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比翼の烏  作者: どくだみ
2-3:出雲楓の神殺し
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蛇神の野望

 蛇神の社へ近付くにつれて、大気に混じった霊力が段々と濃密になっていく。

 鬱蒼とした森の中。木々の間を縫うように続く山道には、昨日、這々の体で逃げ帰ってきた時の足跡がまだ残っていた。

 四人であの様だったのに。今度はそれの半分で挑むなんて、一風変わった自殺志願者かと思われそうだ。もちろん違う。ここで死ぬ気はさらさら無い。

 見覚えのある石灯籠が、ポツリポツリと道の脇に現れ始める。僕と黒羽は足を止め、一度だけ深呼吸をした。

 僕らが蛇神の存在を感じ取れるように、向こうもこちらの気配を察知している筈だ。明らかに敵と分かっていながら、先手を打ってこないのは強者(つわもの)の余裕か。それとも他に理由があるのか。

 どちらにせよ、待ってくれるなら焦ることもない。


「楓」

「何?」


 名前を呼ばれて向き直る。背中に黒羽の温かい手が触れた。


「震えてるぞ」


 ……ああ、やっぱりバレたか。

 身体を曲げ、僕は己の膝を握りしめる。

 緊張するな、怖がるな。そう唱えるのは簡単だ。だけど簡単な分、効果も薄い。むしろ唱えれば唱えただけ、恐怖をより強く自覚するという悪循環に陥る始末。

 まあ、どこかの誰かさんも、あまり他人(ひと)のことは言えなさそうだが。


「君だって。それ、汗は汗でも冷や汗だろ」

「どうして分かった」

「緊張が顔に出てるし、身体も強張ってるからね。恋人だもん、分かるよ」

「……自分でも情けないと思ってるんだがな。蛇は、私たち烏の天敵なんだ。あの宝石みたいな目は何度見ても慣れないし、どれだけ覚悟を決めていても帰りたくなる。いい歳して腑抜けな女さ」


 自虐的に笑って、黒羽がため息を吐く。僕はそうは思わない。彼女に“蛇や狐を恐れるな”と言うのは、烏としての本能を捨てさせるのと同義だからだ。

 人間の僕だって蛇は怖い。よしんば捕食される側なら、尚更だ。


「黒羽が良ければ、今から結城たちの援護に行っても……」

「嫌だ。そこまで私も臆病じゃないぞ」


 逃げ道を用意してみたが、即答即決で拒絶されてしまった。


「怖いのは私だけじゃないと分かった。今はそれだけで十分だ」

「だね。……ありがと、黒羽」

「何故お礼を言うんだ?」

「僕も君と同じことを思ったから」


 微笑みを送る。彼女のおかげで少しだけ気が紛れた。

 再び歩き出そうとしたとき、黒羽が思い付いたように跪き、僕の手を取った。いきなり何だと僕が戸惑っていたら、彼女はそのまま顔を近付け、絢音とグータッチをした同じ位置に優しくキスを落としてきた。


「ふぇっ」

「嫉妬深くて悪かったな。忘れないうちに上書きだ」


 クゥ、と甘えた声を漏らす黒羽に、開いた口が塞がらない僕。今のは……うん、不意を突かれたからかな。ものすっごくドキッてなった。高鳴る胸の鼓動を前に、戦いの緊張は遙か遠くへと押し流されてしまう。もしかしてそれを狙ったのか……?


「行くぞ、楓」

「あ、待って」


 この策士め。心の中で呟いてから、頼もしい背中を追いかける。まるで初めて出逢った頃みたいだ。



 しばらく進むと、朽ちかけの鳥居が見えてきた。その向こうには、うっすらと輝く蛇神の巨体も。とぐろの中に頭を埋め、眠っているようだった。

 黒羽が手足を烏のものに変える。戦闘態勢。僕も同じく気を引き締めて、いつでも動けるよう全神経を白蛇に集中させる。

 石の階段を登り、鳥居の下をくぐり抜けたところで、蛇神が遂に目を覚ました。


「……戻ってきたか、小さき者。我に屈服する覚悟が出来たと見える」


 鎌首をもたげ、嘲笑うようにシューシューと息を吐く。ルビーの瞳は怪しげな光を纏って、僕の心を本能的に掻き乱してくる。全身に鳥肌が沸き上がった。


「よいぞ。よい。そう畏れずともよい。我に対するこれまでの無礼、神の名において許そうぞ。現人神の出雲楓、烏の妖怪黒羽。汝らはここに忠誠を誓い、我が泉に住む考えぬ葦となって――」

「断る」

「ほぅ?」


 いつまでも続きそうなので遮らせてもらった。僕たちがこいつに会いに来たのは、くだらない託宣を聞くためなんかじゃない。


「……蛇神。あなたに確認したいことがある」

「神の御言に割り入った罪、その度胸に免じて咎めずにいよう。慎んで申すがいい」

「あなたは村人たちを洗脳し、自らへの信仰を抱かせた。そうして得た力でさらに洗脳を広げ、全盛期の姿を取り戻した。違いますか」

「真である。汝の推察に誤りは無い」


 よし、だったら大丈夫だ(・・・・・・・・)。正しくは木崎の考えだけど、複雑になるから黙っておこう。


「あなたがこんなことをする、目的は?」


 話の主導権を握らせぬよう、間髪入れずに次の質問を放つ。蛇神はしばし首を傾げた後で、短くこう答えた。


「我が一族の復権のために」

「……え?」


 復権……って?


「意味が分からぬという顔だな。知らぬなら知らぬままでよい。汝の行く先は死か屈服のみ。いかなる知識も無用の長物と化すのだから」

「っ、待て! まだ話は終わってない!」

「否。終わらせるのは汝にあらず、我である。驕るな小童(こわっぱ)

「……ぐっ」


 逆らいがたい神威に圧倒されて、僕は思わず後ずさりしてしまう。

 くそ、まずいな。会話で時間を稼ぐ予定だったのに、このままじゃ僕たちの負担が――。


「原始信仰への回帰」


 僕が焦りを覚えかけたその時、凜とした声で黒羽が言った。


「そういう意味だろ、蛇神」


 蛇神の顔が微かに歪んだ。笑った……いや、あれは眉をひそめたのだろう。どうやら黒羽に興味を持ったらしい。本人もそれを理解したようで、「ここは私が」と短く僕に告げてから、一歩、僕を庇うように前に進み出た。


「愉快だの、烏の娘っ子。多少は事情に通じているらしい」

「ああ、師匠から聞いたことがある。古代の日本において、人々の信仰は山の神が独占していた。神といっても人間の姿をした神ではなく、お前や私の師匠のように、巨大な獣の身体を持った神が主流だった、とな。違うか?」

「いかにも。我自身は若き神なれど、この身に流れる血は神代(かみよ)より受け継がれてきた由緒正しきもの。我が祖先は日向(ひむか)の大地に名を轟かせ、数多の民草の命を見守り、そして崇め奉られてきた。それが今はどうか」

「……見る影もない、と言ったところだな。僻地に追いやられ、人には忘れられ、力だけで無く記憶まで失った。だが蛇神。私の知るあなたは、その現状を甘んじて受け入れていた筈だ! 隠居生活も悪くない、むしろ一つ一つの命と近くなれて嬉しいと、初めて会った時に話してくれたじゃないか! あの時のあなたはどこへ消えた!」

「黙れ小娘! お前に我々の屈辱が癒やせるのか。落ちぶれ、弱り、高天原の人格神どもに立場を奪われ、手水場(ちょうずば)の蛇口にまで追いやられた蛇神たちの気持ちが、烏のお前に理解出来るか!」

「出来ない。私は神じゃない。失う力なんて最初から持ってないからな。だが……」


 そこで黒羽は息を吸い込むと、凜々しい目付きで蛇神をキッと睨み付けた。


「仮に私が似た境遇にあっても、お前みたいな暴虐は働かない。私の師匠がそうしなかったのと同じように」


 すると蛇神は堰を切ったように笑い出した。周囲の空気にパチパチと火花が走る。


「なんとも烏らしい、忠義に満ちた考えだな。我はお前の師匠など知らん。お前の言葉で我が意思が(ひるがえ)ることもない。民草の尊厳を蔑ろにしようと、高天原の連中に一泡吹かせてやる。汝らがなおも我が前に立ちはだかるならば――」


 赤い瞳が僕たちを睥睨する。その身に纏う神々しい気配が、身も凍るような殺気へと変わった。


「唾棄すべき傲慢だ。死を以て償わせてやろう」

「……出来るものなら」


 短く応えて、僕は黒羽の横に立つ。これ以上、時間稼ぎは続けられそうにない。そろそろ動くとしよう。


「もう一度だけ聞きます。本当に、考えは変わりませんか」

「変わらぬ。しからば汝は何とする、小僧」


 愚問だ。いや、相手も分かった上で訊いているのだろう。

 私欲で人を支配するこいつを、元人間として放ってはおけない。

 言葉が駄目なら力で決める。さあ、宣戦布告といこうじゃないか。


「蛇神、あなたを止めます!」

「……面白い。小さき人の身に過ぎたる野望、この神が今ここで打ち砕いてくれる!」


 大気が唸り、衝撃がやって来る。僕と黒羽は別方向に()退(すさ)った。数秒前まで立っていた場所が、爆弾でも爆ぜたように勢いよく吹き飛ぶ。

 それが開戦の合図だった。

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