神を打ち倒す日
運命の朝がやって来た。
木崎との特訓を終えた僕が、仮眠を取ってから外に出ると、他のみんなは既に準備が整っていた。作戦の手筈を改めて共有すれば、木崎が微妙に眠たそうな顔をしながら言った。
「最終確認になりますけどぉ、本当にこの組み合わせでいいんですかぁ?」
「え? ああ、うん」
これから僕たちは三手に分かれて行動する。陽動と本命、そして留守番役だ。僕は黒羽と、木崎は結城とペアになる。昨夜の段階で予め決めていたことだった。
「恋人と一緒の方が連携しやすい。君だってそれは同じだろ」
「ええ、確かにそうですね。でも……いささか不用心じゃありません? 二人の命運をわたしたちに委ねる、なんて。その気になればいくらでも裏切れちゃうんですよ」
「裏切るやつはそういうこと言わない。そりゃ僕だって不安はあるけど、前提からして僕と君は別々になるしかないし。君を黒羽と組ませるのも違う意味で危なそうだからね」
「わたしは大歓迎なんですけど?」
「黒羽が歓迎しないんだよ。ね、黒羽」
「そうだな。こいつとバディなど死ぬ方がマシだ」
黒羽がドスの利いた声で吐き捨てる。すると木崎は「ひっどーい!」と何故か嬉しそうな表情で応えた。
「わたし頑張りますから、終わったら一口だけ食べさせてくれません?」
「はぁ? 断る。貴様は無給で馬車馬のように働け」
「うわすっごい辛辣。あなたのそういう日本刀みたいなところ、あの時とまったく変わってませんね」
言い寄る木崎に、黒羽は心から嫌そうな顔をしていた。僕が二人の間に割って入ると、木崎は一瞬だけ身体を硬直させたが、何も言わずに大人しく後ろへ下がった。
こういうとこが不安なのだ。アパートで会ったときもそうだったけど、こいつが黒羽に向けてる視線、なーんか粘っこいんだよな。
「……まあいっか。それじゃ二人とも、“後は頼んだ”」
「頼まれました」
「しゃーねぇな、一肌脱いでやっか」
おのおの頷き、狐たちが歩き去っていく。彼らの背中が曲がり角に隠れるまで見送ってから、僕は絢音に向き直った。
「君はここにいて。もし何かあったら、電話を。番号は……昨日、交換してるよね。すぐには出れないと思うけど、履歴は残る。必ず助けに行くから」
「イエッサー。足手まといにはなりたくないし、隠れて留守番してるね」
死なないで。
胸元で手を組み合わせて、絢音が囁いた。
「大丈夫、負けないよ」
心配性な少女にそう言い切ってみせれば、絢音はくしゃっと表情を弛めた。一歩、僕の方に歩み寄り、いつぞやのように拳を突き出す。
「グータッチ。ドゥーユーアンダースタン?」
「イエスマム。サンキューベリマッチ」
コツンと、優しく打ち合わせる。これで少しは安心してくれたかな。
「別れは済んだか? 私たちも行くぞ、楓」
「うん。待たせてゴメンね」
絢音に手を振る。もう片方の手は黒羽と繋ぎ、急ぎ足で廃工場を後にした。
村人たちに見つからないよう、森の中を通って決戦の地に向かう。
目指すは山奥の寂れた社、蛇神のおわす神域だ。生い茂る枝葉をかき分けて一直線に突き進んでいく。
余裕はそこまで無いけれど、隣に黒羽がいるからか、不思議と恐怖は感じなかった。
命と誇りと、人としての尊厳を賭けて。
僕たちは今日、傲慢なる神を打ち倒す。
※
「……行っちゃったか」
一人残された宮野絢音は、遠ざかっていく楓の背中を眺めながらそう呟く。
本当なら自分も役割が欲しかった。けれど絢音が手伝いを申し出たとき、楓はそれを危ないからという理由で却下した。不服だったので食い下がってみたが、「人間の身体は脆い」と言われれば絢音は反論出来ず、しぶしぶ留守番を請け負って今に至る。
ジッとしてるのは性に合わないのだが……ま、仕方ない。ひとまずはこの工場で、大人しく身を潜めていよう。
「信じてるからね、楓さん」
目を閉じて彼の勝利を祈る。頭の中で、昨夜、彼に言われた台詞が何回も繰り返される。
『何があっても、君に手出しはさせないよ』
『事が終わるまで君を守るって意味』
当初はめちゃくちゃ驚かされた。だけど冷静に考えてみれば、あれは口説き文句でも何でもなくて、単に彼の善性から出た言葉だったのだろう。
後々そのことに気が付いた時、チクショウと思ったのはここだけの秘密だ。
「はーあ……」
色んな想いをため息に乗せて、宮野絢音は意味もなく空を仰ぐ。
突き抜けるような青だった。
「アタシって、悪い子かなぁ……」
※
廃工場を発ってから、泣沢村の大通りを歩くこと数分。
「ねえ結城くん」
「なんだよ」
「ぶっちゃけ裏切るつもりってあります?」
「……いや、今はねぇな」
「あら意外。楓くんを抹殺する最大の機会、てっきり活用するものかと思ってました」
意味深な笑みを浮かべる木崎に、結城は複雑そうな顔をして頭を掻いた。
ここでこちらが動かなくとも、楓にはそれを知る術が無い。結城たちを信じたまま蛇神へ挑み、そしておそらく命を落とすだろう。
楓の死は、結城にとっても望ましい結末の一つだ。あいつのことは気に食わない。これまでずっと憎んできたし、協力関係にある今でも、彼に対して変わらない殺意を抱いている。
だが……。
「なんつーか、そうじゃねえんだよな」
「違うんですか?」
「お前だって自分の獲物は横取りされたくねぇだろ」
「なるほど、“俺の手で殺すために今は助ける”と。我が夫ながら狂ってますね」
「正気だったら妖怪になんざならねぇよ。……っと、どうやらお喋りはここまでらしいな」
良い具合に見つけてくれたらしい。遠くの方から、村人の一群が殺意剥き出しで迫ってくる。昨日よりは小規模だが、それでもかなりの数だった。
「……あら。あらあらあらあらぁ? 烏合の衆がぞろぞろと! 砂糖菓子に群がるアリみたいですねぇ。これはちょーっと時間がかかるかも」
「“仕事”の最中は守ってやる。俺から離れるんじゃねぇぞ、加奈」
「言うじゃないですか。そっちこそ離れちゃダメですよ、結城」
互いを名前で呼び合って、狐たちは速やかに戦闘態勢をとる。
どこまでも澄み渡る蒼穹の下、二匹の鉤爪が陽光を反射して煌めいた。
「重要な仕事ですからね。気合いを入れていきましょうか」
「ああ、腕が鳴るぜ」
どちらから合図を出すまでも無く、あうんの呼吸で勢いよく地面を蹴る。
清楚な少女と爽やかな青年の姿は、いつしか巨大な狐へと変わっていた。
「妖狐、木崎加奈――推して参ります!」




