怪物の生態は、生き物として不自然な気がした。ただただ支配あるのみといった感じで、何というか、容赦がなさ過ぎるのだ。これじゃ繁殖というよりも、まるで――。
「……侵略、されてるみたいだ」
「否定は出来んの」
「宿主に擬態したとして、周りはそれに気が付けるものなんでしょうか?」
「難しかろうなぁ。まずもって外見は瓜二つじゃろ。ならば気配で察せるかとなるが、宿主の霊力で育った以上、奴の中身は本物のそれと近くなっておるからの。記憶を引き継いどる節まであるし、やんぬるかな。いかんともしがたいと言ったところ」
どうやら狐たちの変身とは訳が違うらしい。しかも神格を宿主にしていた辺り、しようと思えば何にだって寄生出来るのだろう。植物や動物、そしておそらく、人間にも。黒羽や僕だって例外ではない。むしろ霊力が豊富な分、美味しい苗床にすらなり得るのだ。
もしも。
もしも黒羽が、寄生されたら……。
考えるだけでゾッとなる。あの怪物が、黒羽の腹を突き破り、高らかな産声を上げて飛び出してくる――脳裏に浮かんだ最悪のビジョンを、僕は頭を振って追い払った。
「対抗策は?」
「ありったけの火力を以て、破壊あるのみ」
僕の問い掛けに対しマヤが即答する。いや、それはそうなんだけども。そんな簡単に……。
「出来るんですか?」
「どうかのう。前例があるでな、儂は可能じゃと思っとるよ」
なるほどね。……てことは、やっぱり。
「マヤ様。あなたがあの怪物と出会うのは、今回が初めてじゃないんですね」
「出会うどころかそれ以上じゃな。黒羽にもまだ、話しておらんかったかの」
一拍置いてからマヤが続けた。
「儂は昔、あやつと戦ったことがある」




